42 独善
突如として、現れた乱入者。
見えない刃を振りかざし、守るべき者の前に立つ。
颯汰の胸に刻まれた紋章からレーザーポインターを思わせる赤い光の糸が伸び、黄色い防護服の襲撃者と繋がった。光線との違いは伸ばしきったピンと張った状態ではなく、少し余裕があるように緩んでいる。
それは“契約者”同士の証。互いに魔力や習得している魔法などの技術、果てに命までをも共有し合うもの。地上では見えないが、仙界においては可視ができる光のラインとして、くっきりと姿を現し始めた。彼女の首元にある赤い宝石の飾り――防護服から隠れてまったく見えない部分と、発光する赤い糸が繋がっていた。
「……」
割って入って来たものは、この星に選ばれた救済装置――“勇者”。
今は、その胸に宿る使命や何やらは全部取っ払って、彼の下に現れた。
…………むしろ、星の使命よりも主君を選んでるフリーダムな日々の方が多くないか? と疑われつつあるが、まだ彼女の中に呪いにも似た衝動はあり続けている。今は心に負った深い傷が癒えずにいる。それでも、なおも失わずにいたいがため、心を研ぎ澄まして刃と成して、ここに居る。
闇の勇者リーゼロッテ・フォン・ハートフィール。
彼女は自身の生まれに絶望さえしていたが、養父であるマクシミリアン卿との出会いと、ヴェルミが現国王クラィディムとの出会い、そして立花颯汰との出会いによって運命は大いに変わっていく。そしてきっとこれからも――。
己の境遇に苦しんで泣いていた少女は、今や仙界随一と呼ばれる剣の使い手である“湖の貴婦人”を相手に、奇襲を仕掛けて成功するまでに成長していた。
まともな人間では、そこまで至れない『領域』に文字通り踏み込んだのである。
「ふふ。良き、攻撃でした」
仙界の空気に触れ始め、鎌剣がぼんやりと姿が浮かんで見えた。
なるほど、と仙界の女主人は思った。
見えない剣による奇襲は、当代の闇の勇者によるもの。
双振りの星剣にて追い詰め、蹴りをねじ込んできたのだ。
中々見どころがある、と思うぐらいに感心していた。
吹き飛びながら姿勢を制御して着地をしてみせる颯汰の師。
“白亜の森”の管理者は、闇の勇者と見つめ合う。
黄色い、派手というより目立つ防護服を身に纏うリズ。
どこでそんなものを、と颯汰は小さく零していた。
第一騎士団の基地に侵入したリズとシロすけはそのまま気配を追って地下へと足を進めた。そこで出会った魔人族の老齢の男性から受け取ったものである。仙界の多量に含まれるマナが人体に大きく影響を及ぼすため、短時間だけでも活動できるように開発をした防護服を、老人はリズに貸したのであった。
都市伝説の調査に用いりそうな黄色い防護服と黒いマスクによって、空気中のマナを遮断しながら白亜の森を進んできた。
颯汰がこじ開けたゲート――空間に開いた裂け目は自然と閉じていたのだが、そこをリズとシロすけが強引に破壊して侵入した。
具体的に言えば閉じかけた裂け目に星剣を叩きつけ、竜術をねじ込んだ。
その余波で老人が吹き飛ばされて壁に激突し、気を失ってしまったので、リズが慌てて介抱をし、無事を確認後に仙界に突入した。
大慌てで乱入したリズの頭の上に乗ったシロすけもまた臨戦態勢であった。
剣と同じ鋭さを有する瞳。唸る声。例え颯汰の恩人であり、師であったとしても彼女たちにとって関係ない。敵対するならばそのまま戦闘を続行する気概であった。例えそれがどんな悲劇を辿ろうとしても、その目に迷いはない。
不審な動きを見せた途端に、仙界中の精霊を敵に回してでも全力で誅戮を敢行することだろう。
いつでも倒しに行ける、と武器を構えたままのリズ。
しかし、既に戦いの趨勢は決まっていた。
途中で止められてしまったが、湖の貴婦人は自身のすべてを注ごうとしたのだ。“獣”による防御機構――防壁を無理やりこじ開け、ズタズタになった颯汰の体内にある各種経路を整えながら、魔力どころか存在そのもの――その殆どを“獣”の『分解』を利用して、注ぎ切ろうとしたところである。自分が消滅する前に、弟子に自身を生贄として差し出しそうとしたのだ。
「限界、ですね」
湖の貴婦人の身体が透け始め、身体を構成していたものが還るように、光の粒子となって空間へと散っていく。
上位の精霊が、“白亜の森”の管理者が消滅し始めた。
既に、手を握る力すら入らない。
両の足は消えて地面に着いていない。
体内に取り込まなければならない魔力も、際限なく外へ漏れ出ていく。
