51 乱の終結
そして、真に戦いが始まったと言える。
敵の言葉を掻き消した颯汰であったが、完全な無という訳にはいかなかった。とはいえ、その心を悟られるようなほどに剣の速度は鈍っていない。
眼前の敵に対して、防戦一方から積極的に攻めへと転じた姿から――おそらくごく少数の者以外は気づけない。迷いや余計な思考という淀みを感じさせない一太刀を、繰り出している。
バルクード・クレイモス公はそれに応じるように、斬撃の速度が増す。
激しい剣戟の音だけが響く月夜。
風の音がたまに混じるくらいで、人々は押し黙って見守っていた。
バルクードは長剣のリーチを活かし、寄せ付けないように上手く立ち回る。
相対する颯汰は、攻めに転じ始めたが喉元に喰らいつけるほどの接近は許されず、バルクード・クレイモスに攻撃がいなされ続けていた。
――強い
颯汰は静かに思う。
自分の意識が集中しきれていないからこそ、攻めあぐねている。
それに気づいているからこそ、一旦呼吸を整える必要があった。
だが、言葉を交わさぬと決めた猛将の刃は止まらない。
『くっ……』
しかし、さっきの『言葉』に集中できなくてなどという言い訳はダサすぎる。本当に格好がつかない。勝利の為ならばプライドなど簡単に捨てられる男ではあるが、できない理由として他人の言葉であったり、他人の事などを挙げたくなかったのである。
一息つく暇さえ与えられなかった。
呼吸と掛け声、口から出る音は互いにこれぐらいであった。
切り結び、剣だけではなく蹴りや拳だって交える。
颯汰に至ってはさらに道具を躊躇いなく使った。無粋に思えるが、互いのすべてを注ぎ込んだ決闘であるからこそ、スポーツのようなルールなど設けないで戦いは行われていたのだ。
颯汰は首元から右腕に掛かっている布型の霊器『ディアブロ』を用いて、奇襲をかける。敵の左腕を掴みかかろうとするが、長剣によって刻まれた。
しかし、それで終わらない。
左腕から瘴気を飛ばす――黒獄の顎こそが本命である。今度は左側から伸ばされ、同じ挙動で掴みかかる。
同じ手など喰らわぬとして剣で斬り伏せるも、実体が無い霞のように牙は剣をすり抜けていき、再集合した両顎がバルクードの右腕に噛みついた。
籠手でいくらか防げても、牙が肉に届く。
痛みで苦悶して剣に手を放してくれることを、颯汰は初めから期待してはいない。だからこそ間髪入れずに追撃を敢行する。
元よりこのアギトは遠距離で戦うためではなく、自分が得意な距離に持ち込むための掴み攻撃。
鎧を着こんだ武人であろうと、引き寄せる。
だがバルクード・クレイモスも黙ってはいない。
身体が勝手に敵の方へ向かうならば、とその手に持った剣で真っ向から斬り伏せようとしたのだ。
そういったカウンター行動を読まないで、考えなしに引き寄せることを立花颯汰はやらない。
掴まれた無理な姿勢で振るった剣と、右手に持ち替えた上に、自在に形を変えられる布型霊器であるディアブロを用いた疑似的な両手握りを再現して、振るわれる剣。ぶつかり合って火花が散り、バルクードの長剣は大きく上へと弾かれる。
そこへ颯汰が剣を大きく振るった際に生じた回転を活かし、足蹴を捻じ込む。
鎧によって直撃は阻まれたが、衝撃は残るし、公爵は少し後方へ跳ばされる。
さらに、颯汰は一歩、踏み込んだ。
バルクードの態勢が整う前に、右方向から左へと剣が振るわれた。
バルクードは躱すものの、鎧の表面に切り傷が生じる。
とても大事な品であるが、もとより鎧なぞ戦うために使うものである。戦の傷を誉れとすることはあっても、そこで動揺や発狂することもなく、冷静に長剣を用いて返す。
脚を刈るような鋭利な払いを、颯汰は跳び越えはしたのだが、そのままバルクードに攻撃はせず、後方へと下がって距離を取る。直感が罠だと感じ取ったのだ。
「……(引っ掛からなかったか)」
語るは剣でのみ、と宣言した方だからこそ、バルクードは口を閉ざす。
戦えば戦うほど、この青年の姿となった王が未完成だと気づく。それは未熟という意味ではなく、他者とは一線を画す『伸び代』があるという意味だ。
剣術の基礎をしっかりと押さえた教本通りの剣かと思えば、我流なのかあるいは敵を見て学び取ったのか別人のような剣技が垣間見える。状況に応じて最適なものを瞬時に選択しているのだろう。
