41 生贄
仙界、第二階層“白亜の森”――。
マナに満ちた世界にて、繰り広げられた剣戟は終わりを迎えた。
勝負は、一方的であったと言わざるを得ない。むしろ戦いというステージに立てていたかどうか怪しいとさえ、当人である颯汰は思う。
「くっ……」
刀を向けられ、颯汰は身動きが取れなくなる。
見上げると師と目が合った。
切っ先が首元に向けられ、抵抗はできない。
――自分が動くより先に、刎ねられるな、これは……
一瞬でも不審な動きをした途端、忽ち首が身体と分離する。
殺意の有りと無しが同居している不思議な気分であった。
ぶっちゃけると恐怖がより強い。
「無茶をしすぎですよ」
「…………し、師匠が刀で襲ってくるからですが……」
「まったくおバカな弟子ですね」
横暴な師――この階層の“管理者”である湖の貴婦人は、弟子の意見などは当然の如く無視をする。
彼女は刀から手を離すと、それは落下することなく水となって空気中に散っていった。
さらに、左手の指を鳴らす。颯汰の周囲に水の玉が浮かび始め、そこから水流の鎖が伸びていく。激流は飛沫を散らし、鎖となって颯汰の四肢を捕らえた。
「拘束魔法……!」
「これで一安心、ですね」
「どこが!? 恐いんですケド!?」
魔法によって拘束されてしまう。
動き回ろうとしたところ、新規に追加で鎖が首や腰に纏わりつき、颯汰は無理矢理伏せられ、地面から動けなくなってしまった。
「くっ、くそ……」
無手であるが、精霊である師は、突然斬りかかるようなサイコパス女だから恐怖心は依然としてある。
このまま殺されるのではという恐れもあるが、それにしてはまどろこしい。
本気で斬り合えば数秒で片が付くというのに、それを避けたのだから、理由があるのは明白ではあるが、一体何を目的に戦ったのかもわからないままだ。
一方で彼女は、回復魔法を授けるという約束は守るつもりであった。うつ伏せで倒れる颯汰に近づき、右肩より少し首に近い辺りにそっと触れる。
「始めますよ」
空気の流れが変わったのを感じる。
大気中のマナが、流動していく。
収束するエネルギーが湖の貴婦人に集まっていく。
青き光が、彼女の手から放たれた。
彼女の手から癒しの波動が流れ込む。
活力が漲るのを感じる。
体表の傷は当然のこと、内部の神経や魔力の経路などまでが修復していくのを感じた。息切れも治まり、激しかった鼓動も落ち着く。
爽やかな風が全身を巡るような感覚であった。
「……ほ、ほんとうに治すためだけに?」
確かに身体中についた傷口の再生に、ヒスタミンによる痒みが生じていたが耐えられないほどではない。むしろ剣で刻まれる方が耐えられない。
「そうですよ」
「だったら、やっぱ別にこんなことしなくても……」
「いえいえ、必要な事です」
管理者が本当に回復魔法を掛けるためだけに、剣で襲ってきたのならば、これほど無駄で無益な戦いは無かっただろう。
わざわざ傷をつけた理由など、明かされないまま終わればどれだけ幸運だっただろう。しかしそんな事は起こりえない。
彼女の行動は、一見すると異常であったことだろう。
彼女の覚悟は、他者からは沙汰の限りと言えるもの。
彼女の狂気は、きっと愛に満ちていたものであった。
『警告。強制接続を確認。遮断を開始――。』
「――は?」
左腕から声が響く。
颯汰がアナウンスを飲み込むのに、一瞬の時間が掛かった。
弟子が理解をする前に、湖の貴婦人は動き出す。
「やはり防御をしますか。では……失礼しますね」
両手で流し込んでいた癒しの波動を、左手だけに任せ――空いた右手で颯汰の左手にナイフを下ろす。先ほどまで使っていた刀と同じく、収束した水分が集まり、構成された武器を躊躇いも迷いもなく。ナイフは颯汰の左手の甲を貫いた。
