40 師弟対決
「か、片腕の子供相手に、大人げない……!」
「戦いにおいて――自分が怪我をしていたから、幼いからだなんて情けない言葉は通用しませんよ? あ、斬られれば負けた言い訳なんて、吐く必要も無くなりますけれどね」
「こっわ……!」
戦々恐々。修羅の女が刃を振るう。
颯汰は霊器「ディアブロ」を操り、隻腕をカバーしていた。だが師――湖の貴婦人を相手には幾分も足りない。とても優しい声音で冷静に、斬り刻んでくる。言葉と共に刃を交わし合っていた。ぶつかり合うたびに火花が散り、甲高い音が響く。その感覚は短くなっていく。速度が増しているのだ。
次第に、見てからの反応では間に合いそうになくなっていった。
予兆を捉え、先んじて剣を置かなければ颯汰は両断されてしまう。
そんな状況であるのに、己の死に対して反応する“危機察知”が発動していない。躊躇いもなく殺意しか感じない猛攻であるのに、彼女は本当に殺すつもりが無いらしい。それでも刀を振り回してくる剣豪相手に武器を捨てて話し合いなどできる訳が無い。
戦いが始まって傍観する後方の水の精霊たち。
ヒソヒソと話し始めていた。
「どれくらい保つと思う?」
「何度かは防げていたね。でもあと三手ぐらいでソウちゃんが死ぬと思う」
「次で首が飛ぶに賭けるー」
「ボスも面倒くさくなって三分ぐらい後にバッサリ斬るに銅貨一枚」
全員が青い×の付いたプレートを掲げる。
誰一人として赤い〇を掲げなかった。どこで用意したんだそれ。
そんな不謹慎ギャルたちに向かって颯汰の恨み節代わりに、師匠の斬撃が飛んでいった。鋭さ、大きさ、速さまでもが先ほどまでとの比ではない。空を翔ける鎌鼬の如き刃が、木々や岩をも両断していったのを、彼女たちは慌ててその場に屈み、やり過ごした。
「危なっ!」「こらこらー」「なんでさー!」
抗議をする精霊たちに、湖の貴婦人は呆れ顔で頭を押さえた。
「邪魔ですよ。次はありませんからね」
死の宣告までされたので、さすがにギャルたちもお口にチャックで静かにし始める。すごい不服そうな顔しているが。冗談が通じるかも気分によって変わる精霊であるが、この宣言の重さは身に染みていることだろう。
誰も颯汰が勝つどころか生存すら厳しいと見ている。
その認識は正しい。
この戦いで、勝つことは不可能に近い。
颯汰も生存することに注力する以外に術はない。
別方向を向いている師に、向かって駆けだした刹那に見失う。
気配を追い、振り返ったときには刀が振り下ろされていた。
「ッ!」
子供が受け止めるには重すぎる一撃。
頭上に置いたプロテア・グランディケプスによってどうにか防いだのは束の間、英雄の剣に掛かる重さが抜けた途端、別方向から刃が飛んでくる。
刃が通る風の音までもが鋭かった。
横の薙ぎ払いにぶつかり、颯汰はその勢いで飛びそうになるが、少しでもよろけた瞬間に、片腕が飛ぶことが確定するため懸命に耐えた。
颯汰は、さらに集中をする。
弾き、返す刃をさらに弾く。
師弟は互いに衝突し切り結ぶ剣戟にて心を通わす。
剣を持つ者同士、言葉など要らない――わけがない。
言葉であっても理解などし合えないというのに、斬り合って理解が深まるわけがない。静かになったのは「なぜ?」という疑問はずっと浮かんでいたけれども、ついに口を動かす余裕がなくなった為だ。
来る一撃を弾き、颯汰は最速でカウンターを狙う。
これまでよりも研ぎ澄まされた一撃。
颯汰の渾身の斬撃は空を斬り、右斜め後ろ――死角から奇襲を受ける。縮地の走法は天鏡流剣術の初歩であり、その剣技の達人である師匠のそれは異次元の域に達している。
それに対し颯汰はディアブロの中に仕込んでいた刃を飛び出させた。
布の内側から罠のように並び、昇っていく剣が三本。
空中から飛び込んで、逆手に持ち変えた刀の切っ先を向け、そのまま体重を乗せて振り下ろそうとしていた師。
彼女は瞬時に順手に直して横一線で切り崩さんとする。
伸縮自在の布で絡めていたが、剣は三本とも勢いよくバラバラに吹き飛んでいった。
颯汰はそのまま斜め左へと退避し、地を滑りながら態勢を整える。
華麗に着地する湖の貴婦人。
服に一切の汚れは無ければ汗の一滴もかいていない。
対する颯汰は、既に肩を激しく上下させていた。流れる汗を拭う暇もなければ、荒い呼吸を整える余裕もない。
「アイデアは良かったですね」
一撃が避けられることを見越して張った罠であったが、冷静に易々と突破されてしまった。
颯汰は両脚も震えている。剣を受けた左手は痺れているし、ディアブロで造られた巨腕は倒れそうな身体を支える役目を担っていた。
「うーん……」
師の動きが止まる。
この疲れたフリのあからさまな罠だとは見抜いている。
