38 師弟の再会
「イイこと……?」
生唾をゴクリと呑むなバカ。
一瞬、魅力的な提案をされたという錯覚に陥り、気が狂ってしまいそうになっていた我らが主人公であったが、さすがに状況が状況なのですぐに正気に戻る。……ちょっと間を置いて、と表現する方が正しいかもしれない。人ならざる精霊であっても対話ができて、醸し出す雰囲気も含めて、何かまともな判断を狂わせる要素があるのだろう。そこで立花颯汰は自身の左頬を掴んで強めに引っ張り、精神を正常に保つことに成功する。
思春期拗らせボーイであったが、どうにか優先すべき事象を定め、弁えた。
「……ふいませんが、急いでるんです」
何それー、とクスクスと笑う精霊たち。
子どもたちはどこか退散させた水の精も戻って来た。
彼女たちの体は透けていて、人体にあるものが無いとはいえ、布が必要だ。
マナに満ちた仙界にて住まう彼女たちにとって、存在しないのだからそもそも隠す必要性もないのだが、やはりどうにも気になってしまう。
「でーもー、私たちが教えないとー、辿り着けるのー?」
「ぐっ……」
このまま、ノーヒントで“白亜の森”を進むのは危険である。
この異空間は通常の森と同様に迷いやすい。
時間も無ければ、また幼子のような姿の精霊たちに遊んでとせがまれ、残った左腕まで引き千切られてしまったら目も当てられない惨状だろう。
ゆえに、颯汰に選択肢などないようなものである。
「イイことって、何です?」
恐る恐る尋ねる。
自分のお願いを叶えてもらう“代償”ということを忘れてはいけない。しかし、魅力的なお姉さんにイイことなんて言われたら、否応なしに頭の中で、何かしらの期待が生じるのが男子の正常な反応ではあるだろう。
「それはね~~~…………」
「……」
水の精の言葉に、今度は緊張で生唾を呑む颯汰。
ちょっと年齢制限に引っかかるような事でなければいいような、よくないような。ただし精霊が絡むと後ろに『G』って付く事案の方があり得るものだ。
ニヤニヤして、細くなった目がまた怖い。
これはちょっと、マズいことを訊いてしまったかもしれないと焦りだす。
全身を舐めまわすような視線が、じっとりと濡れていて嫌な汗が出てくる。
「――…………ね~~~~」
「いや、もう、勿体ぶるな」
一呼吸を置いた後に、再び伸ばし始めたので颯汰がツッコミを入れる。
現在も騎士たちが鉄蜘蛛と交戦中だと思っている颯汰は、早急に彼らの下へ戻りたいと願っていた。
しかし彼女たち精霊にとって、物質界――人間が生きる地上の事など無関係な話である。
人が無駄死にする可能性があると伝えて、求めている解答が返って来るとは限らないどころか、戦慄する言葉を投げかけられる恐れだってあるのだ。
それに、今精霊たちがやりたがっていることですら、何かしらの危険なものである可能性だって大いにあり得る話だ。糸無し逆バンジーであったり、無限鬼ごっこ(魔法あり)であったりとロクな提案をされた記憶が無い。経験則から嫌な予感しか感じなかった。
師である“湖の貴婦人”さえいれば秩序は保たれるが、姿が無いとなると彼女たちの「お願い」は歯止めが利かないことが予想される。
自身の胸の鼓動が強く、警戒するように音を鳴らしている。
どんな無茶ぶりが振られるか、人ならざるものだからこそ予想できない。
人語は扱い、意思疎通ができるようで少しズレが生じるのが精霊だ。
悪意なく人を害し、善意で傷をつけてくる。精霊のすべてがそういう訳ではないが、心のどこかで警戒と理解を同居させた方がいい。
溜められた後の言葉を恐れながら、辛い沈黙のあとに精霊たちは発表をする。
「それは~~……おままごと、です!」
「………………ぱーどぅん?」
耳を疑うような言葉が聞こえた。
颯汰は自分の耳がおかしくなったのか、脳がおかしくなったのか疑うが、
「ままごとだー!」「わー、ママごっこー!」
精霊たちが頭おかしいという認識で合っていたようである。
