52 真なる王へ
ヴァーミリアル大陸西部・アンバード領内。
首都バーレイにて。
嵐のような日々がやっと落ち着いたかに思えた。
しかし、首都は熱狂に包まれている。
戦いが終結し、遠征していた王たちが帰還を果たした。
軍勢と共に凱旋し、人々は歓声で彼らを迎え入れている。
歩兵も騎兵も堂々と歩み、“王”は専用の車両に乗せられている。
ニヴァリス帝国のモノと比べると、技術体系が異なりすぎるからやや古めかしい感じがするけれど、立派なウマに牽かれているし、馬車の造りは豪華であった。
「……」
普段ならば、小言を口にしたり不機嫌そうにむっつりとした顔つきとなるはずの王――立花颯汰であるが、此度はやや違っていた。
首都の復興も完全に終わっていないのであるから、こんなことにコストを掛けている余裕はないだろうとは思いつつも、彼は遺言を守るために全うする。
格好は以前の紅く変化した軍服風のものではない。小さな王にも似合う、白と青の王衣を纏ったスタイルとなっていた。馬子にも衣裳。かなり様となっていた。
行進は中央の大通りを抜け、王城へと向かって行く。
城の修復は未だ終えていない。
王命として、首都を囲う防壁や家々などの建物の建築を優先させた。
崩壊の痕――激闘の痕跡がここからでも見える。
それでも民にとって、崩れた王城へと向かう新たな王の姿は、誇りであった。
……――
……――
……――
二日前。荒地の平原にて。
鉄蜘蛛、戦女神、乱を起こした武人――。
それらと戦った日の夜である。
ふらついた足取りで、颯汰は倒したバルクード・クレイモスに近づいた。
トドメを刺そうと動いたと思った者も中にはいたが、そのために接近したのではない。
倒れたバルクードの兜が転がり、素顔を覗かせる。
『……!』
やけに若いと思ったが、空気が萎むように活力が抜けていく。
顔にしわが急激に増えて、バルクードは老け込んでいった。
呪いが解け、元の姿へと戻ったのである。颯汰は驚いてはいたが、それよりも彼の前で跪き、“治療”を始めようとした。師匠から受けた回復の魔法を、与えられた力を発動しようとした。
手から溢れるはずの爽やかな緑の光が、ほんとうに淡く、弱々しいものであった。
回復量はゼロではない。ただ、明らかに出力が足りていないのが誰の目で見てもわかるほどであった。
『返したから弱い……! ファング! 今ここで、あの回復術の再現を!』
脳裏に浮かぶは師匠である“湖の貴婦人”とのやり取り。
彼女に預かったものの大半と、それ以上に与え返した。
他者を回復させる魔法の原型は習得できたものの、瞬時に傷を塞いだり、時を遡ったかのような、身体を元に戻すほどの技術は会得できていない。
ともかく必死であった。
残った記憶から、完全な回復魔法を引き出して使おうとする。
死の淵へと向かう男を、颯汰は引きずり上げようとした。
「やめ、ろ……」
掠れた男の声が聞こえた。
「寿、命……だ。言ったで、あろう。わしに、未来が、ない、と……」
『アンタは、それで、いいのかよ……!』
颯汰が、声を絞り出す。
制止するよう開いた手を突き付けられて、颯汰の手のひらから光が弱まって消えていった。
乱を起こされた王が、乱を起こした張本人に泣きそうな顔で問う。
「そのための、命だ。泥なぞを受け入れたのも、あとは死に行くだけの身体を動かすため。すべては、アンバードの未来のため、よ」
恐るべき男であった。
ある意味で、他の貴族たち同様に欲望に従ったのだ。
バルクード・クレイモスはアンバードという国を存続させるために、汚れ仕事を引き受けたのだ。
『そのために……、そのために内乱を起こして、悪役を気取ったのか』
「悪役、か。そうさな。浮き彫りとなったであろう? それと、裏のモノたちとの繋がりも見えた。手は、一応打ったが、漏れもあるだろう。あとは貴様に任せると、するぞ」