緩やかな死が始まった。
もしも、並みの精霊であれば存在を維持できず、数秒も持たずして消滅していたことだろう。残された時間は僅か。できればそのまま、弟子にすべてを与えて消えたかったが、それも叶わない。
――あのとき、私は、正しかったのでしょうか
内側から蝕む宿痾のような“獣”の憎悪。その感情に焚きつかれ焼かれ、復讐の魔神とならんとした少年。
安易に魔法を――“力”を授けてはならないと思った。
少しずつ人間性を獲得してもらわねばならないと分かった。
“敵を殺せる技術”と銘打って、“生き残るための技術”として剣術を教え、閉ざされた心を解くのには、長い時間を掛けようと彼女は決めた。
その甲斐あって、一時期は生涯を村で過ごすと颯汰少年は決めかけたのだが、終ぞ彼から復讐の灯火は消えることなかった。
――私の選択は……彼を、……
考える時間もどころか、思考する余裕もなくなっていく。
自分の中にのこったものがどんどん、きえていく。
「あとは、まかせ、ましたよ」
剣技も攻撃魔法も回復魔法も、今存在そのものを喰わせた結果、どれくらいのことを授けられたかもわかっていないが、ここまでだ。
振り絞る声。正常に届いたかどうかわからない。
まだまだ語りたいことも多くあったが、抱えながら光に還るとする。
すべて未来ある若者へと託し、死を迎える。それは当人にとっては未練が無いとは言えないけれど、満足する最期なのだろう。
だが師である彼女は、弟子への理解が浅すぎると言わざるを得ない。
あの日、すぐに戦える術を覚えた場合すぐさま捨て身で暴走し、結果“獣”に乗っ取られたであろう少年は、常人ではあり得ない早さであったが戦う術を身体で覚えた少年は、――今や諦めがとことん悪く、何があっても目の前にある手を掴みに行く。
救うことを、諦めない男となった。
「――リィイイズ!!」
叫ぶが“白亜の森”中に轟く。
颯汰は眼前の契約者を呼んだ。
闇の勇者リズは、颯汰が何を望んでいるかを理解し、即座に動いた。
踵を返すように風となって颯汰に近づき、水魔法で形成された強固な鎖を破壊する。金属並みの硬度を誇った鎖は斬られた途端に水となって弾け、パシャンと音を立てて散っていく。
不可視の刃によって拘束が解かれた途端、颯汰は光となった。
「ごめん!』
短い謝罪の言葉を伝えながら、颯汰は躍り出る。本当はもっときちんと感謝の念を伝えたいところではあるが、刹那の間すら惜しい。“獣の力”にて変身し、幼き姿から青年になりながら走った。
身体は成長し、全身を保護するように表皮を包む黒いスーツ状の装甲に、手足に籠手と具足、面頬も装着される。その声はエコーが掛かったように脳に響く聞こえ方がする。右腕だけが装備をせずに肌を出した状態のまま、第三拘束までを解放し、一気に加速した。
影さえ置き去りにするとされる走法――無影迅を用い、解き放たれた弟子は師に近づいていく。
これまでより、格段に速度を増していた。今まで拘束されていた鬱憤が爆発したかのような速度で、一瞬で師に飛び掛かる。
既に意識が光に溶けかかっていた湖の貴婦人は、弟子の最後の成長を目の当たりにしても言葉がでなかったところに、左腕の牙が開く。
既に人の形を成さずに溶けかけたシルエットから、残滓をすべて吸い取ることが師の最期の望みであるが、牙を突き立てるのはそんな理由ではない。
『届け! ファング!』
左腕から噴き出す瘴気の渦。
黒い粒子は猛獣の顎を模り、ほぼ消滅していたモノに突き刺さる。
『強制接続:開始――。
接続完了――。』
『奪うだけがすべてじゃない! そこんところ、見せつけてやれ!』
『承知――。
対象の修復作業の実行――。
破損箇所のチェックを開始――。』
颯汰の叫びに、左腕は呼応する。
左腕部のリアクターが稼動をはじめ、エネルギーが流れていく。
もはや霞と同等まで砕けていた湖の貴婦人を再生させるべく、逆に注がれたものを送り返す。むしろ師によって快調になったおかげで、増幅したエネルギーを送り込めた。颯汰がやられたように、今度は彼女の内部のボロボロとなった部分を作り直そうとする。
『……!』
エネルギーを送り込んだことで消滅寸前の身体は、一旦青い水の球体となる。
今はどうにか存在を残しているが、このままでは時間の問題であろう。
精霊である師の内部、大いに破損している器官や乱れた魔力の経路を真似るように修復していく。
