55 嵐の外
ただそこに居るだけで息が苦しくなる。
竜種は世界に影響を与える存在であると彼女は知識として有してはいたものの――それを身に染みて理解した。
心臓から生み出される無尽の魔力にて、景観を物理的に歪ませてしまうという話だけではなく、生物としても頂点に立つ存在という点だ。
蛇に睨まれた蛙のように、逃走の選択ができないというより――選択する権利すら向こうに掌握されている感覚がする。
人間なぞ、竜種にとっては「か弱き羽虫」に相違ない。
事前に聞き及んでいたからこそ、気を張ってどうにか失神だけは免れたが、呼吸ができているか怪しいほどに酸素が足りず、視界はぼやけ続ける。彼女は自分の足だけでは立っていられない状態であった。
加えて魔王たる主が、この濃密な魔力を防ぐ障壁を体表に張る魔法を使っていなければ、連れの女性は数分も持たなかっただろう。
現れた“魔王”とその部下たる女。
本来はこの場に相応しいとは言えない人間だ。
仕えるべき主に支えられた女は、生きた心地がしなかっただろう。
烈震龍姫の姿かたちは人間に近しい。
今回の格好は清らかさといやらしさが同居した不思議な装い。
だが、それでも竜種である。
それを理解しつつも、すべてを“視て”いる魔王は態度を崩さない。
「まずは前提として、――何度かお伝えしたように、我々は貴女様と協力関係を結びたいため、信頼を獲得したいがためにすべてお話をしています」
魔王としての能力も開示し、“視えた”ものとこれからやろうとしている事も共有していた。
目的もなくただ語っていた訳ではない。
『……』
「私は……――魔王という存在が一体何なのか、なぜ七人で殺し合いをさせられているのか。それらの意味も、経緯も知っています」
『……』
「貴女様もわかっているのでしょう? ふっ……貴女様も人が悪い。私たちを試すような真似は、控えてくださると助かりますよ」
『…………』
黙り込む竜の娘。互いに顔色を変えずのままだが、剣呑な空気が僅かに緩んだことに気づいたものはいなかった。
――まずい
四大龍帝が一柱。“烈震龍姫”と呼ばれた女は心内で呟いた。
――コイツが何を言ってんのか、ぜんぜんわからんのだけど!
表情は強張っていない。
ただ冷めた瞳のままで睥睨し続ける。
しかしこのギャルドラゴン、滅茶苦茶焦っていた。
この男――眼前の魔王が何を言っているのか、理解できていない。
――魔王が何なのか? 殺し合いの理由? そんなのあーしが知ったこっちゃないし! それと何の関係があるっての!?
世界を蝕む欲望の権化とはある意味で正しいが、彼の魔王はそれより先の答えを知っている様子だ。なぜ、転生者という存在がこの世界に生じたのか。それと竜種たちとの関係についても、この男は“知っている”。
――で、でも、ここで、あーしが知らないと答えるのはまずいし! あーしは四大竜が一柱、“烈震龍姫”なんだから……!
“四大龍帝”――いや、彼女自身の威厳に関わる。
世界を守護する存在であると嘯いていたのに、何も知らないと無智を曝すわけにはいかなかった。
人間社会で知ったかぶりが、致命傷に直結はしづらい。業種にもよるが。
だけど放っておくと後々の事を考えると危ういので、なるべくわからないことはそのままにしない方が賢明であろう。
しかし、彼女はそれを訊ねるべき相手がいない。
さらに、虚勢を張らねばならぬ理由もある。
――……コイツまさか、あーしが「知らない」って事も知っている? いや、そうでしょ、性格悪そうだもん! 影で女殴ってるタイプの顔つきだし
怒りのあまりヘイトスピーチ。
侮りに対し、絶望を与えることは容易ではある。
だが相手が相手であるため、それすら“視て”知っていて、対策している可能性がある。
何も想定せずにここに来るわけがない。
手の内すら、考えすら見透かされている気がしてきた。
非常に気分が悪いが、それ以上に恐ろしい。
どこまで“知っている”のか。
それを確かめる必要もあるだろう。
……これ以上、黙ってはいけないとして、ドラゴンギャルは深呼吸をしてから語りだす。
『……それなりに覚悟はできておるのか。……良かろう。他の四大が聞けば洒落にならんだろうけど、あーしはあんたと付き合いそれなりにあるしねー。あんたが本気だってことは、どうにも認めざるを得ないっていうか」