「……(おそらく、一を教えれば十を知るタイプ。戦いの申し子か)」
ますます面白くなってきた、とさえ公爵は思った。
このままずっと戦えば、自身の武人としての技術をすべて吸い取るのだろう。普通の感性のものであれば、恐ろしく思える事であるが――バルクードは血が滾っていた。
身体が老い、病に伏せて後は死を待つだけであったからこそ、全盛期の肉体で戦えることに喜びを見出していた。歳をとって動かなくなって久しいからこそ、命の奪い合いというのに身体が生命の輝きに満ちている感覚がした。軍人の性か、好敵手と斬り合うという刺激が若き日の記憶を蘇らせるのか。
――このまま、戦い続けたい……なんてな
心の中でそう呟いた。
もし仮に、叶うならば……――。
誰に対して言ったわけでもない独り言。
そのはずだった。
――『いいや、ここで終わりだ』
脳髄に響く嫌な音。よく透る女声なのに、いやに圧し掛かる。
バルクード・クレイモスだけが聞いた声であった。
言葉に反応を示す前に、
「!」
『――!?』
バルクードの兜から血が溢れる。
バイザーの奥、咳をするように喀血した。
それは深い紅色を超えて、限りなく黒に近い色合い。
荒地を穢す、闇夜に溶け込みそうな液体は、落下してびちゃびちゃと音を立てたあと――独りでに動き出す。
「ぐ、ぐぉおおわぁぁあああっ!!」
バルクードは悲鳴を上げた。
剣を捨て、両手で自身の兜に手をかけようとしたが、そのまま絶叫の後――溢れ出す呪いの黒が質量保存の法則を無視して瀑布の濁流となる。
黒い泥がバルクードから噴出する。
泥の泉は半液状で彼の周囲に零れ、そして再集結する。
幾度となく見た、黒い怪物。
埋め込まれた結晶から溢れ出す呪いが形作る恐るべき姿。
だが、見知った工程であったのに、立花颯汰は初めて見る形となる。
汚泥を身に纏う醜悪なる“魔獣”ではある。
だが、頭に兜がついたままだ。
バルクード・クレイモスの鎧を中心に変化したと見える。
呑み込みつつ、各種意匠が名残として表層に再現している。
異様に発達した長い腕。
腹部に並んだ歯もある。
『ふしゅうう……』
吐き切る長い息。音は頭ではなく、変異したバルクード・クレイモスの腹部から聞こえてきた。
突如として変性したバルクードは己の手を握って開き、それを少し見つめた後に、眼前の敵へと迫った。変化に対する驚きといった知性すら失ったのだろうか。
身体の構造からどうやってその速度の跳躍が出るのか疑問であるが、一気に颯汰の前に躍り出た。跳ねる泥人形は表皮から汚泥を散らしながら、地面に付くほどのその長い両腕を振り回した。
剣を弾く硬度、速度と重さが乗った槌として真横から叩き込まれる。
迫る泥を切り崩そうと試みた颯汰が、吹き飛んだ。
攻撃が来ると予め読んでいたため、衝撃を軽減するために合わせて跳び、然程大きく態勢が崩れることもなく――颯汰は着地することに成功した。
異様な外見となった“魔獣”。
多くの騎士たちがバルクードの変身に動揺している。
その中でもリズは、血の気が引いた。未だに手も震え、唇は青くなっていく。
複数の人間を取り込んだ魔獣――カロン達の姿を見て、リズは心的外傷を負っていた。
リズは静かに、首元の赤い輝石に触れる。
自分の心を落ち着かせるための行動なのだろう。
『ころ、せ……』
『喋った……!?』
嫌に反響するバルクード・クレイモスであった化物からの声。
颯汰や魔王たちと似た、耳朶を超えて頭の中に響くものと近しいが、聞こえ方に何か奥にへばりついて残るような、そんな嫌な感覚があった。
『わしを、はやく』
殺意を口にしたのではなく、バルクード公は自身の殺害を頼んだのであった。一体何が起きたのか、想像に難くない。
『……黒幕どもか?』
裏で手引きしている集団。
リズとアスタルテの血を弄び、完成した『呪い』を使う異常者たち。絶対に相容れない邪悪な存在が、バルクードを遠隔にて暴走状態に変えたのだろう。
『このままでは、王都の駒まで暴走してしまう! 手遅れとなる前に!』
三大貴族が武闘派である男は、動き出した脚を、止めようと藻掻いている。自分の意思と反して動く肉体を、懸命に抑え込もうとしていたように映った。踏み出そうとする脚が重く、どうにか前に進もうとしてもぎこちない歩行となっていた。
