50 月下の決闘
戦いは終結したと多くの騎士が思った。
荒れ狂う厄災たる怪物――その背から生まれた“神”すら斬り伏せた。
叢雲は散り、月明かりが皓々と照らす。
英雄たちは歓喜に震え、勝鬨をあげていたが、それは次第に弱まっていく。
異変に気付いたのだ。
巨人の首を斬り落とした勇者までもが、臨戦態勢を解いていない。
参戦した各騎士団長もまた、鋭い目つきでいる。
そして、バルクード・クレイモスと立花颯汰が剣呑な空気を醸し出していた。
これから何が起きるのかをわからないほど、鈍い者はこの場に居合わせていない。
「では、死合おうか」
馬上にて、部下から大太刀のような長い剣を渡される。
先々代の王から賜れたのは鎧だけではなかった。
鞘に付いた華美な装飾はやはり好まなかったが、それでもバルクード・クレイモスは大事な局面ではこの刃を抜くことが多かった。
ここが最期の大勝負のときである――。
ゆえに、人馬で運ばれた鞘から抜き放ち、切っ先を“敵”に向ける。
『……戦う理由は』
巨人の亡骸の上に立つ少年王が、クレイモス公に問う。
「我ら、アンバードが三大貴族は、現王を廃せと乱を起こした身ぞ。理由など、今更語る意味があるだろうか」
『――アンタは……』
「問答など、要らぬだろう。我らは敵同士。互いに障害となる鉄蜘蛛めを滅ぼした今、雌雄を決すときだ」
『……頑固オヤジめ』
「わしを殺さねば、あの娘が死ぬだけだ」
娘とはボルヴェルグ・グレンデルの娘――エリゴス・グレンデルを指す。
多くの関係者が人質として三大貴族に囚われてしまっていた。
それらを解放するために戦力を分散させ、一気に攻略を進めていた。その途中に『鉄蜘蛛』という障害によって搔き乱されてしまったが、残すところは首都で捕らわれている者たちだけとなった。
厳重な警備の下にあり、人質を無傷で解放は難しいとされた。
『アンタを殺して解放されるとは限らんだろ』
「そうなるよう、手筈は整えておる。彼奴等にも邪魔などさせん」
さらに今ならハッキリとわかるが、警備の中にバルクードの支配下にある『黒泥』が紛れている。無理に奪還を目指せば、相応に痛い目を見ることになっただろう。そして彼の立ち位置がどうなっているのか、発言から颯汰は確信を得ていた。ゆえにますます戦いづらいという顔となる。
『彼奴等……、黒幕か』
「……いい加減、お主も奴らの足取りを掴みたいところだろう。わしを倒して王都にて奪うといい。いや――」
小型とはいえ、巨神にカウントされる機動兵器――その骸の上に立つ颯汰のところへ、一気に跳躍してみせるバルクード・クレイモス。
距離を詰め、一切の躊躇いのない斬撃を放つ。
「――王座を奪還して見せよ、“銀嶺の王”よ!」
バルクード公は両手で握った長剣を叩きつけたのであった。
脳天から一気に唐竹割りにする勢いで振るう。
颯汰はそれを、英雄の剣を横にして受け止めた。
全盛期の肉体で放たれた縦一閃。並みの剣では耐え切れずに折れ、肉体まで真っ二つにされてしまうことだったろう。
重い一撃を、颯汰は道具などの補助によって受け止める。
深紅の布型霊器であるディアブロと、黒獄の顎にて柄を握る手をサポートしたおかげで、どうんびか両断は避けられた。
「誰も、邪魔をするでないぞ! わしと、この者、どちらが生き残るかの、戦いを――!」
先ほどまで暴れていた女騎士型ロボの上で、バルクード・クレイモスは部下たちに釘を刺す。中には止めようと思った騎士もいたかもしれない。
だが、多くは見守るしかなかった。
自分の意思に反して貴族側に付いた者も、将来的な利益のために付いた者も、人族の見た目である颯汰がアンバードの王であることを認めたくないと思った者たちであっても――鮮烈な彼らの活躍を、認めざるを得なくなっていた。
簒奪者・迅雷の魔王を滅ぼしたうえで、鉄蜘蛛まで討伐した少年王を、否定するにはあまりにも熱が籠ってしまった。
そして対するは三大貴族は悪辣に手駒を増やしたせいで、要らぬ恨みを買っていた。さらに此度のバルクード・クレイモスの指揮は、中々杜撰なものであり、犠牲者も多数出ていた。加えては『黒泥』を操っていた事に対する説明が一部の階級の者を除いてされていなかった事など、不満がじんわりと湧いていた。
