28 背水
西の都市カメリアの近郊にて、巨蟲・鉄蜘蛛が出現――。
それは誤報ではなかった。
東に向かって姿を消した巨大な自律型機動兵器が、中央にある首都を挟んで向こう側に現れる。
あり得ないことだ。姿を隠し、わざわざ行き先を誤認させた可能性もなくはないが、何が目的なのかやはり掴めないままでいる。
鉄蜘蛛とは、無秩序に殺戮を繰り返してヴァーミリアル大陸を荒らしまわった過去から、機械仕掛けの魔物ではなく“巨神の再来”と呼ばれるようになった災禍の化身である。
「「ウォオオオオオオッ――!」」
荒地に兵の雄々しき声が響き渡る。
幾重も叫びが重なっていく。
そこはもう戦場であった。
アンバード領、西端の都市カメリアの近郊――。
巨蟲が現れ、カメリアは混乱に陥る。
ただでさえカメリアでは、突然の発火現象が起き、居城も騒ぎに包まれていた。
事件が続いたうえでの鉄蜘蛛襲来に、交易船から自国に逃げ帰る者も中には出ていた。
しかし、混沌は一時的なもので済んだ。
ダリウス・ファルトゥム公爵の指揮の下――騎士たちは出陣し、鉄蜘蛛の討伐を試みたのであった。
叫びと剣戟の音が荒野を満たしたのは、ほんのわずかな時間である。
過去に数度、対峙した者から敵の攻撃手段は伝わっていた。
だからといって簡単に対処できるものでもない。
口から放たれる粘着弾は当たれば身動きが取れなくなるし、後部を変形させて放つ熱光線は当たれば金属だって焼き切れる。
有効な対策が立てられる前に成体は倒され、幼体が姿を消してそれ以後、今まで出現しなくなったせいもあって、苦戦を強いられた。
遠距離からの弓矢も、堅い装甲に阻まれてしまう。
そこへ、命を賭して騎士と傭兵たちは機械の怪物へ挑む。
見上げるほどの巨体。群がる子蜘蛛たちでさえ人体よりも大きい。
それでも振り絞って向かわねばならない。
守るべきもの、守るべき住居、そのすべてを侵されたくなければ武器を取らねばならなかったのだ。
結果は、酷く言えば惨敗だ。
この上ない敗走とも言える。
敵勢力にダメージを与えられないまま、味方の損害だけが増す。
回避に専念しても、いつか負傷者が出てくるだろう。
西の都市は滅びる。
多くの者が頭に過った絶望は――。
「…………――」
地を揺らす音と共に遠退いていく。
再び、鉄蜘蛛は別の方向へ進みだしたのだ。
否、最初からどこかへ向かって歩いているところを、小さきもの共から攻撃を受けて歩みを止めていたに過ぎなかった。
「退いた、のか……?」
皆が心の中で思った、誰かの呟き。
しかし、戦場にいた誰もが武力によって敵を撃退させたとは思わない。
勝鬨の声を上げる者は、だれ一人としていなかった。
成体と呼ばれた巨蟲・鉄蜘蛛はカメリアを襲うことなく、遠ざかっていく。
巨体ゆえの緩慢な動きに見えるが、実際はかなりの早さを有している。巨体であるから一歩一歩の移動距離もかなりある。
東へと向かい始めた機械の軍勢。
安堵は束の間であり、怪我人の救護などが急がれた。
巨蟲は目的地へ進む。
最初こそ敵が何を目指しているのかは不明であったが、去っていく方向にて気づいた者たちもいた。ゆえに早馬で知らせに走る。他にも確立している、手旗による都市間の通信も行った。
そして、翌日には首都にて知らせが届く。
アンバード領の中央たる首都バーレイに激震が奔った。
――『鉄蜘蛛が首都を目指して進行中』。
虐殺を是とする機械の軍勢は、進行方向から察するに、アンバード最大の都市――最も人が多く集まる場所を目指していた。
再編成し、カメリアや周辺の町や村から出撃する兵たちが足止めに動いた。
