53 嵐の向こうに待つもの
癒しの風が吹き抜けていく。
強く、早く、首都バーレイから大陸中に向けて浄化の風が奔る。
目を閉じてしまうほどの衝撃波となって、何度も洗い流していく。
アンバードの首都バーレイを中心に、ヴェルミやマルテ、フォン=ファルガンといった国々までもがその風と、降り注ぐ光の粒子に包まれていった。
ヴァーミリアル大陸全土とまではいかなかったが、大部分が浄化された。
逃げ遅れた邪悪な影は、怨嗟の言葉を口にするまでもなく、消えていく。
これにて、決着が付いた――とは誰も思わなかった。
しかし、暫くは平穏が訪れるとは思いたかったようだ。
激闘の日々は身体だけではなく、精神まで摩耗させる。
どこか温泉で療養もありだろう、と思った矢先である――。
つくづく、運命を司る神々に嫌われているのか――あるいは逆にの寵愛を受けているのか。騒乱が終わった後に、また新しい災禍の嵐がやって来る。
怪獣の鳴き声。
人々の悲鳴。
風が翔け抜けた後の、静寂を破るように木霊する。
この場に居合わせる多くは、何が起きたのか予想はできた。
『……悪あがき、か』
颯汰が呟く。
敵勢力を一掃する浄化の風――。
これを発動させないが為に、颯汰たちの邪魔をした黒幕“ゴモラ教団”。
それらが、今この騒ぎまでをも起こしていると見抜いた。
裏で糸を引き、バルクード・クレイモスら三大貴族を唆して内乱まで起こさせた邪悪な存在――奴らは人間ではない、という証言に対し颯汰は不思議と疑う気持ちが無かった。それは精神性の話だけではなく、あの黒泥を操るようなものが人間のはずがない。
やられたくない一斉浄化を実行されたならば、敵の行動は決まっている。――最後の最後の悪あがき。あるいは、逃走までの時間稼ぎだろうか。
突風から逃げるのは難しいが、範囲外まで逃げた後――追撃を避けるために、颯汰たちを首都に釘付けにしたいのだろう。
「陛下、敵です」
紅蓮の魔王が恭しく告げる。
『鉄蜘蛛ですか』
「はい」
『……幼体ですかね?』
「いえ、成体ですね。あの巨大な方」
『……。…………みんなで協力すれば、問題ないか』
今、アンバードは最大戦力が集まった状態にある。
騎士団も集合しているから、首都の防衛は万全である。
颯汰の右腕は完全ではないが、それでも変身までは可能で戦える状態だ。
勿論、それでも鉄蜘蛛は油断ならぬ怪物ではある。
『王さまもきちんと働いてくださいよ』
「フッ……、畏まりました陛下」
『うわ、胡散くさっ。絶対、手を抜くやつだ』
わりと未だに信用されていないことに肩をすくめる紅蓮の魔王。
「陛下のことを心より想っている家臣のつもりなんですが。悲しいですね」
飄々としている魔王が、セリフだけは悲しんだふりをし始めた。
だからそこで颯汰が噛みついた。
『アンタが信用ならないのは今までの行動にあるんだよ! 今回だっていつの間にか勝手にバーレイでも、捏造した映像を放映しやがってよぉ!!』
ニヴァリス帝国が首都・ガラッシアにて、民たちを皇帝の洗脳を解くために流された映像。神格化された皇帝を失墜させるために、ヴラド帝が裏でやっていた悪事を明らかにした証拠映像の方ではなく、颯汰を支配者として担ぐために流したガッツリ編集された映像の方である。
颯汰たちが鉄蜘蛛、白のギガス、バルクード・クレイモスと連戦している間の犯行であった。
紅蓮の魔王は、ニヴァリスでやった同じ手段を、アンバードでもやりやがっていた。
さらに、今回はガラッシアで流したものと、加えて戦闘まで生放送していたのである。
この魔王、しばらく出番がなかった内、大人しいふりをして大胆な行動を取っていた。まったく油断ならない男である。
颯汰も、やけに鉄蜘蛛やバルクード公を撃破した報せが国中に素早く浸透したなと思っていたが、そのカラクリを知って一度発狂していた。
「捏造ではありませんよ。事実を流しただけです」
『意図的に誤解を生もうとしている編集は捏造だよ!? なんでそんなことするの! 怖いんだけど! 人権侵害だよ!?』
事実に基づいたものにちょっとばかり盛るのも、それは既に正しい情報とは言えなくなっている。
ちなみに紅蓮の魔王に詰めるのは颯汰だけではなく、今回はリズも無言で抗議をしていた。プロモーションビデオに『闇の勇者リーゼロッテ編』が追加され、本人の許可なく放映されたと、民の反応で知ったらしい。鋼の腹筋に拳を当てても、殴った手の方が痛い始末。やはり人体じゃない。痛めて拳を抑えながら膝から崩れ落ちるリズを、心配そうに颯汰は見ていた。
実のところ内乱が起きて未だ情報が錯綜していた民たちを安心させるために、紅蓮の魔王が思いやりの気持ちで放映と中継映像を放送していたのであった。一応は善意。
