07 勇者VS勇者
ヴァーミリアル大陸、ヴェルミ領内に爆炎が立ち昇る。
熱は雲の向こうまで焦がすように、噴出していった。
火山の噴火とさえ思える勢いである。
その星が生み出す熱量と紛うほどの火柱から、魔王が現れた。
『さて、では最後の試練だ』
耳朶を超え、頭の中に響いてくる声。
精神的な鍛錬という名目であったのだが、つい熱が入ってしまった様子。
闇の勇者である彼女の成長が、想定以上であったのだ。
ゆえに、ここで熱した鉄を放置しない。
紅蓮の魔王は彼女を叩いて鍛え上げるべきだと判断した。
それこそが当代の勇者にとって、必ず力になると確信している。
光の勇者であった男は、自身を乗り越えるべき最後の敵として立てたのだ。
灼熱が空へと上がり、熱気は森へ降り注ぐ。
爆発と揺れに、もしも元から生命が近くにいたならば、とっくの前に避難していたところだろう。静かで、あり得ないが死んだような森には飛び立つ鳥さえもういなかった。
呼吸のために吸った空気さえ、喉を焦がすような熱さがある。
構えた星剣――見上げるほどの身長である男の、身の丈ほどある大剣。
その一振りでも受ければ、その瞬間に砕けることは必至だ。
だが、リズは魔王に対して恐れる様子を見せなかった。
実力を知らぬ無智ゆえではない。
戦いを楽しむ高揚感でもない。
勇者としての使命感ですらない。
少女はただ、目の前に立ち塞がろうとする脅威に対して剣を取る。
自分の精神状態――いやに冷静な様すら、彼女は感じていない。
たった一手違えば死が待っているとしても、リズは激情に駆られることもなく応戦の姿勢を取っていた。
その様子を見て、軽く外装の奥で笑みを浮かべた魔王。
次に瞬間に、燃える熱がリズの眼前にいた。
風のボードで飛ぶリズに向かって、紅蓮の魔王が突撃したのだ。
既に敵の間合い。
驚くべき速度であった。
目を離すわけがないというのに、わずかに反応が遅れてしまう。それほど勇者としての権能『光速』は、シンプルだが敵に回すとかなり厄介な能力であった。
身の丈ほどの大剣を振るい、絶妙にリズの不可視の双剣では届かぬ距離。
この一打目、受け止めるという選択は容易だ。あり得ない速度で接近し、大剣とは思えぬ速さで振るわれてはいても、リズはここから応対できる範囲だ。
しかし、リズは避ける。回避を選択する。風の魔法によるジェット噴射すら利用し、大袈裟に感じるぐらいに大きく避け回った。
正しい選択だと直後にわかる。
空を切る刃が通り抜けた途端、何もない空間が爆ぜる。
紅い星剣による一閃の後、空気を焼き尽くす炎が上がった。
剣では防ぎきれない攻撃。
大剣の攻撃範囲を超えた爆炎である。
人間が相手ならば武器での斬り合いで済むが、魔王が相手では事情が違う。
まともに剣を打ち合うことすら難しい。
互いに星の加護を受けた剣同士、壊れることはないであろう。
だが付随する焔火に焼き尽くされてしまう。
それにあの大剣を見てなお、受けて立っていられる自信も普通は湧かない。
勇気を出して踏み込むものこそ勇者であるが、無謀に跳び込むことは勇気とは言えない。その塩梅は肌で感じ取って学ぶしかない。ゆえに――彼女は踏み込んだ。
『ほぅ』
爆炎を撒き散らす斬撃を下から潜り込み、ボードで加速を利用して斬りつける。
こちらも躊躇いも無く、紅蓮の魔王を襲った。
防御に徹すられたら一撃も入れられないほど、紅蓮の魔王は隙はない。
