20 魔族の国アンバード
一人の男が、城内を走る。
息を切らし額に汗を浮かべながら、煌びやかなシャンデリアの下――大理石の床の上をひた走る。その汗は疲労のせいだけではない。
部下からの報告を受け、それを主たる王――迅雷の魔王へ伝えなければならないのだが、その内容が最悪なものとなっていたのだ。そして問題なのはそれを聞いた王が癇癪を起して誰か――自分を含めて誰かを殺すかもしれない。死を意識したゆえの発汗でもあるのだ。
――だからと言って、報告しない訳にはいかない
竜魔族の側近――ビムは城の外壁の黒さと反して、白い内装の綺麗な城内の階段を駆けていた。壁には絵画と像が並んでいる。どれも金も手間も掛けたものであると素人目でもわかる品々だ。
天井付近や壁に僅かな外光を取り入れた荘厳な金の装飾があり、それが城内を明るく照らし出す。カンテラのような形で、光が入ると内部の結晶体が光を乱反射するらしいが詳しい仕組みをこの城内で知る者はいない。簒奪者である魔王ですらただ、先代の王を殺して乗っ取り、利用しているに過ぎないのだ。
王がいる寝室の白地に金の装飾が施された大きな扉を、側近が二度ノックする。
「――入れ」
王から短い返事が返って来たので側近は静かに息を吐いて呼吸を整えてから寝室へと足を運んだ。
「失礼しま――! こ、これは大変ご無礼を……!!」
キングサイズの天蓋付きのシルクのベッド。手触りの良いシーツと毛布の中に、城の主でこの国の鬼人族の王――迅雷の魔王が裸で寝そべっていた。
更に、五人の女――耳長族が三人、人族が一人、魔人族も一人、絹のような美しい素肌を持つ女たちまでもが皆裸であった。それぞれが種族の美しさを最大限に引き出している魅惑の身体を持っている。うなじから腰、尻にかけてのなだらかな曲線美、細く長い首に深い鎖骨。顔だけではなく胸や腹も瑞々しく、艶やかであった。そんな女たちは、王の両脇からべったりくっ付いたままである。
だが、よく見れば女はそれだけではない。
ビムは反射的に目を逸らしたためその正確な数は把握出来ていないが、常識の範疇をとっくに超えた人数がいたことは確かであった。
多くの女たちぐったりとしたまま倒れている。ベッドの上や床にまでもだ。生きているかどうかを確かめる術を側近は持ち合わせていない。
女たち誰もが、現れた側近に対して無関心であるのか全く身体を見られて動じる気配もない。むしろ全身に恥ずべき場所など一切ないと断言するように剥き出しの身を見せつけるように堂々としていた。王へ全身を使い奉仕する――娼婦、もしくは夢魔の如く振る舞う彼女たち。その才があったのか、或いはそれすらを演じているのか、はたまた壊れてしまったのか。
ビムは視線を外し、いつも通り退室して後で報告をしようと動いていたが、
「いや、いい。お前のその様子だと何かあったな。話せ」
迅雷の魔王は、竜魔族を引き留めて報告を受けた。
――……
――……
――……
「…………確かなのか?」
「はい。間違いありません。敵の拠点であるロッサという城塞、他には港町であるカルマンなど、――魔獣や死兵、ドロイド兵を放った地点にもう一人の“魔王”が現れて殲滅させられたと……。未だ報告もありませんが、アゴーニ砦を襲撃した一団もおそらくは全滅したかと……」
「…………お前はどう思う」
王の問いの意味をすぐ理解した側近は言葉を返す。
「……私は、わざと兵を逃がし自分の存在を示しているように思います」
「やはりか」
迅雷は現れた新たな魔王が、兵を逃がすほどヘマをする間抜けではないと思っている。というより圧倒的な魔法という力を以てして敵を逃がすなんてあり得ないと断じている。わざと王都にいる自身へ報告が行くように仕向けていると、側近ビムも見切っていた。
「現在、単独でエリュトロン山脈を飛行しているそうです。“炎の翼”を生やし戦場を飛んでいたように、と」
「……ゆっくりここを目指している、か。一週間かそれ以下で大陸を飛び回り、丁寧に兵を潰したわけか。――俺に対する挑発行為かもしれんな」
「いかがなさいますか?」
「――……挑発に乗るのは癪だが、このまま城に呼び寄せて星輝晶を壊されるわけにはいかねえな。王都の前、スピサ荒野で布陣を敷いて迎え撃つ! 各地の豪族からも兵を出させろ! 詳しくは俺が着替えてから会議を開く――準備をしておけ」
「ハッ!」
側近は頭を下げてから部屋を出ていく。
――ま、襲ってくるのが魔王なら、俺以外に相手が務まるとは思えねえけど
そう心内で迅雷の魔王は呟いた。
