08 訪問
ヴァーミリアル大陸、アンバードが首都バーレイにて。
翌日の昼頃に、立花颯汰はベッドから身体を起こした。
ぼやける頭。
夢の光景を思い起こそうとするが、何も思い出せそうになかった。
窓が開け放たれ、直射ではないが光が差し込む。
慣れぬ目を、ギュッと瞑った。
そこで声が掛けられる。
「目ぇ覚ますの、遅くね?」
「ぱぱはいつもこうだよ」
「我らの油断を誘っているのだろう。中々の策士だぞ、この男は」
「そうでしたの!?」
寝起きでうるさい声がする。
会話の声が耳の奥に突き刺さる。
修繕中の古城の中庭にて造られたログハウス。
颯汰の寝室の、ベッド近くに置かれた『王権』から声がした。
さらにふたり。アスタルテとヒルデブルク王女までがこの場にいて、会話をしていた様子。
特に預かった品から勝手に飛び出て会話している結晶生物が喧しい。《王権》ごと、『亜空の柩』に格納することはできるが、得体の知れない相手を中にしまうのは、なんだか気持ち悪いので颯汰は一旦、遠慮をした。
その結果、少し後悔している。
就寝中はさすがに自重してくれていたが、結構これらはお喋りであった。
――紅蓮の魔王に預けようかな
会話自体は別段と苦ではないが、緊張はする。
人工精霊を通して、新たな魔王が自分を観察しているのだ。
あまり気分が良いものではない。
それに、アスタルテとヒルデブルクの二名が近くにいるのが落ち着かない。
もしも、危害が加えようとしたときに止めるのが難しい。
一応は、いきなりやってきた魔王の所有物であり、固有能力で精製された人工精霊だという話を、颯汰は彼女たちにきちんとしたのだが……この調子である。もっと危機感を持ってほしいところだ。
それについてはまた、後で話すと決めた颯汰。
声の主たちが話しかけてくるのをてきとうな相槌を打ちながら、着替えやら色々と準備を整えてから下の階へと降りる。
食事は変わらず、コックムメイド衆が日替わりで担当してくれていた。
非常に有り難い話である。
「もう少ししたら専属のシェフの方が来ますので、それまでご辛抱くださいね」
「えっ? みなさんが忙しいなら、仕方がないか……」
メイド長ウァラクの言葉に対し答えた颯汰。美味しいのに、と続けてメイド衆からの好感度を無意識に稼ぎつつ、颯汰は椅子を引いて座った。
颯汰的には今でも衣食住が完備なので、それより上を求めていない。だがさすがに一国の主と正式に決まったのだから、それに応じた生活をしてもらわねば、示しがつかないというもの。
そもそも、メイドたちに料理を作ってもらうという時点でかなりの贅沢ではある。加えてクラィディム国王からの支援によりヴェルミ産の食品が届き、また流通も始まったことで食品の品質もワンランク、ツーランクぐらい上がっていた。
本当に有難い話だ。
国に戻ったらしい彼に向けて、改めて手紙をしたためようと考えた。
席に付き、皿が並び始める。
昼時であるため、ここにいる全員分が出された。
メイド三人も含め、卓を囲うのがここでのルール。独りで味わう食事も良いが、みんなで美味しいものを食べるのも楽しいものだろう。
メニューはパンと豆スープにサラダ。焼いた牛肉まである。寝起きで胃にダイレクトアタックするような気もするが、若いのできっと大丈夫。でも無理にがっつかず、よく噛んで呑み込むべきだろう。
「いただきます」
命と関わるすべてに感謝を捧げて頂く。
みなが祈りを終え、食事が始まった。
木の匙を使い、スープを口にする。
温かみが全身に、さらに染み込む季節が近づいていた。
パンも豆も、グレードアップしているのが舌でわかる。
肉などの食材に対して使われた、長期保存目的のスパイスも効いていた。
だいたいは談話が始まるところであるが、颯汰が真面目な話を切り出す。
「王女様」
「ここでは“お姉ちゃん”っでいいわよ、ヒルベルト?」