黒幕に従うふりをして、国を守るために悪役を買って出たバルクード・クレイモス公爵。敵と繋がっていた貴族――国に住まう善良な人々を脅かす存在を炙り出し、裏で処理をしていた。
さらに、此度の乱で三大貴族に脅されて仲間に入った騎士たち、また流された者たちは『無能で傲慢な力任せの老害たるバルクード・クレイモス』よりも、『外敵をその大いなる力で排除した若き王』を支持するようにも、仕向けたのである。
つまりバルクード・クレイモスは――国を巻き込んだ大混乱を起こして、国をひとつにまとめ上げようと仕掛けた。しかもそれを成功させたのである。なんと恐ろしい男であろうか。
すべてはアンバードという国の未来を想っての行動だった。
かつてバルクード老は、迅雷の魔王が王位を簒奪した際はこの世に絶望し、持病が悪化して歩行すら困難な状態となってしまっていた。
残りの命は僅かと悟るバルクードであったというのに、彼は死に際までもこの国の未来を憂いていた。
そんなときに、“希望”を視てしまった。
立つことすら自力では不可能であったが、家具や壁を伝って近づいた窓の先へ。
バルクード公も、大空に昇っていく“大蛇”を見たのであった。
彼の竜蛇を見て神と信奉した鬼人族もいたが、それとほぼ同じ感情を抱いた者が、そこにもいたのであった。
それを、寿命が近いものだから勝手に抱いた幻想だったかもしれない、とまでバルクード・クレイモスは理解しつつも、“魔王を討った存在”の情報を集めるよう指示を出した。医者もここまでの回復を奇跡だと言うほどには、積極的に“王”を調査させて資料を読んでいたそうだ。夢中なことがあると、ある程度までは人間は若返ることができるという証明であった。
そこで彼は『タチバナ・ソウタなる者は、王位に興味がない』という事を知る。
――それでは、ならぬ
王者の血統が絶えていないとバルクードは知っていたが、力無き王は不要だと断じた。
それでは外敵から人々を護ることができない。
それにアンバードという国自体が、強く新たな時代の価値観に対応できる国となる必要があった。
魔族と称されたものたちだけで生きるには、少しばかり厳しい世界となった。
――転生者という厄介な怪物を払う力も要る。
据えるべき“王”は決まっていた。
だからこそ、この男は最期に大立ち回りを演じて見せた。
民に、『誰が必要なのか』を理解してもらう為でもある。
そこに犠牲もあったし、悪逆もあった。
知っている人間も傷ついたり、死んだりしてしまった――。
最善の手段ではなかったかもしれない。
大事のために小事を斬り捨てるといった行動を、喜ぶ颯汰ではない。
それでもバルクードは国を仇なす黒幕を利用して、邪魔な勢力を削りつつ纏めつつ、力のある者が責任を果たすように誘導してみせた。
国の未来を、颯汰に託したのである。
「頼むぞ、王よ」
目配せをしなくとも、彼に大太刀を渡した者が運んでくる。それは濃い赤色の布の上に金の冠。立ち上がろうとするバルクードに、颯汰は咄嗟に手と肩を貸した。バルクード・クレイモスは「すまない」と、力無い声で言った。
そのまま寝ていろ、とは思ったが、彼がしようとした行動がわかった颯汰は、静かに彼を支えることにした。
今にも消え入りそうな男が、震える手で冠を掴んだ。
鎧は重く、この顔つきの老人が着ていて動けるように思えなかったが、彼は最期までやり切るつもりだったのだ。
「本来、向かい合って、やる儀式だが……」
かさかさに乾燥したか細い枯れ枝の指にて、掴んだ冠をどうにか颯汰の頭に乗せる。鉱石が多く採れるアンバードならではの、宝石が飾りとして各所に施された金色の王冠。細かい意匠までも職人が手作業で製作した豪奢な冠であった。
『重たいものを、押し付けるな』
颯汰はそう言ったものの、心からの拒絶などできなかった。
今にも旅立ちそうな男へ強い言葉をかけられないというのもあっただろうが、彼の願いに気付いたゆえだろう。