しかし表立って離反するには、王都でのバルクード・クレイモスの暴れっぷりは、他の追随を許さないほどであった。
まさに剛撃無双の勇猛将と称えられるほどだ。
それを、今颯汰は身をもって知る。鎧を着たバルクード・クレイモスは、全盛期の肉体とはいえあまりに身軽で軽快な動きで攻めて来ていた。
どうにか斬撃を受け止め、弾く颯汰であったが、まだ戦う心の準備が整っていなかった。ゆえに、バルクードが優勢である。
『くっ……! 降伏は?』
剣戟の中で問う。
三大貴族で残るは彼のみであり、戦力も整った今――三大貴族派の連中の掃討など時間の問題である。ゆえに降伏するように諭すが、バルクード・クレイモスがそんなものを受け入れるわけがなかった。
「甘い男よ! それと何もわしが劣勢とは思わぬ! ここでわしか貴様、どちらかが倒れるまで、戦いは終わらぬよ!」
横一閃、さらにタックルまでかましてくる。
不意の一撃に吹き飛ばされた颯汰であるが、何かわからないけど柔らかい金属という矛盾した物質を背中に受けてダメージは軽減される。足元のある穴を無理矢理広げ、内部は破壊した颯汰であるけれれど、干渉する必要のない残ったものがあった。薄っすら漠然とした死の気配を別方向から複数も受けた気がする颯汰であったが、戦いに集中する。
直後、自分の頭があった場所に向かって突き刺さる剣。
どうにか回避に成功した颯汰であったが、巨人の亡骸の上は戦いづらかった。
だが、今ここで二人で話せる機会はこの場だけだろう。
『アンタの、考えはなんとなくわかった! 別に命までかける必要なんて――』
彼の目的に察しがついていた。
だからこそ、内乱を起こされたというのに――人質を取られているというのに、武器で襲われているというのに、先に説得という選択肢が浮かぶ。
「――どのみち、よ」
『!』
「老いであれ、病であれ、呪いであれ、わしに未来は無い」
言葉を遮り、斬りかかる。
「なれば、この命の使い方はわしが決める! 貴様にも、彼奴等にも好きにさせん!」
人間としての望み――欲望を説く。
『ッ! 死に際に挑んでくる者の相手なんて、正直もう、御免なのにな!』
死期を悟り、死に場所を定めた者は――自身のすべてを燃やし尽くしてくる分、人智を越えた力を発揮する場合があるから厄介だ。その全力をぶつけられる身にもなってほしい。
無益な戦いと思っているのは一方だけであり、武人は長いリーチを活かして攻め続けてくる。
斬撃の嵐の中、防戦一方であった颯汰は咄嗟に刺突をガードする。
剣の腹で受けたが、衝撃で後方に跳び退き、追い詰められる。巨人の足と足の間は広くなく、仮に落とされて上から一方的に攻撃されるのは堪ったものじゃない。
ゆえに、颯汰は自ら左方向に飛び降り着地する。
視線を切らないように降り、剣を構える。
そこへバルクード・クレイモスが飛び込んできた。
落下の勢いを乗せた振り下ろしなど、馬鹿正直に喰らっていられない。
颯汰はそれを回避する。
すぐにバルクード公は長剣を横向きに薙ぎ払う。
刃が掠め、発生した風がひんやりとしていた。
さらに、バルクードは叩き込んでくる連撃には捉まり、颯汰が剣を使って弾き返す。先ほどまでの巨人の亡骸は、足場としてあまり良くなかった。踏ん張りが効かず、ずり落ちる危険性もあったせいで、受ける斬撃も比較的弱まっていたことを知る。今はどっしりと構えて攻撃はさらに鋭く重いものであった。
攻撃を受けつつも、颯汰は対話を止めなかった。
効く望みは薄いが、最後まで手を伸ばし続ける――。
『息子は!? アンタ、跡取り息子がいるんだろ!?』
振るわれた長剣を弾いて返し、一閃を振るって後方に下がらせる。
そして颯汰は続けて言った。
『このままだと、大逆罪の長子として語られ、その次の世代の孫とかまで、一生揶揄されることになるぞ!』
脅しである。
犯罪者の子がどういう扱いを受けるのかは想像したくないものだ。
成人していても人間社会に関わりある限り、“声”は付きまとう。
それが大貴族の家系であれば、一層のこと責められるだろう。