左腕を覆う装甲すら、厚紙のように容易く刀身がめり込む。血は爆ぜるように噴き出すが、内側に通る金属の感覚は鈍い。
「――あ、ああ、あぁあっ……!」
「一応、痛みを軽減するような術も施していましたけど、……うん、辛いのは少しだけです。男の子は我慢で頑張る!」
回復と同時に痛覚を麻痺させる術も流し込んだ師は、痛みに喘ぐ弟子に対し、時代錯誤の激励をかます。
何が起きているか理解できていない颯汰は、体の痛みよりも心の苦しみに、叫ぶしかなかった。完全な麻酔とはいかず拘束されて暴れようにも鎖はさらに本数が増え、颯汰は何もできなくなった。口までも横から伸びた鎖に絡まれ、叫ぶことも舌を噛むことさえも封じられる。痛みや恐怖心、怒りによって噛む力は――金属と同じ硬さを持つ魔法の鎖を、へこませるほどではあった。だが嚙み千切るまでは至らない。
「防壁も消えたみたいですし、じゃあ、早速取り掛かりますね」
信じられないものを目にしたような眼力で、弟子は睨む。
幼子のそれは涙を浮かべながらも、餓狼のように鋭さがある。
裏切りや絶望に、まだ彼の牙は折れていない。
『警告。魔力経路の阻害を確認――。
推奨:離脱――。
速やかな接続者から退避行ど――』
「えい、えい」
左腕から現出し始めた黒の瘴気は、師が刺し貫いたナイフの柄を掴んだまま、ぐりぐりと傷口を掻き回したことにより途絶える。
痛みは確かに鈍くなっていたが、視覚的に目を塞ぎたいほどに痛々しかった。
霧散した闇は、語らなくなる。
「では改めて、はじめましょう」
彼女は颯汰の右肩に両手で触れ始めた。
再び癒しの光が包む。ナイフが刺さったまま傷口は修復されていく。
それに颯汰は慄いていた。
恐怖と、流れ込む優しさに脳が混乱する。
――何が、……何をするつもりなんだ! 師匠!
声ならぬ叫びはきっと届いている。
そして、逆に彼女の想いが届いてきた。
彼女の真意、決意、何をしようとしていたのかがわかる。
それは言葉や過去に相手が体験した記憶といった情報が流れ込んだわけではなく、彼女の攻撃行動の意味がわかったのだ。
「貴方を止めるのに、少し手間取ってしまいました。経験は伊達ではない、ということでしょうか」
師匠は確実に手加減をしていたのだが、弟子にそれなりに抵抗されたため想定よりも時間を食ってしまった。
彼女なりに彼の成長は嬉しさもあり、悲しさもあった。平和な世界に生きることが難しい宿星の下に、立花颯汰はあり続けるのだ、と。
「私はそう長くありません。少し、無理が祟りました、ね……」
薄っすらと、その肌が透明になって消えかける。
颯汰の目に、風に吹かれるように憤りの火が消えた。
彼女が自らに掛けたフィルタが勝手に剥がれ落ちていく。
傷も汚れも隠し通していたヴェールは消え、本当の姿が見えた。
“獣”の目を欺くために、何重も張った甲斐があったといえよう。そうでもなければ颯汰は師にゲートを開いて貰って地上の鉄蜘蛛がいる地点までラクラク移送など頼まなかった。こんなことをすると知っていたら、颯汰は彼女に近づかないで速攻で逃げていたに違いない。それに油断するとも違うが、弱い方の颯汰が傷だらけの彼女に遠慮して半端な手加減をし、その結果さらに大怪我をする可能性だってあった。
静かに湖の貴婦人は溜息を吐く。
追い返すことはできたが、連戦で疲弊していた彼女に、上位の精霊とはいえ自律型巨大兵器との戦闘は堪えるものがあった。
しかし、どちらかと言えば鉄蜘蛛と戦う前に襲ってきた“敵”との戦闘にて負ったダメージの方が致命的となっている。言うなれば心臓に穴が空いたまま走り続けていた状態で機械の魔物を追放、さらに弟子と最期の修行をやってのけたのだ。
「私のすべてを、あなたに授けます。剣術も、魔法もすべてを、託します」
回復魔法どころか、そのすべてを彼に与える。
