35 異なる世界の住人
高すぎる天井。
照明が照らす地下施設。
アンバードが首都バーレイ。壊滅状態に陥った第一騎士団の基地の地下、極秘の研究施設にて。
立花颯汰は元第一騎士団のそれなりの地位であったであろう老人に問う。
「仙界へと繋がる門を、開ける……?」
「左様」
地下に響く声。
地上の敷地を超える広大な空間で二人きり。
天井に灯された照明が作る影は濃い。
立花颯汰の声音も表情も変化はなかった。
だが、明白に敵意に満ちた感情を表に出しながら問い詰める。
「どういうことですか」
「ほっほっほ。そのままの意味じゃよ」
「……体外魔力を、こちらに流し込むつもりか」
「さすが儂の孫! その通りじゃ」
ボケた頑固爺から一転、好々爺の如き表情で躱そうとしている……のではなく、その目は狂気の炎に揺らめいていたように思える。ある種の情熱であり、執着心が行きつく昏い焔のようであった。
「世界からマナは失われ、自然に生成するものでは大気を満たすには不十分じゃ。ゆえに我ら魔人族から『魔法』――ある種の個性を失ったとも言える。特異性とも言えるか」
老人の言葉が徐々に燃え広がる熱が籠ったように思える。
しかし、相対する男もまた静かに燃え始めていた。
「他種族より肉体的に強い訳でもなければ、エルフ共と比べれば寿命は短い。最も秀でてかつて世界すら掌握した種族が、今やただの魔力量の多いだけのイケメン集団じゃ」
「確かに顔もいい。銀髪赤目のお肌は褐色でね。……いや、そうじゃなくて! 勝手に仙界の門をこじ開けて、“管理者”――精霊自体が許すはずがない! そもそもそんな暴挙、やっちゃいけない事なんだ!」
おちゃらけた態度のせいで一瞬、柔和な空気になりかけたが、颯汰の中で何かが吠える。鎖に巻かれた獣が、肉を食いこませて血を流してでも“怒り”を示すために叫んでいる。
自分の頭の中では、その行動によって引き起こされる『最悪』の結末にすら知らないというのに、見知ったように怒りの感情を発露していた。
「ましてや、悠久の時を生きる者たちなら、“精霊戦争”のことも――」
「――その通りじゃ」
ぴしゃりと颯汰の叫びを遮るように、老人は肯定する。
その一瞬、少し颯汰の中に冷静さが戻る。
バケツで冷水を被ったように、スッと感情が鎮まった。
――……何か“獣”は知っている、のだろうな。だからとても、怒っている。俺の中で、叫んでいる。仙界の門を開くこと? ……違う。この世界に体外魔力が増えること自体を忌避している……?
一体、なぜだろう。
問うて応じてくれるかは、以前だったら不可能であっただろう。今なら、彼の中の記憶にあれば語ってくれるような気がする。
自分の胸に手を当てながら、対話する機会をどこかで見つけないとなと颯汰は考えていたとき、どうやら“獣”は応じてくれたらしい。
「――⁉︎」
それは突然であった。
颯汰の脳裏にビジョンが浮かぶ。
頭に流れ込むモノクロの砂嵐のせいで映像が明瞭としないが、それはかつて繁栄した都市なのだろう。明らかに今のクルシュトガルどころか、現代の地球よりも技術が発展した世界が広がっていた。空に浮かぶ船団と巨大なビル群は、ノイズが奔った途端に既に瓦礫の山となり、さらに爆発が起こった。遠くの空――成層圏を超えた地点から見た光景であっても大規模な爆発が星ごと包み込み始める。星がひとつ、爆発の波で地面が更地の球に変化したところで映像が途切れたところで、颯汰は叫ぶ。
「いや意味わからんて!」
思わずツッコミを入れる颯汰。
一体何を見せられたのだろうか。
急にジャンルが変わったのかという程に、サイバー近未来を見せつけられたと思ったら爆発で星ごと真っ平らにされたように見えた。これで何なのかわかったら想像力が豊かすぎる。魔力の魔の字も見つからないただの爆発、隕石でも落ちた事故のようにしか見えなかった。
――超技術で出来た都会が、一夜にして滅ぶどころか世界そのものが侵食された……? まさかそんなことが起こるとでも言うのだろうか?
