14 襲撃
先ほどまで死を齎す煉獄の焔が具現化したような苛烈な王の鎧姿から一変し、身体が自由となった青年。
各部の調子を確かめるべく、伸びや腕を回し、ストレッチを行っていた。
「ふむ……。本調子とはいかないが、これなら日常生活には問題ないだろう」
自身の手を見つめ、開いては閉じをした後に正面を向いた。
「日常生活て……!?」
――それは、戦えるレベルじゃないのか……?
颯汰とディム、ラウムはその場で、護衛の騎士たちも離れてへたり込んでいる中、魔女は悠々と立っていた。
「国一つ崩すのが日常生活って言うなら、そう言えるかもしれないわね」
颯汰とディムの不安は杞憂であったようだ。呆れの嘆息を吐く魔女はさらに続けて言う。
「それで、何か説明はいる?」
「…………ある程度は把握した。いいだろう、奴――雷の魔王の存在は妻の願いと相反している。あの男を討つのに協力してやろう」
星剣に注ぎ込まれた三人と一匹の思念から、記憶の一部を取得していた。故に、迅雷の魔王は生きるべき存在ではないと紅き守護者は判断した。
しかし――彼は、人の正義のために剣を振るう訳ではない。
「あの子の願い?」
「“悪い転生者から世界を守って……”…………世界を乱す者は殺す、大人しく生きる者は見逃す。それが彼女との約束だ」
彼にとってこの世界は――愛する妻がいなくなった世界など、どうでもいいのだが偏に最後に残した言葉を、彼は生涯守り続けると誓った。
「――あの子、死に際に何てトンデモない呪詛を残してるのよ……」
聞こえない声量で魔女は呟いた。最愛の妻との約束――それは傍から見れば、呪いと同義であった。その妻の存在をも知っている魔女グレモリーは『悪気はなかったのだろう』と理解しつつも、少し表情は苦くなる。だが、その魔王すら起こし利用すると決めたのは自身であると自覚していた魔女はそれ以上の言葉を吐かずにいた。彼でなければ、アンバードを巣くう欲に塗れた魔王を止められない。
正義を掲げ、それに伴った力を持つ者の出現を待つにはあまりに時間がない。
人々は、今も血と涙を流している。
「為すべき事と作戦を決め、早急にあの魔王を殺すべきだ。あの魔王はこの世界に不要な害悪だ」
全てを焼き尽くす王は酷く冷たい声音で宣言する。
「勝算はあるのかしら?」
「勝負に絶対はない。直接ぶつかって見なければわからないだろう。だが、私が直接魔王城に乗り込めば戦争どころではなくなる」
「さらりとトンデモない事言うわねほんと。……でも、味方だとこれ程、頼もしい子はいないわ」
呆れるような仕草をする魔女。彼女の中で、どの魔王よりも絶対に敵に回してはいけない王だと認めていた。
あまりに長い年月を異次元へ幽閉された影響か、以前会った頃より幾分も毒気が抜かれ雰囲気も丸くなっているが、この魔王は誰よりも強い。闇夜を駆け星雲をも切り裂く、恐ろしい凶星である。――それだけは変わらないと。
「一つ聞かせて頂きたい、紅き魔王殿。何故、契約にソウタを選んだのですか……?」
クラィディム王子が当然の疑問を尋ねる。
王子は覚悟をしていた。民を守るために、魔王を召喚するという罪――それを全て背負うと決めていた。
魔王が治めると決めた地は、例え王がいようと関係なく、彼らの物となってしまう。それは物理的に王を排除するという意味ではない。大地も空も、実る果実さえも従う運命となってしまうのだ。
その証拠が、魔王の背後――玉座の上から降りて来た。
「あれは……?」
回転しながら紅い輝きを放つ縦長の水晶――大きさは人と同等くらいもあるそれが、玉座の真上で止まった。
「星輝晶。魔王が支配する領土に一つだけ出現する結晶体。国の構成のサポート、民の監視、魔王自身の強化とか他にも色々できる代物よ。普通の人間では決して壊せない物質でもあるわ」
颯汰の疑問に魔女は答える。
そう、彼がこの地に立った段階でこの森は彼の支配下となっている。そして、この魔王がその気になれば現王を直接殺し、ヴェルミも支配下に置けるだろう。
そうすれば、どういう訳か、その国とそこに生きとし生ける物全てが彼らの“所有物”となってしまう。民は先ほどの魔王のように、抗えない天運が見えない鎖となって巻き付くのだ。
……要するに、人では決して勝てないように空間が働き始める。
魔女は『敵対や抵抗する人間の幸運値(というものが存在するならば)を下げているのでは』と推理しているがその真実は定かではない。
だがこの世界が始まって以来、腕っぷしに自身のある豪族、最強と言われた騎士、熟練の暗殺者でさえも悉くがその地で魔王を殺す事を成しえていないのだ。何か言葉にできない力が働いているとしか言えないだろう。
クラィディム王子は民の命を脅かす魔を討つために、召喚した魔に支配される危険性があっても賭けたのだ。