ただ問題は、白の巨神戦なども中継してモニターに流すのを首都バーレイどころかアンバード領内のすべての集落、さらに実質支配下に置いた隣国ヴェルミの首都ベルンにまで流していた。その事実はここに居る人間たちは知らされていない。せいぜい首都までだろうと思い込んでいた。
『どうせアンタ、ひとりで倒せるだろ。パパッと片づけてよ』
「ハハハ。無茶を仰る」
実力を知っているから確実にできると思うが、本当に危機的状況にならないとやってくれないだろう。
『……これが終われば、しばらく休ませて貰いますよ。もう戦い疲れました』
「……ふふ」
『ちょっと含みのある笑いを口にしながら目ェ逸らすんじゃあないよ! ……あぁ、もう、そりゃ一国の王様なんか、いろいろ大変なんだろうなぁ! だから嫌だったっていうのに』
座して全てが回る訳がない。
国の代表として、運営側として働かなければならないのだ。
一番厄介な目の上のたん瘤は処理できたが、他にもやらなければならない事が残っている。結局、自由や休息は少しまだ先になりそうだ。
「陛下――!」
伝令のものが早馬にて現れる。
慌てて馬上から降りようとするところに颯汰は言う。
『鉄蜘蛛ですね』
「! そ、そうです! 東に、いきなり出現したとの報告が!」
『根を断たねば、また仕掛けられるか……』
颯汰が呟く。
敵の追撃を真剣に思案しなければならない。
――黒幕たち・敵が集団ならば、どこかへ逃げた痕跡が残るはず。あの風で消えたヒトやらがどこかへ向かおうとしていた場所……そこがヒントとなるかも? いや、最初からこの大陸から離れた地点で敵を操っていた可能性もあるか。……どちらにしても、こう遠隔で嫌がらせを続けられたら困る。改めて、何か手を打たねば……。鉄蜘蛛の生産地点を割り出す必要もあるだろうなぁ
颯汰は顎に手を当てて考えてから、王として命令を下す。
『今の時刻なら、騎士たちは西門近くで行進中か……。各騎士団を首都外壁周辺へ、警護の強化と並びに民間人への避難指示を』
「ハッ――!」
『俺たちも行こう』
颯汰の言葉にリズは肯き、シロすけは鳴いた。
すぐに出撃できる準備は整っている様子だ。
『レラさん』
「はいよ」
『すいませんが高台で周辺を見てください。必要と判断したならば狙撃を』
「おうよ国王陛下さまさま、っと不敬であると周りにどやされる前に、おじさんは退散退散~」
レライエが颯汰に敬礼した後、移動を始めた。
一度、颯汰の命を狙ってきた男であるが、命を救った男でもある。
そんな狙撃の名手が必要な事態にならないとは颯汰は思ってはいた。敵も戦力が最初からあるならば既に投入していただろう。それでも万が一の可能性もあるため周辺を監視してもらい、状況に応じて援護射撃をするように要請した。
「わ、妾は!?」
北方から先んじてやって来た、氷麗の魔王の分身であるバーバヤガ。
そろそろ帰った方がいいんじゃないかな、と口にすると後が恐くなる。
見た目こそ幼子であるが、充分に戦える子ではある。というか颯汰も真正面からでは勝てない。
颯汰は考えたふりをしながら、元から決めていた役割を彼女に与えることにする。
部外者なんだから帰れと言ったら、間違いなく後で氷漬けから斬り刻まれるゆえ――。
『一番、大事なミッションを課そう』
「おぉ!」
『みんなを守ること。これが一番大事な役割だ。できるかな』
「ふふふバカにするでないぞ! そんなもの楽勝じゃ! ぜんぶ妾に任せるのじゃ!」
単純に喜んでくれて微笑ましいが、実際のところ非常に助かる。
颯汰的には一応は他国からのゲストなので戦わせたくないというのもあるから、直接戦闘は避けさせた。小さな女の子だが魔王の片鱗を見せる闘法は知らぬ者たちが恐がってしまうのも理由のひとつであった。
『他のみんなも住民の避難を手伝ってください』
敵が迫っている今はぼんやりしていられない。
命令を口にしながらも身体はそこへ向かおうとしていた。
リズとシロすけの準備が既にできていて、共に飛翔し始める。
風の流線型のボードはあっという間に上空へ、滑るようにかっ飛んで行った。
「あれが、ソウタ……」
「あらら。随分と様になった感じねー」
英雄の子と妖艶な魔女が、彼の少年の成長ぶりに驚いている。
ほんの少しだけ偽りの王として職務を齧った程度ではあった颯汰だが、戦いを経て精神的に前進した部分があったように見えた。バルクード公から背負いたくない重荷を与えられた今は、精一杯やれるだけやろうと決めていた。ただ……、
――頑張ろう、代わりの王が見つかるまで……!
