03 悪意
風が吹いた――。
丘の上で村を一望できる場所がここに来てからの彼のお気に入りであった。
家業である畜産、森への狩りなどの手伝いをこなした後に大抵はここで過ごす。
ここで休憩もするが、殆どが今やっているように剣を一心不乱に振るう方が多い。――多くなってしまったのだ。
滲んだ太陽が半分も稜線の彼方へ半分も飲まれ、落とされた陰に黒くなった草を風が撫でるものだから、草原が擦れて騒めきが淋しく響く。
少し心を不安げにさせる寂しさがここにはあったが、この場にいる少年は集中して剣を振っていたため気にも留めていない。
師の言いつけを守り、片時も悔しさを忘れず、ただ愚直に剣を振る。
ある程度時間が経ち、素振りが終わったとなると静かに息を吐き、頭の中で幻想を描き始めた。
脳内で浮かべるのは敵――およそ一年前に襲ってきた傭兵から堕ちた野盗――ならず者ども三人であった。
体躯は今の自身よりも大きい。それぞれが剣や斧、鉈を握りしめている。金属の鎧を付けているものはいないが、皆が屈強であり顔つきも厳つい。
幻覚の男たちは武器を持って走り出す。
あくまでも頭の中で描く過去の妄想の類なのだが、決して自分の都合のいいような解釈やイメージで歪めたりしない。あの頃のまま、鮮明なイメージを現実に落とし込まなければ訓練の意味がない。そうして、ただ一人の殺し合いが始まった。
そこには、まだ見ぬ怨敵――隣国の簒奪者の姿はなかった。
醒刻歴四三八年から五年の歳月が過ぎ、かつて少年だった彼――立花颯汰は成長した。
とはいえ、日本から転移された際に何故か身体が十歳ほどまで幼体化もさせられていたので、当人は元に戻ってきたという感覚の方が大きい。
しかし経験が人を造るというのは本当らしく、彼の顔つきはかつての気だるげな高校生だった頃とは異なり、若々しく、さらに力強さが目の奥から感じさせる。
彼を変えたのはこの世界の環境と、恩人で義理の父になるはずだった者の死、剣技を叩き込んだ師匠。
そして何よりも、恩人の命を奪った“迅雷の魔王”の存在が大きいだろう。
圧倒的な力を持ち、己が欲望を満たすためだけに他者を陥れる悪魔を、どんな手を使おうとも討つと、颯汰は心に決めていた。
隔絶世界である“仙界”の住人である湖の貴婦人……颯汰の剣の師匠曰く、
『千の軍勢をものともしない、万の軍勢でも殺すのは不可能』
だが、そんな事実を突きつけられても彼は止まる気はなかった。
――「それが、どうした……!!」
彼はそう返す。何より自身をどういう経緯か、どういった間違いでこの世界に呼び出したかは未だ不明であるが、この世界でそういう常識から外れた“魔法”を使える存在は転生召喚された魔王たち以外にいない。そうであれば、何があってもそのすべて――七柱に会わなければならないのである。
元の世界に戻って救わなければならない人がいる――。
元の世界に戻って会わなければならない人がいる――。
それ以外では、彼の心を突き動かすのは偏に復讐心だけであった。
“魔王”という言葉を聞いてから胸の奥からジリジリと焦げるような殺意が燃え上がるのを感じた。
今まで他者に向けたことのないはずの感情が戦う術だけを丁寧に吸収していく。
元来、彼にはこういった才能が眠っていたのかもしれない。恒久的な平和な世界では発掘されることもなく眠り続けていたものだ。
そうして彼は、ただ一柱――彼から大切なものを奪った転生者を確実に殺めると決めた時、尋常じゃない努力を積み重ね始めた。
他人の努力というものに関して、特にその苦しさについては誰がどう語ろうとも、その当人にしかわからないものであるので敢えて多くは語らないが、一つだけ言えるのは――それは狂気にも似た妄執であった。
そうした虚像が現実に、彼の眼の中にだけ形作れるのはその副産物なのかもしれない。
迫る幻影の刃を避け、剣は受け止めるが、重い斧や膂力に任せて振られた斬撃は紙一重で躱し、反撃に出る。
傍から見れば全身全霊の剣舞、もしくは剣を振り回し飛び跳ねているヤベーやつ。