おそらく他の霊器を用いるつもりなのだろう。霊器自身の特性か、あるいは霊器の魔法による攻撃かまではわからないけれど、剣技以外の手段を用いるのは確かであるとまで正確に読んでいた。
当たり前だが師弟で正面から打ち合いはガン不利なのは明白なので、颯汰はこういった搦め手を使わねばなるまい。
その罠に乗ってあげるのは優しさか、それとも師として沽券に関わるものとすべきか、弟子の為にならない行動か。といった事も少しばかり頭に過っていたが、それよりも重要な事柄があった。
何を伝えれば弟子が納得してくれるだろうかと考え始める。
疲労困憊に見せかけている弟子とその場で立ち尽くす師匠。
颯汰はどうすべきか思考を加速させる。
止まった師に対し、付け入る隙など微塵もない。
颯汰が攻撃ができずにいたところ、彼女は思いついた言葉を伝える。
「あ、回復を受けるために、一度傷をつける必要があるんです」
「恐えよ!? 本当に!?」
自傷で良いのでは、とは思う。
しかし痛いのは苦しいし、できれば避けたい事だ。
というより、ただでさえ右腕がこの状態なのに、傷をつける必要性があるのだろうか。そんな疑問を見抜いたように師は微笑んで言う。
「受け入れてください」
「いやいや、待って、それはちょっといくらなんでも……――ん?」
剣を持ちながらゆっくり歩み寄り始めた師に、颯汰は困惑していた。他の魔法を習得したように、“獣”の能力で回復魔法を受けるだけではダメなのだろうか。
その事すら知らないのでは、と思ったが自分に術を授けると言った辺り、その辺の事情も把握しているかもしれない。傷をつけるなら自傷じゃダメなのか。そこら辺をも問おうとしたときである。
激しい剣戟の合間――まだこの場に残っていた精霊たちと目が合う。
水の精と木の精たちが、大人の雰囲気ではなく、悪戯小娘の顔で指をさす。指し示しているのは“湖の貴婦人”、そして彼女たちの口はこう動いていた。
『U・S・O』
嘘。
フェイク。
欺瞞。
一体何が?
彼女の存在自体が偽物? それは間違いなく否だ。
何度も叩きこまれたのは間違いなく師の剣技。
颯汰が受け止められるギリギリまで加減しているが、間違いない。
禁術による分身体でもない、とは思う。
これ以上の無茶をしていたとしたら治すべきは彼女の方だ。
回復魔法の授けること?
不用意に近づけばこのまま殺害される可能性はあり得る。
だから抵抗はしているものの、旗色は非常に悪い状況だ。
一挙手一投足が死を呼ぶ。
それでも懸命に精霊たちがジェスチャーを始めたが、
「よそ見しているほどに余裕なんですか」
「んなわけないに決まってるでしょう!?」
何を伝えたいのか読み取ろうとしても、刃が幾度も迫るものだから考える時間もない。
高速移動からのフェイントを交えた斬撃が来る。影さえ置き去りにする神速の機動は残像を生み、ますます視覚があてにならなくなる。
ほぼほぼ奇跡に近い反応を颯汰は見せたが、それも長くは続かなかった。
右方向に来た師に対してあえて踏み込んで斬りつけたが、躱されたうえに左肩が僅かに斬られた。
噴き出す血。
出血したところで――師は止まらない。
「傷は!?」
抗議するように吠えても、貴婦人は刀を振り続ける。
この程度の傷ではダメなのか。
「ふむふむ。ではこれはどうですか」
まだ抵抗する弟子の左腕に滑らせる刀。
『亜空の柩』と左腕の隙間に刀が通り、切断される。
痛みは無いが、絶望感はある。
宙に投げ出された棺ユニットが、勢いよく回転して落ちる。
師は地面に落ちた棺を、その場で水を操り、球体を形成しその中に封じ込めた。
空中にふわりと浮かぶ水の玉の中に封印されてしまった――これが意味するのは、『亜空の柩』の内部に格納していた『王権』からの魔力供給がストップする、という事。
颯汰は自身の内側に格納している迅雷の魔王の『王権』と、契約で結ばれた紅蓮の魔王の『王権』による膨大な魔力の供給を受けていたが、右腕の回復とさらに契約を結んでいる氷麗の魔王に対して魔力を送っていた。今、そのバランスが崩れてしまった。
師である貴婦人がそこら辺の事情は把握しているのか否かはわからない、ただ颯汰の抵抗の手段――つまり魔力や霊器を使った行動を減らそうとしただけかもしれない。
肉体強化も、魔力を使う剣技も使えない状態まで追い込んだ。
傷をつけてもなお、追い込むことを止めない湖の貴婦人。
颯汰は、時が歪むのを感じた。
殺意無く振るわれた刃に、己の異能が発動しない。
それでも肉体は、精神は、確実に終わりに近づいている。
過去の記憶が駆け抜けていき、心は深い闇の中に沈んでいく。
「『!』」
傷どころか、これ以上は致命傷になりかねない。
――死ぬ、のか……?