自身の存在そのものを犠牲にして――。
“獣”が持つ『分解』の力を利用し、自らのすべてを捧げ始めた。
自分を贄として食わせ、弟子にすべて継承させるという暴挙だ。
気付いた颯汰の抵抗は、さらに強まった。鎖を揺らし、強引にねじ伏せるように強まっていく魔法の拘束でも、颯汰は必死に暴れた。
これこそが湖の貴婦人の狙いであったのだ。
抵抗されようにも鎖で抑えつけられ、エネルギーは注がれていき、颯汰の身にも大きな変化が起こる。
枯れ木の腕が、元の太さを得始める。
輝く右腕は、穴ぼこだらけでまだ完全な再生とはいかない。
空いた穴は青く透けているが、中の神経や骨といった組織は見えず、不思議とガラスのように外まで見通せる。それもじわじわと治っていくように穴が塞がろうとしていた。
身体の回復までされているのだから、さらに右腕も一気に動かして脱出を図ろうとしたが、そこも対策を練られていたらしく、すぐに水流が殺到して絡みつかれてしまった。
――出られ、ない。苦、しい……、魔法も、封じられ……
心の中で舌打ちをかまし、肩をどうにか彼女から離れるように動かそうと暴れるが、ギチギチと鎖が強く、肉に食い込むぐらいに縛り上げてくる。
早く脱出しなければ、このままではすべて注がれて間に合わない、と颯汰も理解し焦っていた。
用意の周到さに呆れかえるほどだ。ディアブロに魔力を注ごうとしても、体内を巡る魔力の通り道が丁寧に麻痺させられていた。
「もう少しの辛抱ですよ」
光が否応なしに右腕の再生を手助けする。
エネルギーが流れ込み、失っていた指が透けたシルエットを模り、さらに再生して三本も元に戻り始めたところで、颯汰の感情は爆発する。
鎖に巻かれ、自由を奪われた獣が咆哮する。
颯汰の背にある大きな傷痕から白銀の光が強く輝いた。
水の鎖では眩い光を完全に遮られず、湖の貴婦人はまるで人間のように目を瞑った――瞬間に突風が駆け抜ける。
「!」
見えぬ世界で、貴婦人が咄嗟に――手のひらから小型の盾ぐらいのサイズの水魔法による障壁を展開したが、機銃の連射すら防ぎきった水の盾であっても、容易く刃が斬り裂いてみせた。
颯汰は依然として動けない。
精霊たちもただ傍観していた。
そこへやって来る、希望は“闇”――。
不可視の双鎌剣の内一つは、魔法という現象を構成する魔力を吸収し、己の力として蓄える。
迫る刃が見えなかったが、明確な殺意を感じ取った管理者は、水のバリアが突破されたのを察知し、回避を選んだ。
斬撃に対する反射的な回避や防御行動に対し、追ってさらに一刀――それを避けられたところへ踏み込んで捻じ込む足蹴が炸裂した。
「――!」
湖の貴婦人が無影迅にて移動することを見越して追撃し、さらにそれを避けられても蹴りを入れる襲撃者――その姿は異様と言わざるを得なかった。颯汰も鎖を横方向から入れられた口をポカーンと呆けて開けている。
その攻撃に見惚れたというより、襲撃者の格好に目が点となっている。
明らかにこの場にそぐわない格好だ。
白亜の森で非常に目立つ、黄色い上下の服は一枚で繋がっている。
頭まで覆ったところに顔は透明な素材が使われていて正面の視界は確保されている。
全身が密閉されているように見えた。
生命維持のための装置などの類いは、特に見受けられない。
――防護、服……?
全身真っ黄色。黒い手袋に黒い靴。よく見ると口元に何か災害時用の防塵マスクかガスマスクのようなものを付けていた。
そしてその黄色い防護服の頭上から、
「きゅー……!」
白き幼い竜種が降り、威嚇するように吠える。
彼女と幼龍は一瞬だけ颯汰の方を見ると、すぐさま眼前の“敵”を定めた。
星の加護を受けし“闇の勇者”リズ。
さらに次代の竜種の王者、シロすけ。
ふたつの若き颶風が、仙界にて吹き荒れる。