実のところ、彼らのような名も無き英傑たちが奮戦しなければ、即日でバーレイは陥落したことであろう。実質的なダメージを負わせることはできなくとも、兵たちの血と汗、命の輝きにより守られたものは大きい。
アンバードを支配するバルクード・クレイモス公爵がそう語ったという。
民へ首都から脱するように促すが、一日ですぐ避難が完了するわけもない。
本来であれば守りが固められている都市よりも、頑丈な場所などない。
立て籠り、敵の攻撃を防ぐために聳えて囲う外壁があるのだから。
それでも、鉄蜘蛛相手では無力であろう。
ゆえに武力を行使してでも少しずつ民を東へ逃がしつつ、総力戦に備えた。
ただ――……。
「ぐ、っがぁ……!」
バルクード・クレイモス公爵が苦悶の声で唸る。
彼の顔面の右側が病によって腫れ上がるように赤く膨れ、全身が痛みと異常を訴える。内側から爆ぜるような宿痾の猛攻を受けていた。
「わかって、おるのか……!」
誰もいない私室で、公爵は叫ぶ。
「わしが出なければ、首都バーレイは、否、アンバードが滅びる! ここを主戦場にするわけにはいかぬのだ!」
倍以上膨れ上がった右腕は、関節ではないところがぐにゃぐにゃに曲がっている。それを責めるようにバルクード・クレイモス公爵は見つめる。
「『離レルナ』だと? 度し難いぞ、悪魔どもめ!」
公爵は耳朶ではなく、頭の中に直接響く命令に対して激昂する。
すでに立っていられないほどの激痛と、内側から肉体が剥がれそうなほど変形している足を、気合で立たせる。呪いに満ちた黒泥が、命令を無視しようとするバルクード・クレイモスに罰を与えて制御しようとしていたが、彼らは人間を舐めすぎていた。
「貴様、ら、勘違い、しておるな? バーレイを守らねば、ここは更地ぞ。であれば“王”は容易くここを制圧する……!」
叛逆の公爵は力強く、黒幕にまで叛逆してみせる。
「立場を弁えるのは、そちらだ。わしが死ねば、どのみち首都は、“王”に、奪い取られ、るぞ……。一度、失った命なぞに、わしらが拘泥すると思うてか。……貴様らを脅すのは、こちら側ぞ」
静かな宣言であった。
じんわりと、肉体の機能が戻っていくのを感じる。
痛みは引き、人間から乖離し始めた肉体は元へ戻っていく。
脂汗と感じた痛みが、夢や幻覚ではなかったと語る。
クレイモス公爵はひとつ溜息を吐いたあと、すぐに私室を出る。
本来は、首都に攻め入るであろう現国王を迎え撃つために配置した兵士を束ね、大災害に向けて備える。バルクード・クレイモス公爵は兵を率い、前線にて指揮を執るために西部の門から出陣した。
そうして迎えるは、颯汰たちが成体の鉄蜘蛛を追い払った四日後の早朝。
荒野。
まだ日が昇って浅く、背後の稜線の彼方から僅かに差し込む時間帯。
動く山に思える影がひとつ。
「……」
誰もが緊張をしていた。
首都から少し離れた地点に建てた陣にて敷く。もっと先にある拠点は既に突破されたと報告にあった。
ここがある種の最終防衛ラインである。
先々代国王に賜れた鎧を身に纏うバルクード・クレイモス公爵は、刃を手にして騎馬にて突撃をする。
雄々しきかつての英雄は、全盛期の年齢となり、さらに加えて異質なる力を得た。ただ彼は前時代の人間である。
「突撃ィィ――!!」
「「オォオオオオッ!!」」
遠距離から投石器による攻撃を加えながら、戦士たちは突っ込む。
投石は思った以上に効果的であったが、成体に対しては効果はなく、バルクード・クレイモス公爵と精鋭たちの攻撃は幼体には傷をつけ、撃破に至るが、撤退を余儀なくされた。
何度も立ち上がり、敵へ向かう。
