13 焔の契約
――魔王。それは、世界を終焉へと導くもの。
異世界から呼び出され、邪神に強大な力を与えられた悪魔の王。
幾多の物語に現れては、野望を胸に覇道を突き進む。路傍の石だろうと阻むなら砕き、絶大な力を存分に振るう。そんな危険極まりない存在が目の前に現れた。
暗くなった空の下、歪んだ空間を割って現れた王に対して、立花颯汰の心が警報を鳴らす。
――逃げろ。逃げろ。今すぐ逃げろ……!
全神経が、脳が、身体が、内側から叫喚を上げているのを颯汰は感じ取る。全身鎧姿の“アレ”はまずい。人ではない何かだと本能で理解できた。紅い二本の角飾りが鬼や悪魔を連想させた。
だが、身体が動かない。先ほど裂け目から出た、目に見えないエネルギーの波動に当てられ、動けないでいる。声も出せない。呼吸をするのが手一杯だが、空気を吸えている感覚がない。人は、大魔王からは逃げることはできないのか。
地獄の赫焉たる世界を体現したような鎧を身に纏い、兜からは表情が全く読みとれない。
誰もが声を出せずに沈黙した空間で、永遠と錯覚するほど濃密な時間が流れた。
魔王は静かに、宙に浮いた剣に向かって前進する。歩く度に、足元から小さな炎がゴォッと音を立てて燃え始める。
だが、ほんの数歩進んだところで拘束された鎖に阻まれて動けなくなった。
手を伸ばそうとするが、力を込めて引っ張ったその腕に絡みつく鎖は、共に震えていたがそれ以上伸ばせないでいた。
「……紅の坊や、お久しぶりね。元気、してた?」
驚き固まる一同の中で、ただ一人、グレモリーが立ち上がって紅き王に話しかけた。予想外の姿で登場した王に、魔女グレモリーは顔は笑っていたが、その目は驚愕に満ちている。
『……やはり魔女か。何故、貴様が生きている? ここは何処だ、何故私を呼んだ……?』
兜の奥底から輝く緑の瞳で射貫くように魔女を睨んだ。どうやら既知の仲のようだ。
紅の鎧から、ぐぐもって掠れた男の声が聞こえた。ただおかしいのは、その声は耳朶を越え、直接脳内へ響くようなエコーがかっていた事だろう。
「それ系の質問は、色々と制約で喋れないの。察してくれると助かるわぁ。その剣に思念を送ったから、あとは握れば説明を省く事が出来て楽なんだけど。あなたこそ、その呪詛は何? そういうプレイ? 鎖なんてハード過ぎるわね」
『……相変わらず口煩い女だ。……貴様が星剣を呼び出し、星剣が私を無理矢理ここへ召喚した影響だろう。煉獄の鎖がこの身を渡さぬよう拘束している』
「坊やでも解けないものなんてあるのね。新発見だわ。……それ外す術もあるんでしょう?」
艶めかしく自身の唇に指で触れる魔女。
二人で会話を続け中、“星剣”というワードに聞き覚えのあった颯汰は記憶を探り始めていた。
仙界であるが、異なる次元軸へ幽閉されていた王は、魔女グレモリーの固有能力によって呼び出された星剣――その剣が持ち主である魔王を無理矢理この空間に呼び寄せられたのだ。
魔王と魔王。
互いの願いのために対立する存在であるから殺し合うのが運命となっていたのだ。彼と彼女が殺し合った過去があっても何ら不思議でもない。逆に今、憎しみ合う空気がないことの方がおかしいくらいだ。何せ、彼女は一度、この剣に貫かれた。剣に貫かれた時に“触れた”という判定となったのを利用して召喚したのだ。
紅き魔王は返答に困ったのか暫し黙り込んだ。首を動かし、辺りにいる人間を流し見をした後に、
『――契約だ。地上に生きる者と契約を結ぶ以外に方法はない』
彼の知る唯一の方法を口にした。
契約――、この世界に於いてそれは単なる口約束では済まない、魂と魂を結びつける魔術儀式の一つである。
それは通常、人と人の間では行うことが出来ない。霊峰に住む高い知性を持つ魔物や、竜種といった“人より位の高い生物”としか結べないのだ。
それは勇者や魔王とて例外はない……はずなのだが。
「ふぅん……あなた、ひょっとして“異界からの来訪者”として選定でもされたの?」
『………………』
魔女の問いに魔王は反応を見せない。沈黙は肯定と取ったグレモリーが、