考察というより内にいる“獣”に答えを求めている部分もあったのだが、答えではない言葉が飛んでくる。急に叫んだことに驚く人間が目の前にいたのだ。
「急にどうした」
「はっ! えっ、いや、なんでもないです……」
突然、狂ったように声を上げた少年に対し、まぁ若いとそういう時期があるものか、と呟きながら前を向き直した魔人族の老人。そんな時期など普通ないし、老人もおそらく体験してないはずである。
咳払いをして、老人は背を向けて語り出す。
その背に悲愴を漂わせながら、皴の増えた顔のくぼみのような目で壁面を見つめる。その目は壁ではなく過去を見つめるように思いを馳せていたのだ。
「“精霊戦争”のことも覚えておるようじゃった。大昔の事も、つい先日のように覚えている者も多いようじゃったよ。……我々の多くが死に絶えた」
「……!」
彼の目にはこの空間は、血の痕が未だ拭えずにあの頃のままであった。
多くの同胞が、ここで殺された。
開けてはならない地獄の門をこじ開け、悪魔がやって蹂躙された記憶が鮮明に蘇る。
醒めてるからこそ、悪夢が終わらないで現実に残り続けていた。
この研究は誰かを害するためではなく、ある意味で自分たちを守るために始めたものであったというのに。
「精霊どころか仙界の存在自体、今でさえ御伽噺ぐらいにしか思われておらん。仙界への門を開く研究は、それはそれは気の遠くなるほど長く掛かった……」
それでも、諦めきれなかった。
「我らの誇り――“魔法”を蘇らせなければならなかったのじゃ。魔人族を再び、アンバードの王座へ至らせるために」
悲願であった。
アンバードは強き者が王となる国。
その強さは時代によって左右されがちではあるが、アンバードにおいては政治的な面ではなく――“敵”を排除できる実力のことである。
魔族と蔑まされた者たちが集まった国の最初の王こそが魔人族であったが、世界からマナが薄まっていくに連れ、別種族の王が治めることが増えていた。
蔑ろにされ、追いやられた者たちが手を結んで生まれた国で、互いに協力し支え合ってきたという過去があっても、それが明日も守られるとは限らない。いつ手を切られても不思議ではなかった。
魔法という技術が廃れればどうなるか、想像に難くない。
人間は集まればどうなるか。他者への悪口ばかりになるだろう。
それで済めばまだいい方だ。
弱いものとして淘汰、弱者として攻撃対象となり排除される可能性だってあり得る話で、魔人族はそれを本当に心から恐れていたのもある。
ゆえに、彼らは求めたのだ。
失われたものを――。
「暫くして、仙界の門を開けられるに至った。疑似魔法ではなく、真なる魔法を再び手に入れられる……と、思ったがそうは上手くいかん」
「襲撃?」
「いやもうちょっと先じゃ。……ゲートが安定しなかったのじゃよ。最初は小窓よりも小さくてな自然と流れ込むマナでは空気中に霧散して、とても魔法を使うには厳しかった」
「……そもそも、でかいゲート開いても空気中にマナが散っちゃうから根本的に魔法の復活って難しいのでは」
この世界の魔法は体内のオドを空気中のマナと反応させて発動する技術だ。
特に体内魔力が多い魔人族は、国防の要であったと言える。
マナが空気中に多分に含まれているならば魔法は使えるが――空気だとどこまでも拡散してしまうため、仙界から取り寄せるマナは少量では意味がない。
「そう。ゆえにマナ自体をコントロールできぬかも研究をもしていたのじゃ。バーレイだけ、マナに満たせればいい」
「……魔法の独占ですか」
「言うなればそうじゃな。何も世界中に充満させる必要はない。敵にも使わせぬためにバーレイだけに留めておけばよいのじゃ」
「それでも、相当数のマナが必要そうです」
「ゆえに、門を大きく開通させる必要があった。門を複数開けるなどやっても、自然に入り込む量はせいぜいこの地下の床から少しの高さまで程度。どうにか流れを作れないかを模索し始めた」