抵抗どころか斬られて死んでしまう。
――このままでは……
どうなろうと、生き延びて見せる。
――死んで、死んでたまるか……!
生存本能が、命を護るための行動を選択させる。
――もっとだ
ゆえに、振り絞る。
自身の腕の回復を先送りにしてでも生き残らねばならない。
――もっと、もっと力を……!
師を一瞬でも超え、話し合いの土俵に上がり込むしかない。
その叫びに、“獣”が応える。
「……!」
放心しているように動かなくなった弟子に、接近する師。
再度、罠であることは見越したうえで刀を向けた。
踏み込んだ途端、蜘蛛の糸のように張り巡らされた罠が牙を剥く。
颯汰を中心に、足元へ伝う青白い結界。
雪の結晶を模る領域に足を踏み込んだ敵を、凍らせる魔法である。
氷の契約者と命を結び、その魔法を行使する。
地面の結界を踏んだ師の右足から氷が侵食するように大きくなっていく。
それでも、師匠の動きを止められるのはほんの一瞬だろう。
ゆえに全力で攻撃を叩き込もうと颯汰は動き出した。
生き残るため、死なないため、眼前の“敵”を討たねばならない。
右手の代わりであった赤い布型霊器ディアブロを一点集中――ねじり巻いた布の先端は槍のように鋭さを有し、さらにそこへ契約者として命を結んだものの能力を流し込む。広がる冷気は周囲の気温まで下げていく。
冷たく、無機質に、命を奪う形をしていた。
それは氷の突撃槍――。
颯汰の身長ほどはある魔槍にて、湖の貴婦人を貫かんとした。
ぎちぎちと音を立てるほどに練られ、絞られた布は、紅く血に濡れて見えた。
それは万象を滅ぼすために生まれた、災禍を思わす槍であっただろう。
しかし、
「戯れもここまでにしましょう」
断頭台に首を乗せられたような、避けられない死の気配を感じた。
肌が一斉に寒気を訴え、心臓の音がはち切れんばかりに高鳴る。
攻撃行動を取っているのは今まさに自分であるというのに、颯汰は“終わり”を感じた。これから終わらせるのではなく、自身についてだ。
“管理者”の言葉に重圧が加わる。
空気を凍てつかせ、そのまま邁進するはずだった氷の魔槍は――上位精霊を貫くどころか、寸前で途絶えた。
細く尖った先端からバラバラに斬り裂かれ、ディアブロは首元のコアを残して消える。露出した颯汰の枯れ木ような腕では何も掴めない。未来も、希望も。命さえも。
一瞬で全部が崩壊した。
積み上げたものも、強い意志も、圧倒的な力の前では意味もなくなる。
颯汰が師の斬りや突きを超反応でどうにか対応できたのは経験が活きていたと言えるが、それも終わりの時が来たのだ。
『蜃燕』――神速の抜刀術により斬り裂かれてもなお、颯汰は死と恐怖を前に震える感情を、剣を振って消し去ろうとした。歯を喰いしばった後、恐怖による悲鳴を掻き消す声ならぬ絶叫にて、英雄の剣を叩き込もうとした。
「!」
雄々しき叫びは虚しく、現実を叩きつけられる。
下から振り上げらた一太刀にて、決着がついた。
弾かれたプロテアは颯汰の手から離れ、宙を舞っていく。
大きく飛んで回転しながら、剣は遠くの地面に突き刺さる。
視線を戻した先――丸腰になった幼子に対してでも、師は迷いなく切っ先を向けていた。
『戯れもここまでにしましょう』
「あっ」「終わったわ」「サヨウナラー」
×のプレートを一本から複数本ずつ持ちながら、両手で掲げる精霊たち。
――
25/09/25
ルビの間違いを修正




