43 処理
精霊であり剣の師である“湖の貴婦人”が回復を待たず、己の死を受け入れたのには理由があった。
謎の襲撃者との戦いの中で、人間でいう心臓にあたる部位に、呪符が埋め込まれていたのである。
下手に魔力を流し込んだり、除去を試みれば、忽ち呪いという毒素が全身に巡り、上位の精霊とはいえ苦しんだ末の消滅は免れない。
避けられない最期として彼女が取った選択が弟子である颯汰にすべてを託すという行為であったのだ。
であるならば立花颯汰の選択肢など限られている。体内にある呪符を剥がすのと、そこで発生する呪いをすべて一身に受け取ると決めた。
颯汰は呼吸を整え始める。
自身の内側の“獣”と同調し、慎重に事を成さなければならない。
まったく内部の機構が人間のそれと異なるが、手術みたいなものだ。
呪符を摘出し、そこから溢れ出す呪詛まで対処しなければならない。
今や宙に浮かんだ水の玉に姿を変えた師は、このままでは弾けて消える。
大きさはヒトの頭と同じくらいだろうか。
それでも、紛れもなく師であることは感覚でわかる。
外と中では見えている世界が異なる感じだ。
左腕から伸びた黒い瘴気の顎で噛みつくと、透けているはずなのに構造が颯汰の脳内に浮かぶ。内視鏡カメラのような視点であるが、実体というものがないゆえか、あちこち行き来ができるのは精霊であるからか。もしくは“獣”側の視点ゆえか。集中していた颯汰はそこを考える余裕などなかったようだ。
顕微鏡で観た植物の細胞壁を想起させたが、色濃く、魔力の経路はぼんやりと発光している。青の中に緑に光るものが血流のように流れていた。
少しわかりづらいなと思った矢先、拡大を使ってみたところ変化が起こる。不思議な感覚であった。
急に、世界が広がった。
青い光に照らされた河川を思わせる。
――………………視覚的なサポート、なのかな
一瞬、面を喰らったような顔つきとなった颯汰であるが、自分もなんかよくわからない内に精神世界が形成されたこともあり、「……そういうものか」と受け入れた。思考停止というより、順応力があると言おう。ツッコミや茶々を入れるのは、すべてを終えてからだ、と颯汰は決めた。
『いや、そうはならんでしょ』
我慢できなかったもよう。
実際に精霊の内部に世界が包容されているという話は聞いたことがなかったため、“獣”がきっと分かりやすくしているのだろうと颯汰は考えた。
実際、体内の観察や患部の発見は非常に容易となる。
景観が崩れているか、川が堰き止められている部分を解放するイメージで、直感的に治していけた。なんだこれ。
人間の身体もこれぐらいわかりやすければ良かったような、逆に知識や経験と齟齬が出てしまう可能性もあるか、などという余計な考えも後回しにすべきであろう。
白亜の森とは違う、地上の夜の森に近い空間を進ませる。
順調に体内の器官や経路を修復していき、本命に辿り着く。
泉の中心に木が立ち、そこに光が漏れている。
そこに、放たれる光の中に影――異物が見えた。
――これか……!
青白い光を放つ大きな樹に、突き刺さる物体。
わかりやすく紫色のもやもやとした毒性のガスみたいなのを出している。
呪符というのだから陰陽師の御札みたいなものを想像したが、
――ナイフの、刀身?
折れたナイフが突き刺さっている。符とは……と思ったがわかりやすいので迅速に対処を決める。
イメージで手を操る。
空間に存在しなかったものが、現れ始めた。
白いラバーの手袋なのは、手術のイメージゆえか。この世界に存在しないはずの合成ゴム素材の手袋が見えない指にフィットしていた。ちょっと不気味。
手を握ったり開いたりを繰り返した後、「よし!」と両拳を握って意気込んでから近づいていく。光を受けても反射することもなく在り続ける呪符を、切除に向かった。
何かしらのアクションで起動する罠でもある呪符を、自分の中に引き込む。ついでに傷を修復すれば、あらやだ奥さん元通り。という寸法であった。
――こっちに流し込む経路の形成準備。次いで、患部がどうなってるのかも観察しよう。時間は無いが、ここで焦って見落としがある方がマズい
他者の命が関わっている状況では臆病なくらい慎重な方がいい。
そして、その選択は正しかった。
――ナイフは砕けている。引き抜く際に壊れるほど脆いものかもしれない。そのまま摘出は難しいか。……となると
遠隔操作のイメージでメスを手に取る。なんでもありか。
呪符の周辺を斬り、そして中に引き込むのが安全だと判断する。
――毒素まで回収する準備はしていたけど、最初から漏れないように慎重に周りを執刀して、……え、木に執刀?
