33 遺物
魔族と蔑まされた者たちが集まった王国アンバード。
その中で魔人族のみで構成された騎士団があった。
それこそが第一騎士団。アンバードが誇る守衛騎士たちの中で『杖の紋章』を持つものたちである。役割として『王の守衛』が表向きであるが……――。
「……あそこか」
第一騎士団の基地は古城の近くに位置していた。
他の騎士団の施設はだいたい同じ場所に集まって建築されていた中、第一騎士団の基地だけは離れていることに何かの意図を以前から感じていたが、それの正解へと近づいていると颯汰は歩みながらふと思う。
門番の役割を担う騎士がこちらを捉える。
一瞬、槍の柄に手を伸ばすところで止め、胸に握り拳を当てるように置いて敬礼をするふたりの魔人族。
「ど、どうも~……」
颯汰が軽く手を振る。護衛として付いてきた騎士たち二名は軽く頭を下げた。所属は異なる魔人族と獣刃族の雪の民がそれぞれ付いてくれたのである。当初は颯汰を深く信仰している鬼人のお兄さんたちが率先して護衛に任に就くと身を乗り出す勢いで立候補してきたが、身長的に目立つ彼らとは行動したくないとしてやんわりと断り今に至る。護衛二人は狂信者たちから人を殺すような嫉妬深い目で睨まれ、若干テンションが下がっていた。また暗がりの路地や人目がつかないような路をスルスルと進んでいく子どもを追いかけるという役目も、それなりに疲れたであろう。
子供っぽく無邪気な笑みを浮かべは、やろうと思えば出来るが、ここでは少し愛想笑いを浮かべるぐらいしかできないほどに颯汰に余裕はなかった。
すぐに切り込んで本題へと入る。
ここで時間を取られるのが惜しいと感じたのだ。
「現在、成体と呼ばれる鉄蜘蛛がバーレイに接近しています。あれを討つために、ここの基地の地下に用事があります」
颯汰はバルクード・クレイモスに渡された指輪を見せる。第一騎士団の紋章と同じデザインの刻印がされている金の指輪であった。
番兵は指輪を確認し、「確かに」と呟く。
「どうぞ、陛下」
「申し訳ございませんが、お連れの方たちはご遠慮願います」
護衛の兵を外せと言ってきた。仕事で子守りをしていた兵たちはムッとしたが、保護対象が手で制止させる。
「お二人とも、ありがとうございます。後は大丈夫です。先に戻って構いません」
そう静かに告げる少年王は、番兵が開けた門から内部へ進んでいく。
基地は鉄柵で囲われ、門以外からの侵入は基本的にできない仕様であった。作りとしては他の建築物と差異はなく、同じ時代に造られた様子が窺える。
他の騎士団の施設とも同じ感じであるが、あえて『基地』と呼ばれる所以があるのだろう。兵舎もあるし訓練所もあるところも共通だ。
しかし、決定的な違いが外観にある。
深い爪痕が残っている。
黒ずんでいる部分や、まるで爆破したように大きく崩された部分がある。
それは恐怖の象徴。
先代国王の力を示した証。
迅雷の魔王が王位を簒奪した後、制裁として攻撃した箇所が幾つかあるが、ここもそうであったのだ。
出来るというのにあえて消し炭にしなかったのは、ここなどを見れば誰もが思い出して反抗など無駄であると理解させるためだ。
守衛騎士たる第一と第二騎士団は壊滅的な被害を受けた。
特に第一騎士団は騎士団長と副騎士団長が死亡、団員も生存者が少数である。この基地を守る番兵は第一騎士団所属ではない。
生存していもいずれも重傷であり、兵役に復帰は絶望的であった。
だから、この基地に無人であるはずだった。
それなのに颯汰が中に入って真っすぐ進んでいく途中に一人の男が現れる。
白銀の髪は老齢のせいではなく、背が曲がっていても鋭い赤い眼を持つ男。
「貴様、何用じゃ」
王に対するものではない、不遜な態度を取る老人。
頑固そうな見た目。古傷が褐色の顔に刻まれていた。
颯汰に対するいきなり無礼な発言を聞き、門番たちが驚き跳ね上がる。
護衛の兵たちも踵を返し、門の前で叫んだ。
「貴様! 陛下に対しなんてことを――」
彼は、第一騎士団の者ではある。
しかしどう好意的に見ても騎士としての職務を全うできそうにない。
ついている杖は魔術的な要素のためではなく歩行をサポートするために存在している。髪はまだ残っていると言い張っているが頑なにローブのフード部分を外そうとしない男。
そんな男を前にして颯汰は歩みを止めた。
緊張が奔る中、颯汰は狂ったような言葉を吐いた。
「あ、おじいちゃん」
護衛の者たちが目を丸くしている。
「孫め。婆さんの使いか? まだ儂は仕事中じゃわい」
一方で老人は王に向かって孫と言い放っている。
あり得ないことだ。
異なる世界から召喚された颯汰の祖父が、ここにいるはずもない。