「……」
「そして、奴が……“鉄蜘蛛”めがヴァーミリアル大陸に現れおった」
「……魔法がない状態で、ボルヴェルグさんたちはアイツを」
颯汰が鉄蜘蛛の遺骸を指さす。
今や形は大いに異なるが、先ほどまで戦った機体と同じ性能であるならばボルヴェルグとマクシミリアン卿、さらに名も知らぬ戦士たちは相当強かったのだろうと予想できる。
「少し省略するが、知っての通り英雄たちは鉄蜘蛛を討ち果たした。そしてその遺体は秘密裏にここへと運ばれた。ヴェルミも欲しただろうが、先んじて我らがせしめたのじゃ」
けらけら笑う老人。しかし一向に壁を向いたままであった。
「何か素材にできやしないかと研究をした。それこそ、グレンデル家の宝剣と共にな。新たな霊器が完成すればまた可能性が生まれる。ただ予想をしなかったことに、鉄蜘蛛は意外な活躍をみせた」
「それが今ゲートに繋がっている理由ですか」
「単独で仙界への渡航、あるいは潜行と呼ぶべきか……そういった機能は無さそうに思えたが、微小に開いた仙界の門に奴めの金属片を近づけると、活性化したのがわかった。それでなんやかんやあって巨大ゲートの出来上がりじゃ」
「なんやかんやて。まぁ、専門的なことを今ここで語られても正直困りますケド。なるほどね……?」
「ゲートを大型化することにより流入した魔力量は増加し、この地下どころか、第一騎士団の基地ぐらいまではマナに満ちたのじゃ」
「……だけど、精霊がそれを許さない」
人間と精霊の間に生まれた大きな溝。生きる世界、寿命による時間の流れだって差異があるからこそ、関係の修復も容易ではない。
「うむ。……最初は、……忘れもしない。無垢な子供じゃと思うた。初めて見る精霊の見た目は麗しく、儚げであったが、幼く無邪気さを感じさせた――どれも幻想、酷い思い違いじゃったわい」
修業時代の颯汰の周りは――管理者である“湖の貴婦人”がいたため、ある程度の秩序は保たれていた部分はある。それでも時折、精霊たちの決定的に『人と異なる』何かを感じて怯えていた時期があった。下手をすれば幼い命は玩弄され、失われていたかもしれない。
ヒトと精霊――倫理観や死生観も異なれば、住む世界が違うから文化も違う。
さらに言えば見た目の姿なんて何一つあてにならない。小さい愛らしい姿や、霊獣を模した動物のような姿であっても、何百何千と時を重ねている者だっている。
綺麗な薔薇の棘は見れば気づけるが、美しさと無邪気さに形がないものを隠されてしまうと気づけないものだ。
「研究に興味を示した様子で、仙界から彼ら彼女らはやって来た。対話はしたが、言葉は返ってこなかった。しかし言語は理解をしている節があったと思い込んでしまったのも運の尽きか」
いや言葉が通じたうえでの行動ですよ、とは心の中にしまい込む。
精霊は人語を理解している。しているうえで思考が異なるのだ。
「儂らは仙界を、いや精霊について何も知らずにいたのじゃ。笑顔で近づいてくる童たち、身体が透けていたり光るだけで人間と変わらないと思い込んでおった。それこそ儂らのように“精霊戦争”など知らない世代なのではと。……そこが悲劇の始まりじゃったな」
煌びやでありながら儚げ、幻想的な佇まいをしている精霊たち。
その美しい非現実的な見た目に騙される者は多いだろう。
透けた身体で流氷の天使とも呼ばれながらも捕食者であるクリオネに以上ギャップを感じさせる行動を取る。
精霊は、人と根本的に異なる生物と認識した方がいいかもしれない。
精霊は過去を忘れていない。
しかし、怒りや恨みといった感情に疎いものばかりである。
それでも、ここで魔人族が殺されるようなことが起きてしまったのだ。
恐ろしいのは精霊は知性も感情もありながら、悪意なくヒトを害する点だろう。




