05 黒い血
廃城の地下深く――。
天然の洞窟を侵食するような形で、機械が並んでいた。
この時代にそぐわない製造工場。
人の手も借りず、自動化したそれらは勝手に動き続けていた。
そこへ突然の発火で、一定間隔の音だけが響いていた地下が騒然となる。
さらにそれは災害ではなく、悪意によって成り立ったと判明した。
侵入者の確認、攻撃を受けたという報せを受け、洞窟内に警告音が鳴り響いた。
いきなり投げ飛ばされた勇者リーゼロッテは闇の中へ降り立った。
辺りは暗くて見通せないが、広大な地に着いたとわかる。
警告ランプの赤い光が届かない暗闇に、光る赤い眼たちに囲われていた。
蠢く悪意。
耳障りな駆動音。
足と地面がぶつかり奏でる甲高い金属音。
八匹の“鉄蜘蛛”――幼体と呼ばれる型の殺戮兵器たち。
幼体と言っても人体より一回り以上大きいモンスターマシンだ。
それらが獲物を囲んでいた。
正確に言えば、侵入者を抹殺するためにやって来たのだ。
「ここは“鉄蜘蛛”の巣――製造工場? というらしいな。まさか地下で敵が自動で造られ続ける場所があるとはな。驚いただろう?」
悪魔か貴様。
魔王でした。
勇者として本能――魔王への殺意から道を外してしまう事を恐れた彼女のため、紅蓮の魔王が用意したメンタルトレーニングがこれである。
「ここではどうやら、幼体と呼ばれる個体しか製造されていないようだ。残念だがな。ただ幸運なことに、それらどんどん生み出され続ける。まずはそれらを蹴散らすのだ。最初は魔力は使うな。まずは準備運動がてら、たわむ……戦うといい」
戯れと言いかけていた。
そこに関して抗議する余裕は無い。
彼の言葉が終わる前に、鉄蜘蛛たちは動き出していたからだ。
跳び込む機械の魔物。金属の鋭い脚先で人体を貫き掛かる。
ガコン、と大きな音を立てる。
巨体に圧し掛かられただけで致命傷となり得る質量である。
リズは寸で躱しながら、斬撃を加えた。
何も持たない徒手空拳に見えたが、リズは不可視の星剣にて斬りつけた。
普通の金属では断つのが難しい堅牢な装甲であるが、やはり可動部分のある関節などは、幾分かは柔らかい。
正しく目の利かぬ闇の中であっても、リズは正確に敵機の可動部を切断する。
斜めに切り上げられ、痛覚も感情もない機械であるのだが、慄く。脚が一本切断されたことによりバランスが僅かに狂い、想定外の事態に混乱が生じたためか。
両の手に握られた双振りの鎌剣を並んだ脚に引っ掛け――機械の脚を利用、さらに腕の力で身体を持ち上げ、駆け登る。
星剣の力を着々と使いこなしているリズは、鉄蜘蛛の身体を踏み跳び、縦回転から双剣を鉄蜘蛛の背部に叩きつけた。
背面の装甲を破り、リズは鉄蜘蛛の内部機構を深く損傷させたのである。
今のリズにとって、機械の兵器たちなど敵ではなかった。単体ならば。
「あぁ、仮にあの者が害を為そうとした場合、私が全力で止めに戻るから安心していい」
何か上で言ってるけどリズは聞いていない。
全力で命を摘み取りに来ている殺戮兵器複数体を相手に、さすがに余裕がない。
あの者とは、首都バーレイにて颯汰と相対している新手の魔王のことだ。
心配でわだかまりが残る。心残りというやつだ。
ただリズ本人は、内面の必死さに反して身体はしなやかに、華麗に動けていた。
舞い踊るように、美しく敵を死へと導いていった。
地下洞のここは広くても、屋内であるのと誤射や誘爆の危険性から、鉄蜘蛛たちはビーム砲撃は使用せず、粘着弾も味方に命中するだけであった。
仲間同士であれば粘性の物質がバラバラに解けるようにはなっているが、着弾した瞬間から粘着物が消滅していくわけではない。その僅かな時間だけでも動きが低下する、あるいは視界が有効に働かない。そこが狙い目であるのだ。
「…………」
呼吸の音が少し大きくなる。
敵の骸が辺りに転がる。
どれも破壊され、バチバチと配線から火花が散っているのが見える。
魔力に頼らずほぼ自力でリズは鉄蜘蛛を全滅させた。
「……」
自身は傷つかず、一方的な破壊を敢行し切ったリズであるが、まだ力を使い果たしてはいない。軽い運動というには幾分もヘヴィなものであったが、無事に乗り越えてみせた。