考えればおかしな状況だが、ナイフが刺さっていて発光している木の幹の周辺を斬る必要がある。斬れるのかと問われれば、斬れるだろうとは颯汰は思う。問題はこれが師匠――精霊にとって大事な器官だということ。おいそれと切って結んで、大丈夫なモノなのか。
――周囲の切除は最小限にしないとだめだ。縫合……できるのかこれ。切って再生する場所なの? ……そうか、再生はするのか
すべて魔力で構成されているおかげか、多少は融通が利くらしい。観察と脳内に響くアナウンスを信じ、実行する。
一呼吸。
現実と領域の中で意識をリンクさせて、再度集中してから挑む。
幹に突き刺さる呪符の周囲を小さく切る。光る木はまさに肉を切っているのと同じ感覚でメスが通った。最小限の大きさで切り取る。そして、慎重に呪符を切り抜いたプルプルする幹の部分と一緒に、外部に漏れ出る前に密閉することにした。
――これを、ルーン処理で梱包化をする!
手から離したメスは光となって消え、颯汰は取り出した呪符が刺さったブロックごと結界に包む。颯汰の手と手の間、光の線が四角を模りながら幾つも重なる。それらは呪符を包み込み、外界から遮断される封印となった。見た目は透明な結晶の中に呪符があるだけだ。単にプラスチックで囲んだだけに見えて頼りなさはあるが、“獣”の力でしっかりとした作りである。
――移送、そして縫合を始めよう
呪物ブロック入り梱包品を挟むように両手で掴み、空間に不釣り合いなワームホールが形成される。白黒のメタリックでサイバーな異空間に梱包品をシュート、はマズいので慎重に入れ込んで流し、すぐに傷の縫合に掛かった。こんな所業、永らく生きた精霊であっても想像することすらできなかった事だろう。
――……血や骨が見えない分やりやすいと考えるべきか。逆に緊急時に変化に気づけるものなのか。……どうやら今回は、他の部位から移植して補う必要もないみたいだ
摘出した部分に近づき、縫合を始める。
メスと同様に縫合針と縫合糸も出てくる。便利すぎる。
自身の深く負った傷も縫合するタイミングがあるかもしれないとして練習していた事もあり、それなりに手際がよく縫っていく。余計な出血らしき反応もない。
『……よし、今度こそ!』
光を放つ木に左手で触れる。
師匠から受け取ったものと、機能不全が回復したことにより効率よく流れ込んでくる《王権》三基からの魔力を受けて体内で激増したエネルギーを変換して流し込み始める。
水の玉となった精霊に、光が灯った。
景色は仙界――現実に戻り、颯汰は左手で水の玉に触れていた。
右手は色の付いた青いガラスのようになっていたが、魔力の流れる量と質が向上しているのを感じられる。
水の球体から輝く光は強くなり、再生が始まった。
至近距離にいる颯汰が目を逸らすほどに眩しい光が周囲を包んだあと、それは現れる。崩壊したシルエットは再生していき、存在があやふやとなっていた精霊は復活を遂げる……と思われた。
『……師匠?』
水の玉が縮まり、雫となって落下した。
落下地点を中心に、仙界の大地に波紋が広がっていく。
零れ落ちたものは、そのまま小さく波を打ち、静まった。
どの時代でもどんな場所でも、大切なものは失ってから気づき、零れ落ちたものは二度とその手に戻らない。
絶望が、じんわりと――這いよる闇のように音もなく侵食してくる。
『……!』
颯汰は息が詰まり、声を失う。
初めての事とはいえ、手順を誤ったはずがない確信があった。
しかし、可能性としては医療ミス以外に考えられない。
間に合わなかったのか。
何か、致命的な見落としがあったのでは。
颯汰は何も言葉を発せないまま、膝をつく。雫が落ちた地点を上から覆いかぶさるように両の手をついて、やっと言葉を絞り出せた。
『バカな。間違った、のか……?』
