36 剣の名
魔人族の老人が語る過去。
颯汰がこの世界に訪れるよりも以前の話。
ボルヴェルグ・グレンデルが英雄となった日から、半年もの月日が経った頃合い。
第一騎士団所属の騎士としては肉体が衰えて久しい彼は、魔人族のための魔法復活に情熱を燃やす研究者として、騎士団に残り続けていた。
仄暗い地下施設から、開いた仙界への門の向こうの光景がすぐに見えた。四角い枠から先は、まるで別の映像が映し出されているかのように思える。白い神秘的な森に、可視化した魔力の塊なのか、光がぼんやりと浮かんでいる現実とは思えない幻想的な世界が広がっていた。
魔人族の悲願が、漸く叶うと思われた。
「幼き見た目の彼奴等は、最初こそおそるおそる此方を見ていたが、無邪気に手を引っ張って引き摺り込もうとしたのじゃ」
特異な領域である「仙界」。そこには「精霊」と呼ばれる者たちがいる。
ある意味では、彼ら精霊の性質はいたずら好きの妖精などに近い。
問題なのは、まったく悪意を見せず人に害なす存在なことか。
「儂らは、仙界の魔力濃度を先んじて知っておった。掴まれた者は魔力中毒を恐れて振り払おうとしたが、鍛えた兵の膂力にて抵抗しても無理やり引き摺り込まれ、口から泡を吹いて倒れてしまった」
いくら魔力量が高い魔人族であっても、濃すぎる魔力は人体にとって毒である。人間が許容できる量を遥かに超えた異界で、防護服・防御用の魔法による障壁などなく侵入は自殺行為であるとわかっていた。
「驚いた、あどけない子供に見えたが、鍛えた騎士ですら、雑に片足を掴まれたぬいぐるみのように、ぐったりとしたまま奥へと運ばれそうになったのじゃ」
おそらくその精霊は、本当に殺意なく遊びたいがために手を引いたに過ぎない。人体の脆さや死について理解していない。仮にその場で亡くなったとしても、気にせず仙界――“白亜の森”の中へ連れ込んでいったであろう。
「儂らは混乱してしまった。そこも過ちじゃろう。……若い護衛役の騎士たちが命令される前に魔法で膜を張って飛び込み、彼を助けようとした。制止の命令を振り切り、勇敢で仲間想いの強い彼らは門に踏み込み、飛び込むようにして引き摺られている彼の手を掴んだ。……しかし恐ろしいことに、大の大人が三人がかりであっても、小さき子供の見た目の精霊に腕力で劣ったのだ。軽装とはいえ騎士を四人引きずっていく。慌てて筋力強化の魔法を使ったのじゃが、それは裏目に出た。あえてその先は言わんが」
「…………」
颯汰が目を伏せる。
救助を試みたところ、強大な力が拮抗してしまったゆえに、痛々しい惨劇が起こったのだろう。悲鳴を上げるべき人間が気を失っていたことも、最悪の結末を迎える要因となった。おそらく精霊は綱引き遊びと思い…………。
「音と、精霊どもの嘲笑が未だ耳から離れん」
悲劇の引き金が引かれ、恐怖を排除するために戦いとなった。
「……儂は、すぐにゲートを閉じるべきだと思った。中に取り残された者たちを置いてでも。だが、装置を動かす前に、研究員の一人が魔法を使って攻撃をしてしまったのだ」
「まだゲートの奥、仙界にいた人たちを助けるため?」
「引き摺られて残った一人と恋仲じゃったらしい。あのままでは自分の将来の伴侶が殺されると思ったのじゃろう。その行いを愚かとは言わん。愚かなのはあの場にいた儂ら全員じゃったからな」
「……、精霊が、反撃を始めた」
「左様。奴らは、戯れのつもりらしかったがな。所謂、“戦いごっこ”じゃ。同じ魔法というのに、質も速度もまるで違ったな……仮に精霊と戦争になった場合、一方的に人類は滅びると確信できたほどにな。笑いながら人間を潰していくのじゃろう。あの時のように」