扉が閉まった音の後、一人のエルフの女が王へ訪ねた。
「王様~……大丈夫なの~?」
別に不安がってもいなく世間話を振るようで、だが何処か声音が媚びるような艶めかしさも含まれていた。
「はッ――! 誰に聞いてやがる? 当たり前だ!」
肉欲に溺れた後でも王の機嫌は魔の大海の天気よりも読みづらい。笑顔でも、その一秒後に首を絞めて殺す事もあった。だが、数年も一緒で生き延びた女はいつの間にかそれが読み取れるようになっていたからこそ、こんな軽口を聞けるのだ。魔王はそのままベッドから起き上がり、扉へ向かう。
「逆賊は誰一人とも生かして帰さねえ!! すぐにヴェルミを潰滅して蹂躙して凌辱の限りを尽くしてやんよォ!!」
下品に口角を上げ、金のチャラついた髪を掻き上げる。いつの間にか手に持っていたサングラスを掛けて扉を開いて行った。
全裸で。
一方、魔族たちの国――アンバードの王都、バーレイ。迅雷の魔王と兵が会議を終えたその数刻後、城下町の空気には緊張感がはらんでいた。
「どうやら、動き出したようですな」
黒の衣服。それだけならこの薄暗い町で目立つ筈がない。その手に持つ鎖の先――二人の男女が拘束されていようともだ。王が代わり、奴隷を連れる人間が増えたため別段今は不思議な光景でもない。
片方は男だがまだ少年という年齢で、もう片方は幼い子供である事が、両人とも全身を包み、深く被った外套からでもわかる。
薄汚いボロ布からは拘束された首を繋ぐ鎖と、擦切った靴しか見せないようにさせられた奴隷だ。
多くの者が、彼が奴隷を連れていると見て取れるが、その恰好から第一に浮かぶのは疑問符だろう。
彼のような種族は比較的珍しいからではない。――黒の上着の後ろの裾がツバメの尾のように見える事から燕尾服と呼ばれる衣装を着ているから浮いているのだ。
この杖にハットを被る老紳士の名はアモン。
獣刃族の雪の民と呼ばれる狼の姿へ変身できる男だ。
彼くらい老いた獣人であれば耳や尻尾を隠す事も可能だが、それをすると人族に勘違いされるやもしれないので、尻尾だけは垂らしたままであった。
老紳士といえば聞こえがいいが、正直に言えば八の字髭を携えた詐欺師か道化師にも見えなくない。眼や顔のシワが老齢さよりも老獪さを感じさせるせいだろうか。そんな老紳士が小声で鎖の先にいる二人に声を掛ける。決して他者には気づかれぬように前を向いて鎖を引きながらだ。
彼の視線の先には、普段は人が賑わう大通り。だが今はその人々は壁に沿って歩き、代わりに慌ただしく動き回る騎士や戦士たちがいた。それに伴い、補給部隊も忙しそうだ。滑車の荷台には、装備や食料を覆う布と紐を結んでいた。
側近ビムの伝令により、兵たちは戦う準備を行う。練度は決して低くはないが、相手が相手であるから、内心彼らは悲観していたに違いない。だが、国を守るために懸命にそれをひた隠し、怯えを噛み殺す。民の前で、王がいるところでそのような姿をおくびにも出さないように努める。
その中で、野心に燃え、敵である魔王を打ち取り昇進を望む者もいたが、皆がその後に自身の無力さを痛感させられるのであった。
アモンは奴隷を連れ、街はずれの小さな屋敷へ辿り着いた。奴隷たちは誰の視線も気にしなくてもいい状態となったと確認してから自身の手でフードを外した。
「はぁ……やっと王都に着いたのは良いけど、…………さすがに敵地の中は緊張する」
奴隷に扮した立花颯汰が辟易とした顔で呟く。隣にいる少女――ラウムの表情には僅かながら疲労が覗き見えた。颯汰の外套の中から、幼龍シロすけが全身を這い出すと翼を広げて飛び、颯汰の頭に引っ付いた。
疲れ切った全員を見て、アモンは丁寧な口調で労う。
「長旅お疲れ様です。――数日もしないくらいに騎士たちと王が自ら出陣するでしょう。今の内に休んでおいてください。王が城を離れた時がチャンスです」
たった数日、非常に疲れが残る旅であった。
黒泥の兵士や魔獣という存在と戦闘した事で、紅蓮の魔王はその正体――何が魔王城に“いる”のかを看破した。
一度心が折れた颯汰であったが、自身を奮い立たせて迅雷の魔王を討つと剣を握った。
そこで紅蓮の魔王は思いついた作戦――作戦と呼べるような代物ではないため、魔王以外は難色を示したが、強行されて今に至る。
紅蓮の魔王は暴れながらヴェルミ領内の黒泥で造られた存在の抹消を行いながら、迅雷の魔王を挑発しておびき寄せる囮役でもあった。
今、ヴェルミ領内でドロイド兵、魔獣、死兵は一匹たりともいない。魔王が全て葬ったのだ。