そもそも彼は祖父母の顔すら記憶にない。
当然、この老いた魔人族と血のつながりなどない。顔の特徴であれば似ている部分を探す方が苦労するぐらい異なる。
「お使いみたいなものですよ。ちょっと中に入れてくれません?」
孫という扱いを否定することもなく颯汰は構わず要件を伝える。
「孫だからお安い御用、……と言うと思うてか」
「わかっていると思うケド、急ぎです」
頑固そうな老人の声に対し、少しだけ声音が鋭くなる。
残された時間はないのだ。
「ふん。ならばついて参れ。儂は茶の準備をしとくるでの」
そう言って老人は背を向け、基地の中へ入っていく。
「……急いでるって言ったんだケドなぁ」
肩をすくめて呟いた颯汰。振り返って護衛たちに会釈をし、老人を追いかけて颯汰は建築物の内部に入っていった。
「な、何だったんだ一体……?」
「あぁ、あの御方は二代前の第一騎士団長であります」
「えっ」
「なぜ、陛下を孫と……?」
「それは……――」
話し声は閉じた門の音で掻き消される。
木製の扉が少し、耳障りな音を奏でた。
颯汰にとって、あまり重要視するようなファクターではない。
しかし、番兵から告げられた言葉に騎士たちは驚きを隠せないでいた。
「「呆けている!?」」
護衛二人の声が重なる。
「そうです。歳のせいで物覚えが非常に悪くなったり同じ話を繰り返したり……、近年はその様子は多々見えてましたが、最近は、その……」
「……先の争乱にて、彼の孫にあたる第一騎士団長が……」
「あ、あぁ……」
高齢による認知機能が衰え出して、過去の記憶が鮮明であるのだが、最近の物事がすっかり覚えられないようになっていたらしい。そこへ、さらに精神を追い詰める現実が彼を蝕んだのであろう。
第一騎士団は王位を狙う簒奪者によって壊滅的な被害を受けた。王を守護することかなわず、散ってしまったのである。
「奥方は亡くなり、本物の孫もあの“黒い呪い”によって失ったのです」
ただ国を恐怖政治で支配するだけではなく、最期には暴走して首都に甚大な被害を与えた先代王。その猛威によって死者は相当数出ていた中で、戦争に駆り出された兵だけではなく、ただの市民――さらには女子供も中には含まれていた。
「それで、小さい陛下を孫と?」
「どうしてそうなったのか我々もわかりませんが、そのようです」
「なんてことだ……」
やり場のない感情に、護衛の獣刃族は耳が垂れ、魔人族は額に手を当てて天を仰ぐ。
災禍は自然だけではなく、建物だけではなく、人の肉体や心までも深く傷を付けてしまうものであるのだ。
不敬ではあっても、彼を責めるのは良心が痛むというもの。
あまりに過ぎた発言があれば咎める必要はあっても、老い先短い彼から縋りついている夢までを奪うことはできないと思ったようだ。
そんなやり取りも知らず、颯汰たちは進んでいく。基地の内部は扉はあるが、東館などは天井の一部が貫通していたりと全体的に破損が目立つ。早々に用事が済んだら立ち去った方がいいし、このご老人も連れていくべきである。
本来ならば応接間みたいなところ招かれるところであるが、颯汰は歩いていく老人に声を掛けた。
「おじいちゃーん。俺、地下に用があるんですけど?」
「なんじゃ? 子どもは外で遊ぶものじゃぞ」
「おぉん……、もう日が暮れる時間ですよ?」
「む? 夕餉は何じゃろうな。婆さんは昨日、魚を焼いたから……」
正直付き合いきれないが、溜息を吐くのを手で抑え込むぐらいには理性が残っている。
老人は考えるように唸ったあとに言葉を中断し、スタスタと歩き出した。
「ふん。まったく仕方ないのぉ。儂らの研究が見たいとは。さすがは儂の孫か。こっちじゃぞー。勝手にいろいろ触ったら儂のパンチが火を吹くでな」
「うーん、もう何か色々とやりづらーい」
思わず本音を漏らす颯汰。
彼が勘違いで自身を孫と呼んでくることの訂正は既に諦めている。
そして第一騎士団の関係者である事だけは老人自身から聞き及んでいたし、他者からも真実であると確かめるのも抜かりはない。
颯汰は老人の後を追う。屋敷内は天井や壁にもヒビが入っていて、危うい。
建物自体を倒壊しないような最低限に補強はした方がいいだろう。
天井に亀裂どころか、三階建ての建物の一階であるというのに空が見える部分さえある。雨水の浸食は建物を腐らせ、自然に返そうと働くものであるのだから、本来ならば放置は厳禁だ。水分による湿気が釘を錆びさせながら忍び込み、湿った木材にカビなどの菌も繁殖し、いつかは建物自体が崩れてしまう。自然に劣化によって崩れるには少し時間が掛かるが、人為的な攻撃も受けたために建物全体はいつどうなってもおかしくない危険な状態ではあったのだ。だが、そもそもここを利用する主な人間がいなくなったからこそ、リソースを別のところに割いて首都の復興を進めていたのである。