ある意味で安堵の息が漏れる。いや、これは呆れの溜息だろうか。
颯汰は額を押さえ、感情の渦から飛び出していき溢れでるものを必死に抑え込もうとした。ここで彼女たちに説教をかましても、暖簾に腕押しというやつだ。颯汰から大き目な溜息が出るのは仕方がないことと言える。
「精霊って、こういうとこあるんだよな……」
彼女たちも見た目こそ成熟し、人語が他の精霊に比べてもかなり達者であるのだが、本質は精霊という点では他のものと変わらないことを改めて示された形であった。
「わたし、おかあさん。ソウタ君はペットね!」
「お父さんとかじゃないの!? というかペットって要る? ままごとにおいて人数が溢れたときの選択肢では!?」
三人家族設定なのかもしれないが、ペット枠は無駄ではなかろうか。有識者と現役女児からの意見が欲しいところであるが、素人目では必要性がまるでわからない。古くから愛玩動物も家族の一員として扱う家庭は多く、その思想自体、動物の生育に邪魔にならなければ悪いものではないだろう。でもペットも家族だからでおままごとでペット役は如何なものか。
颯汰のシャウトの後、木の精霊と水の精霊が挙手して自分がやりたい役を立候補し始めた。
「わたし、再婚した方のお母さん!」
「え? じゃあ私は死んだ旦那さんの妹で、今の旦那さんの元カノ!」
「うーん、じゃあ夫を殺して今の旦那と死体を埋めた帰りとか?」
「やめろやめろ妙に関係性が複雑怪奇なサスペンスは! 旦那さんじゃなくて良かったわ! ……って違う、そういう話じゃなくてですね……!」
わいやわいやと女性形の精霊たちが颯汰のツッコミをスルーして、各々が自分は何の役をやるのか、などで盛り上がり始めた。再婚した母親が探偵と殺し屋を雇うとかどこの世界の一般家庭なのだろう。
女性にしては話に華が無いというか、あまりにも色香が足りていない。
わいわい騒ぐ彼女たちに違和感を覚え、颯汰はふと真相に気づく。
「……時間稼ぎですか?」
颯汰の一言に、精霊たちが止まる。
ぎくりという擬音が聞こえそうなくらい、目が泳ぎ出している。
純粋ゆえに、わかりやすい反応であった。
「なるほど。……間違いなく、師匠が何かを命じたんですね」
いくら何でもおかしいわけだ、と颯汰は続けて言った。
「べべべ、別に、そんな、ないよ?」
「ちゃちゃ、ちゃうわよ。ちがうちがう」
「わわわわ、わたしたちは……」
精霊たちがあからさまな動揺を見せる。颯汰の時間を浪費させる必要性があるわけであるが、その理由が見えない。
「師匠の下に、連れて行ってください」
颯汰の声に圧が増す。
遊びの時間は終わりと告げるように。
これ以上は、付き合いきれないと瞳でも語っている。
「短いとはいえ、貴女たちとはそれなりに付き合いがありました。でも、……今はなりふり構っていられないんです」
左腕を変化させ『亜空の柩』まで準備する。
余裕があれば付き合ってやってもいいが、人命が関わっているとなれば、遊んでいる暇などない。精霊たちとの関係に亀裂が入る可能性もあったが、それでもやはり手を伸ばし続けながら、命を燃やして走り続けるのがこの男なのである。
強化済みの剣の柄が出現する。
抜き放てば最後、後戻りはできそうにない。
沈黙は重く、この場にいるすべての者に圧し掛かるようであった。
姿こそあの頃の少年のままであるというのに、冗談が通じる様子もないことは精霊たちも察したであろう。
仮に戦えば精霊たちが圧倒的に優勢であるし、イキり小僧など敵ではない。精霊による魔法連打で勝負どころか戦いにすらならないで終わる。
しかし彼女たちが理性を溶かした害虫のように振る舞うと、後が恐いためどうにか踏み止まるしかない。制圧するにも万が一、怪我をさせたら首が飛ぶ(物理的に)。ゆえに、彼女たちもどうすべきか迷っていた。
無傷で颯汰の捕縛は、昔ならいざ知れず、今は不可能だろう。