「だったら早いわ、私が――」
『――貴様みたいな怪しい女と結ぶわけがなかろう』
契約を持ちかけたが、魔王は一秒も迷うことなく一蹴した。
あら残念、とあまりそのような素振りを見せずに魔女は嘆息を吐く。
「だったら、僕……げふん!」
ディム王子が立ち上がり、一歩前に出る。咳ばらいをして声色を変え、堂々とした王族の気風を醸し出す。
「私ならどうだ! 私はヴェルミ王国の王子、クラィディム=レイクラフト=ザン=バークハルト! 私が魔女殿に貴殿を召喚させて貰った! 無礼なのは承知の上だが、この国のために貴殿の力を借りたいのだ!」
『耳長の王子か、…………悪くない。悪くはないが――』
魔王は充分に“素質”のある王子を認めていたが、視線をゴスロリ幼女――ラウムへ向けた。
感情の起伏が弱い少女であるが、王の背の割れた空間から発せられる濃すぎる魔力にやられ顔色が悪く土気色となっている。
彼女は静かに顔を二度、横に振ったのを見て紅き魔王は最後の一人に問うた。
『少年、貴様は“何”だ?』
「――え?」
凄まじい気配――殺気と言うべきものが感じ取れた。射抜かれるような鋭い眼光で、身体は固まり颯汰は自身の表情が強ばるのがわかる。急に放たれた言葉や視線から、明確な殺意や敵意のような負の感情が向けられている事を肌で感じられた。
敵愾心に満ちた声で魔王は尋ねてきたのだ。魔王を包む気配が、掌や足元から上がる炎と同じように揺らめく。
王族などがいる中、一人まだ尻餅を突いた人族の子供に見える少年。まさか、何も関係のない子供が混じっていると魔王は思い込んでしまったのだろうか。
魔王の言葉の真意が読めない颯汰は混乱する中、
「私もさっき会ったばっかりだから詳しくはわからないけど、どうやらどっかの魔王がこの子を召喚したみたいなの。それで元の世界に帰りたいけど帰れないって困ってるみたいよ?」
魔女グレモリーが代わりに答えたのだが、問いに対する欲しい答えではなかったのか魔王は暫し唸る。
手が自由なら顎に手をやって考え込んでいるのではないかと言うほど、平穏な間であった。
頭の中で答えが出たのか、魔王は再び少年に問いだす。
『――少年、貴様の願いは何だ?』
「俺の、願い……?」
漠然とした問い――。何故そのような事と思いつつも、颯汰の答えは喉元まで通る。“迅雷の魔王に確実な死を”
だが、その言葉は飲み込まれる。声にする前に、何処かに突っ掛かった。
迅雷の魔王は憎い。憎くて堪らないほどに憎い。血が滾り、臓腑が煮えくり返る程に。異様なほどに。
奴のせいでボルヴェルグは死に、アンバードは荒れ、ヴェルミの国境付近の各地で魔族による動きが活発となっていると聞いている。今まさに、戦争が起きよてもおかしくない。そうなれば血は流れ、もっと人が悲しむだろう。
――だけど、それは……
颯汰が今、ここにいるのはただ異世界クルシュトガルに飛ばされ巻き込まれたからに過ぎない。自分が元の世界に戻るヒントを求め、魔人族の英雄ボルヴェルグ・グレンデルを利用して旅を続けていた。様々な人との出会いや思い出が刻まれる長いようで短い旅で少し見失いかけた。そして、エルフの家族たちと過ごし、ボルヴェルグの死で颯汰は完全に見失っていた。何のために生きていたのか。誰が待っているのか。
白い闇の奥底、周りの景色に同化しそうな儚さ――。
病室のベッドの上で静かに眠る彼女の姿が浮かんだ。
――“元の世界に帰りたい”。そうだ、この世界はいずれ去って、忘れる過去となる……
外国なら、離れてもいつかまた来ることが出来るだろう。
だが、ここは異世界。去れば二度と訪れる事は出来ないだろう。
ここで出来た家族とも別れが来る。家族ごっこなんてしなくてよかったのだ。
誰が生きようと、誰が苦しもうと、自身の世界と一切の繋がりが残らない。
きっと夢だったと忘れる日が来る。そんな現実が、待っている――。
颯汰は重い身体を起こす。微睡の中にいるように身体の自由が奪われているような感覚を味わいながら、立ち上がった。両手を両膝に置きながら薄くなった空気を懸命に吸う。
――本当に?