颯汰の視線が下を向く。
顔の半分を覆う装甲の下、怒りで歯を喰いしばっていた。
憤りに、握った拳が震える。
手を汚さずに他人の心を踏み躙る邪悪な存在に、強い敵意で滾っていた。
颯汰はプロテア・グランディケプスを構える。
雰囲気が、さらに変わったのを悟り、バルクードは颯汰に問うた。
『わしを討て! ――お主は、何者かッ!』
ついに抑えが効かず、敬愛していた王から賜れた長剣を拾い上げた魔獣は、颯汰に向かって投げつけた。
剛速で飛来する剣。
それを颯汰は躱さない。
左腕の瘴気が前面に展開され、飛んできた剣を呑み込むように牙を剥いた。
剣は闇の粒子を通り抜けるが、柄の部分に差し掛かった際に両顎が閉じて、剣は空中で止まった。投擲された武器を受け止めたのだ。剣の切っ先は、颯汰の指先から三、四メルカン(約三、四センチメートル)しかない。上手くキャッチしたあと、颯汰は左腕を動かした。再生が終わらずクリスタル状となっている右手と、纏わりついて一緒に柄を包み込んだ『ディアブロ』によって、バルクードの長剣を颯汰が継いでみせた。
何者か。
その問いに対する答えは……――。
『アンタの、敵だ……!』
その言葉には含みがあったが、それを振り切って前へと進むと決めた。
だから、堂々と剣を構えて斬りかかる。
『天鏡流剣術――始ノ太刀……!』
一刀では真に及ばない。
ならば、二刀にて奥義を放つ。
『――烈蛟牙ッ!!』
距離を詰めて一瞬で放つ二撃を、二刀にて繰り出してみせる。
己の内に居る、目を背けたい『影』――。
その者が放った始剣・蛟牙を、現実にて打ってみせた。
本来ならば、対象を囲むように上下左右の四方から斬撃を同時に当てる奥義であるが、それを長い両手だけに集中して放たれる。
二匹の蛟の牙は両腕を破壊し、さらに続けて奥義を放つ。
それは天鏡流剣術の二刀を用いる“嵐の型”。
さらに魔力を用いるため、“洪の型”でもある奥義。
慣れぬ大太刀の如き長剣をも用いた二刀にて放つは伍之太刀――。
契約した、赤き魔王の焔火を用いた浄化の斬撃。
『――伍之太刀・清姫!』
灼熱の斬撃が、左手の英雄の剣から放たれる。
本来の清姫は、中・遠距離で使う業である。
炎を帯びた衝撃波が地を奔り、通った道を燃やしながら進んでいく斬撃。
颯汰は焔火が宿る剣として、そのまま魔獣に叩き込んだのである。
泥を焼き尽くす熱が、夜空の下で色づいた。
油が燃えて爆ぜるパチパチとした音と、焦げた臭いが漂う。
火達磨となった魔獣の泥が、ボロボロと崩れていく。
そのまま、火炙りにして殺すために打ったのではない。
浄化の焔火で身を清めさせた後、水で洗い流すのだ。
『――伍之太刀・黒姫!』
プロテアを鞘である『亜空の柩』に納め、両手を使って大きく振り回したバルクード・クレイモスの長剣。
伍之太刀は、二刀にてそれぞれを放つ奥義。長剣の方からは水の斬撃。これも本来ならば衝撃波を飛ばすものであった。
水を司る大精霊たる師を思い起こして放った浄化の一太刀。
大火とならんとした浄化の火を鎮める、氾濫による薙ぎ払いとなった。
バルクードを包んだ炎と共に、泥が洪水にて洗い流されて消えていた。
度重なる連戦と移動で、蓄積した疲労に、奥義を放った颯汰の方がよろけて膝をつく。
それとほぼ同時に、少し奥へと流されたバルクード・クレイモスは元の鎧姿のまま、倒れていた。
決着がつき、荒涼の大地に沈黙が訪れる。
颯汰は剣たちを瘴気と布の手に預け、立ち上がっては仰向けで倒れる“敵”に向かった。
そのタイミングで、遅れてきた者たちが合流するのであった。
ある種の、運命の悪戯であろう。糸を紡ぐ神々がほくそ笑んでいるのかもしれない。
東のカメリア攻略に尽力したセレナと、バルクードの息子であるベリト・クレイモスが、精霊の導きによって仙界の門を通じて現れる。
加えて、冬の魔女を名乗る幼子と魔人族の女、バルクードが処理するために出立させた門閥貴族どもたちまでもが、北の方角からウマに乗ってやって来ていた。
アンバード全土を混乱に陥れた、三大貴族による内乱はここで終結する。
夜は深まっていく中で、月の光だけはまだ、強く地上を照らしていた。