颯汰に重大な責任を押し付けた事に成功したバルクード老は、とても満足そうに笑んでいた。
これで最期の仕事を終えた。
人生の最盛期に戻って、長くない時間を懸命に生きてきた。
『息子の……、ベリトさんにどう伝える?』
「あれは、……うむ。任せる」
バルクード・クレイモスは下ろしてくれと手で合図を出し、颯汰はそれに従って彼を地面に座らせた。重たそうな鎧ではあるが、彼にとって大事な品であり、きっと外すことは嫌がる。
『任せる?』
「……民や、他の者には、内密に、な……。墓場まで持っていった方が、都合が良い。……だが、あれとその母には、わしはあまり、良くして、やれなかったでな。……嫌われておっても、息子のまえでかっこう、つけたい、ものだ」
『……そういうものか』
そういうものである。素直に「真実を息子にだけ明かして」と言えないのも、不器用な父らしさが窺える。
「すまんな、王よ。アンバードを、このせかいを、わが子を、たのんだ、ぞ」
霞む視界。夜の闇よりも深い黒に沈んでいく。もはや何も見えなくなっていたはずのバルクードのはずであったが、彼は輝く星々を見つめていた。過去と未来、過ぎ去った記憶と見果てぬ夢想――。アンバードという国の繁栄と栄華に思いを馳せていた。
『……!』
颯汰たちから少し離れた地点で、見覚えのある光の煌めきが見えた。
月光より輝く仙界への門が開き、そこから件の息子たちが現れた。月明かりがあるとはいえ夜の空の下――百ムート以上の距離にいるというのに颯汰の“獣の眼”は確かに彼らを捉えたのである。
『来た、ベリトさんたちだ。おい、アンタまだ、喋ることがあるだ……――』
光の方向から視線をバルクードに移したとき、颯汰の言葉が絶えた。
『――……、してやられた、か』
戦いを制したのは颯汰たちであるが、すべてバルクードの描いた画の通りとなった。
敵も味方も出し抜いた武人。アンバードが三大貴族の名は伊達ではなかったということだろう。
温度を失っていくクレイモス公。
雲は散り、雫なぞ落ちなくとも、多くの者たちの心の中で雨は降り始めていた。
――……
――……
――……
頭に冠を戴き、真なる王として都に訪れた。
まったくしてやられたものである。
颯汰は、愛国者であるバルクード・クレイモスに一杯食わされた形となった。
本当のところは、内乱の問題を終わらせればアルゲンエウス大陸に行って、隠遁生活じみたことを始めようと思っていたのだが、それも叶わぬ夢となった。
冷静に考えて、座して待ち――異世界から帰る手段を他国の権力を使って手に入れるのも、なんだか気が引けるというもの。動けるのにだらけて待つという行為そのものがシンプルにダサいと思ったから、これはこれで良いものとして、颯汰は自身を納得させた。
「……酔狂なものだ」
「きゅうきゅう」
颯汰の呟きに、左肩に乗ったシロすけが鳴いた。
未だパレードは続き、歓声が飛び交っている。
異世界から訪れた見た目・人族の得体のしれない少年を王に据えるなぞ、バカげている。ニヴァリス帝国といい、下手に権力を持つと目が曇ってしまうのだろうか、と颯汰はバーレイに向かっている道中にも毒づいていた。
しかし、都に到着後からは劇的に文句が減った。
今の、照れ隠しの発言ぐらいだろう。
大勢の人々に見られて緊張しているのもあるのだが、偽りの王ではなく――アンバードの国王として、この地に君臨する事を受け入れたゆえだ。
だからこそ、口にする言葉と表情は違っていた。
鉄蜘蛛討伐の報が国に回るのが早いなとは思いつつも、それ以上に颯汰は首都を目指すことに意識を優先させていた。
行進する騎士たちは別途でパレードを続行させて、颯汰たちは別れて進む。民たちの迎えが途絶えた古城への路を進んでいくのだ。
馬車は五台。
紅蓮の魔王とアスタルテ、ヒルデブルク王女にコックムのメイド衆。なんかちょっと大きいクマさんのぬいぐるみ(inダリウス公のヘッド)。