姫さまが途中で元のギャルっぽい普段の調子に戻る。
肩をすくめて溜息を吐いてみせた。
このギャル、なかなかの演技派。ちょっと自分でも劇場の演者になれるのでは、と思うくらいには上手かった。あーしってばセンスある~。
「まぁ、でも守護者たる四大を差し置いて、あんな侮辱に近い発言は許せんし」
他の四大であれば、躊躇いも無く殺しに掛かる念を押す。
「えぇ。骨身に染みました。今後発言には気を付けます。私も貴女様を敵にしたくない。というか仲間になってほしいですからね」
「あんたさ~、信頼を獲得したいって言いながら、喧嘩売りに来るってどういう神経してんのって思うんだけどー?」
「まぁまぁ。(実際、本音だったんだけど、それを言ってまた拗れちゃうかもしれない……)他にも共有したい土産話もありますし、現物お土産も用意しているので」
「……うん、退屈だし。話せ。……話の腰を折ったのはあーしだけどさ」
守護者としての任は肩が凝る。退屈が続く方が世界にとっては良きことであるが、退屈で死ぬことは無くても心を摩耗する。あと動かないと筋肉だって衰える。
リフレッシュするためにも他人の冒険譚を聞くことは悪くない。
付き合いは決して短くないが、彼がどう『世界と友を救う』ことを熱く語っていてもどこか信用ができない。それほど魔王という存在が容認できるものではないという事と、彼の能力も得体のしれない部分が多い。
「ではでは、少し大事なお話をしましょう」
胸を撫で下ろし息を吐く。うわーうさんくさーい、とギャル竜は口にする。
言われた方は少しだけ気にするような顔をしてから続けた。
「調子づいているゴモラ教団ですが、ちょっとだけ灸を据えさせます」
「ちょっとだけ? 滅ぼしなよ」
「物事には手順があるんです。奴らは邪悪な敵であるから、早急に滅ぼしたいのは山々なんですがね。しばらくは大人しくなりますよ。巧妙に逃げ道を隠しても、既に“知っている”から無駄なんだ」
そのように誘導済みである。
教団を叩くのは自分たちではないが、効果的な手を打っていた。
「あんた達、間者として潜り込んでるけど、大丈夫なの?」
このふたりが闇の回廊を用いれているのは、邪悪なカルト教であるゴモラ教団の内通者として入り込んでいるからである。組織の一員として、身に纏った黒衣も教団員のローブである。
「心配には及びませんよ」
「あんたというか、そっちの子がだけど。内側からぶっ壊すためとはいえ、あんな邪悪な呪われた力を操っているような連中につるむなんて危険でしょ」
「力に善悪はありませんよ。力は所詮“力”というだけで。……まぁ、今の言葉は恩師の受け売りなんですけどね。黒泥は一見すると醜悪で呪われた力。でも本質はそうじゃない」
「……(また、なんか知らん事を言い始めた……。あんなキモい泥、性質も邪悪でしょ!)」
「使う勢力が邪悪に振り切っているのが問題なんですけどね」
「変わんなくない?」
「使い手次第という話です」
「どう見ても悪用しかできないでしょ? ……あんたなら、上手く使えるって話?」
「元を断つのが大変ですが、仮に済んだ場合はもちろん、と胸を張って言えますよ。使うときに倫理観と正気を疑われそうですけど」
「どうせ話さないんでしょ?」
信用を得たいと言いながら、開示する情報に制限かけすぎだろう、と口を尖らせた。
「いえいえ、お耳を拝借して頂ければ。今は、この状態なので」
辛うじて失神を免れた女が、「うっ、うっ……」と苦し気なうめき声をあげ始めた。それを支えたままでいる魔王。
若干ばつが悪そうな浅い褐色ドラゴン姫巫女は、
「(こやつ、こうなる事を見越して女を連れ歩いてるのでは?)」
とは心の中で思っても、触れられなかった。
魔王の方が確実に悪いが、自身が加害者であるためだ。
実際に未来を視えているならば大事には至らないだろうが、そもそも連れ歩いてこういう目に合うことすら知っているはずだ。この男はどうあっても“魔王”。大事なために小事は斬り捨てることを厭わないのだろう。
「その子は、知っているの?」