書や魔女の言葉を信じ、彼の王ならば民をぞんざいに扱わないと。国を焦土に変え、人々を焼き払った王であると知っていたが、それに賭けなければこの国は邪悪に呑まれると危惧した。それが――彼の罪。
その罰は自身の命を捧げる事で国を、民を守れるならと考えていた。
ましてや、民である前に親友である颯汰に魔王と契約という重荷を持たせる訳にはいかないと考えていた。
魔王は王子の疑問に答える。彼の考えを既に魔王は理解していた。
「耳長の王子よ。貴様ら王族はすぐに命を投げ出したがるから困りものだ。大義のため、民のため、王である故に命を捨てる事を美徳とする……。それは結構。尊い事だ。だがな、真に民の事を考えるなら死に逃げる前に抗え、生きて見せろ」
見た目の若さに反し、妙に説教くさく王子を諭す魔王。その言葉は彼の経験から来たものだ。
命を捨てるという“逃げ”を簡単に選んでいた王子は心内で恥じていると、魔王の説教はまだ終わらず颯汰を指して言う。
「そしてこの者は真逆だ。生きたいと願い、生きて帰らなければならないと理解している。だが理解しつつも、放っておけば勝手に死地へ飛び込む大馬鹿者だ」
「…………え?」
急に罵られた颯汰は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。間の抜けた表情を無視し、魔王は語る。
「さらに王子、貴様の怒り――現国王や隣国の魔王に対する感情より、少年の憎悪の方が濃く、強いものであった。契約者は感情の強さを優先するのは知っているか? それが糧となるからだ。この者はそう言った類の感情だけは人並み以上に持ち合わせている」
「ひょっとしなくても、馬鹿にしてますよねぇ!? ……というか契約ってこっちは何かパワーアップとかないんですか? なんかタトゥーが描かれた所が熱かったぐらいで何も変化がない気がするんですけど」
勢いで契約というものをやってみたが、颯汰の身に紋章が描かれたがけで特に肉体的な変化は見られなかった。
正直な話、颯汰も契約とやらをやれば魔王を殺すに至る力を得られるのではと期待していたが、何もない。
最初に熱を感じたくらいで、今は一切感じていない。魔王をこの世界に留まらせるために入れ墨をした、程度に受け止めるようになるだろう。
契約を行って『何もない』――それ自体が既に異常であるが、それに知る者も多くない。現時点では契約を行った片割れである紅蓮の魔王しか気づいていない。
――やはり、予想通りか。
王は静かにまだ胸に描かれた紋章を眺め、擦って取れないかを確認している少年を見ていた。
「いずれ、わかる。過度な期待はせずに待っておけ」
「…………あ、はい」
濁されたが、もしかしてすごい異能力や魔法とか使えるのではと颯汰は過度な期待をし始めていた。思春期を二度味わっている男児であるから、ある種仕方がないだろう。
「それで、これからどうす――」
魔女が発した言葉が、颯汰達が来た道の方からの必死の大声に遮られた。
失礼します、と声がした方向には一人の騎士がいたのだが、様子がおかしかった。
兜はなく、金の髪が土や血で汚れていた。右腕を負傷したのか、力なくだらりと下がっていて、それを左手で押さえながら登って来たようだ。
「ハァ、ハァ……!! 殿下! 御失礼ながら、見窄らしい恰好で申し訳ありません! ――申し上げます!! 南部のアゴーニ砦からアンバード軍旗を掲げた集団が出現!!」
「なん……、だと……!?」
「既に砦は陥落! 数はおおよそ二千! すべて歩兵で構成されていました! 既に周辺のダーロスまで襲撃され、他にはプロクスもこのままでは――」
「待ってくれ!! 出現とは……?」
「わ、私も未だ自身の目を疑っております!! いきなり、中心部から黒い影が出現し、あっという間に制圧され……」
アゴーニはここから南、プロクス村からは東側に位置している。海側であり、港町カルマンも遠くない。
問題は、真逆の西に位置するアンバードの兵が砦の内部を突然現れて襲撃した事だろう。土地的にあり得ない場所だ。どう見積もっても二千の兵をいきなり出現させるなんて不可能だ。
「現在、ルエ砦からの援軍を――」
混乱する騎士と報告を受けた王子、待機していた騎士たちにも混乱が伝播する。
まさか、もう戦争が始まってしまったのか。誰もがその言葉を浮かぶが、口に出すことは憚られた。それを現実として受け入れたくないのだ。
その一方、青ざめた少年は一つの言葉しか耳に入っていなかった。
プロクス村――自身が五年間育った第二の故郷が、敵の魔の手が迫っているという事実。つい最近、傭兵団が姉であるシャーロットを拉致しようとしたばかりだ。
――まさか、前回のは、布石……!?