最初こそ、熱に浮かされてついて行った兵たちも、敗走を重ねれば疲弊し、心が折れていく。士気はみるみる低下していった。
(もしや、クレイモス卿は朦朧なさっておられるのでは)
優れた武将とは過去の栄光。
他の大貴族たちよりは戦の心得を知っていても、先ほどからまるで効果のない突撃を繰り返していた。
未知等しい敵とはいえ、徒に戦力を摩耗させていく戦い方に疑問を持つ者は多くいた。古い時代の人間であるから猪のような戦法しかできないと嘲る者もいた。次第に彼らの心の中に芽生える。
三大貴族側についたのが過ちであった、と。
ろくな装備もなく、兵の練度も士気も低い。
逃げ出す者は意外にも少ないのは、逃げた貴族をバルクードが直接殺したのも要因のひとつであるが、このままでは帰るべき家が無くなる、家族を守るために恐怖を噛み潰して勇気を振り絞った者たちだからであろう。
ずるずると後退していき、ついにどん詰まりにまで追いやられる。
バーレイの姿がはっきりと見えるほどまでに近づいてしまった。
絶望が音を立てて迫る。
大地を震わし、聞きなれない鳴き声なのかよくわからぬ音を奏で、巨影が闇の中で揺れる。
「こ、これ以上は――……」
弱音だって出てくるところだろう。
敵の数は少しずつ削っても三十以上の数はいる。それ以上に自軍から負傷者が出ていき、さらに一番大きな成体に対して有効な一撃が何一つ入っていない。
「……」
バルクード・クレイモス公爵は馬上にて目を瞑る。
耳障りな声が、脳に直接響いてくる。
“黒き泥の力を使え”――。
いくら迅雷の魔王が操っていた呪いの力とはいえ、今が大事な局面であるし、部下たちにも市井のものたちにも、それが最善の行動であったと伝わるであろう。
甘美な悪魔の囁きではなく、命令口調の呪詛の声として響く。
実のところバルクード・クレイモス公爵は、いざとなったらそれを使うことに躊躇いはなかった。
敵の実力を知り尽くしたわけではないが、押し返せる自信もある。
だがこの男はあえて待つことを選ぶ。
仲間が傷ついても、死傷者が出てもあえて愚策を繰り返す。
かつての名将が老衰間近に正常な思考を無くし、乱を起こしたと思われても構うつもりはない。
ただ、機を待つ。
その鎧の下は呪いに塗れながらも、最盛期の姿の武人であることを隠しながら戦う。
そうしてバルクード公は前線で自ら戦い、部下たちをどうにか震い立たせる。
固まれば拘束してくる粘着弾と光線が飛んできて、至近距離で戦いを余儀なくされるが硬い装甲と鋭利な足先による攻撃も強い。
それまであまり積極的ではなかった成体の鉄蜘蛛であるが、ついにしびれを切らしたのだろうか。
周囲に展開している幼体とは異なり、成体の光線発射装置は口部にあり、また身体から伸びる触手のような部分からも光線が放てるようだ。その四つの漂う補助腕と四つの長い足、鎌首をもたげるような怪獣のどこが蜘蛛なのか。
鉄蜘蛛は今まで撃たなかった光線を、放つ準備を整えた。
幼体の光線ですら肉が焼き切れるというのに、成体のそれを食らえば消し炭となるだろう。足元に群がる煩わしい小さきものどもを排除しようと、巨蟲・鉄蜘蛛が攻撃を開始しようとした。
そのときである――。
「獲った、ぞぉぉおおおおおおッ――!!」
けたたましい叫び。
流星が、朝焼けを切り裂きながらやって来る。
突然飛んできたアンノウンに、鉄蜘蛛は即座に対応しようとしたが間に合わなかった。
偶然、他よりも装甲が薄く――どの方向にも曲げられる植物の蔓のような触手の一つを切り落とし、さらに勢いのまま、左後ろ足の上部を切り付ける。
「我が聖なる一撃を、受けよぉおおおおッ!!」
