04 曇天
プロクス村は数週間後に勃発する戦争――“ルベル平原の戦い”から南東の方へかなりの距離がある。田舎の村で眼前の森、奥には河川が勢いよく流れる大渓谷、さらに進めば山などの自然が砦と成し、攻めづらい地域となっているからこそ、人々は戦争を知らずに生きていた。
不夜の森――鬱然と広がる木々の中、プロクス村の前に広がる樹木たちが形成する世界で、二人の男と一匹が闊歩する。正確に言えば一匹は浮いたり、一人の頭や肩に乗ることが多い。
男の名をジョージ。エルフゆえに眉目秀麗の顔つきの、普段は頼りないロン毛男であるのだが、こと狩りに関しては右に出るものはいないという卓越した弓のセンスと狩りの技術を持つ。
もう一人は立花颯汰。その肩にはシロすけ――颯汰が命名した小さな龍の子が乗っている。その龍は白い滑らかな肌に緑のラインと模様がある長い蛇系の身体に、白い翼はかつてより大きく綺麗な羽毛も生えていた。角と爪は黒耀石のようで、大きさは五年前に比べると少しだけ大きくなっていた。空より澄んだ蒼の瞳で颯汰を覗き込む。
二人とも似た格好の革と緑の布を使った狩人の服。機能性は高く、革製だからシロすけも肩に爪をかけて止まりやすいのか気に入っている。
すっかり自身の気配を消す術を覚えた龍の子はつまみ食いをするために狩りへ必ずついてくるようになった。
しかし、今二人は別の理由で森に来ている。普段は狩りのために息を殺していたが、此度は違う。
いや、帰り際に一応食料となる兎か小型のイノシシなどの魔物を狩るつもりではあるが、別の目的で森へと足を踏み入れていた。
「やはり変だ……。見てくれ、このロープ。誰かがナイフか何かでスパッと切ったような跡がある。魔物であればもっと暴れるはずだがその形跡もない……。比較的冷静に、対処したようだよ」
木の枝から吊るされたロープは途中で切れ、その下に輪っか状に結ばれたロープの先――即ち罠であったものが転がっていた。
元は魔物を狩るためにジョージが仕掛けた罠だ。実は其処ら中に仕掛けてある。あくまでも獲物を動けなくするためであるため即死級のトラップは“ある箇所”を除けば存在しない。
「村の狩人仲間、モーゼスやクラウスはこんなヘマをしない……。したとしても罠をこっそり元に戻す筈だ。村人で森に入るような危険な真似をする子は颯汰ぐらいしかいないけど、君だって引っかかったら元に戻すだろう?」
「はい。一切バレないように戻します」
「少しは悪びれてよ……」
平然と答えた少年に男は呆れて息を吐く。
現に何度か罠に掛かり戻した事がある。構造自体は簡単だったので颯汰でもすぐに設置し直す事ができた。
颯汰も何度も森へ赴いた理由は、師匠――湖の貴婦人に仙界へ繋がる扉を開いてもらいそこで剣の修行をしていたからだ。
しかし現在はそういう訳にもいかなくなってしまった。どうやら長時間も仙界に居続けると人体では悪影響が及ぶらしく、それでかなり期間を開けないと修行につけないでいた。また扉も“揺らぎ”がどうとか貴婦人が言っていたが結局説明を有耶無耶で終わらせられていた。どうにも目の前の不夜の森でしか開けないらしい。
では逆に師匠に来てもらえばいいのでは思ったが、それも出来ないようだ。仙界の住人では体外魔力が減った地上で長く存在が保てないのだ。それこそ無限に体内魔力を生み出し続ける竜種の心臓がなければ地上での活動は厳しいようだ。
なんとも多くの制約がある中、それで師匠も騎士学校で習うことに賛同し勧めたのだ。
『私のはあくまでも無手勝流。騎士学校で教わる剣術に比べると劣る部分もあるでしょう。あなたはどうやら器用そうですからそちらを習って吸収するのもいいかもしれませんね。今まで習った剣の癖を直せと言われてもすぐ対応でき、実戦で素早く必要な方を選択できる……そんな柔軟さがあなたにはあるわ』
普段の修行中はかなり厳しい指導を行っていた貴婦人であったが、珍しくベタ褒めをしてくれた。そんな師匠に驚いたが、彼女は長い別れとなると悟り、やはり寂しさを感じてしまったのだろう。思えば颯汰が日本で生活をしていた頃、こんなにも自分を気遣ってくれた人達は他にいなかったなと溢れた感情の正体――答えへと至った。
