02 異界の戦争(後編)
幾多の赤黒い血が飛び跳ねては地面を塗り、死体が地を覆うルベル平原。
人族の、生き延びたが反応が遅れた者、既に戦意が消えた者に対して、騎馬隊の魔人族は容赦なくその槍で突き刺した。馬の加速による突撃槍の刺突は鎧を貫くのに充分な力を有していた。そうして、彼らの殆どは抵抗する間もなく絶命した。
パイクを持った人族の兵と同時に砦から出た、全力で走ったが遅れてやってきたエルフの歩兵も、我先にと踵を返して砦の方へと逃げ出していた。
何人かは流れ弾に当たってその場に倒れて動けないでいると、突っ込んでくる馬の馬蹄に踏み砕かれて息絶えた。
背を向ける者にも槍と馬蹄が強襲し、立ち止まり挑む者も無惨に散っていく。死に際と悟り、懸命に噛みつき抵抗しようとする者もいたが、結果は変わらず戦死となってしまった。
逃げ惑うエルフたちの姿を見ながら『無理もない』と魔人族と騎士団長は思う。自分たちすらも得体の知れないと感じた武器――銃口付突撃槍の銃撃を目の当たりにして、動揺せずにいられる人間の方が少ないだろう。
ましてや人族の戦士たちの死はかなりショックなものであることは想像に難くない。
国境を守る黒狼の騎士たちが、正体不明の攻撃により倒れたとなると、ヴェルミの兵の士気の低迷は避けられない。冷静ではいられるはずがなかった。
霧の中で無暗に攻め入るのは得策ではないことは百に承知であるが、アンバードの騎士たちもまた退くことを許されていない。故に、敵が折れている内に叩くべきであると奮起した。人族を崩せたのは多大な戦果であるのだが、敵に冷静さを与える前に倒さなければならない。
――あの状況で人族の全員が逃げずに背を向けないでいたのは、戦士としての誇りがそうさせたのか、あるいは単に恐怖から動けなかったのかはわからない。だが、目が合った兵は……、槍を持っていた肩が撃ち抜かれて振るう事ができなかったに違いない。諦観はあったが、覚悟と強い意志が宿った瞳であった。もし、少しでも状況が違えば、人族全員が槍を振るえて捨て身できたならば、騎馬隊は大損害を受けていたに違いない。――あぁ、もうあの蛮族たち“も”超怖いなぁ!
騎士団長は心の内に潜む恐怖などの感情を押し退けて、馬で白亜の闇を駆けて行く。
その後、ヴェルミの槍兵の陣形をアンバードの騎馬隊があっという間に潰していった。そしてその後方から、残りの万の軍勢が追いついてくる。
そんな平原での魔族たちの戦いぶりを国境となっている赤褐色の岩肌が荒いエリュトロン山脈の中腹付近から見つめる【一人の王】が愉快そうに顔を歪ませていた。
戦場からの距離はおよそ五十クルス(約五十キロメートル)、相当な距離であり、かつ霧に包まれているのに関わらず、その【王】には全てがはっきりと見えていた。
「ハッハー! 最ッ高だな!! 命を一方的に奪うのは格別だ!!」
丸いレンズに茶色に色が付いたサングラス。後方へ逆立つ金色の髪。毛皮の着いた白いロングコートの男が不敵に笑う。そこまでなら一見、ただのチャラついた現代の若者であるが、その額に角が二本生えていた。白い肌に整った顔つきであるが、その下品に上がった口角が帳消しにしている。
「いやぁ~。異世界に転生して良かったぜェ~! こんな刺激っ! 前世では味わえないからな!!」
彼は“迅雷の魔王”。かつて地球に住んでいた記憶を呼び覚ました転生者の一人である。
与えられた力に溺れ、弱者を圧制し、欲の極みを尽くす。そんな欲界の水底から現れた魔の化身は現在、アンバードを統べる王だ。
鬼人族の魔王であるのだが、鬼人族にしては身長がさほど高くない――二ムート(約二メートル)も満たない理由は彼が混血であるからだ。それでも一般的なエルフや人族よりは少し背は高いのだが。
この魔王はとにかく不遜であり唯我独尊な男だ。
政より戦を好み、他者の悲鳴と血を求める悪鬼羅刹。
更に種族を問わずに女を愛する色狂いでもあった。ゆえに男に対しては容赦なく、女に対しても残酷な王である。
ちなみに、もしも騎士団長が霧の中で追い回すのを危険と判断して攻め入る好機を無駄にしたならば、魔王はすぐにでも戦場へ向かい、騎士団長の首を有無を言わさず刎ねるつもりであった。
しかし今はその残忍さの陰すら見せず、自身の命令に忠実に動いた騎馬隊の活躍に両手を叩いて喜ぶ姿は見た目と不相応に子供じみていた。
「初めてにしちゃあ、上出来だな。うちの兵が優秀なのか、武器が強いのか……はたまた敵が弱すぎるの、か」
芝居がかって肩をすくめる迅雷の魔王は一息ついてから言葉を続ける。