老人の中に声が響く。未だにこびり付く記憶が心を苦しませる。
『きゃはははは! ころしあい! ころしあい!』『せんそうごっこ! せんそうごっこだー!』『おじさんたち、あそんでくれるのね! アハハ、ころしちゃうよ~!』『しんじゃえしんじゃえー! あははははっ!』
無邪気な声の中に、兵の断末魔と血飛沫の音、肉が潰れる音が紛れる。
後に知ったが、精霊戦争のことを彼らは忘れていなかった。戦争ごっことは精霊戦争を見て人と人が殺しあう様と、精霊が使い潰される様を遊びで表現していたらしい。それを人間が引き起こした悲惨な事件――最悪の虐殺とは捉えずにいたのが尚の事おそろしい。
「……それで、どうなったんです」
「精霊がゲートからこちら側にやって来た。まぁ施設の中から仙界へ魔法の火炎弾を撃てるほどにマナは満ちていたからな。彼奴等も適応できる領域になったのじゃ」
マナが衰退、ほぼ枯渇したからこそ地上から姿を消した精霊たち。
地上へ進出できるだけのマナがここに流れ込んだ証拠であり、魔法が自由に使える状態となったことを示す。
「笑いながら、火を起こし、水を氾濫させ、風を暴れさせたよ。突然のことで一瞬固まってしまったが、犠牲者が増えたところで儂はハッと我にかえって、ゲートを閉じるためのレバーに手を伸ばした。……未だに恐ろしい。手が風の刃で切断された瞬間は、今でも夢にも見るほどじゃ」
骨まで断つ風の刃。風に乗った鎌鼬を思わせる斬撃であるが、しっかり出血はしたようだ。動かない指先と噴き出す鮮血。切断面からすべての熱が逃げていくように燃え、身体は凍り付くように冷えていった。
激痛で膝から崩れ落ち、倒れてはのたうち回る。
自分で作り上げた赤い水面で身体と服を汚しながら、彼は絶叫した。
それを精霊たちは狂おしい哄笑で迎えるのであった。
「……!」
「本当に死ぬかと思ったわい。歳を重ねても、痛みと恐怖には勝てん。それでも、事態を収拾しなければ被害は地上まで及ぶ。その思いでどうにか血の池の上で立ち上がり、レバーを引こうとしたところに、あの女が現れた」
彼は自身の種族に誇りを持っている。
ゆえに、最悪の事態であっても責任を果たすべく立ち上がれた。
ケーブルに繋がれた枠の、エネルギーの供給を止めにいく。
玩具として仙界へと拉致されていく仲間を犠牲する、罪を背負う覚悟を決めていた。
そこに現れる一人の女――。
誰を指して言ったか、颯汰は瞬時にわかる。
女性形の精霊も多くいる中で、あえて“女”と称されるほどにヒトに近しいものは白亜の森にてたった一人。
「……“管理者”」
「……聡い孫じゃな本当に。死んだ婆さんにも自慢できるでな。あの領域を治める者、精霊たちを束ねる首魁、“湖の貴婦人”と真名を伏せた女じゃ」
自分の剣の師であることは今は言わない方が良さそうだと颯汰は口を噤む。
黒いゴシックな衣装の、人ならざる美しさを持つ女型の精霊。
その出で立ちで剣を振るうのかよというツッコミは遠い過去、颯汰にとって彼女こそ最も剣が似合う最強の剣士であると認識している。紅蓮の魔王のは力押しと爆撃は剣術じゃないでしょ、というのも颯汰の認識であった。あれは手本にしてもマイナスにしかならない。
「比較的、会話ができる者じゃったな。この手を治したのもあの女であったし、精霊たちを下がらせたのもあの女。そこは感謝しきれないほどの恩があると言える」