この期に及んで、隙あらば逃げるつもりであった。大事なものを託された身であるのだが、民が他の者こそが王に相応しいと思ったならば、潔く退位するつもり満々であった。それを知ったら亡きバルクード公も浮かばれない事だろう。
上空――古城の尖塔よりも少し上まで来た。
星輝晶から発生した衝撃波で空気の流れが変わり、澄み渡って少し冷たく感じた。
バーレイを囲う壁の先、遠くからでも狂気の化身が迫るのが見える。
『いたな。まだ近くないケド、射程範囲内だ。――急いで迎え撃とう』
鋼鉄の機蟲は王都に向かって侵攻を始めようとしていた。
地面を踏みしめて進む巨影が揺れる。
『街を巻き込まないため、迂回して背面から攻めた方がいいか。頼む』
颯汰の指示に、リズは従ってボードが斜めに向いた。
正面から突っ込むとそのまま熱線を放射されて危険性がある。戦う位置を考えなければ、首都を巻き込んでしまうだろう。
上空から、弧を描きながら接近し攻撃行動を始めようとした。
一気に加速し、颯汰はリズの身体に極力触れないように服の肩あたりを掴み、脚は赫雷のエネルギーフィールドを展開して風のボードに吸着するようにして固定した。超スピードでの飛行に、慣れるには少しばかり時間を要するだろう。
風が世界を巡ったあと、風に乗って飛んでいく。
鉄蜘蛛の全容が明らかになっていないが、何かしら感知するシステムはあるようだ。既に察知されているかもしれないが、大きく逸れながら進めば首都よりも此方を狙うだろうという考えに基づいた軌道を進んでいた。
「……きゅ?」
シロすけの鳴き声。
なんだあれは、と声に反応して“何か”を見つけた颯汰が口にする。
上空から見下ろす首都の東門。
逃げ惑う民衆でも、急いで駆けつけようとしている兵たちでもない。
門の上に、人間が立つべき場所じゃない位置に、誰かがいる。
一瞬、この緊急時にアホみたいな位置に立つ輩なんて紅蓮の魔王ぐらいだろと颯汰は思ったが、颯汰たちと逆方向から攻めようと紅い光が飛行しているのが目に映った。
『紅蓮の魔王じゃない……一体、誰だ?』
勇者であるリズが眼に捉えたその瞬間、衝動に襲われる。
血が沸き立つ、意識が闇に呑まれかける。
強い衝動に正気が奪われかけた。
『大丈夫!?』
颯汰の声で、リーゼロッテはハッと意識を取り戻す。
彼女は、口の中から何かが這いでそうな、気持ちの悪い感覚にも襲われていた。
それを呑み込むように口を押え、親指を立てて返す。
『お、降りよう! 一旦、な?』
どう見ても大丈夫じゃない。
早急に降りて休ませるべきだと颯汰は判断した。尋常じゃない雰囲気だ。
青ざめて、呼吸の音が荒い。
それは――混ざっている存在や半端なもの、契約関係となったからこそ抑えられていたものであった。
リズは首を横に振る。
彼の好意にべたべたに甘えたかったがそうはいかない。
ただ休んで直るものではないと知っていたからだ。
原因を、取り除かねば晴れることはない、と――。
「……なるほど」
一方で、紅蓮の魔王も感じ取った。
彼は元々は光の勇者。片割れである闇の勇者のリズが感じ取ったものを、彼も察知できるのは当然であったと言える。
それは、人影であった。
東門の上に立つもの。
フード付きの外套を纏った旅人にも見えるし、地獄の亡者にも見えた。
ある意味、後者に近い。
この世界に召喚され、前世の記憶を有していたのだから――。
「王権!」
旅人である男は叫んだ。
何も持っていない右手に、光が集まって形成されるベルト。
見窄らしい格好に合わぬ、宝石と豪華な装飾がされた王の証。
『なっ……!』
少し遠く離れた空にいる颯汰が目を剥いた。
口にした文言、さらにその手に握られた王の証にて正体に気づいた。
「チェーンジっ!!」
男がベルトを装着してからポーズを取って言う。
その後、おもむろに手を前に交差し、間を置いてから一気に下ろした。
すると、男であったものが姿を変える。
