39 相対
師弟が差向う。
異なる世界で生きる者同士ではあるが、剣にて繋がっていたはずであった。
優しくて人間に理解のある上位精霊であるから、味方だと認識していた。
それが正しいかどうか、確かめる必要が生じている。
はらむ緊張は、空気をひりつかせていた。
「師匠……」
颯汰の剣の師であり、仙界の“管理者”たる精霊が真っすぐと弟子を見つめる。
魔法を用いて地面を滑るように加速――ホバー移動のように少し浮いた状態でやって来た三人の精霊たちは、剣呑な雰囲気を前にして立ち尽くした。
颯汰を止めるように指示されていた精霊たちは、その目的を果たせなかったのである。
今にも、剣戟が始まる空気に対し、彼女たちは責任感で胸が苦しくなっている……ように見えてまったく違う。大抵の精霊はそこで感情など動きやしない。
それどころか、ここで争いが始まる可能性すら感じ取れていないのだ。
言いつけを守れず、何かしらの罰を受けることを危惧しているに過ぎないのだ。白亜の森の管理者の命令を遂行できなかったことや、これから始まってしまうかもしれない血みどろの争いに対してではなく、「あーやっちゃったーさいあくー怒られるかもー」程度の認識である。下手なギャルより楽観的な精霊たち。
彼女たちは他の精霊と比べて会話ができるように見えるが、人間の感情や機微を理解しているかと言えば、足りないと言いざるを得ない存在だ。
だから深刻そうな空気でも、ちょっとまだ余裕が垣間見える。
若干ばつが悪そうな顔をしていたり、エヘヘと笑って誤魔化そうとしていたり舌を出す仕草も可愛らしい。状況の深刻さを理解していないのが明白であった。というか「今から何やるのー?」とか口にしている始末である。
後方の精霊ズたちの気配を感じ取りながら、颯汰は正面にいる仙界第三階層の女主人、“湖の貴婦人”と対話を試みる。
「お久しぶりです、師匠」
足止めをするはずだった弟子が、師に近づく。
しばらく見つめ合った後、颯汰の方からアクションをする。
その様子を、女主人は黙り込んで見ていた。
「……早速ですが、俺たちはあの“鉄蜘蛛”を討ち取ります。奴が移動した場所の近くに――ゲートを開いていただけますでしょうか」
颯汰は、彼女に問うようなことも責めるようなこともしなかった。
浮かびかけた疑念に対し、心を落ち着かせて沈めることにする。
冷静に状況を思い起こし、要素を確認し――確信を得る。
そこへ、師である精霊は目を伏せた後に迷っているように言葉を紡いだ。
「……あなたは、私が鉄蜘蛛を利用しているという風に思わないんですか?」
「ないですね」
颯汰は間髪入れずに答える。
そこに迷いはない様に思わせていたが、彼も『師匠を信じている(キリッ)』と脳内で格好つけていたような気がするが、それでもずっと考え、悩んでいた。他人を信じることへの恐怖心があった少年であるから、絶対に彼女が鉄蜘蛛を利用して人類の粛清を始めていないと確信していながら『でも』という引っ掛かりがあったのだ。
「……なぜ?」
理由を尋ねる師に、颯汰は思い起こす。
ここまで来た道に、彼女が敵ではない理由は見つけていた。
巨大な洞窟から、鉄蜘蛛が移動した痕跡があった道。
気付きづらい違和感であったが、確かに違うという根拠となる。
「あそこのデカい洞穴から続く道、ただ鉄蜘蛛が移動した訳じゃなかったみたいですね」
ほんの一瞬だけしか眺めていなかったが、“獣”が記録として頭の中に残していた情報を示す。
「木や地面に着いた機銃による弾の痕に、一部の木のへし折れ方が……たぶん水魔法による水圧でしょう? 師匠は、奴と戦っていたんだ」
弟子の言葉に、師は少し目線を横に泳がせていた。
「……遮音の結界が甘かったようですね」
師は答えを口にしていると同然の返答をする。
彼女は鉄蜘蛛と交戦していたことを認めた。
つまり、仙界に鉄蜘蛛を匿っていたわけでも無ければ、物質界へ殺戮兵器を送り込んだわけでも無かったのだ。颯汰は気づかれぬように安堵の息を吐き、内心はガッツポーズを取りたいぐらいには安心していた。
「戦闘の音は全然聞こえなかったです。移動のズシンズシンといった揺れと音はしてましたが」
「…………そうですか」
静かに返す女主人。
表情はいつになく憂いに満ちている。
彼女が笑顔だったのは、一体いつ以来のことだろうか。
「あれを討つ、と言いましたね」