「いえ、まだ伝えてません。一応、共に教団に潜入している身ですから。知るべき内容じゃない。それに大切な部下ですからね。絶対に傷つかないように――奴らの魔の手に触れないように最大限で注意をしてますよ」
「…………」
女泣かせも罪深いぞ、とは思ったが忠告もきっと意味を成さない。すごい目で見てやるぐらいしかできなかった。
彼は最短距離で全力疾走している。
ゆえに簡単には止まりはしないし、龍姫が止めようと思い立って行動に移る未来があるとしたら――彼はそれを『思わせないように事前に立ち回っているか』『行動を取られると知って、対策済み』だ。つまり最初から『烈震龍姫が敵対しないような選択』を選び続けているか、『烈震龍姫から受ける被害を最小限に済ませる手段』を手にしている。
無限に近い可能性と選択肢の先を知っている。とても厄介な能力だ。
「……遮音の結界で包んだ。あーしとあんた以外に聞こえない。言ってみなさいよ。出まかせなら、嗤ってやるし」
「えぇ。実は……――」
目に関する魔法など特別な力を有していない限り、存在を知覚するのが難しい結界を至近距離で展開し、魔王の話を聞いた。
そんなバカな……、と竜の娘は零した。
先ほどの冷静な演技――主演女優賞、間違いなしの顔つきはできない。
常識が覆されたような感覚に陥った。
ゆえに、龍の姫君は詰める。
彼の発言に根拠を求めた。
魔王は冷笑するように、実例を語る。
そして、過去にやった行いとその結果まで述べた。
それらについて、現状ですぐに確かめる術はないが、調べることはできる。
そこで嘘だと判明すれば、その程度の者として捨て置き――この地に足を踏み入れることを禁ずればいいだけだ。
だが、ここで意味不明な嘘をつく理由はない。
ただ嘘で掻き乱したいだけの幼稚な輩が、命をかけてまでやらないだろう。
「……」
間近で聞こえない口論を、まだ回復しきっていない意識の中で女は眺めていた。不思議な感覚であるが、魔王である主と行動を共にすると普通の人生では体験できないことばかりだろう。
一旦、話が落ち着いたのか、ふらふらとした足取りでドラゴンギャルの方が離れていった。
「お調べください」
「……事の次第ではお前を消す」
「言葉が強い……!」
「そらそうなるでしょ。お前、本当に“友達”なの?」
強気の内に、理解できない奇妙なものに対して嫌悪するような棘が出ている。それは得体のしれないモノへの恐怖心に相違ない。
すべてを“知っている”彼の行動は、他者にとって狂気となんら変わらないのである。
「もちろん。向こうがどう思っていようが関係ありません。世界を救うため――ソウタを救うために、悪魔にだってなってやる所存です。これはこの選択をしてから、変わることない誓いです」
黒泥の特性と更にそれを踏まえた彼の想像を絶する行動に、龍の姫はドン引きしていた。
悪魔なんて生易しいものではない。
まさに、魔の王者に相応しい道に外れた怪物と言える。
「はぁ~……――その調子だと、まだ何かたくさん仕掛けてるな?」
「まぁ、色々とですね。現在、首都を襲っている成体の鉄蜘蛛は奴らの差し金ですけど。“魔王”の方は此方が手配しました」
殺戮兵器は教団側が仕掛けた最後っ屁であるが、唐突に現れた新たな“魔王”は自分が手配した存在だと言った。
「……あんたさぁ、そのうち本気で刺されんじゃね?」
「それで親友の気が晴れて、世界が救われるならばそれもいい」
迷いない返事にドラゴン姫は心の底からの軽蔑というか、理解できない生物を見ている目をして言い放つ。
「うわーきっしょー……」
「え、ひどくない?」
ひどいのはお前だろ、と言いたげな瞳で見ていた竜種の王者は諦めて目線を外す。まだ会ったことのない、イレギュラーたる銀嶺の王“ソウタ”は、余程前世で悪行を重ねたのか、妙な輩に好かれやすいかのどちらかだろう、と烈震龍姫は思った。
後者であれば、ある意味で“嵐”の中心であり“太陽”とも呼べる存在だ。
誰も彼も放っておけない。中心で誰かを惹きつけ――振り回すつもりがなくとも勝手に周りが回っていく。
きっと恒久的な平和は、周りから崩されて望めないのだろう。
「こんなヘンタイストーカーに好かれるなんて可哀そう……」
「だから! 男同士の友情を変な曲解しないでもらえませんかね!」
※出会っていないため友情も生じていない。