事情を深く知り、颯汰を養子として迎え入れてくれたグライド家の者以外は『王都にある騎士学校を目指している』と優しい目をしていた。
彼が本当に、復讐で剣を振るっているなど微塵も思っていないだろう。
家族もそれを、止める権利がなかった。それでも諦めてはいなかった。
愛情を注いで暮らせば、いつかは忘れてくれると信じていた……――。
この世界に立花颯汰が転移し始めた頃。何故か幼体化し荒野に落ち、右も左も何もかもが分からない状況で襲い掛かる獣を退けたのが、隣国アンバードの英雄で恩人である『ボルヴェルグ・グレンデル』であった。
彼は大陸を旅をしながらある調査を行い採取した物などを、ヴェルミの国王に渡すという依頼を受けていた。そこで偶然襲われている颯汰を救出し、彼を安全な地へ運ぶまで一緒に旅を始めたのだ。
幾度も襲い掛かる夜の野生動物たる魔物や野盗から身を守りつつ、数ヶ月の旅を続ける。
そしてついに辿り着いた王都で、ボルヴェルグは王からの褒美として、エルフと人族しか住んでいないヴェルミ国内に魔人族である彼と彼の家族に限り、永住する権利を授かった。その家族の中に身寄りのない子供の颯汰は含まれていたのだ。
選ばれた地は戦争から離れ差別意識が低いここ、プロクス村であった。颯汰は先にここへ連れてこられ、ボルヴェルグは本国から家族を連れ出そうと試みた。
だが、それが失敗に終わり、ボルヴェルグは処刑された。最初は噂だけであったが、およそ半年後――アンバードの王が変わったという衝撃の事実とともに知らされた。
アンバードは自国内で王が変わった事で抵抗を始めた豪族をすべて打ち倒し、領内を統一し、完全な管理下に置いた。
元より多くの種族が入れ混じる国であるから、その種族だけの街などが点在していたのだ。それを王が侵攻し、無理やり自身の支配下に置いた。
そして全ての領民を従えた王は自身が魔王――迅雷の魔王であるとヴェルミへと告げた。雷で焼け焦げているが確かに面影が残る元国王の首と共に。
戦争まで秒読みかと民は打ち震えたが、その数年は何も起こらなかった。新しきアンバードの王は――別の準備に取り掛かっていたのだ。
さらにその数ヶ月後に、激動で冷めやらぬ状況でヴェルミの国王『ウィルフレッド=レイクラフト=ザン=バークハルト』が死去した。死因は病死とされている。
そこで王子であり颯汰の友『クラィディム=レイクラフト=ザン=バークハルト』が即位するものだと誰しも思っていた。だがそこへ、ダナン公爵が現れて言う。『その若さで、急に王という大役を押し付けるのは酷なのではないか』と。続けてダナン派は口を揃えて似たような台詞を言い始めたのだ。
誰しも国王の候補であったダナン公爵が実権を握りたいがための言葉だと理解していた。しかし若き王子は思いのほかあっさりと身を引いてしまったのだ。
『この国を導く者には信頼が必要です。ましてや戦争が起こるかもしれない状況下、実績のない若い私が王を務めるより長年国を動かし見守っていた公爵の方が民は納得するでしょう』
そうして、現在も王都ベルンにて、ダナンは国王として君臨している。
それからじわりと弱体化を始めたヴェルミにアンバードがついに戦争を仕掛けるのがこれから少し先の未来となる。
最後の幻想を打ち破り、息を切らしていた立花颯汰は剣を鞘に収め、丘を下って歩いていく。
背中から吹き付ける風が、過ぎ去った雪の日々を思い返すような冷たさがあった。
ここでの食事もあと少しで終わるとなると、寂しさはやはりあったのだろう。
それも、もう二週間も切っていた。颯汰は来月の頭に王都へ向かう。
事の始まりは襲ってきた野盗たちを撃退した話が領主たるマクシミリアン卿に伝わり、それがディム――クラィディム王子に伝わったのだと颯汰は予測する。
第一その野盗は、一人で対処したものではない。村の長老兼屋敷の主人たるグライドの息子、ジョージとシロすけ、村の大人の協力があってこそなのだが。
クラィディム王子と颯汰が出会ったのは五年前、王都ベルンの太陽祭の時である。
最初は王都に住む子供のふりをしていた時、王都外から来た三馬鹿にカツアゲをされている所を颯汰が機転を利かす――と言うほどではないが、不良に対する常套手段を用いて彼を救い出してからの縁である。