弟子に問う瞬間、気配が抜き放たれた刀剣のような鋭さを有した。
彼女の言うあれとは当然、鉄蜘蛛のことである。
「……、まぁ、あの、はい」
彼女は一歩もその場から動いていないというのに、確実にこの場の空気すら支配下に置いていた。だから颯汰の方が目線が泳ぎ出し、無意識に右半身を後方に隠すような体勢を取ってしまう。
「そんな右腕で倒せると?」
「や、あ、あの、……」
見逃されるはずがなかった。
「どうして、そんなことになってしまったんですか?」
「その、それは……」
一番恐れていた事を指摘されてしまう。
ニヴァリス帝国が皇帝――老帝から真人と覚醒したヴラドと闘いにて立花颯汰の右腕は甚大なダメージを受けた。
勝利の代償に、およそヒトの腕とは程遠い枯れ木のように縮んだ腕。いつか師匠にバレて叱られるとは思っていても、できるだけ先延ばしにしたかった事柄である。
あの時は、そうしなければヴラドに勝てなかった。彼はそれほどまで強者であり、欲望までもが強かった強敵であった。だからこの選択自体は颯汰は間違いではなかったとは思っている。けれどそれはそれとして周りから泣かれたり怒られたりしたので、これ以上は色々と精神衛生上、しんどい。
加えて、己の弱さから師が呆れ、失望してしまうのではとも不安が過る。あるいは、一から鍛えなおすとしてハードなトレーニングが追加されるやもしれない。この体格の子どもにとって最高難易度級のものだろう。虐待とほぼ同義なレベルの。
ゆえに、颯汰はたじたじとなっていた。
「じ、時間があれば治るんですよ! 今はちょっと、こうですケド」
声が若干裏返ってしまうほどに焦りが出ていた。
しかしこの言葉に嘘はない。
医者が黙って首を横に振るような状態の右腕だというのに、“獣”の力によって自然回復はしている。ただ此度も戦闘行動なぞ厳禁であるというのに破ってバクシンバクシンしているせいでそのツケは溜まっている状態だ。すなわち完治までの月日が激増している。左腕からの報告はないが、颯汰もそれを感じてはいた。そしてその無理はいつか自分を壊すともわかっている。ゆえに動ける誰かにプロテア・グランディケプスを託すつもりでもあった。
ジッと颯汰を観察した師は、溜息を吐いた。
「……そのようですね」
霊器「ディアブロ」で覆われていても、精霊は彼の言葉はに嘘はなく、真実であると認める。ただ彼女は、颯汰の腕の復活が既に幾年も掛かることを見抜いた。この状態ですら自然治癒でイケるのもちょっと意味わかんな過ぎてドン引きなのだが、その時間を早める秘策が彼女にはある。
鉄蜘蛛を仙界から追い出す以外にも、彼女は準備をしていた。
この時の為に、すべてを整えていたのだ。
「……では少し、治すのに協力してあげましょう」
颯汰は、彼女が治癒魔法も使えるというのは心得ていた。
だけどそれに対し弟子は手を振って断ろうとした。
「え、あぁ、いや、これはもう自然で治るし――」
「――そんな腕で、あの蜘蛛を討てると?」
言葉こそ平常なのに、圧が強かった彼女の返し。
言ってることは至極真っ当でその通りであった。
だが師である貴婦人もかなり無茶をしていた事を颯汰は覚えている。
体外魔力が薄くなった物質界――地上に雨を降らせるという行為にどれだけの自己の犠牲を払ったのか非常にわかりづらいが、永劫に生きるとされる仙界の精霊が消滅寸前まで魔力を使ったという点だけで狂気染みた行動である事は想像に難くないだろう。
仙界にいながら地上へ干渉するのは、魔王ですら困難であり、竜種であっても無駄であると避ける行いである。リスクとリターンが見合っていない。
それでも彼女は地上に慈雨を降らせたのである。その後遺症で回復は遅くなっていたのに、さらに紅蓮の魔王から弟子を解放するために禁術まで使って命を削っていたのである。
この師であればそりゃ弟子も命を簡単に投げ捨てるな、と言われても仕方がないだろう。当人たちは確実に否定するに違いないが。似たもの師弟。
「治すって、師匠もだいぶ消耗してたじゃないですか」
「フフフ。その目で確かめてみてはどうです」
師は不敵に笑む。
颯汰は首を傾げながら“獣”の目を用いて彼女を見やる。
以前は精霊としての存在すら危うく、崩壊を招きかねないほどに弱り切ってボロボロであったが、全快しているように映る。錯覚かと思い颯汰は自身の目を擦るが、やはり彼女は万全な状態にしか見えなかった。
