04 紅蓮の試練
風を切って飛んでいく紅い流星。
千切れた雲の隙間を縫う。
他者に見られたとしても、今なら特に問題ない。
しかし目線を気にしたのか、光は急上昇して雲の上まで行く。
敵を撒くための癖でもあった。
首都バーレイから離れていき、巨大な両手に包まれ大事そうに運ばれて行くリズ。新たなる魔王から距離が遠くなったせいか、呼吸が少しだけ楽になる。
季節は夏が終わり始めるには少しばかり先ではあるものの、空では空気が薄くなり気温も下がるはずであった。紅蓮の魔王が障壁を張ってくれたため、今だけは快適な空の旅となっていた。それも終わりが来る。
「…………」
リズは冷静になったが、心に引っ掛かる強い感情がまだ燻っている。
先ほどまでの“魔王”の首を獲りたいという衝動を思い出し、震える自身の右手をリズは抑える。幼き少女を抱き抱えるように。安心してもいいと慰めるように……――。
あそこまで強い殺意を他者に抱いたのは、久々であった。最も、最上に憎むべき怨敵――「迅雷の魔王」が堂々の一位。彼がトップで、ランキングが変動することは無さそうではある。
「もうすぐ降りるぞ」
「!」
外からの声を聞いて、リズはすぐに動き出した。
これは目的地に着いたという意味ではなく、雲の上から下降するという報せである。リズは思い切り倒れ込み、鎧われた金属の装甲にしがみついた。
何かに掴まらなければ、宙に浮かんでそのまま地獄のような降下が始まる。
上から包み込むもう一方の手が蓋の役割を担ってくれてはいるのだが、堅い金属の手甲に頭をぶつかってしまう事となる。
口の中で舌を嚙まないように歯をがっしり噛み合わせて、時が来る――。
風は手によって防がれてはいるが、身体がその場に取り残されるような浮いた感覚で鳥肌が立つ。リズは特に高所が苦手というわけではないが、常人が感じることが決してない体験をしているため、怖さは感じていた。自力で飛んで降りるのとわけが違うのである。
地面に向かって、優しい緩やかな飛行……などを紅蓮の魔王がするわけがなく、上空から斜めに突き刺すような最短距離で進んでいく。
リズでさえ抗議の声を上げたくなる無茶な飛行の後、着地をする。
着弾、墜落の方が正しい表現に見える光景であった。
落下地点から衝撃波が奔り、土煙が舞う。
降り立った紅蓮の魔王が煙の中から現れ、悠然としていた。
一方で赤い両手が開かれると、リズが仰向けに倒れて目を回してしまっていた。魔法による衝撃を殺す何かは展開されたのだろうけど、最後の最後で掴んでいた少女の手は外れ、紅い手甲の中でごろんごろんと勢いよく転がってしまったのであった。かわいそう。
「着いた。起きれるか」
手を差し伸べるようなことも近づいて安否を確認することもせず、高い背丈からジッと見下ろして声を掛けてきた。冷静に考えるとこの男に対してイラつくべき場面であったと後になってリズは思うけれど、それ以上の衝撃があった。流星となって地に堕ちたことではない。
「…………!」
気のせいかと思いながら、リズは上体を起こす。
紅蓮の魔王が召喚して使役する巨大な手から降りて、振り向き軽く一礼。
巨腕が消えると、リズは自分の胸に手を当てた。
最初こそ、勢いよく降りた恐怖心に押し潰されて隠れたものだと思った。
魔王への強い殺意や憤りが、消えて無くなっていた。
先ほどまではち切れんばかりの、魔王への殺人衝動が消えている。
あれは、距離を取ったら消えるようなものなのだろうか。
「問題無さそうだな。では行くぞ」
「?」
一体どこへ。それとここは?