そのごっこ遊びまだ続けるのか、という目を颯汰はしていたが、突っかかると終わらなくなるだろう、とスルーして話を進める。
「……マウリシオなる魔王がマルテ出身だと言ってました。何か心当たり、思い出せましたか?」
彼はマルテの戦士だった。
その目的が義姉ちゃんこと、ヒルデブルク王女だ。
事情も既に彼女に話し終えている。オズバルド公爵の話が出た途端、露骨に嫌そうな顔をしていたのを思い出す。
さすがに一国の王女が一介の兵士の名前なぞ、憶えているわけがないだろうとあまり期待はしていない。それが普通だからだ。
しかし、意外な答えが返って来る。
「昨日その話を聞いてから私、ずっと考えておりましたわ。それで思い出しましたの!」
「! へぇ……」
「確かにいました! あのお方は戦士階級で、ドミニク伯爵と面識があるはずですわ!」
「なるほど。……伯もまだ滞在しているし、確認取ってみますよ。ありがとうヒルデブルクさ――」「――お姉ちゃん」
「……マルテ王女殿下――」「――ヒルダお姉ちゃん」
「………………」
「黙るのは認めたと同義ですわ」
「無敵か?」
フィジカル面も強いお姫様はごり押しも強い。
そんなやり取りをしながらもしっかり食べ、颯汰は仕事に取り掛かるために外出をする。アスタルテはメイド衆たちに任せ、ヒルデブルク王女に脱走しないように釘を再三刺してから出かけるとする。王女が「心配性な弟」とボソッと言ったことに「誰が弟じゃい」とツッコミを入れてから、颯汰は食べ終わった食器を片付けようとして、メイドの一人と取り合いの小競り合いを始めていた。
外出する際、颯汰は置いておこうかと思ったマウリシオの『王権』を、迷った末に手に取った。勝手に動き、お喋りする宝石がついているのだ。手元にある方が安心できる気がしたのだ。修繕作業が行われている城の中庭にある住居たるログハウスから、立花颯汰が出ようとしたところであった。
「やぁ、ごきげんようっす~……って、ちょ、ちょっと!?」
いきなり声がしたため颯汰は一度、扉をバタンと閉める。
呼吸を整えて振り返る、後ろの人たちがそっと奥へと避難するのを確認してから、再び扉を開けた。
「いきなり閉めるなんて酷いよ?」
「うわ」
「うわ、って」
颯汰が思わず口にした言葉に、マウリシオが反応する。
ギリ二桁年齢突入したような背丈の少年にとって、見上げる相手はすべてがコワいものである。高学年のお兄さんも、たった二つ上の先輩だって恐怖の対象だ。お姉さんは別口となります。
……それが魔王だと尚更の事だろう。
玄関を開けてすぐ魔王。バグか何かを疑う状況だ。
待ち伏せしていたのだろう。
気味が悪い。同性のストーカーは殊更に。
「おいおい、ウチのセキュリティ、やっぱだめじゃん」
身を乗り出してから扉を閉めながら、独りごちる颯汰。
それに対しマウリシオは苦笑いを浮かべていた。
「一応、アポイントメントは取ったんだけど」
「……誰に?」
「あの、神父服の」
「あんの野郎……!」
報告連絡相談は必須だ。
お前が昼まで寝ているのが悪い、と言われたらそれは反論できなくなるが、万が一を考えてこの男を、ここまで侵入を許すのは思慮が欠けていると言わざるを得ない。……まぁ、魔王がその気になったならば、侵入など容易いので意味は成さないのだが。
「その当人は、近くにいない……?」
「どうもあの勇者の娘と修行だとか」
「へぇ……(昨日も大変だったと聞いたケド……大丈夫かな。……紅蓮の魔王はそもそも席を外すなよ)」
ここでマウリシオが攻撃を仕掛けた場合、援軍が到着する前に死を迎えるのは間違いない。会話が可能だがいつ襲ってくるかわからないクマと対峙しているようなものだ。魔王には魔王をぶつけるのが一番だ。というのに、いない。
ただ彼らの用事は颯汰もわかっている。
リズの修行だ、と言われてしまえば颯汰も行くなとは言えなかった。
――精神の鍛錬のはずだから……滝行とか、なのかな?