「――……!」
颯汰は気が付けば今やって来た騎士のいる方角へ駆けだしていた。が、魔王が瞬時にその背後に回り、颯汰の肩を右手だけで掴んで制止させた。
「待て。一人で何をする気だ」
「何を――!? 村には、姉さんや他のみんながいるんだ!! はやく! はやく行かないと!!」
馬鹿な事を言うなと自身より圧倒的に格上の魔王に対し、契約者は吼えた。
「落ち着け少年。……龍の子よ、村の場所はわかるか?」
颯汰のすぐ上を飛んでいたシロすけは任せろと言わんばかりに鳴く。
「魔女よ、そこの幼子を借りるぞ。貴様らは離れても会話ができるのだな」
「貰った道具なんだけどね。すっごい便利だけどそれしかないから取っちゃダメだからね?」
丸くて黒い石――実は魔物の死骸を固めて造られた、離れた場所でも念話が可能な道具だ。
魔王はラウムへ歩み寄って抱きかかえる。ゴシックロリータに身を包んだ少女はまさに人形のようにされるがままであった。
颯汰の近くで少女を下ろすと自身の外套をバサッと広げた。中は緑がかった土色――青丹色の布に裾は橙色や赤の三角が向きを交互に変えながら並んでいる。やはり剣士や騎士というより魔術師のような風袋であった。
「少年と幼子、中に入って私に掴まれ。さっさとそこまで行くぞ」
紅蓮の魔王の言葉を理解するのに颯汰は少しだけ時間が掛かった。
「………………あんた、飛べるのか?」
「あぁ、勿論だ。私は魔王だぞ。空ぐらい造作もなく飛べる」
「いやその理屈はおかしいからね?」
誇らしげな顔をする魔王にグレモリーはついツッコミを入れてしまう。
飛行は姿勢の維持や制御を常に心配りしなければならない――繊細な魔法だ。おそらく彼もやろうと思えばできるが、この王は別の手段で飛ぶ。
――炎をジェット噴射で無理矢理飛ぶんだったわね……。
既に魔王の紅い外套の中に潜った颯汰とラウムを見て、グレモリーは同情する。おそらく、非常に揺れるだろうし浮遊感が常に付きまとう恐怖を長い間体験するはめになると案じていた。それでも馬よりも遥かに早く目的地には辿り着けるはずではあるが。
だが、彼女の予想を遥に上回る運送方法を彼はやってのける事になる。
「掴まったな。魔女、貴様はこの場にいる王子を頼む。騎士たちも同様に! 命を賭してでも未来の王を守り抜け!」
「――ハッ!!」
騎士たちも反射的に胸に手を当て敬礼をする。そのおかしさに数秒後に気づいてそっと手を元の位置に戻した。
「では行くぞ……! 龍の子よ。案内を頼む」
魔王の声にシロすけは答えると、開けた天井のない森の上空高く、十数ムートの高さまで飛び上がった。その姿が見えない二名と魔王以外の全員が首を傾げた時、それは出現した。
「は、はぁ!? ちょ――」
驚嘆の声音が聞こえ颯汰は外套から外を覗くと、
「…………手?」
信じられない光景に目を疑う。
視野いっぱいに映るのは巨大な右手。赤黒く、火山の岩肌を思い起こす魔騎士の巨腕。それが迫り、王ごと颯汰達を掴んだ。
「しっかり捕まっていろ。黙らないと舌を噛むぞ? これから投げ飛ばす!」
悲鳴を上げる颯汰を無視し、魔王は宣言する。この腕は、魔王が“召喚”したのモノだ。
「嘘だろッ!? ウソウソ!! そんなのってな――」
紅の魔方陣から生えた、高身長の魔王すら片手で包む巨大な手が魔王ごと空、高くまで投げ飛ばす。子どもに弄ばれた人形のように上空へ飛んで行った。
「うわぁぁぁぁあああああああああッッッ!!」
颯汰の悲鳴が小さく離れていく、そんな様子をディム王子はただ驚愕の表情で見つめるしかない。
投げ飛ばされた高度の限界点まで飛ぶと、次は左手が彼らを掴み、有無を言わさず横方向へ投げ飛ばした。白竜も普段は見せない高スピードで先導する。ついに地上にあった巨大な腕は消え、更に奥へと消えていく一同。あっという間に星のように煌めいて消えていった。残された者たちは、遠い空に彼らの表情が薄っすら見えるような気がした。
「いや……、あんなのないでしょ」
魔女の呟きに全員が静かに頷いた。
悩んで時間掛かった割に微妙な出来……時間掛けるよりもさっさと進めようと思って投稿しました。
次話は来週くらいに。
15:06 誤字修正