「ウォーミングアップはここいらで良いだろう」
リズは遠距離攻撃を欲した。
上から腕を組んで見ているだけの男をそろそろ撃ち下としたい。
「やれるものならやってみるといい。投擲の練習もすると、いざというときに助かるだろうからな」
すごいむかつく、とリズは思った。
実際、戦闘においてリーゼロッテお嬢さまは、剣以外はわりと残念な子である。
身体を動かすことは天性の才でどうにかなっているが、他の近接武器もあまり得意ではない。弓矢もどこへ飛んでいくか分からないので、本格的にやるとしたら根気強い師が必要だろう。リズ当人も結構、気にしているらしい。
「どうだ気分は。身体を動かして、変化はないか?」
紅蓮の魔王が問う。
リズは、少し考え込んだ。
自分自身との対話を試みるように内面を探り始める。
……心境の変化こそはないが、戦うことに夢中であった。
怒りや憎しみ、焦がれるような殺意を忘れていたとは言いたくはないが、そこに固執することなく眼前の物事にだけ集中できた気はしていた。
やはり、怒りや殺意といった感情は戦いの妨げになるのだろうか。
「…………」
感情のない武器として振る舞えたならば、どれだけ良かっただろうか。
「いいや、感情は無くしてはならないものだ。それでは人間ではなくなる」
当たり前のように言葉を口にできないリズの考えを読んでいるのは、“契約者”越しに言葉が伝わっているからだと思われる。不気味な男はさらに続けた。
「心のない武器なぞ、あの少年は求めていない」
「……」
この男の発言は的を射ている。
戦うだけの道具なんて、颯汰は求めてはいない。
それをリズは心得ている。だが、自分がこの狂うような殺意を抑えねば――感情を消さねば、いつか歯車が狂ってしまう。
最期の瞬間まで共に在り続けるためには、無くさねばならない。
そう強く感じていた。
「……戦いの中で答えが見つかるだろう」
今の彼女に言葉を尽くしても届かないと早々に諦めたのだろうか。
紅蓮の魔王のその言葉は、一見すると投げやりになっているように見える。
だが、これはマジの本音である。
自分がそうやって見つかったのだから、彼女もまた見つけられるだろうという類いのアレだ。これだから人の心が希薄の怪物は厄介となり得る。
彼女は非常に不安定な状態にある。
それは精神性の話ではなく彼女の在り方が、である。
勇者の力と●●の力。
相反するものが融け合うことなく一つの身体にある。
紅蓮の魔王とも境遇だけは似ているが、まったく違う。
でも必ず彼女がその力をモノにできるし、己の中に生じる本能さえ御せると信じている――上方腕組み師匠面浮遊おじさん。
「……む? 敵が来ないな」
工場は一旦ストップしていたのが、戦闘途中に再開されたため、改めて敵機が生産されているものだと思っていたが、敵機がやってこない。
紅蓮の魔王は目論見が甘かったのだろうかと顎に手を当てて考えていた矢先である。
「!」
リズが気配を感じて飛び退いた。
ぞわっとする感覚が、足元からやって来る。
軽やかにステップを踏んで、元居た場所を見る――。
地面の色が変わった。暗がりでもぼんやりと色づく白と橙。
赤熱されて融解し、光線が踊る。
地面から伸びた光が足場である金属を破壊し、紅蓮の魔王のいる空中どころか、本来の洞窟の天井まで届いた。
魔王が手を翳して光線を障壁にて弾いていたところ、リズのいる床の金属板に変化が起こる。
「――!?」
下から伸びた光によってバラバラに切断された足場が落下する。リズもまたさらなる地下へ深く呑み込まれていった。
床が崩れ落ち、天井から瓦礫となって降り注ぐ中、リズも一緒になって落下していく。
再び自由落下から、風魔法にて着地をケアしようとしたが――敵意が殺到してきたのであった。
地下からリズのいる足場を狙ってビーム砲を撃ってきた鉄蜘蛛の大群。
それらが落ちてくる外敵を排除するために、砲撃を開始した。
後部を変形させ、ビーム砲を展開し、狙い撃ち始める。
少女に目掛けて、光が飛び込んでいった。
リズは落ちる瓦礫を蹴って位置をずらしながら、トリッキーな動きで翻弄しつつ、落下際には敵機へ飛び込んで破壊する。
慣れたものだ、と紅蓮の魔王が感心して肯いている。かなりうざい。