だからと言って、それで歩みを止めてしまうのは一つの選択であるが、それを選べばまた心の中にわだかまりが残ったままとなるだろう。ゆえに、彼の心はもう決まっていた。
誤魔化すような咳払いをした後に颯汰が訪ねる。
「……戻していないというと、誰か部外者がやってきた?」
「そう断定するのはまだ早いかもだから、ちょっと捜査を続けようか」
「きゅー」
ジョージの言葉に肯定するようにシロすけは鳴いた。
狩り仲間でも、ある箇所――山から森を突っ切るようにほぼ真ん中に流れる川の先へと進まないという暗黙のルールとなっていた。
冬の減水期が終わり、雪解けの水によって川の流れは異常に速いのもあるが、ある言伝を信じているというのもある。
『隔てた川の先、そこは魔の領域なり』
向こう側は亜人と呼ばれた知性と品性のないゴブリンやコボルト、オークの領域であると言われていた禁断の地と称されていた。
村の住人も狩人も近寄らない世界。颯汰も寝物語として話を聞いた事がある。
『赤い眼と体毛は光、血肉を求めて彷徨うゴブリン』の物語だ。
それでも二人はそこを超えて進んでいく。
村人でも知る人は僅かの、川の間に倒れた巨木とツタが絡み合い、天然の大橋が姿を現した。少しの重さでビクともしない強靭さを持っていた。
その下を清流がかなりの速度で、もし流されれば小象でも足を掬われ下流まで天然のスライダーを楽しむ羽目になる、という勢いだ。その命は保証されないものとして。
「川を超えて、少し急な岩や苔で出来た天然の囲い――その中にある物がそのままなら、まだ様子見でいいとは思う」
そう言ったジョージに颯汰は黙ってついていくが、とある箇所で待機を命じられ、そこから黙って彼を見ていた。
森の管理者も担うジョージはその場所で最重要のものを管理していた。(管理者と言いつつ一時期森の生態系を大きく歪めかけたこともあるが)。
本来は王命により、ジョージ以外がその場所を見てはならない、知ってはならない。なので、一応颯汰はそこから離れている。
ジョージは軽い足取りで隆起した土や連なる岩、びっしりと生える苔によって自然に溶け込んだ天然のシェルターを、空洞のある上から覗いた。
“それら”が無事だと確認すると颯汰へ『大丈夫だ』と親指を立てたハンドサインを送っては降りて駆け寄った。
かなり楽そうに一連の流れをこなしているが、彼自身が仕掛けた罠だらけの大地である。熟練の戦士でも気を抜けば大怪我では済まないトラップもわんさかある場所であった。
「どうやら、これが狙いでもないらしい。形跡はなし……。村人かな? 注意喚起しておこうか」
「…………」
――ついて来たらダメだったんじゃないかな。一応、国家機密なのに
そんな事を思いながら二人は帰路へつく。ついでにトラップに掛かった魔物は子供は逃がし、大人は食料としてありがたく狩って帰る。
暴れる獲物に使用する毒矢の矢じり塗られた毒はよく熱すれば解毒されるものだ。
そんな中、颯汰はふと視線を感じて振り返る。ジョージに声を掛けられたが気のせいだ、と答え村へと帰っていった。
向こう岸からは亜人達の住む世界――勿論これは彼らの親の世代が作った与太話ではあるのだが、今はあながちデタラメというわけでもない。
しかし、それを森の狩人と少年と龍は知る由もなかった。
村に戻ると、日が少し傾き始めた時間帯となった。
村の周りを流れる小さな川からのせせらぎ、魔牛の鳴き声。田舎特有のゆったりとした時間の流れを感じる。
まだ日は長くなったが、夜がくれば後は寝る以外の行動はなかなか起こせないので、夕餉の支度だけではなく、明日の早朝の支度も今のうちにやっているせいか少しバタついているのだが、それでも村は戦争が起こるなどと想像がつかないほどにのどかな風景であったままだ。
ジョージ村の者への報告へ先に赴き、颯汰は狩った肉の余った部分を売り、必要な部分を干し肉にするための準備に取り掛かっていた。
屋敷の倉の中で漬け汁の入った壺を用意する。案外この作業も嫌いではない颯汰は、もし元気でご機嫌でこんな状況下でなければ鼻歌の一つや二つ奏でていたかもしれない。