辺りを見回すが自然が豊か。辺鄙な場所に連れて来られた。
どこかの森、あるいは山の中だろうか。
木々に囲まれているが、人工物であったものが見える。
それは遺跡の類いに見えた。苔むした石材に蔦までもが絡まる。
中心には建物があったであろう瓦礫の山。
長年、人の手が介在していない様子で自然の浸食が――……不思議とそこだけ見受けられない。リズは僅かな違和感を抱いた。
「ここはヴェルミ領内だ。城の跡地だな」
ヴェルミの現国王たちが、この紅蓮の魔王を呼び出した土地。
ここを選んだのには理由はある。
ただ、自分が召喚された場所であるかといったものではない。
「……」
「用事はここではなく、地下にある。ここから入れるぞ」
瓦礫の隅、中心は全く自然を寄せ付けていなかったが草木の浸食を受けている部分もあった。残った、膝よりも低い位置にある壁面だったものと、草によって見なくなっていた――階段がある。
隠れていた階段の周りは少しだけ刈り取られていた。
下りの階段は闇へと続いている。
リズは困惑しながらも、前へと勝手に進む男に付いていく。
「……」
自分の指先から蝋燭のような火を灯して先導しようとする紅蓮の魔王。
すごい便利。と一瞬だけ無邪気な感想が頭に過っていたリズではあったが、やはり怪しい。
「……」
言葉を喋れないリズが訴える。
自分はもう平気である、と。
さらに颯汰を魔王の前に置いてきたことへの不安を、だ。
悪辣なる魔王を前に、大事な人を置いてきたという事に、彼女は罪悪感を覚えたのである。
頭はやけに冴え渡る。今ならば、間違いなどしない。
狂気に呑まれることなく、戦える。
そう声が出せぬが心内で叫んでいたとき――、
「今、自分が冷静だと思い込んでいるな? こんな場所にいる場合ではない。早く戻らねば、と」
足を止めて振り返った紅蓮の魔王の一言に、リズはドキリとした。
「……」
「焦りすら感じていない――と錯覚している。今の自分がかつてないほど冷静だと思っているだろう。まやかしだ。勇者とはそういうモノなのだ」
光の勇者であった紅蓮の魔王の言葉に、リズは訝る視線でジッと見た。
「一旦、敵から距離を取ると、逃走『した』あるいは『された』と思い込んでしまう。すると勇者は次の機会に備えて、『殺意が鎮まって冷静に処理できる』という、と思い違いを起こすのだ。本当は怒りと殺意は据え置きどころか、どんどん増していくばかりだというのに」
「……!」
「勇者とはそういうものだ。一度敵を取り逃がせば、今なら何だってできる気になってしまう。先ほどまでの熱が冷めたとさえ思い込む。しかし実は悪化しているから選択を誤りがちだ。自分の身を切ってでも相手を殺そうとしたり、民を巻き込んででも目的を果たそうとする。つまりは狭い範囲でしか考えられなくなる。……問題はそれに気づけない――冷静に考えた末に辿り着く答えが狂ってしまうのだ」
自分では超絶クールな思考で最高の解決策を選んだつもりになる。
実際は短絡的に『絶対に相手を殺す』選択をしているだけ。
何を犠牲にしてでも、魔王という害虫を駆除してやるというシステム。
リズは、まるで呪いだと思った。
勇者とは魔王を殺すために星が生み出したモノ。
そのようにプログラムされたと言える。
本能が敵を見つけ、殺さずにいられないように――。
「だが、それも所詮は力。意志さえあれば呑まれずに済む」
まさかの、根性論。令和の時代に。
まともな人間が意志の力とやらに頼み込んでも大抵は無駄である。
そんなものでコントロールできたならば、世の犯罪は無くなっているだろう。
だが、この男は非常識の塊である怪物なのだ。
それもある種、“天才”と呼ばれる類いでもある。
さらに問題は『自分ができるような事』は『大抵の他人だってその気になればやれる』と考えている節がある。それでも彼は絶対にクリアできない試練は与えはしない。厄介なのは彼は無意識下で『やられる当人の限界を超えた』ギリギリ先に目標やらを設定する点だろう。
そんな過度すぎる期待から始まる地獄が待っているとは知らず、リズは希望を見出した。
むしろ確かに、と腑に落ちていた。
忘れがちではあるが、この娘も名家の養女でお嬢様、リーゼロッテ。
蝶よ花よと愛でられた娘は精神性が美しく優しく育つ代わりに、他者の悪意に鈍かったりする。
紅蓮の魔王が衝動にかられて敵に向かっていた記憶がリズにはない。自分が彼に対して殺人衝動が湧かないのは半分は勇者であるからと颯汰と“契約”を結んでいるため殺せば彼も巻き添えになるから我慢ができているのだろうと思っていた。彼が魔王を見つけても自分より暴走しないのは半分が魔王であるのが要因だと思っていた。
どういった経緯でこの男が魔王となったのかはリズはまったく知らないけれど、彼はイレギュラーでそのような存在になってしまって、それは自分に起こり得るとは思えない。
後天的に得たものではあるが努力でどうこうなるモノではない諦めていた。
それが自力で習得が可能だという点が、彼女にとって救いであったのだ。かわいそう。
「……」
「そうだな。我慢して苦し気なのも彼は心配していたし、殺意に満ちた表情は少し恐ろしいと感じていたかもしれん。あまり景気のいい顔ではなかったな」
彼とは無論、立花颯汰のことである。
