45 希望の星
月と大地の間隙に、ひびが入って割れる。
空間にガラスが割れたような裂け目ができたのだ。
そして、そこから現れた鋼鉄の殺戮兵器――“鉄蜘蛛”。
行動も、目的も明らかになっていない機械仕掛けの魔物。
産み落とされたように落下してきた鉄蜘蛛は、狂ったまま動き出した。
誰にも理解など求めていない。
鉄蜘蛛は破壊を繰り返すのみであった。
そこへ、武器を取って抵抗するは小さき者ども――否、“英雄”たち。
ヴァーミリアル大陸が二大国がひとつ、アンバードの未来がこの戦いにかかっている。そこへ集まった戦士たちは命を燃やす。
『うぉおおおッ!』
辺りに転がる幼体の遺骸を泥の肉体に取り込み、右腕部に集中させて殴り込む。
黒泥の巨人であるからこそ出来た芸当であった。
気合を込めた一撃。不意打ちを喰らった鉄蜘蛛を吹き飛ばす。
巨体は揺れ、超重量の機動兵器が僅かな間ではあるが地面から離れる。
四足歩行であったため、鉄蜘蛛の態勢を崩すに至らなかったが、バルクード・クレイモスは好機と捉える。
作戦を立て、冷静に戦場を俯瞰し戦術をはめ込む。ただ突撃するだけの男が“武の極”として三大貴族と称される地位まで登り詰められるわけがない。
経験と知識、さらに味方を鼓舞するやり方を心得ているからこそ、周りから信頼を得てきた。そして仲間からの信頼を得るに効果的なのは『共に戦場に居る』という一体感であった。大前提として将などの指揮官が討たれれば軍勢は瓦解する。なので後方の陣に座して指揮を執るのが普通である。
リスクを理解しながらも、前線にて敵と交戦しつつ指揮を執るという異常性を持っていた男だからこそ、瞬時に感情の起伏のオンオフがスイッチで切り替えられるように見えた。
燃え滾るハートを持ちながら、頭の中は凍えるほどクールに振る舞える。
そして今は、激しい熱を帯びたような叫びと共に黒鉄の鉄拳が炸裂させ、さらに追撃を敢行する。考えなしの無謀な突撃ではなく、勝機を逃さないために一気に攻め入ることを選ぶ。巨人ですら見上げるほどの金属の怪物にバルクードは接近し、もう一撃を捻じ込んだ。
巨蟲がさらに動かされ、幼体も何匹か巻き込まれて踏み潰された。騎士たちの視線は巨体に向きがちなところを、各騎士団の号令によって幼体の排除に向かう。
幼体と呼ばれる小型タイプの鉄蜘蛛の主な倒し方は、脚部を破壊して動けなくなったところを、一気に叩くというものだ。ときには機動力があるものが囮として惹きつけ、他の戦士たちが幼体の脚部を破壊し、移動や方向転換をさせないようにするのだ。正面からの粘着弾にも警戒しつつ、後部を変形させて出してくるビーム砲を、優先的に叩いて破壊する。一撃で敵の装甲ごと斬り落とすハルバードなどの、重量を乗せて振るう事で破壊力を高めた武器をメインに作ろうとしていた第八騎士団の考えは正しかったと言える。コーティング武器で鉄蜘蛛の装甲は傷は付けられるが、慣れてない内は一太刀で切断するとなると難しいようだ。
騎士たちは周りの雑魚も掃討する必要もあったが、やはり夜に巨影に揺れ動かれると恐怖の感情を煽られる。巨体によって月明かりをも遮ることで暗明が変わり、空気を揺らす音と駆け抜ける風も怖ろしい。油断すれば一瞬で巨大質量に潰されてしまうという恐さも襲ってくる。それを理解していたバルクード・クレイモスは、できる限り巨蟲・鉄蜘蛛を遠く離れるように追いやり、騎士団長たちはその隙に一気に敵機を撃破していく。
血を流しながらも、敵機を破壊している英雄たちの雄姿に続くために、バルクード・クレイモスはさらに強力な一撃を叩き込もうとする。
だが、敵機動兵器も黙ってはいない。
八つに増設したがその半数以上が破壊された――触手の先端部分から放つビームを放射される。強制的に仙界に召喚させられた挙句に湖の貴婦人に追われたことで戦闘で受けた損傷を回復しきれず、残った三本しか使えないビーム砲であるが、それでも充分な火力であった。
ビームが集中した箇所の泥は赤熱し、ぶくぶくと茹って泡を立てながら膨張して爆ぜる。
巨人の殴り掛かった右腕が吹き飛んだ。その余波――黒泥や金属の破片によって負傷者も出てくるが、誰もが怯まず攻勢に出ようとしている。