だから攻撃直後を狙う。
大振りの剣であるから、普通の戦士相手ならば有効な手だ。
問題はこの怪物、超重量の剣を片手にて、木剣というよりプラスチックの玩具の剣でも振っているかのように軽々と使ってくる点だ。
切り返しが早い。
振った大剣をそのまますぐに下方向に突き刺すように置いてみせた。
リズの斬撃を防ぐ盾としたのだ。ぶつかった瞬間に大剣の向きを変え、魔王は大きく振り上げる。
リズの肉体を焼きに来る爆炎。
焦げる臭いが鼻につき、熱が全身に被る。剣の直撃こそはどうにか寸で避けたが、爆発するほどの燃焼が容赦なく少女を喰らいに迫った。
逃れられない殺意に対し、自動防御が働く。
リズから溢れ出す黒い血が身体から離れ、球体となってリズを包む。
鉄蜘蛛の成体の装甲すら焦がす焔火を受けてなお、リズは健在であった。
黒い血は持たずにボロボロと乾燥して崩れ落ちて行ったが、そのまま紅蓮の魔王に接近した。下から振り上げた刃を振り下ろされる前に、リズが一撃を叩き込む。黒き血液が溢れ出し、そのまま昇る波のように湧き上がって紅蓮の魔王を襲った。
空の青に浮かぶ闇の海。
波濤と共に競り上がり、交差させた星剣を突き刺し、開くようにして切り裂きながら突破する。下方から上方に位置が変わり、さらにリズは迷いなく追撃を決行する。そのまま勢いに乗るのは大事だ。再び交差させた剣でX字に斬り、下にいる紅蓮の魔王に向かって、黒い斬撃による衝撃波が落ちていく。
恐るべくはリズの才能か。
さらに双剣に滴る黒の血を飛ばすように、二振りの剣を縦に振るった。
完全に剣のリーチを超えた、射程のある攻撃をリズは会得していた。
さらに飛来する衝撃波。続く黒い雨が、紅蓮の魔王に降り注いでいった。
『ふむ。いい線をいっている。だが――』
死を与える猛撃に対し、紅蓮の魔王が取る行動はひとつ。
落ちてくる災いを払うように、大剣の切っ先が弧を描く。
闇に堕ちた星剣から放たれた爆炎の衝撃波。
昏いが熱を帯びて光る溶岩のような色合いで放たれたそれは、降り注ぐ黒をすべて呑み込んでいった。速度は遅いが横に伸びていて範囲が広く、すぐに消えずにしばらく停滞する――攻撃判定もあり、死の雨を防ぐ傘となった。
『不安定ではあるな』
簡単に防いでみせた魔王。
リズは比較的速度が落ちた斬撃をボードの機動力を活かして迂回し、すぐさま魔王を襲おうとしたところに、
「!」
閃光が奔る。
赤々と血に飢えた襤褸の外套を靡かせ、瞬く間に接近を許す。
油断など無くとも、唐突に生命は奪われる。
戦いとはそういうものだ。
回避する間もなく、完全に魔王の剣の間合いであった。
瞬間――リズの頭の中に、様々な記憶が巡る。
助かる術を記憶から探す刹那、答えなど見つからないまま――。
『!』
業火の星剣が煌めく。
リズの肉体を横一閃で、通り抜けた。
両断された身体。驚いたように目を見開いたまま、腹部から上と下でわかれたまま――リーゼロッテであった物体が黒い炭となって消えていく。
紅蓮の魔王は剣を振るった後、左腕を後方に回した。
開いた左手から魔法陣が浮かび、手のひらより大きい火炎弾をすかさず発射する。
真っすぐ飛ぶ火炎は、何もない空に飛んでいくと思われた火炎は、何かに直撃する。それは立花颯汰が操る煙を思わせる瘴気の類いに似た、黒い粒子群――敵に討たれたふりをして奇襲をかけようと姿を隠したリズであった。