颯汰一行の目標は魔王城内部に囚われている“ある人物”を救出する事。名前どころか顔すらわからないが、その人物の役割は理解していた。
その人物こそこの戦いのキーマンで、魔王と並ぶ戦力になると期待している。
その人物がいるのか颯汰はアモンに確認を取る。
「……それで、間違いなく囚われているんですか?」
「えぇ、間違いありません。劇団『魔女の夜』のメイク担当及び裏方兼交渉役である私……――実はこう見えても王城を自由に行き来できる地位にいますので」
「えっ」
「えっ」
「ハハ、今私は、宮廷画家と宮廷彫刻家を兼任しており、城内の何点かは私の作品でございます。それで雷の王はヴェルミを奪い取った暁には、王と“彼女”の絵を描けと私に命じました。こういうのも複雑ですが、私の作品を気に入ってくださり、証明書を提示さえすれば城へ自由に入れます。…………とはいえ、さすがに戦時にホイホイと奴隷役のお二人を連れて歩き回るのは厳しいので、廃教会の抜け道を使いたい、のですがさすがに王がいる間は危険です。座長の話では魔王は侵入者をすぐに発見できる術を持ち合わせているだとか……。早々に紅の魔王に来て頂きたいですな」
座長とは魔女グレモリーの事だ。
ここまでの経緯は、五日前にアンバード領の行商人が乗った馬車を紅蓮の魔王が襲い、颯汰が見様見真似で馬車を走らせ、グレモリーの指示で王都の外にある寂れた教会へ訪れた。そこにいたアモンは、廃教会から王都に脱出――つまり侵入も出来る隠し通路を見張っていたのであった。アモンとラウムは既知の仲であり、師匠である魔女と念話が出来る道具(魔女が持っている同じ道具とだけ念話が可能)で王を討つ作戦を最終確認をした。『ここまで来たら、もう止めないわ』と最初は危険だからと難色を示していたグレモリーも離れながらもサポート――主に知識を授けるかヴェルミの現状を伝える役目を担っていた。人族と似た容姿である颯汰が王都にいるのは間違いなく騒ぎとなり、またラウムも王都から逃げ出した少女であるから共に奴隷へ変装して潜り込んだのであった。
紅蓮の魔王と迅雷の魔王が戦っている間に、ある人物を救出し、共に城内のどこかにある星輝晶を破壊するのが今回のミッションだ。魔王と魔女の話によれば星輝晶を破壊されれば、ペナルティとして能力のダウンとその結晶から付与された力が消えるらしい。まるでゲームみたいだなと颯汰は鼻で笑った。
――星輝晶は普通の人間では決して壊せない。事実だ。
「――……“勇者”、か……。」
だから、それを破壊する事が可能な人間こそが“勇者”である。
どんな人物だろうかと颯汰は思いを馳せていた。半裸に獅子の皮を被った大男かもしれない。濃い青の肌を持ち、横笛を吹く青年やもと想像は膨らむ。
転生者と対の存在。選ばれた現地人。
異世界転生を果たした魔王を殺すための神の刃となる者。
「えぇ、にわかに信じがたいと思いますが。地下牢に『勇者』が捕らえられています」
アモンのその言葉は、そのような存在が確かにいるという意味でもあり、捕らえられているという意味でもあった。
「魔王なんて規格外な存在がいるんだ。勇者だっているだろうさ……。その人が捕まった理由は?」
その問いにアモンは静かに首を横へと振った。
魔王と魔王、一対一でぶつかり合ってる最中に侵入し、勇者を救出して、星輝晶の破壊。そうして必ず迅雷の魔王を討てるようにするのが本作戦だ。
颯汰も出来れば自身の手で決着を付けたかったがそれには足りないものが多すぎると納得しようとしていた。その拳に自然と力が入る。
もうすぐ紅い星が燃え上がり、雷鳴が轟く――そんな時であった。
ジジジ……――と少し耳障りな音がする。それはラウムが持っていた黒い丸い石のような念話ができる道具から鳴った。
「……師匠?」
そこから息を潜めるような小さな声がした。
『……ちょっと、バッドなニュースがあるわ』
何事かと声のする石を全員が見つめる。魔女グレモリーはとても困った声音で、はっきりと告げた。
「私と王子……近いうちにヴェルミの王都ベルンで、国王ダナンの命で処刑が執行されるわ……!!」
何故魔王が勇者の存在に気づいたのか、
何故颯汰が再び立ち上がれたのくわぁ……!
その答えは後程ォ……!
明らかになるかな?
なにせもう20なので。収まるように展開を急いでます。
過去に投稿した話を見てたらトンデモナイ誤字があったりして現在06:00。
寝ようと思ったのに仕事がある……っ
たぶんこれも何かしらミスってると思いますがその時は優しく教えてくださると幸いです。




