EX.02-1 蠢く陰
ヴェルミ領内南東の辺境――。
そこに追いやられるように存在するキニス領の領主となった男がいた。人族であるが過去の功績が認められ爵位を、エルフのウィルフレッド国王から賜れたのだ。彼は、元は隣国たるアンバードを分ける国境付近で戦う『黒狼騎士団』所属の戦士であったが、今や現役を引退していた。
与えられた領地の屋敷内――執務室にて。領主は独り机に置いた書面を持ち上げては睨み、言葉を漏らす。その隣に書類が小さな山となっていた。
「ん、……年々家畜が野生の魔物に襲われて、ダメになる件数が増えている」
自身の領地内とはいえ、小高い山や小さな森を越える必要があるプロクスという村についての報告書であった。まだ人に直接被害が出ていないが、家畜に対する被害がジワジワと増している。そろそろ本格的に対策を練った方がいいのだが、どこも手一杯で人手が足りない。人族に戦力を与える事を恐れている一部貴族によって、キニス領は戦争経験者や騎士といった人物が殆どいない状態である。森や河、谷などといった自然の防壁のお陰で、侵攻時に受けるであろう被害から得る旨みがあまり多くないため、南方のマルテ王国から侵略を受ける事がまずない土地だと言えるが、あまりにも扱いが悪い。
ダメ元で騎士の派遣願いを書くべきかと領主が思った矢先であった。
執務室の扉がコンコンと叩かれる。
「ご主人様、失礼します」
侍女がやって来た。落ち着きのあるエルフの女性だ。
「憲兵の皆様が――」
「――あぁ。応接室かい?」
「はい。既にお通ししています」
「ん。ありがと」
信頼と慣れゆえの短い会話を交わし、領主が席を立つ。扉から下がって待機した侍女の横をすり抜けて応接室に向かった。
少し時間が飛び、応接室にて。
領主は穏やかな物腰で来客に対応していた。
背の低い机を囲うように椅子が配置されている。窓から差し込む光は、まだ昇っている最中だ。
「――以上が、報告となります」
「あぁ、ご苦労様。わざわざありがとうございます」
巷を騒がすカルト教団『ゴモラ』が起こした『児童連続誘拐事件』についての報告を受け、素直に礼を述べる領主――マクシミリアン・フォン・ハートフィール。貴族入りし、「フォン」の称号姓も与えらた彼は四十半ば、退役したとはいえ未だ筋肉に衰えが見えないがっしりとした体型の人族だ。
対する紅葉のような濃い色合いの制服を着こむ憲兵たちはエルフで瑞々しい若さであるが、この領主の倍以上歳を取っているのだから、同じ人間とはいえ、種族の差とはまた不思議なものだ。
「………………“剣狂”健在でしたな。まさか単独でカルト教団の首魁を斬り倒して、他の教団員たちの潜伏先を五つとも壊滅させるなど……」
「いえいえ。あとわかっていると思いますけど四つですよ。身体が思ったより鈍っていて困りました。相手方が戦うことに慣れている人が一人でもいたら状況が変わってま――……。いやあ、報告書の方もありがとうございましたー。みなさーん。お客様がお帰りになられ――」
最初は笑顔で嫌味をさらりと回避しようとするが、険しくなる表情を見て、慌てて客人たる憲兵二人を帰そうとするものの、もう一人が言葉を遮り、詰め寄るように直球で言い放った。
「――何故、我々を待たなかったのです?」
エルフの綺麗な目が細く、責めるような鋭さを持ち始める。それに対してマクシミリアン卿は困ったように声が詰まり、少しの間を置いてからエルフの憲兵が溜息を吐いて話を切り上げた。
「――……結構です。では、我々はこれにて失礼します」
苛立ちを隠さないまま席を立ち、一礼をして退室していった。
長机の上には他の村で起きた事件の関連者に対する調査などの資料を数枚と、一滴も飲まれていない、少し冷めた紅茶が入ったカップが三つだけ残されていた。
万感の想いを溜めた空気と一緒に吐き出した時、侍女のエルフが空いた扉をノックし入室する。
帰りは他の侍女が対応しているのだろう。
「…………塩でも撒いておきますか?」
「やめなさい。もったいない」
少し笑って返すと、マクシミリアン卿は資料を拾い集めて茶の片付けを侍女に任せる事にする。
「全く、ご主人様も堂々と返せばいいのですよ」
「堂々と?」
「『お前たちがモタモタして遅いから私が一人で解決してやったのだ』って」
「それを言うと余計に拗れるからね。絶対言っちゃあダメですよ?」
マクシミリアン卿も何も憲兵たちが遅いと責めるつもりもなく、衝動的に動いた自分が悪いと断じていた。他に即座に動ける者がいなく、結果的に助かった命はあったものの、大怪我で引退した身としては些か短慮であったと反省はしている。一人で行って返り討ちにあい、そこから更に犠牲者が出た可能性だってあったのだ。本来は憲兵に任せた方が確実だったのであろう。
似てない声真似にまた少し笑みを零しながら軽く注意をする。畏まりました、と頭を下げるこのエルフのこの女性は聡明であるため、そんな愚行はしないとわかっているのだが、マクシミリアン卿は一応言っておいた。