「!」
完全に不意を突いたと思ったリズが、逆に攻撃を受ける。
黒い血による自動防御とさらに闇に勇者の能力である『吸収』が働き、ダメージを大幅に軽減することには成功した。
だが、そこまでであった。
全身を包む燃焼が続くスリップダメージに加え、ダメージカットの許容量を超えた爆発が幾度も起こったのだ。
常人ならば肉体がバラバラになっていてもおかしくない火力であった。
火炎弾が何度も何度も爆ぜ、ついに煙の中からリズが落下していく。
『先ほど地下で見せた技だな。粉になったのか、それ自体が姿を隠すのかはわからぬが――あと数回、連続してその技が使えるようになるべきであったな』
やられたふりをして姿を隠し、奇襲をする新たな技。
正々堂々と前に出て戦うだけが勇気に非ず。
本当に必要なのは、他者を護るためならばどんな事でもやり遂げてみせるという姿勢。それこそが、本物の勇気と言えるかもしれない。
初見殺しの技であり、目撃者を消せばかなり強力な一手となり得る。
『順調に力を付けてきたな。あとは回復を待つのみだ』
目撃者である魔王には一切利かなかった。
その結果がこの敗北であった。
意識を失いながら地上へと吸い込まれていく。
潰れた果実のように弾ける前に、紅蓮の魔王が落下するリズを飛行して拾い上げ、横抱きにして支えたのであった。
◇
目を覚ます。
ぼやける視界。
暖かな光に包まれた感覚がした。
未だ意識が遠退いている中、ぼんやりと知らない天井を眺めていた。
気持ちが落ち着くどころか、いい気分であった。
ゆらりゆらりと揺蕩うような夢心地。
「あ、起きましたか?」
知らない女声がした。
身体が浮遊しているような感覚のまま、視界に声の主たちが映り込んできた。
そこで意識が覚醒する。
ざばーッと音を立てて上体を起こそうとする。
痛みがすごく、思わず目を強く瞑って苦悶の表情となった。
「無理をなさらないで勇者サマ」
もう一人の女声。
気を失っていたリズの両隣りに女の人たちがいる。
それはまだ、納得できる。
問題は、格好にある。
「あらあら、まぁまぁ」
挙動不審になったリズ。
隣にいた女性たちは二人ともエルフ。
現れた金髪碧眼の美女と美少女であった。
滴る水で肌に吸い付く金の滝。
腰まで届く髪が、双子山の峰を覆う。
山嶺を包むように辺りは白い蒸気に包まれ、高い湿度と籠る熱が、白をほんのり赤く染めている。
僅かに紅潮した頬の上、優しい青の光は空の向こうにある美しさがあった。
垂れる雫がラインを沿って伝って落ちていく。
つまりは裸。
全裸。
一糸纏わぬ美しいボディ。当人たちは誇るだけで、恥じて隠すようなものではないとして胸を張っている。
それもそのはず、ここはそれが普通な空間。
美しいものは、たとえ性別が同じでも目を惹くものがある。
すんごいの。
たわわ。細くて白いのに。
では控えめの方に目をやっても、何かそっちの方もイケないものを見ているような気がしてしまう。不思議だね。
「……!?」
というか、リーゼロッテお嬢さまも生まれたままの姿だ。
身体が湯船に浸かっている。
状況が読めずに困惑している中、女たちが身体に触れてくる。
びくりとリズは跳ねるように驚いた。なんなのこのひとたち。
「神父様に聞きましたわ。厳しい修行だったそうで」
「この温泉で、私たちが癒してあげま~す」
温泉。
温泉……?