その時は王子であるとは知らなかったが、さらにマクシミリアン卿の娘であるリーゼロッテを加えて太陽祭を遊び歩いた仲となった。
とはいえ、颯汰も二度と王子となったディムとは身分の差から関わりあうこともないだろうと決めつけていたが、割と早いうち――ボルヴェルグの死について噂が広まりつつあった時期ぐらいから手紙が来たのだ。
まだその時、この世界の文字を読み書きも出来ない状態だったのだが、屋敷内の家族に教わってついには返事も一人で書けるようになった。
そうして王子と騎士学校長でもあるマクシミリアン卿に王都にて騎士学校に通う事を勧められたのだ。つまりはこの村から出て、王都に移り住む事となる。颯汰は剣技に磨きをかけようと騎士学校へ行くと決めていたのだが、屋敷内で約一名だけそれに納得していない人物がいた。
「……ただいまー」
「……………………おかえりなさい」
「………………うん」
ジョージの娘であるシャーロットはここ半年以上――颯汰が騎士学校に通うため王都へ移り住むと決めたのを報告した日からこの調子である。
いや、最初はもっと峻烈に反対をした。それこそ初めての言い合いの喧嘩になったくらいだ。彼らは互いに熱くなるくらいに自身の意見を述べて叫んだ。
ただお互いに対する不満や悪口ではなかったので冷戦状態のような険悪さはなく、ただ気まずい空気が漂い続けている。それは幾分もマシなのであろう。
何もシャーロットは意地が悪いから反対しているわけではない。彼女は颯汰に戦って傷ついて欲しくなかったのだ。父の幻想を追って死地へとわざわざ向かうなんて真似をするべきではないと叫んだのだ。
正直な話をすれば剣を振るう練習も止めてもらいたかった。父であるジョージの狩りはあくまでも命を繋ぐための手段であるが、戦争はただ己が利益のために他者の命を使って他国の命を奪う最低な踏みにじりであると考えていた。何故彼女がそこまで戦いを嫌うかはシャーロットの――今はいない母が関係していた。
一方、颯汰はそれらしい言葉を按配してぶつける。だが共に過ごした家族には、復讐のために剣を握りたいのだと既に看破されていた。
それでも結局、復讐は何も生まないとされるが、それ以上に彼の心を壊さず支えているのが復讐であると気づいてしまったシャーロットは静かに涙を流した。
見た目は出会った日から全く変化がない。相変わらず小さいが家事全般を完璧幼女な姉。その涙は見ている者に罪悪感で心が満たされ苦しめるものがあった。
言ってしまえばここでの生活も、日本へ帰ると最初から決意していた颯汰にとっては所詮は家族ごっこの延長上である。だから切り捨てても何もないはずだと思い込もうとしていたのに、その暖かな雫を見て、揺らぐ自身の中の存在に颯汰は気づいた。
カンテラの光と斜陽が食卓を彩る。
暖炉の中でパチパチと薪を燃やしては熾火が踊りだす。
そして、静かにこの村へ夜闇が迫っていた。
街灯もない世界では――夜は永く、暗く、不安さを掻き立てる。
ただ、……迫るのは夜の暗さや月明かり、星の煌めきだけではなかった。
不夜の森の象徴たる夜光の実が青白い光で森を照らす中、他所から来た悪意の集団が静かに村へ向かって足を延ばしていた。
まるで神々が、ボルヴェルグの死から様々な運命の綻びを見つけ、そこからすべての人類を巻き込んでの争いを起こそうと、颯汰だけではなく多くの人々が蠢動する悪意をきっかけに魔の渦へ囚われていく。
戦場から遠いこの村も、例外ではなかったのだ。
「【迅雷の魔王】から読んでも分かるように書きたい(出来るとは言っていない)」
すいません。こればかりは私の能力不足デス……。
1000字ちょっと削りました。書くの難しいですね。
それ以上に楽しいってのはあります。
次話は来週までに投稿出来たらいいな(きぼう)。
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2018/06/18
誤字の修正、及び一部ルビの削除など。