漬け汁に肉を浸して、しまい。前日に付けた方の壺を取り出そうとした時に、
「――シャル!! いるか!?」
普段からのほほんとした男が、さっき別れたばかりのジョージが珍しく血相欠いて倉庫へ飛び込んできた。
「ジョージさん!? どうしたんですかそんな慌てて?」
「シャルの姿がないんだ!! どこにも!!」
「え……!?」
シャルとはショージの娘のシャーロットの愛称だ。颯汰と出会った頃から見た目年齢が十に満たないほどの小ささであるが家事全般はこなせる頼れる姉だ。正直なところ日常生活のジョージより遥に頼りになる。
優しい日差しを思わせるプラチナブロンドのセミロングヘアに、強い意志を感じさせる真紅の瞳。西洋人形というより最新の球体関節人形の整った美しさが近いだろう。もっとも彼女の眼の生き生きとした強さを見れば、作り物ではないとすぐに悟ることは容易であるが。人形を引き合いに出してしまいたい程小さく愛らしいのも確かである。
そんな少女は普段は屋敷で家事をこなしているはずなのに、どこにも姿がないのだという。
「どこかに出かけているとかは?」
「あり得ない! 鍋に火がかかったまま離れるような真似をするわけがない! 僕じゃないんだから!」
「……確かに。それじゃあ――」
「家中探したさ! 部屋も厠もお風呂もベッドも! 颯汰、少し留守番を頼む! 村で聞いてくる、きっと勘違いだと思うけど、すまないが! 任せた!」
そう言うなりジョージはつむじ風のように疾走していく。
「…………姉さん、大丈夫かな」
もし何らかの理由で席を外しているだけなら、逆にここまで騒ぎ回ったら却って出てきにくいのではないだろうかと少し思いつつ、颯汰も作業を中断して立ち上がる。頭に乗っていたシロすけも飛び立ち先行した。
「……雨の匂い、か」
独特な匂いが鼻につき、視線を向けると奥の空から鉛色の密雲が非常に緩慢な速度で降りてきていたのに気づいた。
まだ青空が広がる世界を、水の中へ泥を流し込むように、ゆっくり己の支配下に置こうと浸食しているようだ。
――どうやら雨は避けられないようだ。
漠然とした不安感――颯汰は何やら嫌な予感がして動き出した。殊更嫌な事に、こういった予感を外した試しがないのだ。
家の中へ入り、姉を呼びながら探し出す。どこかで寝ていたり、父が騒いで恥ずかしいから隠れていたならまだ笑い話で済む。
かまどの前ではシチューの匂いがする。無意識に唾を飲むがそれどころではないので捜索を再開する。
クローゼット、風呂の蓋を開き、姉の部屋をくまなく探したが見つからない。どうしたものかと首を捻ると、シロすけの鳴き声が聞こえる。呼んでいるのだと察した颯汰はそこまで駆けていく。
居間のすぐ傍、ウッドデッキからであった。玄関から左側にあり、専ら洗濯物を干すのに利用されている場所である。
「外? 何かあった――ってこれは……? 匙? これは……!!」
外のウッドデッキへと出る木製の扉が開いていた。問題はそこじゃない。
シロすけはウッドデッキの下に向かって鳴いていた。颯汰はそこを覗くと木製の匙と割れたかわらけ(食器)にシチューが滴っていた。
シャーロットが食器を割ってそれを誤魔化すために投げ捨てた――とは考えにくい。そんなミスをするとは思えないし、そうだったとしてもそれを誤魔化すような卑怯なやり方をするのはこの家ではグライド、ジョージ、颯汰の三名だけである。
ゆえに、何らかの事件が起きたのだと颯汰は察する。
「シロすけ、姉さんの匂いで追えるか?」
「きゅううう!!」
任せろと言わんばかりに回転しながら得意げに吠える。
「嫌な予感がする……急がないと!! 行こう、慎重にかつ迅速に……!」
狩りの時には使わない、練習で使う剣を部屋から取ると飛び出していく。匂いを追って飛行する白き龍の後を追う。雨が降れば匂いも消えるのだから急がないといけないと判断した。
西日の逆側から降り立つ曇天のベールが空を覆い尽くすと決意したのか徐々に速度を上げて本格的に動き出した。
まるでウィルスが深刻的な病を引き起こそうと躍起となっているようであった。
2018/06/19
他所の投稿にあわせてルビなど修正。