誰の声だろうか。自分の中から出た疑問の声だと気づくのに少し、掛かった。
感情が二つ、鬩ぎ合う。
父は復讐を求めているだろうか。命を、投げ捨てる意味はあるのか。
答えはとうに知っていた。――意味など、ないのだ。
「確かに、元の世界に、家に帰ることだった。でも……」
――復讐に、意味などない……。だけど、それが、どうした
この感情は、誰のためでもなければ、誰かのせいでもない。
ただ、自分の感情の赴くままに、自身を裏切らずに生きたいと気づく。
曇りだした心に、光の筋が覗き出し闇を照らし始める。
もし、これをやり残して生きては、一生後悔が残ると少年は気づいていた――。
「それより先に、やるべき事が、ある……! 俺は、あの魔王を、殺したい……!!」
数秒の間の後、王からの問いに答えを告げる。
知れば多くの者が笑うか、くだらないと切り捨てる世迷言。
だが、少年の瞳の奥に確かに燃えるものが存在していた。
『……いい眼だ。だが、貴様ではその魔王の足元にすら及ばない』
掠れた声であったが、王の言葉に何故か嬉しさにも似た感情が混じっていたと気づいた者は少ない。
現実を、一般論を突きつけられた少年は咆える。
「それが、どうした――! 奴を、どんな手を使ってでも奴を追い詰め、必ず殺す! それが、俺がこの世界で為すべき事だ!!」
今まで、使命や宿命といった大層なモノを掲げて生きてきた訳ではない。まだ大人になる成長途中の少年であるから、将来はそういったものに出会うかもしれないし、そういったものはないままに生き続けるかもしれない。だから、これが初めて自身が真に望み、課せられた責務――否、“本当に自分がやりたい事”で“やらなければならない事”だと颯汰は認識したのだ。それだけは譲れない問題であると魂が叫んでいる。ただ、狂気染みた憎悪を掲げ続けた日々を捨て去る事はできない。
まさに、大言壮語。己の力量を超えた願いを口にした少年を見て、魔王は決断する。
あまりに脆く、危うい存在であるから“守護者”たる王は手を伸ばした。
煩わしい金属音――鎖と鎧が擦れて奏でられる。ギチギチと、限界を超えて引っ張られていた。
身に纏う紅き甲冑の、敵をそのまま切り裂くためか鋭利となっている左手の指先を颯汰へ向ける。
『ならば、どんな手でも、使ってみせろ……! 私と、契約だ――!』
魔王は地上に現身を置くために。
少年は己の復讐を叶えるために。
願いは同じ場所、同じ方向を向いた――。
立花颯汰の目に、もう恐れも迷いもない。
「――あぁ! 悪魔とだって、手を結んでやる!」
そう言葉を吐いた直後、身体の内側――心臓の位置に熱を感じ取った瞬間、颯汰と王の心臓部から半透明な赤い線が結ばれた。
熱さと目視できる光線に驚き、服を引っ張り自身の心臓を見ると、肌の上の赤い紋様が光線によって描かれ始めていたのだ。
思わず呻り声を上げる颯汰は一度目を瞑るが、熱が鎮まり再びそこを覗くとそこには赤の光は収まり、黒のシルエットだけが残っていた。
刻まれた紋章は翼を持った龍にも見えた。
いつまでもそこに感想を抱いていられない。
続いて、魔王の身体に纏わりつく鎖に変化があったのだ。
体中に幾本も巻き付いていた血色の鎖は、時間が経って酸化反応が進んだ末に腐食して崩れたように見えた。
王を縛る鎖は消失し、背後にあった空間の裂け目は、時間が巻き戻るように割れた破片が浮かび上がって空間に嵌っていき、空間の裂け目は何事もなかったように消えてしまった。
王は静かに、だが力強く――空中を浮いていた自身の大剣を手に取る。すると、剣は燃えるような光を発して、込められた願いと記憶を、持ち主へと流していく。
思念を読み取り反芻した王は剣を手放すと、巨大な剣は瞬く間に、紅い粒子となって消散した。
そして、ある程度を察した魔王の鎧が突然、炎を上げて、焼け崩れ始めたのだ。鎧がボロボロと崩れ、燃えるように光へと還る。そして、鎧の下の素顔を晒し始め、長い髪が風に揺れるのが見えた。
崩れ落ちた鎧と兜から出てきたのは、気品ある金髪と鮮血のように燃える真紅の外套が特徴的な青年であった。とても整った顔に、鍛え抜かれた刃のような翡翠色の眼が鋭く光る。まるで貴族のように厳かな雰囲気を纏うその男は、どう見ても人間であった。年齢は二十代頃に相違ない。剣士や騎士といった姿ではなく、むしろ魔法使いのような出で立ちに見えた。
「我が魂と汝の魂は繋がった――契約、完了だ」
紅き青年――紅蓮の魔王は静かにそう告げた。
深夜に書いてたやつ(ポプ〇ピピック見ながら)。
一日置いて、見直してから投稿しようかなと思いましたけど投下します。
――――
2018/07/01
一部修正。




