22 二つの閃光
アンバードの王都・バーレイ……北には切り立った崖の上に石造りの古城が佇んでいて、その下に煉瓦で造られた町――綺麗な河川が中央に流れる美しい都であった。城は巨大な岩山と崖が自然の要塞として利用され正面の巨大な橋以外からの侵入は難しいだろう。
そんなバーレイの城下町の雑踏に、さらに騒めきが加わる。
主たる王が、城から雷を撃ち放ったのだ。
それ即ち、敵の出現を意味する。
騒ぎを察知した颯汰一行は目的地――王城への隠し通路がある教会跡地へ急ぐ。
アモンが先導するが怪しまれないように手に持った鎖を持ちながら小走りで進み、街から出る地下の狭い通路――というべきか穴を掘っただけの大人一人がどうにか通れるような道を目指していた。颯汰やラウムに対して歩行速度を合わせているが、怪しまれない程度の速度で急ぐ必要があった。
一方、遥か彼方の空――。
紅い光に向かって、王は紫光の雷槍を撃ち放つ。大気を振るわす仰々しい音と共に放たれた雷は、一直線で薄暗い空を両断するように突き進んだ。
その直後、紅い光から星の瞬きのような煌めきの後に炎が溢れ出した。
一瞬何が起きたか理解出来なかったが、この地を支配する魔王の圧倒的な一撃を受け止めたのだと理解した民は言葉が出なくなる。
そして王が城から発ったのを誰もが目撃した。淡い光の帯を残して、迫りくる災禍の化身へ向かったものだから、領内の兵は一時的に混乱に陥った。国の象徴である王――さらに総指揮官を兼ねる者が現れた敵へ真っ直ぐ向かうなど、埒外にも程があるだろう。
これには側近も予想はしていたが頭を抱えそうになる。しかし、兵に事前に指示した布陣を敷く事を伝え、その後は待機するように命じた。
空中への攻撃手段はないわけではないが、一クルス以上の距離となるとここからではエルフでも矢を当てる事は不可能であるから、次に動けるように準備を整えるしかないのであった。
遠くの空に光が二つ、ぶつかり合う。
拳、剣、脚と身体の使える部分は武器として使う。
片や巨剣を振り回す魔導や占術に精通したような出で立ちで、片やサングラスに白の毛皮付きコートを着た現代風の恰好。まるで共通項のない服装と文化を持つのに、彼らは殺し合うという宿命によって惹かれ合っていた。
二人の魔神が織りなす剣と拳の協奏曲が城下町まで響いてきた。
さながら重い金属――鉄球同士が激突したような音が幾重にも重なって聞こえた。
――コイツ! 思ったより速ぇなッ!!
自身の雷瞬――雷の如き速さに対し、敵である赤い魔王がすぐに追い付き、喰らい付くように攻撃を放ってきたのだ。
「この距離ならどうだ! 雷光の飛礫――ライトニング・バラージショットォ!!」
極至近距離、大剣を躱し左手の平から薄紫色の魔方陣が展開した。ここに来る際に放ったものと同じ――幾つもの雷刃を連射する術だ。肉薄するほど距離を詰めて放てば散弾も必殺の威力となると考えたのであった。
最も、通常の散弾銃の弾丸も、この刃一つ一つも、当たれば致命傷となるのだが、この相手では傷すら付けるのが難しい。
紅蓮の魔王は無感情で機械的に大剣を呼び出し、厚い剣身で盾にしながら離脱する。剣へぶつかった光が火花にも似た綺麗な粒子となって飛び散った。
そこへ背後に回った迅雷は電撃を纏った拳を振り上げて叩きつけようとした。バチバチと耳障りな大音と共に拳が迫りくる。
「雷閃拳!!」
紅蓮の魔王は背後から振り下ろされたこの一撃を、星剣の重さでは間に合わないと見て、剣を捨て両腕を交差して受け止めた。剣は地上に落ちる前に消失するが、もし落下しても音はここまで響かないだろう。距離が問題なのではなく、それ以上に爆ぜるような雷鳴が轟いたからだ。
非常に重く、強力な一撃――。
だが、紅蓮の魔王は空から落ちることはなかった。
――受け止めきるのかよ……!!