「では私は執務室に戻るよ。……“彼女”はどうしています?」
「……………………」
彼女とは誰か言わなくてもわかるはずであったが、侍女は黙る。金色の髪が少し濃い影を生み表情を隠していた。
「?」
沈黙に対し首を傾げた領主に対し、
「さぁ、静かな子ですから。大方、ご主人様がいない内にまた執務室に侵入しているのでは?」
いつもの調子で侍女は答えた。
一瞬だけ何か違和感を覚えたがそれもすぐに忘れ去られる。
侍女の答えに納得した様子のマクシミリアン卿は「なるほど」と答えて別れて行ってしまった。
その背後から刺さる視線に気づかぬまま――。
執務室の扉を開けた。
確かに普段通りならば義子に迎えた可愛らしい少女が、ぼぅっと飾られた二振りの愛剣を眺めていて、誰かに見つかると恥ずかしそうにして逃げ出すのだが、此度はここにはいなかった。
少女は件の教団が起こした『児童連続誘拐事件』の被害者にして首謀者たる教祖の娘であった。
マクシミリアン卿は彼女を保護した後、他の儀式場へ赴き、教団員たちを断罪して回ったが、生き残りは義理の娘として迎えた少女以外にいなかった。
他の儀式場は酷い有り様であり、その内の一つは教団員と“贄”たる子供が既に全滅していた。肉が内側から炸けたような子供の遺体と、ぐしゃぐしゃに潰された遺体――今渡された報告書では自刃した遺体もあり、何が起きたかの詳細は不明であるが、残された物や痕跡から第三者の関与している確率は低いという。つまり狂った教団員が仲間や掠った児童を殺し、最期に自殺したというのが調査結果であった。
――間に合ってさえいれば……
救えなかったという罪悪感と、狂った教祖とはいえ母親を討ったという事実にマクシミリアン卿は己を責め、せめて残された彼女は大事に育てようと決意した。
少女も母親に“儀式”とやらで散々暴行を受けた跡があり、その精神的ショックからかあまり口数が多くなく、感情の起伏が乏しかった。今、それも半年の生活で徐々に回復の兆しが見えてきたばかりである。
周りに与えられる愛情に困惑しつつも、その温かさに触れてから、一人の少女として――人間として生きる喜びを覚え始めていた。
そんな彼女に名と居場所、生きる喜びを与えた偉大なる領主――マクシミリアン卿は再び執務に取り掛かろうとした。事件は収束したが、今はそれ以外にも小さいが色んな問題がある。人々が生活するうえで都度起こるものだ。
彼は領主として領民を護るべく奮闘していた。
事件の報告書に目を通した後、再び元の職務へ戻り始めて半刻が過ぎた頃。
すごい勢いで叩かれる扉が返事を待たずにこじ開けられた。
「――し、しっ、失礼しますッ!!」
「どうしました? 酷い剣幕で……」
作業服たるオーバーオールとシャツ姿、手袋を慌ててポケットに詰め込んだのか革の指がぷらぷらと動かしながらやってきたのは庭師のエルフだ。
「嬢ちゃ――、お嬢様が誘拐されました!」
一瞬、何の事を話しているか理解できないほどに衝撃を受けた領主であったが、すぐに壁に掛けた双剣を奪うように掴み、先に走る庭師を追いかけて、少女に与えた部屋に駆け込んだ。
清潔感のある子供部屋はピンクに花柄のベッドには、白い熊のぬいぐるみが前に倒れていた。元より物がそう多くない部屋であるが、椅子が一つ、ひっくり返っているのは異常だろう。
さらに、少女らしい部屋に一際浮く物が置いてあった。
黒地の布の上に羊皮紙が一枚――。
「す、すいません。あっしが勝手に開けて……」
どうやら庭師がそれを一度開封したらしく、それは黒い布に包まれた状態で置いてあったのだ。
布に白色で描かれた奇妙なマークに、マクシミリアン卿は覚えがあった。
儀式場で何度か見た気味の悪いシンボル――。
重なって完全な一つとなった両手の親指が下向きで、その手のひらの中心に縦向きの単眼、その上には零れる滴と、垂れた事により生み出された波紋を思わせる天使の輪が三つ――それが例のカルト集団――『ゴモラ』のマークであった。
羊皮紙に書かれた文面を読み終えた途端、マクシミリアン卿は投げ捨てながら速足で踵を返す。
庭師が声を掛ける前に、
「書面に従ってください。決して、外部には漏らさぬように――」
何者の発言すら受け付けない強い拒絶の意志を見せ、彼は単身で書面に示された場所へ向かう。
厩舎で剣を置き、ウマに跨がり、走り出した。
主の唐突な外出に屋敷内の人々は当惑していたが、庭師が持っていた文を読み、絶句する。
そこには――、
「『ソドム』は預かった。返して欲しければ、武器を持たず一人でここへ来い。もしも憲兵を呼べば『ソドム』の命は無いと思え」
――と、書かれ、地図に印が付いていた。
『ソドム』とは、少女が“儀式”の生贄だった頃に呼ばれた名であると、皆が知っていた。
まだ、『ゴモラ』は壊滅していなかった。冷めた悪意はただ、鳴りを潜めていたに過ぎなかったのだと、マクシミリアン卿は痛感する。
続きます。