天板が落下したことにより発生する塵煙。敵機は暗視機能が付いた視覚センサにて姿を捉えていたはずだというのに、リズは闇に乗じるように敵機を壊していく。
敵の数は、膨大だ。
十数で済まないかもしれない。何十もの機体がいるかもしれない。
さらに広大な地下が広がっているのも異様であり、先ほどよりも真っ暗で赤い光る眼だけが夥しいほどに映って正しく状況が把握しづらい。恐怖しか感じないような光景であるが、リズは迷わなかった。ウォーミングアップが済んだなら、本気で戦ってもよいと判断する。
身体能力に加え風による飛行にて、三次元的立体機動で鉄蜘蛛たちを翻弄する。
まるで羽でも生えているかのように宙を駆け、敵を破壊していく。
当然やられっぱなしというわけにはいかない。
闇を貫く光線の嵐。鉄蜘蛛たちの狙いは正確であった。
何十もの放射された光は網となり、逃れることはできない。
ついに、リズも捕まった。
「!」
リズの肉体を焼き切るはずの熱光線。
しかし、届かない。
暗闇よりも深い黒。
どろりとした呪いが溢れる。
粘性の液体がリズの右腕から這い出る。
それがリズの身体を保護する防護フィルムのような役割を果たしたのである。
鉄蜘蛛の電脳に、新たな警報情報が加わる。
侵入者を侵略生物と断定し、徹底的に排除を試みる。それはこの生産施設がどうなっても構わない、この場が崩壊してでも敵を誅戮する、と巣にいる全機体が捨て身で立ち向かうと決めた瞬間である。
鉄蜘蛛たちのカメラアイで捉えた侵略生物は、“黒い血”を流していた。
深い闇に光沢が生まれたように白い艶が見えた。
汚染された黒泥と似ているが異なるもの――。
それこそが、罪なき少女に埋め込まれた大罪の証。
彼女の秘密。
知られたくない過去。
そしてこの星を蝕む“呪い”の源流。
溢れ出た濃密な“黒”は両袖から双鎌剣を包み、不可視の存在を徐々に露わにしていった。
滴る漆黒を振るい、リズは敵機を両断する。
比較的柔い場所ではなく、そのまま一撃で兵器を断ってみせた。
リズが次々と、敵機を破壊していく。
さながら、死の風を運ぶ者だ。
「……!」
着地と同時に敵機を砕き、敵の猛攻を切り崩して踏み込む。
一挙手一投足、何かをやる度に敵機が壊れ、動かなくなる。
紛れもなく、幼体であろうと鉄蜘蛛は殺戮兵器である。
人類にとって脅威となっているそれらが、今のリズにとって動く木偶扱いであった。
それが、堪らなく――、
「悪い顔になっているぞ」
「!?」
紅蓮の魔王の指摘で正気に戻るが、黒い液体は急に意思を持ったように動き回る。御せぬ生き物、蛇か何かのようにのたうつ。
リズは自分が倒した鉄蜘蛛の遺骸の影に隠れて攻撃をやり過ごしながら、消えろ消えろと心の中で唱えて抑え込もうとする。壁となっている残骸にその黒い流体をぶつけたり、指で摘まんで引き千切ろうしても、無駄であった。
黒い血はひんやりと冷たく、気持ちが悪い感触があった。
紅蓮の魔王の一言が無ければ、リズは道を踏み外していた事だろう。
だが今は別件で危険な状況になっていた。
気を抜けばこの黒い血が制御できずに暴れ出して、誰かを傷つける事と大切な人たちに嫌悪されることを、リズは心から恐れていた。
また、この脳に染み渡るような悦楽に呑まれかけることも同様だ。
こんなものを感じる怪物になるくらいならば、感情なんて要らない。
「好意も感情であろう――おっと」
なんか余計なことを言ってくる怪物にリズは鎌剣を振るった。
これも感情的になっている証だ、とはさすがに言いすぎと思って心の奥にしまいこんだ。
リズは紅蓮の魔王を直接斬りかかるのではなく、黒い液体を衝撃波のように放ったのだ。
当たる気配がない。紅蓮の魔王がおっと、と口では言ったものの避ける動作など必要なかった。へたり込むように座っているが、立っていても結果は変わらなかっただろう。
地面に滴り広がる黒。
溢れる黒い血の量は増えていくのに、どんどん熱くなっていく。
水面からにゅろにゅろとタコみたいな触手が出てきたり、黒かったが白骨化したヒトの腕が飛び出してきたのを、リズは懸命に押し戻そうとする。
これらの存在が本当に不気味であり、認めたくない異形なる力であった。