「困っちゃうねー」
「本当の事言ったら、怒られそうだしね」
「うーん。待ってもらうしかないなー」
「……?」
精霊たちが話し合いを始め、颯汰が目を細める。
「ウチのボス、こっち来るけど、それまで待ってもらってって言われたの」
ボスとはこの“白亜の森”の管理者――“湖の貴婦人”のことで相違ない。
彼女が登場するまで、時間を稼げと言われた様子であるが、一体彼女は今、何をやっているのだろうか。最悪の幻視――鉄蜘蛛を移送している姿が目に浮かんだ。首を振って嫌な妄想を消し飛ばそうとするが、やはり引っ掛かりを覚える。
「師匠は今、何をやっているんです」
「それは本人に聞いてね」「口止め口止めー」
「…………」
口の前で両人差し指を交差させて×をつくる。見た目が成熟してるわりに服が無くてセンシティブ寄りなのに、言動が基本的に幼い。
「まぁ嘘ついてたりしたら指さしたりして合図するからさー」
「……」
ケラケラと笑う精霊たち。彼女たちと真面目な会話をしようとすると調子が狂う。まともに取り合っても無駄な場合が殆どではあった。
「すぐ、来るんですか?」
「うーん。女の子って準備に時間かかるからねー」
「しーっ!」
これから数時間待たされたらさすがに発狂する自信がある。
森を燃やす暴挙はさすがにその後に命が獲られるのでやれないが、それぐらいの脅しは必要かもしれない。脅しという行動が通じるかは別として。
「……」
苛立ちをどうにか抑えるが、誰かに当たっても現実は何も変わらないし状況は好転するわけがない。颯汰は待つことを決めるしかなかった。
次の瞬間、仙界が大きく揺れる。
横に揺れるのではなく、縦に跳ねるように揺れた感覚がした。立っていられないという程ではない。長くはあるが断続的に続いているとは言えず、一定周期で大きな音と共に揺れが伝わってきた。
「地震とは違う……まさか――」
木々が揺れても飛び立つ鳥もいない。逃げ惑う小動物も、虫もいないのがこの異空間である。
誰も騒がず、視線が一点に向いたのを颯汰は見逃さなかった。
彼女たちが努めて何か言って誤魔化そうとしたが、颯汰は既に走り出している。
影を置き去りにする走法は健在だ。
幼子とは思えぬ速度で木々をすり抜け直進する。
精霊たちの制止を振り切り、加速していく。
そして辿り着いたのは――……
「なんだ、これは……」
白亜の森の景観を崩す、災禍の痕。
青い岩肌みたいな地面に、削られた木々の白が冬景色を思わせる。
薙ぎ倒された木々の奥、瑠璃の壁面には、巨大な洞穴が見えた。
なだらかな森が続いていた先、瑠璃色の積み重なった層が形成した崖に、途轍もない大穴が開いているのだ。
「……!」
そこから続く、抉られた地面、踏み潰された木々――何か大きなモノが通った痕跡が伸びていた。
颯汰はそれを追い、佇む影を見つける。
一つは、この空間から地上へ進みだした殺戮兵器と思われる姿は、今し方、巨大なゲートを通じて移動し始めた巨大な怪異――“鉄蜘蛛”であった。
「やはり仙界にいたのか……――」
ちょうど空間に生じさせた巨大な裂け目から地上へと移動し、白亜の森から姿を消した鉄蜘蛛。その巨体が消えた後に残ったものが二つ目の影。
「――……師、匠……?」
黒いゴシックなドレス姿。同じレースの付いた黒い日傘でも差しても不思議ではない見た目であるが、その手に剣すら持っていない“湖の貴婦人”がいる。
師に対して颯汰は、どうにか声を出せた。
端的に言えば、最悪の状況に思える。
仙界にて地上への門を開き、操れるのは“管理者”として権限を与えられた者に限るという事実。
生命を脅かす殺戮兵器が、仙界から物質界に今送られた形だと誰の目を見ても明らかであった。
「…………」「……」
師弟は見つめ合って動かない。今ここで、命の奪い合いが起きてもおかしくない、と予期させるほどに空気が、今にもはち切れんばかりに緊張により張り詰めていた。