闇の勇者リズとセレナ、ベリトなど東部攻略メンバー。
魔女グレモリーなどの魔女の夜の支援者たち。
エリゴスやファラス、レライエやクロなどなど……結構な大所帯となっていた。
先頭が颯汰が乗っているもので、あとは別の経路から合流した幌馬車であった。旅用のそれらに仲間たちが乗っている。どうにかみんなで首都に戻って来れた。
城へと続く道路も結構ガタガタである。戦の傷と言うより、呪われた怪物が暴れた痕が、生々しく残っていた。
そうして辿り着く古城の門の先――。
赤い結晶物が宙から出現し、ゆったりと横に自転しながら降りてくる。
それはこの地を“魔王”が支配した証。大きさは人体と変わりないほどであった。本来の主は颯汰の後方で腕を組んでるどことなく怪しげな神父の格好をしている男であるが、民たちの支持は“銀嶺の王”――立花颯汰に向いている。
颯汰は『デザイア・フォース』にて変身した。
王衣も変化し、白は銀に変わり、青に金の刺繍の模様が浮かぶ。
これこそが“銀嶺の王”――己を王と認め、全霊を尽くすと誓った者としてここに居る。
颯汰は左腕の『亜空の柩』に触れた。
内部に収納していたドラゴン・スケイルを取り出す。竜種の王者である颶風王龍ちゃんに渡されたものだ。これにて邪気を払う――黒泥の残滓や、影に隠れている外敵――“ゴモラ教団”を一掃する。
そして、その範囲を大陸中に広げるために眼前の結晶物『星輝晶』を用いるのである。
竜の鱗――緑の宝石のようなものを、赤の結晶物に近づける。
『始めてくれ』
颯汰は『星輝晶』のガイド役である口悪メイド型アンドロイド、クォーツロイドと呼ばれる機体に頼む。彼女はメイドらしい所作で一礼をし、命令を受諾して実行する。
彼女が結晶物に向かって開いた両手を向けると、起動する。赤の結晶は光り始め、翡翠のような竜鱗が結晶の内部へと移し始めたのだ。
鱗を吸収した星輝晶は逆向きに回転を始めながら上昇していく。上空の遥か高く――古城の頂辺にある尖塔よりも高い位置まで上がっていった。
そして星輝晶が光を放ちながら、衝撃波を発生させる。円形に放射される突風が国中に広がっていく。
竜鱗と同じ色合いの風を、波紋のように伝播させたのだ。
一定周期で広がるは、邪悪を払う浄化の風である。
風に運ばれる、きらきらとした光の粒子。それは雪の煌めきとも違う、幻想的で美しい光であった。
大陸中に広げるためなのだろうが風の勢いは結構なもので、直下にいる颯汰たちはもろに暴風を食らう形となってしまっていた。そこで、突風に反応するように、颯汰とリズが颶風王龍から渡された品が光り始める。首に下げていたペンダントが同色の光を放ちながら結界を展開し始めたのだ。
『風除け。……本当にあの竜、優しいなぁ』
結界の範囲は広く、全員が集まってもまだ余裕がある大きさの半透明のドーム型シールドとなる。
発生した風から身を護るものとして、颶風王龍は颯汰たちにペンダントを予め与えてくれたのだ。
そして、浄化の風はヴァーミリアル大陸を駆け抜けていく――。
王都には処理をしようとしたら独りでに動き出した呪いの黒泥の塊が、多く残っていた。
煌めく風が吹き、光が降り注いだ途端、忽ち泥は縮んでいき、消えていく。
呪いが解かれ始めたのだ。
さらに、音もなく迫るような影が消えていく。
暗躍しようとヒトに化けていたもの、憑りついていた魍魎の類いが浄化されていった。
苦しみだして藻掻くように、自身の顔に爪を立てたり頭を抱えながら消えていくもの、あるいは憑りついた存在だけが除霊されたように消え去った。
颯汰たちの当初の目的がやっと叶ったのである。
現時刻は昼過ぎ。雲ひとつもない透き通る空。
それと似た穏やかで澄み渡る日々がアンバードでやっと始まる。
……誰もがそう思っていた。
次話は来週の予定です。