部分的にあっているような、全然違うような。
厳しい修行であったのは間違いない。
――大変だろうな……
颯汰も強制的に紅蓮の魔王に連行されて実戦形式の戦いを行わされた。
疲れが未だ残っているし、死ぬ思いをしたので暫くは遠慮願いたい事だ。
などと思っていた矢先、件のダブル勇者たちが戻って来た。
「あ」「おぉ」
人目に付かぬよう低空飛行をして、裏側まで回り込んで城の敷地に入って来た様子。ふたりとも変わらぬ足取りであった。
妙に、緊張感が出てきた。
いきなり殺し合いが始まるのではないか、という。
少し玄関の扉から離れ、つい二人がピシッと直立をして待機をする。
「あー、お疲れさま?」
「ちょ、調子はどうっすかね~?」
何故か舎弟みたいになる、颯汰とマウリシオのふたり。
そこへ神父の格好をした怪物が言う。
「だいぶ、イイ感じですよ」
その言葉に感心するように颯汰が、数度肯きながらリズの様子を見る。
なんだか肌がほんのり赤い気がする。体調が少し心配であるが、激しい衝動に襲われている感じではない。さすが勇者の先輩か、と素直に颯汰は紅蓮の魔王を認めていた。
その直後である。泰然としていたというか、何か一切の反応が無かったことに後になって違和感に気づく。
リズが不可視の星剣を握り、躊躇いも無く颯汰が持っているマウリシオの《王権》を破壊しようと振ったのだ。
「わぁああッ!?」「えぇええッ!?」「ぎゃあああッ!」「うぉおおッ!」
王権を手にしていた少年。
持ち主。
人工精霊その一、その二。
それぞれが思わず悲鳴を上げた。
颯汰は反射的に手をずらして振り下ろされた斬撃を回避する。
「ぜ、ぜんぜん抑えきれてないじゃん!」
紅蓮の魔王に抗議したところ、おかしいな、と腕を組みながら首を傾げていた。リズが魔王相手に殺人衝動を起こさないようにするため修行していた。その効果が即日から現れるものとは限らないが、少なくとも昨日はかなり進歩していると報告を受け、さらに新たな魔王であるマウリシオの前に来たのだから、てっきり完璧なのかと思っていた。話が違う。どういうことだと皆がリズを見た。
彼女はキョトンとした顔で心内で言った言葉に、颯汰が叫んだ。
「恐いよぉ!?」
彼女と“契約”で繋がっていないマウリシオは疑問符を浮かべながら紅蓮の魔王に尋ねた。
「なんて?」
「“先んじて芽を摘んだ方がいい”と思ったそうです」
「コッワ! 勇者コワッ!!」
民にとって転生者は恐るべき厄災だが、魔王にとって勇者はスケアリー過ぎるモンスターである。
「これ、抑えきったうえでその感情なんすか!?」
「そうなりますね」
「待って、リズさん! ステイ、ステイ!」
颯汰の言葉に、リズは渋々矛ほこを納める。彼が倒されることにデメリットを強いて挙げるならばマルテとの関係が悪化する可能性があるぐらいだ。思わず庇うような形を取ってしまったが、颯汰もマウリシオを信用しているわけではない。だからと言って危なそうだから殺す、は暗愚なる暴君そのものだとして、勇者に剣を納めさせる。
リズが少し不満げであったから、ここで紅蓮の魔王がアシストに走る。
「勇者殿、少しお耳を拝借」
デカい男が少女に耳元を手で覆い、何かを伝え始めた。
それを聞いてリズが驚いた顔、から疑わしい目を向けている。
「必ずや、叶えてあげましょう」
紅蓮の魔王のその言葉を反芻しリズは仕方がないな、という顔つきで納得して下がる。
「何を言ったんです?」
「いずれ教えますよ」
追及しても無駄だと思い颯汰はそれ以上聞かずに、改めて確認する。
「それで、大丈夫なんです」
リズは肯く。直前の行動で全く信用できないんですけど、とは口にしないでどうにか颯汰は呑み込む。
「苦しくは?」
首を振るリズ。
「熱は?」
首を振るリズ。
「殺意は?」
人差し指と親指の間に指一本通るぐらいの――数メルカンほどの隙間を作ってみせる。つまり「ちょっとだけある」。
「ダメじゃないの?」
颯汰が紅蓮の魔王に問う。
熱血指導を行った男は、静かに返す。
「己の感情、それと“力”のコントロールが上手くできている。先ほどの約束もあるから、そこの男がおかしな動きをしない限り問題ないだろう」
まだ動悸が止まらず、焦っているマウリシオ。
それを横目で見つつ颯汰は思う。
――……まぁ、釘をぶっ刺したという意味では効果ありか
それに一日でセーブが付いたのならば、上出来だろうと思った。
おそらく、颯汰が寝ている間に何回も過酷な修行を経たと思われる。
マウリシオの願いも思いもわかるが、やはり優先すべきは信頼すべき仲間の方だ。リズが抑えられると言った以上は、それを信じる。
そして、マウリシオの滞在をしばらく許す事となった。
もっとも相手の方が恐くて帰るというならば、止める気はなかった。
「よ、よ、よろしく~……」
おっかなびっくりなままマウリシオがリズに挨拶をする。
リズは軽い会釈で返していた。
侮りもなく、隙も与えず、敵を見逃さない。
目線を外すようなことをしないで、リズは監視を続ける。
そこへもう一人、否――人ならざる影が近づいてきていた。
ルビ直し中に何度か意識飛んでいたので誤字あるかもしれません。