治癒の魔法を使い、怪我人を癒していった管理者。既に死亡していた者以外は、腕がもがれようと、腹に穴が空こうと、頭以外の臓器が損傷していても回復させたという。
とても慈悲深い“湖の貴婦人”――。
とはいえ、すべてを赦すことはなかったようだ。
「……奴は『私たちは精霊戦争を忘れていない。だから、次は無い』と言い放ち、装置を仙界側から目で追えぬ速さの斬撃にて斬り落としおった。そこからは、二度と門は開かれなかった」
帰り際にゲートの中から、外にある枠を剣だけで撃墜したらしい。
大概あの精霊も規格外の存在である。
「え? でもこれは? 壊れているんです?」
しかしこの四角い枠が破損しているようにも、切断面も見えない。
どういうことなのかの問いに対し、単純な答えが返ってくる。
「再建した」
「殺される思いをしたのに!?」
ある意味で研究者・科学者の鑑といえるが命が惜しくないのだろうか。
老齢で自暴自棄にでもなったのかもしれない。などと失礼な想像が颯汰の頭の中でなされていたが、実際は別の理由がある。
「いやいや一応、理由はあるのじゃよ。簒奪者たる“転生者”めを討つには、あの女の協力が欲しいと思った。女の逆鱗に触れるとしてもな。だが、二度目は開かなかった。この老骨の命さえ差し出せば、最悪の時代を終わらせられると思ったのじゃがな」
「なるほど……」
迅雷の魔王に対するカードとして使おうと画策したのだ。
条件が整えば精霊である師であっても、あの魔王を倒しうるとは疑いようもない。特に迅雷は油断もしていたし、黒泥に侵され著しく弱体化もしていた。
――でも、師匠は応じなかった。“管理者”は任意でこちら側から開通できないよう、拒絶ができるのか。……ん?
颯汰が引っ掛かりを覚え、無意識に声を漏らす。
自分の内にいる“獣”の激情に駆られてつい話を聞いてしまっていたが、本来の目的は『鉄蜘蛛』討伐のために、ボルヴェルグの剣を強化することにある。
そこで鉄蜘蛛の謎の行動と、消失から再出現したことを思い出した。
――……待て。まさか、俺たちが戦った鉄蜘蛛は仙界に逃げたのでは……?
ふと思い出すは戦闘中に離脱し、突然姿を消した“鉄蜘蛛”。
仙界は“管理者”クラスのものが各領域を支配し、地上と仙界を繋がる門をコントロールできる。さらに仙界を仲介することで、大陸の端から端までも理論上は移動が瞬時に可能であることは、先のアルゲンエウス大陸で知った。
颯汰は少し血の気が引いた青い顔となる。
頭の中で、謎同士が繋がっていく。鉄蜘蛛が消失し、首都を挟んで西まで飛んだ方法がそれ以外だと、他に個体がいるぐらいだろう。
この老人は遺骸に向けて、自力で仙界へ渡航・潜行ができないと言ったが、それは師が侵入を拒んでいただけで、そもそも仙界に移動する機能が実は備わっているのではなかろうか。あるいは、本当に機能がなくて“誰か”に手引きされて移動していたとしたら――……最悪が頭に過る。もしかしたら、今回の鉄蜘蛛の移動、すべての騒動に師匠――“湖の貴婦人”が絡んでいるとしたら……。
「――……うん。あり得ないな」
老人は首を傾げる。
颯汰の中で疑念が膨らみ始めたが、行きつく答えは疑心暗鬼による混乱ではなく、確かな信頼と印象が答えを決める。
精霊の考えは読めない。比較的、人間に感性が近しい存在ではあるが、だからと言って絶対はない。それなのに颯汰は口にする。
他者を信用せず、最後まで観察し続ける男が、足りない情報だらけというのに自分でも不思議なくらいに真っすぐと断言していた。