脚部から機銃を展開して、周囲の雑魚を蹴散らそうとしたところに邪魔が入る。鉄蜘蛛の一番近い脚部――並ぶ機銃部分に向かって、黒泥の巨人は爆ぜた腕部をそのまま捻じ込んだ。呪われた黒い泥は意思を持つように内部へ侵食し、汚染が広がり機体は悲鳴を上げる。鉄蜘蛛の機銃の各砲門は集中的に巨人を狙い、さらにビーム砲によって追撃が始まった。だがそれを阻む光が奔る。
「そこッ!」
紅玉の瞳にて捉えた。
白銀の髪と褐色の肌――第四騎士団が長、魔人族のビフロンスが投擲するは、颯汰の置き土産。
コーティングされた投槍が闇夜に煌いた。
驚くべきは馬上にて走りながら投げ、正確に触手の一つをぶち抜いたことだろう。ゆらゆらうねるように動くアームを、多少は灯りがあっても夜に五十ムート(約五十メートル)以上の遠距離から当ててみせたのだ。
ぶつんと、触手が切断される音が響き、一基が使い物にならなくなった。
浴びせられるビームを、バルクード・クレイモスは泥の表面部分に幼体の遺骸を展開するように浮かべ、ビームを弾く外皮とした。鉄蜘蛛が放つ光線放射の威力が弱まり、防ぐことに成功する。
長くは持つようなものではないが、反撃のチャンスが到来した。バルクードは四足歩行の怪物の弱点を突く。
『その脚、貰ったぁあッ!』
四つ脚の内、ひとつを破壊すればバランスが崩れる。巨蟲は全身が堅牢ではあるが幼体や参考にしたであろうリアル蜘蛛のような多脚ではないため、一つ壊せば致命的だと判断した。
弾けて崩れた腕をさらに捻じ込み、破壊しようと試みた。脚を壊し移動を封じ、あとは多人数で鉄蜘蛛の身体によじ登ってボコせば倒せる。
その考え自体は正しく、有効な一手ではあった。
戦いだけではなく、何事も『思い込み』は時として最悪の結果を呼ぶ。
ここが決戦の地であると定めたのは、勿論ここを突破されれば首都は壊滅し、アンバードという国が亡びるためでもある。
だが向こうも同じ条件――最大の戦力である殺戮兵器さえ攻略できればそれで済む。それこそが『思い込み』であった。
敵機の妨害よりも先に、呪いは燃え盛る炎のように侵略していく。
幼体は再び全滅し、追加で現れても攻撃行動を取る前に排除されるであろう。
巨蟲・鉄蜘蛛が一機だけでは、ここで決着がついていた。
そう一機だけでは、だ。
闇の中、絶望の赤い光が迸る。夜闇を切り裂く極大の光は周囲を一瞬、炎に包まれた赤い昼のように変えた。
死角から、かなりの遠距離から放たれたビームにバルクード・クレイモスは反応はできたが、泥の肉体が付いて行かず、黒泥の巨人に直撃した。
『ぬっ!? ぐぅぉおおおおおおおッ!?』
膨大な熱量で泥を溶かしていく。
それは以前も喰らったことのある一撃。
放たれた光から逃れるように動いたバルクード。
だが、黒い巨人は爆散するのではなく、極太ビームに焼かれて液状だった泥が固まり、そしてそのまま焼かれて塵になっていった。
そうして、鉄蜘蛛は呪いから脱出ができたのである。
脚部に泥は残りダメージは受けていたが、すぐに故障に至るまでではない。
ナノマシンによる自己修復機能により、休めば修理される程度のダメージであった。
「ま、まさか……!」
騎士たちに動揺が奔る。
直撃した周囲。地面まで溶け、一部は橙色に赤熱している。
光が放たれた地点を追うと、信じられないものがいた。
目を疑うも、そのシルエットに覚えがある。
鎌首の先、夜に輝く赤い複数の眼。
四つの大脚。四つのテンタクルアーム。
離れていても巨躯であることがわかる。
「鉄、蜘蛛……!」「もう一体!?」
「バカな!」「おそれていた事が……」
同型機。細かく言えば傷や触手の数などが異なるが、同じ自律型巨大兵器がいる。
この世界の住人たちは想定していなかったと言うより、頭の中であり得ないとして逃避していたのかもしれない。