「……あやつめが、そんなヘマをするはずがない」
少しだけ間があった。
付き合いが長い親子ではないが、それでも確信を得て父は語る。
「それに、あやつはわしを嫌っておる。今頃そちら側につく手立てを考え実行しておろう。何かしらの手土産を準備してな。……わしの首辺りであれば最良であっただろうが、それは叶わぬ願いとなった」
中々鋭い、と颯汰は思った。
それでもバルクードは、息子であるベリト・クレイモスがまさか颯汰と会っていて既に貴族派ではなく現王派に付いているとまでは思っていなかったようだ。
ベリトは抜け目ないし、行動が早い男であった。
息子への理解が高かったゆえの思わぬ返しに面を喰らったかたちになるが、ここで動揺してはいけないと理解している颯汰が、何食わぬ顔をして、そこから陰鬱で邪悪な顔をしてさらにひと押し『脅し』を追加する。
『……だがいいのか? アンタが死んだらクレイモス家をすべて潰し、血統の何もかも断ってみせ――』
「――わしに生かそうとしてるものが、そんな残酷な仕打ちができるわけなかろう。なかなかハッタリを通せるような顔つきではあったが、これでも貴族社会が長い身でな。狡猾な蛇どもとの騙し合い、毒に塗れた巣の中で生き抜いたのだ」
たとえ表情を取り繕っていようとも、彼を出し抜くには経験が足りなかったようだ。苦虫を嚙み潰したような顔をした颯汰に、バルクード公はフフッと笑んだ。
覚悟が決まった男に、もはや通じない。
『死ぬ気か』
「先ほどから言っておろう。わしに未来がない、と! 我が欲望とお主の願い、互いにどちらの存在も障害となるだろう!」
斜め下から振り上げられた剣は虚空だけではなく髪の先端を僅かに斬る。回避できた自信があったが、鍛え抜かれた軍人の一太刀は鋭い。
後ろへ退き、着地をする颯汰に向かって追撃はせず、バルクード・クレイモスは疑問をぶつける。
「貴様は、何のために戦っておるのだ」
『は?』
「忘れるな。お前の目的を」
忘れるはずなどない。
そう噛みつこうとする颯汰に、嘲る空気も無い真剣な眼差しで射貫く。
「だが一つ、これは“敵”としてではなく、アンバードに住まう一人の男としての意見だ」
命を奪い合う“敵”の意見を、全部鵜呑みにすることは避けるべきだ。小さな疑念が楔として打ち込まれ、そこからじんわり膨れ上がることが殆どである。『誰しも、信じたい情報に無意識下に流される』と言う者もいるが、だいたいは解消されない問題や謎によって、疑うように仕向けられている。
だから敵の意見を真に受けてはならない。
聞く耳をもってはいけない、と颯汰は思った。
しかし、バルクード・クレイモスの言葉に、颯汰は衝撃を受ける事となる。
「あの娘……グレンデルの小僧の娘を名乗るもの。あれは信用に値するものか?」
『は?』
何を言っているのか、理解ができなかった。
そして、瞬時に切り替える。
敵の戯言を本気にしている場合ではない、と。頭が真っ白になったような困惑は既に吹っ切れ、敵対者を定める目となっていた。
「……さすがだ。わしの言葉に簡単に揺さぶられることもなく、戦いを続行できる。それでこそ求めていた逸材よ。だが一度、しっかりと調べておくのだ。また情報が消されたならば痕跡の有無も確かめておけ」
『……』
何が目的なのか、何を言っているのか。
頭の片隅ではアンサーに近いものが出ているが、それを押し込んでいく。
颯汰が、ここに来て明確に敵意を露わにしたことに兜に隠れた顔の奥で、ほくそ笑んでいた。
静かに告げる。もう戯れとお喋りの時間は終わりである、と。
「話過ぎたな。まったく、余計に体力を使ってしまう。……ここから語るは、剣でのみだ」
男は覚悟が、既にできている。
アンバード――延いてはヴァーミリアル大陸、さらに世界。
その裏で暗躍する邪悪なものたち。それに生かされてしまった時から、バルクードは自身が全うすべき使命を自覚していた。そして、あとは死を待つだけの男であったからこそ、理由のある奇行を続けていた。すべては願いのために、最期の大火をあげんとする。
剣を両手で構える武人。
それを前にして、颯汰も覚悟を決めるしかなかった。