その一瞬の驚きの隙を、紅の王は見逃さない。
城下町から遠目で見ていた者は、あまりの距離に粒が光っている様子しか見えない。ただ、それが驚異的な速度で動き回っている事だけは理解できた。
そんな光がチカチカと互いの色を輝かせたと思った矢先、事態はすぐに急変した。
光が急速に落下する――否、紅蓮が迅雷の頭を右手で掴みながら降下したのだ。それから、建物が投石機で無残にも壊され、崩れるような大音がバーレイ中に響き、上空まで塵煙が舞った。
紅蓮の魔王は遥か上空彼方から、落下の勢いに任せ、アンバードの王の頭をそのまま地面へ叩きつけたのだ。さらにボロ雑巾を乱暴に擦りつけるようにして石畳で舗装された地面を抉り進む。押さえつけられた迅雷の身体によって、石材とその下の土砂が掘り起こされた。
それだけでは終わらず、迅雷の魔王の頭を掴んだまま持ち上げ、一回転――宙へ投げ飛ばした。すかさず紅蓮の魔王は再召喚した大剣を両手で握り直し、水平に構える。一気に地面を蹴って加速すると投げ飛ばした迅雷に向けて、風を纏い、厚く鋭い刃を突き刺した。……はずであった。
「――……!?」
手応えがない。
それどころかそこに迅雷の姿が忽然と消えていたのだ。
迫りくる光速の矢は躱した。神速の域に達する雷撃も紅蓮の魔王は確かに目で捉え、打ち払った。だが、ここに来て初めてずっと目で追えた敵が視界から消え――背後から奇襲を仕掛け始めた。
雷を纏った踵落とし。その一撃はこの世界の落雷に匹敵する凶悪なエネルギーを斧のように、宙から身体ごと振り下ろしたモノだ。
「紫電猛襲落!!」
眩い光と迸しる電気を帯びた踵落としに対し、紅蓮は頭の後ろの回した左腕の上に大剣の腹を乗せて咄嗟に防御する。殺気を感じ取り、ほぼ反射的に身を守ったのだ。
凄まじい威力で叩きつけられ、空中から地面へ――衝撃で紅蓮の魔王の足元に小型のクレーターが出来上がった。
数瞬、ぶつかり合っていたが、すぐに紅蓮が防御に使った星剣で攻めへと転じる。
だが、やはり迅雷は視界から消える。どこだと思った瞬間、五ムート(約五メートル)前に視界の右方向から流れるようにシュタッと音を立て着地した。
その顔や頭に目立った外傷はない。人体ならとうに死んでいる攻撃に魔王という存在は傷すらつかないのだ。
「おいおい……! マジかよ……!!」
口を開いたのは迅雷の魔王。途中でどこかに飛んで行ったためポケットから取り出した予備のサングラスを掛け直しながら続けた。
「ついムキになって危うく本気で殺しちまいそうになった、と思ったが、まさかアレまでもを防ぐのかー……! ハッ! とんだバケモノだな、アンタはッ!!」
やはり男は下品に嗤う。強敵の登場に懼れは無かったとは言わないが、自身でも驚くほどに滾っていた。大抵の者は一瞬で勝負が着き、直ぐに彼に挑む者はいなくなった。それからというもの、迅雷の魔王は変わらず己の欲望に従って生きていたのだが、心の中で何かが足りないと――欠けた何かが満たされない。器から欲の蜜は絶え間なく注がれているはずなのに、と考えていた。それが今、渇きを癒す対等の存在に巡り合ったと確信した。だから笑わずにいられなかった。
民の悲鳴と建物が割れる音が響くアンバードの王都・バーレイに、地の底に住まう悪鬼のような笑い声がケタケタと重なり響き渡った。
「サイコーだぜ!! もっと俺を楽しませ――」
喋る迅雷に対し、紅蓮の返答はない。その代わりに無言で剣を乱暴に回転させ、投げつける攻撃が彼の答えであった。
まるで高速回転する電動丸鋸の刃のように目標に向かって飛来する。
そうして大きく左方向へステップを踏んで回避する迅雷の足元から――紅蓮が右腕を振り上げると同時に火柱が屹立した。
地面が熱により橙と赤に変色した段階で更に回避を選んだのだが、それより早く炎が鋭く牙を剥いた。
石をも溶かす灼熱の魔法はどんな鍛えた強靭な肉体であろうと致命傷では済まない。それは勿論、当たればの話であるが。