「精霊側が鉄蜘蛛を操るメリットがない。それこそそこら中にゲート開いて人間を虐殺した方が絶対に手っ取り早い。それにそうした方が師匠以外の精霊は“愉しい”って考えるはず」
自動で殺してくれる殺戮マシーンに任せるというのも理解できるが、彼女はそこまで人類に対して殺意は高かったようにも思えない。
それとも、勝手に鉄蜘蛛の方が仙界へ侵入してきているのか。
あくまでも想像することしかできず、真実に至らない。
頭の中で決めつけても、本当の正解かは確かめようがないものだ。
「――……直接、聞くべきか」
「む?」
確かめるべく動き出そうと決めた。
「おじいちゃん。……まず先に、要件を済ませよう。……その遺骸を使えとバルクード・クレイモス公爵に言われてここに来たんだ」
「……そうじゃろうな。剣は、持っておるのか?」
「えぇ。ここに――」
幼き左腕が装甲に包まれ、亜空の柩から柄が出現した。
「……その剣の名前を、主は知っておるか?」
見知らぬ鞘に納められても老人はグレンデル家の宝剣であると見抜いた。
英雄――ボルヴェルグの剣。エリゴス・グレンデルから預かったその剣の名を問われ、颯汰は少しの間を置いてから答える。
「…………スーパーヒーローソード?」
「いや嘘、ダサすぎじゃろさすがに。儂とてドン引きじゃわい。おい孫よ、ちょっとお主に向かって助走をつけて殴ってよいかの?」
「そんなに!?」
壊滅的なネーミングセンスに思わず老人も真顔になるレベル。
悪意のない侮辱に対する鉄拳制裁が必要に思われた。
他人様から借りた大事な品だというのに、最近の小学生ですら避けるぐらいのネーミングセンス。ある種、ボルヴェルグの魂が浮かばれないような、冒涜的な発言であった。
本気の失望のため息をされ、颯汰も少しテンションが下がる。
そんなに言うほどかな、と呟くあたりこの男はもうダメ。
老人が咳払いをして、剣の名を言う。
「その剣の名は『プロテア・グランディケプス』。グレンデル家の家宝として受け継がれてきた剣じゃ」
「『プロテア・グランディケプス』……」
改めて剣を見やる。
黒色に包まれ赤い宝玉が嵌められた無骨な剣である。
「ボルヴェルグの小僧はプロテア・グランディケプスにて鉄蜘蛛の装甲を斬り裂き、こ奴めを討伐した。そして度々、剣に『捕食』させていたのじゃ」
「捕食?」
「あの遺骸に剣を突き刺し、内部から吸収していた。じわりと体積も変わるので“喰っている”のじゃろう」
どうやら、変形して噛みつくようなことではないらしい。
突き刺してエネルギーを吸い取るような形だ。
「……怖いな?」
改めて、霊器の中でもかなり特異な物であるとわかる。
「いやでも、やらなきゃいけないんだ。確かめるためにも」
切れ味を回復させるのと、剣身自体の強化するためにはやる以外の選択はない。そして単なる剣が強くなるだけで終わらない、と颯汰は確信していた。
颯汰は右腕代わりの『悪魔』にてグランディケプスを抜き放ち、左手で受け取る。
ゆっくりと歩みながら金属の遺骸に近づくと、プロテア・グランディケプスが震えているのがわかる。
白銀の刃は、まるで呼吸するかのように明滅し始めた。
何を望んでいるかはわかっていた。
「近づくと、やっぱ大きい。……でかい怪物ばかりだ」
見上げる金属の山。菌類のように根を張りながら再生を図ったのかわからぬ物体だけが残っている。それに剣を差し込むだけだ。
「鉄蜘蛛を倒すために、力を貸してくれ『英雄の剣』――!」
振るう剣が光の軌跡を描く。
そして掲げられた刃が、金属の塊に向けて振り下ろされた。
2025/07/27
改行になっていたところなど修正。