「!? 体内の魔力の流れも安定? もう、治っている……?」
「フフフ~」
得意げに一回転する師匠。かわいい。
体表に傷が無いのは勿論のこと、流れる魔力に漏れがない。
どこにも消耗している様子が無かった。
体内の魔力の経路を隈なく調査しても、どこにも異常が見られない。
まるで生まれ変わったようにプルプル自然肌である。
「自己回復、というやつですね?」
得意げにふふんと鼻を鳴らす師匠。
身体の傷に対する治癒だけだと思っていたが、応用が利くらしい。
また仙界に満ちているマナが回復に大いに助けになったのだろう。
「なるほど……」
「この回復の魔法――今の貴方にも授けることが可能でしょう」
「えっ、本当ですか!」
「勿論です。そうすれば救える相手も増えるでしょう?」
甘美な言葉を巧みに使われ、翻弄されている。
弟子も普段は疑り深く捻くれているというのに、今回ばかりは割とガバガバ激甘判定であったといえる。焦りもあったし、変身して戦えないのが負い目となっていたのだ。
「……この手も、すぐに治せるんですか?」
「……さすがに一瞬で、とはいかないかもしれませんがね。まず私が貴方のその右腕に回復魔法を当ててみましょう」
そう言ってから、彼女は颯汰に歩み寄る。
そこに何らおかしさや違和感を覚える余地はない。
だが、颯汰は何かを感じ取った。
師匠の身は何ら変化ないどころか、全快だ。
彼女も自身を回復させたのは明白である。その力と同じものでなくても一端でも得れば、助かるし助けられる相手も増える。
悪い要素はまったくない。
それでも、内側から警鐘が鳴るように鼓動が早く強くなるのを感じた。
何かが、おかしい。
危機察知も発動しない。
それなのに颯汰の足は自然と後退していた。
「ただ、少し、再生する箇所が痛痒い、らしいですよ。だから――」
自分の行動に驚くように下がった脚を見ていた颯汰であったが、それ以上に師の奇天烈な行動が襲い来る。
「えっ」
颯汰は瞬時に『亜空の柩』から英雄の剣を抜き放ち、防ぐ。
反射的に一刀にて斬り落としたのが、剣の師である湖の貴婦人が放った飛ぶ斬撃である。
颯汰に向かって飛来した水の斬撃は飛沫となって爆ぜ、白く周囲を染め上げた。
その矢先、颯汰は自身の首筋に冷やりとする感覚がする。
見えないまま颯汰はプロテアを振る。
刃は空を切らず、ぶつかり合った。
「よく、防ぎましたね」
水はすぐ散り、声がすぐ近くで聞こえた。
剣と剣が衝突し、眼前に師が立っていた。
霊器「ディアブロ」を右腕代わりに用いて、両手で剣を握っていなければ、忽ち霞となって散っていたのは颯汰であった。
「どういう、つもりですかっ! 師匠……!」
突如として、剣を構えて仕掛けてきた師。
困惑し叫ぶ弟子に対し、師匠は剣で押しながら微笑んでいた。こわい。
――偽物……!?
彼女は、本当に師匠なのだろうか。
その疑念はすぐに斬り裂かれる。
「くっ……、やっぱり師匠だ……!」
彼女の剣を押し返そうにも難しく、横方向に剣を弾く。
すぐさま返す刃が襲い来る。
鋭い斬撃が、颯汰に迫った。
「きちんと受け止めましたね。よくできました」
声音だけが穏やかでこわい。
しかし、そう言いながら神速の連撃が叩き込まれる。
剣だけでは防ぎきれないと判断した颯汰は、『亜空の柩』から剣と盾を二つずつ放出し、布型霊器であるディアブロを操り、伸縮自在の腕にて武具を運用して猛攻を防ぐ。
しかし、それは直撃を防いだに過ぎない。
離脱するように後方に飛び去った颯汰が、着地して靴で地面を擦る。
距離を取った時に、気づいた。
師の連撃を防ぎきれたと思ったが、剣と盾を掴んでいた布部分が切断されて地面に落ちて音を立てた。
「どうして……!」
湖の貴婦人が握る武器はシンプルな刀である。確実に手加減――情けや容赦はされているのだが、彼女が武器を手に取って襲い来る理由がわからない。
「抵抗される前にボコボコにしようと思いまして」
「イカレてんですかね、ウチのお師匠さま」
肌も使う言葉も思いやりすらもヒトに最も近しい存在だというのは誤認である。
彼女こそは仙界の第三階層を統べる管理者。
他の精霊と一線を画すもの。
ある種、自然や現象の具現とも呼べる存在――。
即ち、かつて“神”と称されたものたちに近しい存在である。