――また、“速度”が増した、か
無感動に紅蓮は敵を観察する。
紅蓮の魔王の斜め左後ろ方向の死角から、迅雷の魔王は拳をねじ込ませようと動いていたが紅蓮は振り向き左足で迎撃したが、迅雷はすぐに離れるとまた光速――下手すればそれを超えた速さで消え去った。
――攻撃をする瞬間だけ、速度が落ちるな。わざと手を抜いているのか、そういった能力なのか
僅かに速度は落ちるとはいえ常人が肉眼で捉えられたとしてもその時には絶命を免れない攻撃速度であったが、この紅い青年の目ではまだ余裕があるようだ。
しかし、移動の瞬間だけは目で追えない。
「面白くなってきたろ! なぁ!? そうだろう!?」
敵と会話を交わす気は一切ない紅の王はただ呼吸を乱さず、敵を睨み、襲ってくる悪鬼の猛攻を直感で受け止めた。
「ハッ――! 無口な奴だ……!」
呆れながらも、その声音は歓喜に満ちていた。
兵たちは駆け出し、住民たちも悲鳴を上げて走り出す。兵に道を譲るように側面を歩いていた住民たちも我先にと自身の命を優先して避難を開始していた。
たった二人の存在によってこの地は混乱を極めている。
そこで、その機を逃がすまいと侵入者――立花颯汰ご一行は足早に目的地へ急いでいた。王の出現から僅かな時も経っていないが、その様子を眺める事なく移動をし続けていた。道の端を慎重に歩いていたのと比べれば敵地で走るのはかなり大胆な行動であるが、それに誰も気づく様子もない。
騒めきの中、住人たちの声には不安を帯びていた。
「光の線が暴れまわっている……! 逃げろ……! 逃げろ逃げろ!! 巻き込まれるぞー!!」
「お、落ち着け!! 避難の指示を! 我々の指示に従って――」
常人の瞳には亜光速で動き回る化け物たち――二人の魔王が周りの建物などにも被害を撒き散らしていた。
アモンが持った鎖で引かれる、逃げ惑う民たちと逆方向へ進む颯汰とラウム。
そこへ一人の女が少女ラウムとぶつかった。
「――ッ!? ど、どきなさいよ!!」
女は自身より一回り以上に小さな幼子が地面に転んだのに対して謝らず、すぐに人波へ合流して消えていった。颯汰はついその女へ視線を送ったが、彼女も必死であるからそれに気づかなかった。女性も、きっとぶつかった相手が奴隷であるから冷たい態度を取ったのだろうと数秒後に颯汰は気づいた。
「大丈夫か? 立てる?」
設定では手も堅い木と金属とを合わせた枷が装着されているのだが、この騒ぎでは民も兵も奴隷の手の拘束などに気を留やしない。だから颯汰は薄汚れた布の間から手を差し伸べた。
幼き魔人族の少女・ラウムはその手を見た後に、じっと彼の顔を覗き見ようとする。外套のフードを深く被ったせいか、颯汰の表情は全く見えない。
漆黒――。
深淵――。
無明――。
底知れぬ闇――。
幼き聡明な少女は、この少年が何者なのかこの短い旅では理解しきれないでいた。ただならぬ何かを宿した者……。もしかして、父――ボルヴェルグ・グレンデルはそれに気が付いて彼を同行させ、目を離さないようにしたのかもしれない。そう彼女は思った。
剣術は確かに同年代と比べれば優れているだろうが、一介の騎士と戦えば分が悪いはずだ。料理も不味くはない。だが、それらが父の興味を惹いた要素となり得るのだろうか、と心の声がする。
他に気になった事を強いて言えば小さな気遣いと優しさ(ラウムが幼子であるからかもしれないが)と妙に道中で動物に好かれているような気がする程度か。龍の子を始めとして馬の扱いも中々である。このように彼女は観察していた。
だが、根本的にこの少年の内面が知れず、彼女は正直に言えば『怖い』と思っていた。そう思えたのは旅の始まる前――プロクス村がまだ炎に包まれた頃まで遡る必要があるのであった。
――続く。
次話は来週。
あとたぶん活動報告に色々書くと思います。