颯汰は老人と共に、書庫のような部屋についた。
何か転生や異世界召喚に関する資料でもあれば読み漁りたいところではあるが、その衝動を抑えて颯汰は彼の後に続く。
「孫よ。お前は第一騎士団がどのような者たちか知っておるか?」
「『王の守衛』が役割とおじいちゃんが言っていましたね」
「……そうじゃったっけ? まぁよい。王を守護するのも、首都全体の治安維持を担うのも我ら守衛騎士――第一から第三騎士団の役割じゃ」
老人はいつぞや、南西の城塞都市で見かけたような手回しハンドルに手をかける。それを回すと奥の方から音が聞こえた。本棚が動き、地下への隠し階段が出てきたのである。
「第三騎士団が主に外敵が侵入してきた際に戦う騎士で、市街戦に特化しているだとか……。第二と第一の違いがあんまりしっくりこないです」
「第二は王都の守護――つまり民草を守るという名目ではあるが、密偵の派遣や内部調査といった雑務もやるでの。それに基本的に第一騎士団の補佐役である、…………とは表向きの理由じゃな」
「表向き」
階段を下り始める。
書庫に並んだ机の上、置いてある皿に立てた蝋に火をつけた。
火打石をポケットにしまうと杖と灯を持って、老人は階段を下る。
それの後についていく。少し真っすぐ下ったあと、ゆったりとしたカーブが続いていた。颯汰は壁に手を当てながら進んでいく。
「第二騎士団の紋章は『盾』まさにすべての災いから守護するのは彼らなのじゃよ」
「では第一は? 『杖』の紋章……? 裏の役割があると」
「左様。それこそがこの地下じゃ」
しばらく歩いた後――、闇の中を進みどこか空間に出た気配はするが、暗くて何も見えない。頑張っても人がふたりも並んで歩けない狭い階段から、空気の流れが変わったのを感じた。
「あんまり見えないケド……どこの世界でも、地下に大規模なもの作りすぎじゃない……?」
「土地を新たに用意する必要もないしの。それに、地下はものを隠すのにも都合が良いじゃろう? 誰かに見られないというのが重要なのじゃよ。儂も昔、いろいろと隠したのう。答案用紙や春画やら」
「リアクションに困るのよ」
やはり老人の灯だけが頼りだ。気が付けば、足元の床が木材や石材ではなく金属になっていたことに足音で気づく。空気は少し淀んでいるように思えた。光も届かず、地上とは隔絶された領域であった。
「闇に葬られた歴史。――魔導の探求こそが第一騎士団。厳密に言えば、魔法を操り『王を守る』が本来の役割なんじゃな」
「大陸から体外魔力が失われつつあり、それで魔法は廃れたと聞きますが。……まさか」
「魔法を復活させるためあらゆる手を行使したのが第一騎士団じゃ。魔人族の疑似魔法も第一騎士団の研究によって編み出された法なのじゃ」
老人は語り続ける。とてもボケているように思えなかった。
「霊器の研究も行っていた時期もある。……霊器は危険じゃ。霊器自体ではなく、使う人間こそが危険なのじゃよ。……精霊を騙し、中へ閉じ込めて兵器として転用する、まさに暗黒の時代もあったという」
「……」
「霊器の研究は、まさに遥か過去に起きた争いから着想を得たと言える。“精霊戦争”と呼ばれておったがその実、霊器を用いた人間同士の争いじゃ。それはとても悲惨なものであったそうな」
「……かつての第一騎士団は再び、それを起こすつもりだった?」
「一応、彼らの名誉のために『否』とは答えておこう。それに計画は早期に中止した。“精霊戦争”で霊器自体が殆どが失われ、精霊は消滅し、さらに“精霊戦争”でマナまでもが大幅に減ったという。霊器を新たに作る術もなく、魔法の復活もこれでは不可能という判断じゃろうよ」
「……霊器は、造られなかった?」
「ふむ。その答えを得るための散歩ともいえるな」
「……おじいちゃん、やっぱボケてるふりしてるよね?」
「あぁん? 儂は若い頃はな。それはもうモテてな。学生時代はそりゃ歩いてるだけでキャーキャー黄色い悲鳴が響いての。貴様以外にも孫がちょろちょろ出てきたりするんじゃぞ?」
「露骨な話題転換にしては、結構最悪なチョイスをなさるな!?」
「さて。明かりをつけるぞい」
老人が壁面の何かを操作し、一瞬世界が白く染まる。
暗闇に慣れた目に突き刺さる光に目が眩む。
颯汰は薄く目を開け、庇うように置いた左手を下げた。
明らかに、地上の基地の敷地を超えた広さのある空間である。だが、そんな広さよりも目に映り思考の大半を占めるものが――暗がりで全く見えなかったが、それがあったのである。