『見つけた……! 損傷は、心臓部か!』
目で見ているといより、感覚で察知する。
最も著しくダメージを受けている箇所を発見した。
颯汰は、ちょっとした医術を齧らされて心得程度は知っていたつもりであった。しかし師匠は人間に見える形をしていたが、今や水の玉だ。おそらく人型であっても精霊と人間の中身はまるで違うだろう。それでも知識は無駄とならない。明らかにおかしな流れを辿っていくことで患部を発見する。心臓を担う核の損傷箇所を見つけ、修復と共にそこへ送られたものを返していくと決めた。
『内燃機関、起動!』
『承認――。
出力:フルドライブ――。
並行作業:実行――。
拡張ユニット:起動――。
「アームズ・コフィン:ヴァーニー・ワン」起動確認――。
ユニットの自動接続:開始――。』
師が倒れたことで弾け飛んだ水の牢に捕らわれていた『亜空の柩』を回収する。颯汰はその場に動かず、亜空の柩の方が宙に浮かび、勢いよく左腕に装着された。それ勝手に動くんだ、とちょっと驚いている颯汰であったが、そこへ意識を向けている場合ではないとして、集中し直す。
亜空の柩内部に格納している『《王権》』によって、さらに魔力を得る。颯汰の体内のズタボロのカスみたいになっていた各部位の損傷も師匠によって修復されたおかげで、まだ不完全とはいえ腕の形はヒトのそれに戻っていた。つまり体内をスムーズに魔力が通っている証拠であった。漏れなし安心で、外部から爆発的な魔力を受けても、師匠へと送る余裕もできていた。
魔力を送る過程で、再生した右腕から表皮が消えていき、色付きガラスのような腕となっていく。まるで精霊と同じであった。それが一瞬目に入るが、颯汰は気にせず治療の方を続行する。血液代わりに循環する魔力の経路の回復を急ぎ、最も深刻なダメージを受けている心臓部に取り掛かる。
『勝手に逝かれてたまるか! 借りたもん返して、生きてもらうんだ!』
『承知――。
対象の修復を開始――。』
しかし、すぐにとんでもないアナウンスが響く。
『警告――。
エラーを確認――。
修復作業の中止――。』
『!』
何故だ、と問う前に答えが返って来た。
『損傷箇所にて“呪詛”を確認――。
内部器官が不安定なため、
魔力による回復は非常に危険であると断定――。
修復作業:中止――。』
『呪詛? なんで……? ……詳しく調査を!』
『承知:命令の実行――。
対象物の解析開始――。』
『体内に呪詛? それも『対象物』と言ったか……? 一体、どうして』
可視化するレベルの呪いか。あるいは呪いを発する何か物体か。
どちらでもあれ、危険物に変わりない。
そんなものを内に抱えたままであったのか。
何より、そんなものがなぜ彼女の体内にあるのだろうか。
それを答えられるものはこの場に居合わせていなかった。
『解析:完了――。
人工物・呪符の類いと断定――。
蓄積・自然発生したものではなく、
人為的に埋め込まれた可能性――。』
『……!』
『魔力器官の修復、あるいは呪符の除去を実行すると、
呪いが活性化する仕組みである可能性:大――。
非推奨:このまま修復作業、及び呪符の除去作業の実行――。』
悪意しか感じないが、呪いとは本来そういうものだ。
下手に剥がそうとすると肉体を蝕む毒素をばら撒く仕組みらしい。
呪いに対する抵抗力は人間より上であるが、魔力で構成されている精霊の体内で拡散されれば、それこそ致死の毒性として全身を巡る事となる。
『呪符を、どうにかする方法は……?』
『…………』
『無いのか?』
『否定――。』
『言い淀んでいる、な?』
颯汰は、今のでだいたい解決方法が予想できた。
『呪符から発生する呪い――
つまり毒素を別の位置へと転送することにより、
対象の呪詛によるダメージを、
最小限へ抑えられる可能性――。』
『……なるほど、また、俺が怒られるやつかー』
答えるのに躊躇った理由もわかった。その情報を教えれば、立花颯汰が取ろうとする行動など容易くわかるというもの。
『……ちなみに呪いって、どの程度?』
『不明――。』
『うわ一番こわいやつじゃん。……いいや、このままじゃ師匠もまずい。さっさと取り掛かろうか。――接続!』
『承知――。
対象の『呪符』の除去、
及び『毒素』の抽出:実行――。』
誰かによって埋め込まれた呪いを引き受けることさえ躊躇わない。
彼もきっと、どこかで壊れてしまったのだろう。
※次話、遅れるかもしれません。