「装弾数は三発だけ、無駄なものは除外した廉価版だが、……買って正解だった、なぁ!」
彼の配下ですぐそこに跪いていた一人の男に声を掛ける。竜魔族の側近だ。顔は人のそれであるが頭の後方に向かって角が生え、若干ながら飛べる翼もある。尾はサイズは人それぞれであるが彼のはオオトカゲほどの平均的な大きさだ。その手には双眼鏡と思わしき物が握られている。
堅苦しいから面を上げていろ、と迅雷の魔王は言うとその竜魔は顔を上げた。
「発言も許可する――つーか、一々許可を仰ぐな面倒くさい」
「――ハッ! 彼の武器の威力は確かに強大でありますが……!」
側近は続けて言葉を紡ごうとする。心は緊張し、恐怖が臓腑を突いている。だが、彼は魔族の民として、側近としてその責務を果たそうとした。
「畏れながら魔王様……。やはり私はあの武器を! あの武器を売った商人が、信用なりません!」
そう叫んだ側近は空気が張り詰めた事を瞬時に理解できた。額から、冷たい汗が滲むがそれを気にする余裕すらない。
王に許可を貰ったものの、王が一度決めた事柄に対しての反対意見を述べるという行為はアンバード軍の他の兵が聞けば卒倒するようなものだ。
現に、王は他者であったなら“気に喰わねぇ”の一言で一蹴し、最悪その場で胸に大穴を開けていただろう。五つ数えるほどのわずかな沈黙が側近にとって永遠にも感じるほど長く感じた。
「俺は、『買って正解だったか』を聞いているんだ。 誰も商人の事を訊ねちゃあ、いねえよ?」
先ほどと違って声は静かであるが、人を押し潰すのに充分なほど“圧”が掛かっていた。
並みの人間であればその圧力に耐えきれずに失神してしまうほどの畏怖に対して、馬鹿真面目な側近は、愚直に自分の意見を述べた。竜魔の側近も彼の王と同じ孤児院出身であり、かつては友人や兄弟のような間柄であったから殺されるわけがないとは全く思っていない。彼は前世の記憶を呼び起こして人が変わってしまったのだから。
「私は、取り返しはまだつく、失敗であると、考えております……!」
「………………ほぅ、理由は?」
自分の意見に賛同するに違いないと思った魔王は茶色のサングラス越しに冷めた視線を送る。
「兵たちが、武器に使い慣れておらず、“ドロイド兵”以外は何名かは……負傷をしてます。それに、魔人族たちは初めて銃口付突撃槍の銃撃を行ったため、若干の間ではありますが、動きに迷いがあったのが目立ちます」
「……暴発か、だが取るに足らない人数だよなぁ」
用意した銃口付突撃槍を用いた射撃の時、九名ほど銃弾が暴発して、内四名もが重傷を負っていたのを側近は見逃さなかった。一万を超える軍勢から見れば小さな犠牲であるが、必要のない無駄な犠牲と言える。同胞の無駄死に対しても魔王は何も思わない様子であった。彼にとっては死んだ者を憂う暇があるならば、他に時間を割いた方がいいと考えている。
「兵の動きは言うほどぎこちなかったか? でもあの……なんだっけ騎士団長の…………、名前忘れたけど。……奴が前に出たから持ち直したじゃん? どちらも訓練次第でどうにでもなるだろ?」
何故、銃弾を放った魔人の騎士たちも数秒もの間、呆然としたのかと言えば、騎士団長を除く魔人の兵たちは銃というものがよく分からないでいたからだ。
急に渡された武器の説明を受けたがその脅威を説明では理解しつつもイマイチ実感できずにいた。数日程だけ急ピッチで訓練を行ったが、実際に発砲したのは今日が初めてであった。そして、その威力を目の当たりにし、呆気なく人が死ぬ姿を見て畏れを感じて、動けないでいた。
それでも騎士団長の号令によりすぐに我に返り、敵兵を一気に掃討し始めることに成功し、現在も逃げ惑う敵を追いかけている。そこは騎士としての実力だろう。
側近は表情を変えずに魔王に言う。
「問題はその訓練にも必要な“ダンヤク”に掛かる出費です」
あー、と気の抜けた返事をして魔王は頭を掻いて考える。魔王はアンバードの王都バーレイにて、鍛冶屋を総出にして槍と銃弾の模造を試みているが、あまり状況は進展せず、芳しくないという事を耳にしている。
付いていたジェット推進装置機能などのオプションを除外して格安で買い、浮いた経費で一緒に専用の弾薬も購入したのだがそれでも高価であったため演習では使えなかった。今回の戦にぶっつけ本番でやらせたのだ。