切断に至らなかったが、表面を大きく削る傷をつけながら滑り込み、機転を利かせて切り抜けながら回転を加えるように振り回して勢いを付け、振りかぶって地上にいる幼体を目掛けて落下し、ハルバードを叩きつける。
多くの兵力を投入し、やっと一機落とすことに成功していたバーレイからやって来た騎士たち。
しかし、やってきた竜魔族の青年は、高所から勢いを乗せたとはいえ一振りにて両断してみせたのである。
多くのものは、彼を知らない。
何が起きたのか理解するのに時間が掛かった。
声が失われた戦場にて、バルクード・クレイモス公爵は静かに言う。
「来たか」
その声とほんの僅かに上がった口角は、身に纏う重装備によって誰も気づけない。
後方の守るべき首都、バーレイから彼らは現れた。
巨蟲から放とうとしたビームは目標からずれる。
バランスを崩し、口部から出た破壊の光。
命を奪う昏い赤の光が押し進む先に――。
四体ものウマが牽く戦車に乗る影。
それを守るように先行し、光を受け止める盾。
「!?」
騎乗した戦士が盾を構え、戦車を守った。
驚くべきは光を受け止めただけにとどまらず、光を反射して飛ばしてきたのだ。
それをすぐに理解し、巨蟲は光線による砲撃を緊急停止する。
掠める一撃が触手をさらに一つ撃ち抜く。
一度学習した敵の特性や行動を把握しているように思えた。
――やっぱり、同じやつなのか?
戦車を操る少年が心の中で呟く。一度、反射で痛い目を見たからこそ即座に対応したように感じるが、あれとは別個の敵の可能性も視野に入れていた。東へ行ったと思った怪物が西に現れ、今度は首都にある方向へ向かっているらしい。行動が不可解すぎるため別個体と思ったが判別する方法が見当たらない。
戦車の後ろに続く騎馬たちであるが、他のものは武具の類いは見当たらないという奇妙さに、バーレイからやってきた騎士たちが気づいた。
先頭を奔る戦車の少年が声を張り上げると、続く騎士たちは呼応する。
「いきます! 亜空の柩――!」
少年の左腕が輝きに満ち、黒鉄の腕となり、縦長の鞘や盾に似た兵装が現れる。
正面方向からやや斜め前に突き出した拳。装着された亜空の柩と呼ばれた特殊な霊器から、次々と飛び出す物体。
それは武器であった。
戦斧や剣、槍といった武器の数々。
それらが柩から放たれ、戦車が通った後の地面に突き刺さっていく。
続く騎士たちがウマに騎乗しながら拾い上げ、装備していく。
ずっしりと重く、ややウマの速度が落ちたところを、可哀そうであるがムチを入れて加速させた。
通常の兵装では傷一つ付けるのが難しい鉄蜘蛛の装甲を、
「第五騎士団、推して参る――!」
「でぃいいやぁああッ!!」
斬撃が通る。
通常武器を弾き返す堅牢な装甲を、いとも容易く斬り裂いた。
ウマから跳ぶように降りながら敵機に張り付いて破壊し、すぐさま他の機体を壊しに飛来する。
豪快な戦い方を続けるものもいれば、王国の剣術の基礎をとことんまで突き詰めた実直な剣にて敵を切り崩していく第五騎士団が長。
現状、鉄蜘蛛の装甲を引き裂けるのは、限られている――。
だからこそ目の前で起きていることを、王都からやって来た騎士たちは呆けたように口を開けて目を剥くだけで言葉を失っていた。
そんな中、内乱を起こした首謀者が、ウマにムチを入れて戦車へと近づきながら言う。
「遅かったな、“王”よ」
「はじめまして、いや一体あんたはどの口で叩くんです? そんな台詞」
できる限りの嫌味をたっぷりで返したのは、当然ながら立花颯汰である。
25/06/05
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