体温が失われるほどの寒気がし、視界が歪みだす。
ぐるぐると眩暈がし始めた。
立っていられないほどに足に力が抜けていた。
胃に入っていたものがすべて逆流しそうな気持ちの悪さ。
何よりも恐ろしい喪失感と、後悔が波を寄せて襲い来る。
嘘だ。現実じゃない。
なんて逃げることはできない。
すべてが、状況が、夢や幻ではないと告げている。
自身の鼓動の音が、やけに耳にうるさい。
『俺は、……』
独りよがりの末に、大切なものが消えてしまった。
失いたくないから、力を求めた末に、届かなかった。
誰か救うため、その手を伸ばし続けたつもりだった。
ぼやけた視界。蘇る修行の日々。
彼女に剣を教えられた記憶だけじゃない。
思い出までもが遠く光に呑まれていく。
雨が今にも降り始めようとしていた。
颯汰の心が、張り裂けそうになっていた。そこに――。
『ん? ……――!?』
雫が落下した地点。
そこから突如、噴出する水。
水鉄砲どころか、高圧噴射された水道ホースのノズルからストレートで放たれたような勢いの水が、颯汰の顔面に直撃する。
面頬で鼻と口を覆っていたが、反射的に目を瞑っても軽く惨事。
両手両足を付けながら反射的に回避しようとしたが水の噴射は早く、水圧によって首だけ仰け反って上を向く羽目となった。
時間にしては三つ数えるほどあったかどうか。
水が止んで髪までべちゃべちゃに濡れたあとに、颯汰が言葉を零す。
『………………え?』
間の抜けた声。
理解をするのに時間を要するところに、三体の精霊たちが近づいてきた。
水の精霊ふたりと木の精霊ひとり。
一切、喪失の悲しさを感じていない顔つきで颯汰に告げる。
「ボス、消滅してないよ」
『えっ』
「そうそうー。休眠だってさー」
非常に軽い調子で真実を教えてもらう。
颯汰は、今度こそ思考が数秒、停止したに違いない。
驚いたまま目を見開いている颯汰に、彼女たちは語りだす。
「あれだけ無茶すればねー。というかソウちゃんの方も……。……あなたたち師弟って、揃って頭おかしいの?」
彼女たちは呪符の存在について知っていたらしい。
おそらく師に口止めはされていたのだろう。
解呪時に発動する仕掛けを、深くめり込んだそれを解呪しないまま取り除いて内に引き受けるなんて狂人以外の何者でもない行動だ。
一方で、湖の貴婦人が呪符だけ残して後は弟子に己を喰わせようとしたムーブも大概脳みそルナティック状態だ。精霊の価値観からしても常軌を逸している。
精霊たちも若干ちょっと引くレベル。
面白いけどキモい。キモいけど面白い、みたいな感覚で見ていた。
『めちゃくちゃ失礼だな!? 師匠は、無事、なんだな……?』
「無事か無事じゃないだと、無事じゃない寄りだろうけどね。あの精霊って、そういうところあるからねー……って睨まれてる。ひゃー、こわいこわい」
視線が雫が落ちた地点を見ていると知り、颯汰が問う。
『睨まれている? 師匠に?』
姿は完全に見えない。姿隠し・隠匿の魔法の類いではなく、純粋に精霊として弱体化しているため実体化ができないゆえだ。
魔力を注いで即回復なんてものはどこぞのイカレ小僧とイキリ転生者ぐらいである。
「そうそう。あと『バカ弟子が勝手なことやったから治り次第、絞める』ってさ」
『勝手なことやったのは師匠の方なのに!?』
「お互いが“勝手”を押し付け合ってる」
「ほーんと似たもの師弟だこと」
「あっ。あと睨まれてるの、あたしたちだけじゃないかもー……」
『?』
精霊が指さす方向は颯汰のうしろ。
一拍おいて、ぎこちなく振り返ると――。
「…………」「……きゅー」
リズとシロすけが心底呆れている表情であった。
言葉に出さない方がキツイ、目線を合わせないでの溜息を吐かれる。
颯汰は、さすがにちょっとだけ心が痛んだ。