そして魔王がわざわざ槍と弾薬を買った理由は“敵が見た事のない手段で襲われ、慌てふためく姿が見たいから”という理由だけであった。結果的に敵の士気を大幅に奪い、“ドロイド兵”ではなく『自分たちの力で勝ち取った勝利』として魔族の兵たちは勢い付いた。しかし、側近は今までの武器と戦法、“ドロイド兵”を用いればもっと犠牲もなくスマートに勝てると、わざわざ正体不明の者から買った武器を使うまでもないと魔族の兵たちなら充分にやれると確信していた。
「二度目は、ありません……! 次は間違いなく人族に突破されるでしょう! 貴重な兵と馬を数少ない物資を無駄に失う事は断じてあってはなりません……」
この世界に銃という存在は、魔王の認識では少なくとも“無かった”ものだ。煙が上がる度、銃声が響く度に誰かが死ぬ。そんな恐怖にすぐ立ち向かえるとは思えないが、人族ならばありえるかと納得している自分がいる事に魔王は気づいた。それに弾数も限りあるのは事実だ。
だから、ここでチャンスとばかりに魔王はニィ、っと不気味なほど口角を上げて笑う。
「だったら、俺が人族の相手をすればいいな」
「――ッ!? 魔王様!? 気は確かですか!?」
国の要である王自らが戦場に、しかも前線に立つと言い始め、側近も慌てて問いただした。
「あぁん? 俺が負けると思っているわけじゃねえだろうな?」
「そうではありません! 一国の主たるものが戦場に切り込んで出る事が間違っておられるのです!」
側近の声の大きさや勢いがどんどん熱く大きくなっていった。
「魔王城にある星輝晶が他の『魔王』や、『勇者』に破壊されれば、あなた様は……!」
「…………まぁ、いくら俺でもフルスピードで数分は掛かるかも」
ルベル平原からバーレイまで山などの障害物を一切を無視して馬で六日は掛かるほどの距離であるため“迅雷”の異名を与えられた魔王ですら時間が掛かってしまう。
「現に、あの商人とかいう男はもしかすると――」
竜魔の側近が懸命に呼びかけに、当の本人は正反対に不真面目な顔つきへと変わり、面倒くさそうに頭を掻きながら答える。
「――あぁ、あいつは正体を隠しているが間違いなく、魔王――転生者の一人の駒だろうな」
「ッ!! ならば一層のこと!」
「だが、魔王は俺様の目の前には直接現れなかった。そして、持ち掛けたのは商談だった。……俺様を取り入ろうとしているのは殺し合いでは勝てぬと踏んだのだろうよ」
現に買った本数の倍以上はサービスとして無料でくれたしなそれにその双眼鏡のオマケつきで、と続けて魔王はぶっきらぼうな態度で零す。
確かに、この双眼鏡は霧の中でも若干曇るが目視よりはハッキリ見えるという素晴らしい道具ではあるが、相手の裏を読まずになんて甘い考えだ、と側近は声をあげようとした。だが、
「安心しろ。お前の熱意に折れてやる。今回だけな」
魔王は立ち上がり戦場から背を向けて王都バーレイの方角を向いて歩き出す。俺は城に戻るからよ後は全部任せるぞ、と面倒くさそうに無気力に右手を上げて振ったが、途中でまだ言いたいことがあったらしくそのまま背を向けたまま立ち止まり、語り出した。
「それに商人が何処にいるかもおよそ見当はついている。今はビジネスパートナーでいい」
徐々にいつも通りの喋り口調と明るさに戻っていたが、次の瞬間――魔王の姿は異形のモノへと変わっていた。
『……だが、時が来れば全て奪い去ってやる。力も、金も。ついでに女も頂く。黙って俺様の指示に従え』
ギロリと振り返り、一瞬だけ激しい雷光とともに転生者が魔王たる所以を見せつけた。
声もエコーのようなものがかかり耳朶ではなく脳に直接届くような感覚が側近に走った。
その姿は魔族の者たちですら異形、異型、など言い表すに適した言葉が見つからない圧倒的な存在感を放つ“何か”へと変わっていたが、それは数秒の間だけであった。
『俺様の指示に従え』――そう迅雷の魔王が言うと側近は黙るしかなかった。その顔の陰に何かを抱いていたが迅雷の魔王は特に気にしない。この世界において自分より強いものがいるはずがないのだから誰もが結局は従うしかないのだと驕っている。それだけ彼が手に入れた力は強大であった。
――魔王としてこの地を治め、俺は好きなように生きる。まずは……眼前の支配を優先させるべきだな。なんせ、お楽しみはこれからなのだから。
魔王は大きく声を張り上げた。
「抵抗する男や老人は皆殺しにしろ! 女子供は捕まえ、俺の前に連れてこいッ! 後は好きに暴虐の限りを尽くし、蹂躙せよ!!」
魔王の叫びは大気に乗り、驚くことに戦場にいる者全員に確かに届いた。そうして双眸を輝かせながら、兵は呼応するように声を上げた。
(少々長くなってしまいました)
2018/06/18
誤字の修正および、ルビの一部削除。 など。