人智を越えた殺戮兵器が、複数もいるなんて考えたくないというのは、気持ちとしては理解できる。一方で、立花颯汰は成体と区分された巨蟲・鉄蜘蛛が他にもいるのではないかと疑っていた。交戦中に消えその後、全く別の場所に現れたのは、尋常じゃない速度で移動しているのではなく、初めから複数体いるのでは、と。ただ仙界を自在に移動する手段を有していたことから、本当に一体だけなのかもしれない、と考えを誤って改めていたが。
一体だけでも危険極まりない怪物が、増えた。
幼体には強化した武器でどうにか攻撃が通じたが、成体と呼ばれる巨大兵器に対しては有効ではなかった。
本来は忌み嫌うべき呪われた力であっても、あまり優勢ではないどころか黒泥の巨人はバルクード・クレイモスごと焼き払われてしまった。
「まだだ! 諦めるな英雄たちよ!」
バラバラになって飛び散った黒泥の残り滓みたいなものから、脱出したバルクード・クレイモス。
……若干のしぶとさも、彼の取り柄かもしれない。
熱にやられ、鎧も損傷しながら――焼けて上がらぬ右腕を見せないようにしながら、勇猛なる武将は立ち上がって叫ぶ。
彼が生きていることで潰走はしないが、状況は絶望的であった。
諦めるなと言って、戦況は最悪だ。
「我々が、希望を繋ぐのだ! 時を稼ぎ、奴らを惹きつける!」
虚勢に思える発言であった。
遠くから鉄蜘蛛は合流するために動き出し、ダメージを受けていた個体もまた、小さき者どもを殺しに掛かろうとしている。
紛れもなく苦しい状況をひっくり返す術など、普通は無い。
しかし、彼らの心に燃ゆる燈火は消えていない。
ここで鉄蜘蛛たちを討伐しなければ、国が亡びてしまうという後に退けないのも理由のひとつではある。だが最も大きなものは――三大貴族派としては“敵”であるというのに、期待せざるを得ない希望の星があったのだ。
「皆さん! すぐに、“王”が来ます!」
第四騎士団長ビフロンスが叫ぶ。
「この星の希望たる“勇者”と共に!」
第六騎士団長、獣刃族のマルコシアスも呼応するように続けた。
戦争は人を熱に冒し、正常な思考を奪い、やがて人を人で無くす。その熱量は、人間としての理性を取っ払う、“狂気”となり得る。
このまま進めば、遠からずに死が訪れることだとわかっている。
それでも、人々は戦うことを選ぶしかなかった。
生命の終わりの予感があったとしても、騎士たち――“英雄”たちは武器を取って覚悟を決めていた。
遠方から敵機が迫る。
合流される前にどうにかせねば、敗北は免れない。
戦士たちは泥に侵食されて、機銃が機能をしなくなった脚を狙い始めた。
巨大な杭を思わせる聳え立つ脚部へと殺到する。
そこへ襲い来る機銃の掃射。
別の角度からも迫る銃撃を、防げなかった者から倒れていく。
それでも、振り返ったり泣いたりする暇はない。
家族のために、隣人のために、友のために、明日のために――。
希望を紡ぐために。
「あれは……!」
銃弾の雨を躱しながら接近し、倒れた兵が持っていたコーティング剣を、機銃の一基に向けて投げ込んで破壊したサブナックが空を見上げた。
叢雲から現れ、月光に照らされた希望。
夜空を駆ける流れ星が、降った。
「ふん、待たせ、おって……!」
内乱を起こした張本人であるバルクード・クレイモスが言う。
ボロボロになりながら、兜の奥に隠した表情は清々しい笑みであった。
光の尾を引いた流星は、傷ついた巨蟲・鉄蜘蛛の背部に落下する。
月白の光を背負う銀嶺の王。
深淵の闇を纏う双剣の勇者。
颶風を引き継ぐ次代の竜王。
時の流れが間延びするような感覚の中、彼らは迷いなく動いた。
敵の出現に対応する鉄蜘蛛のテンタクルアームは、風に断たれる。
鉄蜘蛛は自身の首を曲げて、背にいる敵を一掃するために口部を開く。
だが既に踏み込んだ闇の勇者の連撃は、稼動のために薄くならざるを得ない装甲の隙間を通り――木の幹よりも太い首を断つ。
そして、王は剣を左手で掲げた。
英雄ボルヴェルグ・グレンデルの剣。
その名を、プロテア・グランディケプス。
黒い柄に赤い玉石の飾り。刃は月光を受けて輝きを放つ。足場となっている鉄蜘蛛の背に向けて、縦一閃から薙ぎ払うように横にも振られる。
本来の剣の届く範囲を超え、斬撃が敵機を斬り刻んだ。
光を纏う剣は超硬度の装甲を貫き、殺戮兵器――鉄蜘蛛は墜ちていく。