色は灰色が多い。尖った石や岩を繋ぎ合わせたような戦士であった。
『猛き豊穣の主!!』
男の声が、耳朶を超えて脳に直接、響き渡る。
胸部にオレンジ色の鉱石が輝いている。
何よりも最大の特徴は、おそらく同じ種類の鉱石が顔にある事だろう。
顔面の大部分が鉱石であり、それはまるで“一つ目”のように思えた。
単眼の魔神となった男は、さらに両手を真上に掲げる。
すると、腰部のベルト――《王権》の中心に、緑色の宝石が出現した。さらに、その宝石から飛び出していく煌めきがあった。
鳥を思わせる形状にカッティングされた緑の宝石が、生き物のように飛んでいた。羽を広げ自由に舞い、姿を変えた。他の王権同様に、装甲板となって降りていき、単眼の戦士と合体する。
『魔王……!?』
颯汰が呟き、リズは深刻そうで苦し気な顔で肯く。
戦士の胸部、腕部、脚部と様々な箇所に濃いめのクリアグリーンが煌めいた。
無骨さが目立つ頭部も、鳥を思わす意匠のものが装着された。
纏った戦士は、背中の深緑の翼を広げ、足元の門を蹴った。
『――行くぜッ!!!!』
宙に駆け、飛翔する『魔王』――転生者。
正面の巨蟲・鉄蜘蛛は、急接近する正体不明の存在に対し、迎撃行動を取った。
口部を開き、熱線を放たんとする。
新たな魔王は、飛びながら腰部の追加アーマーから武装を取り出した。
遠くであるし眩しく光っているせいで見にくいが、それは銃器の類いのようであった。オレンジの光線に見えた。だがそれは光の尾を引く実弾であり、数発放たれた弾丸が鉄蜘蛛の頭部や首に直撃した。
鉄蜘蛛の装甲が、抉れるような傷が付き、表面装甲を貫通した弾丸――宝石が内部に刺さって――鉄蜘蛛が口からビームを放とうとしてエネルギーを溜めていたせいか、あるいは宝石自体が爆ぜるようになっていたのか、内部で爆発が起きた。
黒煙が上がり、のたうつように頭を上にして叫ぶ鉄蜘蛛。
その隙をつくように、魔王は接近した。
『これでトドメだ!』――チャージアップ! フルドライブ&ディスチャージ! ファファファ、ファイナル・アタック!!
なんか知らない音声が聞こえてきた。たぶんあの腰に巻いた王権から鳴っているだろうということは、大抵の男の子ならば察知できる。結構うるさく喋るタイプだ。ちょっと流暢でノリノリなのが若干鼻につく。
宝石の煌めきと同じ輝きに包まれた男は加速する。
光は昇り、巨蟲・鉄蜘蛛の背部に向かって落下した。光の塊が激突した衝撃に、脚だけでは支えきれず、地べたに着く機械仕掛けの怪物。
輝きを放つ魔王が、鉄蜘蛛の背から飛び立つ。
大空を翔け両翼を伸ばし切り、誰に向けてなのかわからない決めポーズを取った途端、地に堕ちた鉄蜘蛛が今度は、大規模な爆発を起こしたのであった。
赤と橙、黄が混じった炎が大きく上がり、爆風と伴う熱が空を飛んでいた颯汰たちまで届くほどであった。
『なんてやつだ……!』
ヒロイックな格好で現れた魔王が、速攻で鉄蜘蛛を撃破してみせた。
だけど姿がそれらしくとも、魔王には変わりない。
転生者――それは黄泉の門を潜り、欲界の水底より這い出たとされる異世界からの来訪者。欲望のまま力を振るう姿、精神性までもが人ならざる怪物である。たとえ生前、善性に満ちた者であったとしても――強すぎる欲望と、他者を圧倒できる力があった場合、人間がそれを保つことは難しい。
『ほう。貴様がこの国の魔王か』
空中で佇んでいた魔王が颯汰たちに気づいて、指をさした。
緊張が走る。ジッと額に汗が浮かび、口の中がカラカラに渇いていく。
どうあれ、他の魔王と合わねば颯汰の願い――異世界からの帰還は果たせない。だからいずれは目的の魔王と遭遇するまで、魔王たちと出会う必要はあったが、あまりにも忙しい時期の、急な出現に困惑を隠せない。
騒乱が過ぎ去ったと思えたアンバード王国。
だが、この国は未だ嵐の中にあった。
向こうに待つ平穏は、どうやらまだ遠いようだ――。
25/10/04
ルビの修正