紅蓮の魔王の指摘に今になってリズは自分の顔をぺたぺたと触り、広げるように揉む。
戦いに生きる剣となるつもりではあるが、女子なので結構気にはしている様子。
「では、一旦地下だ。そこで鍛錬といこうじゃないか。それにあの力も完全にものにしたいだろう?」
リズにとっては藁にも縋る思いであった。その藁は沈むよ。
ただ彼の言った通り、リズは颯汰の前で全力全開が出せないでいる。
ボルドーで屋内であって他者の目を気にせずやれるとして使い、かなりいい線まではいったのだが、まだ完全とは言えなかった。
力をコントロールしていけば、彼女が望むカタチとなるだろう。
止めた足を再び進める紅蓮の魔王。
改めて、導かれて地下への階段を降りて行く。
闇の中をどんどん進んでいき、しばらく時間が経った。
無言のまま、ずっとずっと歩み続けていた。
さすがに、リズもおかしいと思ったようだ。
結構な距離がある。このまま冥府にでも着くのではなかろうか。
権力者が地下を作りがちなのは知っていたが、それにしても常軌を逸している長さだ。途中何度も曲がったけれど、ずっと一本道が続く。罠や迷うような別の道すらない。時折床の石材が雨水などの排水のために穴が空いているパネルがあるくらいだろうか。
途中で廊下などないまま進んでいく。
塔を一つ分ぐらいは超えたか。リズは日頃から運動が多めであるが、常人は途中で音を上げるような長さな気がする。
これすら鍛錬の一環なのだろうか、などと考えたところで着いた。
「……?」
紅蓮の魔王が照らす先に、金属の大扉があった。
違和感がある。技術が明らかに地上の物より進んでいる。
颯汰や転生者たちは気づけただろうが、リズは首を傾げるだけである。
両開きで、センサーが生きていたならば正しく動作していたであろう自動扉は、今や開きっぱなしであった。そこ辺りだけ埃も溜まっておらず、この魔王が何度かここに足を踏み入れたのだろうという事は予測できるだろう。
扉の先を見て、リズは茫然とした。
光を灯す必要はなかった。
扉の先は洞窟の内部。洞窟ではあるが、色々とおかしい。
感覚的には「ニヴァリス帝国」を想起させる。
帝国は明らかにヴァーミリアル大陸よりも技術が遥かに進んでいた。
それは地下施設に残っていた古代の技術を解析して手に入れたものだ。
おそらく、この場の機械群はその系譜である。
足場は金属板でできていて、地面まで遠く、暗い。
奥では、吊るされた金属の塊に機械のアームが左右から伸びて、次々とパーツが組み上げられていく。そして進み、また別のアームによって作り上げられる。さらに進むと溶接で火花が散っているのが見える。
何らかの作業をしているのはリズでもわかった。
開けた場所は、洞窟の地形をそのまま利用して、工場にしたような形であった。
天然の岩場に、金属のレールやベルトコンベアなどの機械類を無理やり備え付けたような歪な場所。機械から漏れ出る光と、一部はライトによって照らされているため、暗がりでもかなり広大な土地であることは分かる。
「まずは身体を動かすことだ」
「……!」
紅蓮の魔王がふいに宙に浮かぶ。
リズは猛烈に嫌な予感がした。
「まずは魔力を使わず、だ。魔法を封じる敵を想定しての鍛錬といこう」
そう言いつつ、紅蓮の魔王の手のひらに収まる火球が出現する。
それをテキトーな位置に放り投げた。
軽く放ったそれは、壁面に当たる前に爆ぜ、爆炎が光と共に迸る。
ガソリンか何かに引火したのだろうかというほどに、燃え上がった。
熱風と光がこちらまで来て、リズは咄嗟に顔を庇う。
「!?」
リズが顔を上げる前に、大きな音が響いた。
赤いランプが点灯し、警告音の後にアナウンスが入る。
聞いたことのない言語で、リズは戸惑う。
避難を促しているのだろうか。
消火設備が起動する前に、紅蓮の魔王が手を動かして燃え広がる火を消す。
それにより、アナウンスがまた変化した。
彼はマッチポンプの真似事をしたい訳ではない。
呼び出すために、やったのである。
「ここは無人だ。あの動いている物も、全部が自動で作られるそうだ」
何の話をしているのだろうかリズにはわからない。
「ゆえに、好き勝手に暴れてもいい。鍛錬にもってこいの場所だ」
どたどたと重なる音。大きく響く。
何かがやって来ているが、ヒトの足音とは異なる。
「では――、行くといい。着地は魔法を使ってもいいぞ」
いきなり接近してリズの腕を掴むと、紅蓮の魔王は踊るように羽を扱うように軽やかに、リズを投げ飛ばす。
鉄板の上から、転落防止の柵を超えてリズは更なる闇へと落ちていった。
リズは真っ逆さまに落ちるところ姿勢を制御したうえで風の魔法を操り、着地の勢いを殺して降りる。地面に着く前に風でフワッと浮いたのだ。
リーゼロッテは美しく可憐に着地はできたものの、上にいる非常識なバケモノに対して憤りが湧いていた。言葉を話せれば抗議の声を上げていたところである。
だが、そんな余裕は無さそうである。
周囲の薄暗い闇の中に、光る眼が多数がリズを捉えたのだ。
完全に囲まれている。
敵から攻撃を受けたとして、外敵の排除をしに殺到した。
嫌な予感ばかりが妙に的中するのも世の常であろうか。
2025/10/26
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