屋内の施設。
差し込む光はない代わりに夜光の実のランタンが使われていて、暖色の光が心を落ち着かせるように働いてくれていた。
ヴェルミ領内の療養泉の類いだろう、とリズは勘付いた。
現在浸かっているのは、全身を寝たまま浸かれる浅さのものだ。
泉質が異なりそれぞれの効能が別なものの他に、座った姿勢で全身が浸かれるタイプのものや上から湯が降り注ぐのを滝行のように受けるタイプなどもある。
ここまで規模の大きい風呂場は、リズには初めての体験であった。
あの戦闘の後、紅蓮の魔王がここに運んだのだろう。
全身が千切れるかと思ったほどであるが、火傷による傷など見当たらない。
あれらはすべて夢だったのではないか。そんな楽観はすぐに消える。
外傷こそ無いが、痛みは残っていたのだ。
《あの鍛錬は、意味があったのかな……》
力はちょっとだけ、以前より使えるようになった。だが一番の問題であった『意志の力』はあれで鍛えられた気がしない。
どうにも釈然としなかった。
答えなど、見つかった気がしない。
リズは、ふと新たな魔王の事を考える。
何者かわからない存在。
思い出すだけではらわたが煮えくり返る感覚があったというのに、今はやけに冷静であった。トレーニングの効果? 単に時間経過で熱が覚めただけ?
焦りはなかった。
それよりも、疲労感が強く、全身が痛い。
…………これが目的だとしたら抗議ものだ。
もしも疲れさせる事だけが目的であったならば、紅蓮の魔王には十二分に痛い目にあって貰いたいところである。
問題は、彼の魔王は強いことだ。敵としては壁が高すぎる。
当代の闇の勇者は、紅蓮の魔王に勝てなかった。
同じ勇者――だが何もかも違うのは、
《…………経験》
乗り越えた修羅場の数と、年数が違うからだろう。
経験からくるレベル差だ。
あれだけの力があればきっと多くの者を護れるのだろう。仮に自分が道を踏み外したとき、狂ってしまったとき、ふたりでどうにかしてくれる。
《あの魔王を、超えるには……》
道を間違えるのが人間の常だ。
それはあの完璧超人じみた怪物とて、産まれは人なのだからおかしくなるのもあり得る話だ。
その時がもし来た場合、止めるためにも力が要る。
契約で命を結んでいるため自害も選択肢に入るが――あの怪物が死を素直に受け止めるとは思えない。何らかの抜け道を使うのではとさえ、リズは思っている。それこそ経験でだいたい何でも知っている男なのだ。
リズはニヴァリス帝国で自分の無力さを嘆いていた。
今回もそれなりに引き出せたが、やはり全開は難しい。精神的にどこかでブレーキがかかってしまう。……たとえ全力全開でもあの男と互角に渡り合えるとはさすがに思えなかった。
――強くなりたい
自身を呪うのではなく、罰するのでもなく、彼女は純粋にそう願った。
心の奥底には邪念じみた自戒・自責の念があるものの、少し前向きになったのは、大きな進歩と言えるだろう。
《……強くなりた――ひゃっ!?》
声は出てないが、悲鳴が出る。
女の人たちが上体をそのままマッサージし始めたのである。
両肩と二の腕、ほっそりとした白い指が優しく触れてくる。
やめてと言っているが、もちろんリズの声は出ていないため、彼女たちには届いていない。そのまま続行される。
最初こそ、困惑していたリズであるが――相手はプロ。
そのテクニックにすぐに落ちてしまった。
疲れや凝り固まったものが解れていき、血行がよくなって気持ちがいい。
「あら?」
「勇者のお姉さん。これ髪の手入れしてる~? なんか変だよ? 燃えた?」
一気に気分が害された。
彼女たちのせいではもちろんない。
いくら勇者であっても女子であるリズが、手入れを怠ることなどない。
原因はひとつである。
あの火炎弾にて、リズの髪の毛が若干、焦げていたらしい。
機会があればあのロン毛を極限まで短くしてやる、とリズは心に誓った。
確かに自分の力が、戦いの中で向上したのはわかる。
恩義はある。
それはそれとして許せん。
乙女の心が殺せと叫んでいた。
25/11/07
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