27 翻弄される者たち
ヴァーミリアル大陸。
その南部の大国の一つであるマルテに囚われの身であった“黒真珠”ヴィネ。
獣刃族の砂の民は、その獅子王――『タテガミを持つ者』の元に集い、長きに渡る放浪の旅を終わらせる。
ある種、彼らにとっての『王』は神格化した存在であったのだ。
「この女の子が、“黒真珠”……黒の獅子王」
先々代のアンバード国王の血統であるパイモン少年が現れてしまったのは予定外であるが、事実上の現国王である颯汰は人族に似ている自分より、アンバードにおいてはヴィネを王に据えようと考えていたのである。偶然の出会いとはいえ、マルテの王女であるヒルデブルクと接触を果たし、流れで砂の民を取り戻し、迎え入れることを決定した。
そこに自分が王位なんて面倒なものに就きたくないでござるの巻という下心は勿論あったのだが、自身が王であればいつか必ず、種族による反発が起こるのだろうと危惧していたゆえだ。……ただ、颯汰が想像していたよりもずっと、かなり早い段階で(理由は異なるが)内乱を起こされてしまって今に至るわけではあるが。
颯汰の呟きに、黒子のようにも見えるヴィネが、ビクリと反応し、そそくさとドミニク伯爵の後ろに隠れる。
「あっ……」
颯汰がつい手で、下がるヴィネを追うように伸ばしたけれど、止めた。
その後、思わず自分の左手のひらを見る。
今は血に濡れているわけではないが、恐がらせる要素は自分でもたんまり余りあるのだと自覚している。穢れてなくても、怪異の腕と然して変わらない。一瞬――視界にノイズが奔り、夥しい血に塗れ、真っ赤に染まった世界の死体の山の幻覚が見えたが、颯汰は即座に頭部で左腕を叩く。力づくで幻覚を排除したその突然の奇行に、何も知らない者たちは各々は声を出さずに反応を示していたが、ドミニク伯爵が挙手をした。
「あー……その……、良いですかな? 陛下」
「?」
ドミニク伯爵が、突然の奇行にドン引きした訳ではないが、ばつの悪そうな表情で自身の八の字髭の左先端をいじりながら言う。目線も横に流れ、何か言いづらそうな雰囲気であった。
「“彼女”、ではなく、“彼”です」
そう言いながら、伯爵が正面を向いたまま右に移動し、後ろに移動し、左に移動する。己の影に隠れたヴィネを颯汰の前に差し出した。
伯爵の言葉が理解できず、頭がフリーズしていた颯汰。
顔は布で隠れているけど、腰まで伸びた長い髪と見える脚――仕草も相まって女児であると疑わなかった。
「………………え」
まじまじとヴィネを見つめた後に颯汰が声を漏らす。
布越しでも恥ずかしがって視線をずらしているのがわかる若獅子。
颯汰が思わず角度を一度、二度変えて観察して、ヴィネは震えていた。
「……」
上半身の各種の膨らみは布を縛って作り出され、喉ぼとけや首は垂れた布でわからない。艶やかな長い髪は丁寧に手入れが行き届いているゆえだ。シルエットを誤魔化し、上半身の腕や手の甲などの随所に現れる男性的な特徴を上手く隠していたことに気づく。
「うぅん、先入観……!」
幼い子供は骨格的に差異がわかりづらいとはいえ、勝手に女子であると決めつけていたからこそ、この視覚マジックに引っかかっていた。
「…………」
一番手っ取り早く確認が取れる位置に思わず視線がいく。
スリットから覗かせる褐色の脚は艶めかしさというより、幼いゆえの肌の奇麗さを感じさせる。赤ちゃんのすべすべ素肌み。
今この場で、真実かどうかを確かめる術はないが……――。
「陛下?」
「今のも俺は悪くなくない?」
第四騎士団長に声をかけられ、反射的に颯汰は答える。
服を込みで、彼をこういった風に育て“デザインした”人間が悪い。
「ちなみにこの格好はオズバルド公爵の趣味ですぞ」
「ソイツ本当、ろくなことしてねえな!?」
オズバルド公爵はヒルデブルク王女の婚約者。
生ごみを擬人化したような性根の肥えた、マルテの大貴族である。
ただ、すべて彼に咎があるとは言えないようであった。
「(……実際にこの子を飼っていたのはマルテ王であり、当人もこの格好についてだけ言えば満更でもない様子だけどネ)」
言うだけ野暮というもの。“黒真珠”はオズバルド公爵の所有物ではなく、あくまでマルテ国王が私室で飼っていたという事実も今は伏せておくことにした。彼の顔を隠す布に描かれた紋章――「上に欠けた月と輝く三つ星」はマルテ王家の印であった。獅子としての牙を抜き、未来の王者を傷つけずに潰すという高度なテクニック……なのだろうか。あるいは偶々、趣味と実益が兼ねてしまったのだろうか。武人である彼にとって興味がそそるような内容ではないため、関わりあうことを極力避けていた部分である。
「さて陛下。約定の下、私めはマルテの使いとして“黒真珠”を送り届けたわけでありますが――」
見た目と言動だけだと細身の怪しい詐欺師か小賢しい小物の貴族みたいなおじさんであるが、時折見せる鋭さが彼を只者ではないと思わせる要素なのだろう。
「――我がマルテの王女、ヒルデブルクの所在はどうなっておられるのですか」
ドミニク伯爵が本題に入る。
命が惜しくないわけがないだろうが、それでも彼は自国の王女の安否を確かめる。これは相手が自分を殺さないであろう、という舐めているのではなく、話が通じる者としての誠意のある問い掛けであった。
それに対して少年王は答える。
「私が最も信頼を置く――最も戦闘能力が高く、守護に適した人物に預けています。この状態の自分と一緒にいるよりは遥かに安全だと断言できます」
颯汰は、彼をよく知る者が聞けば目を細めてしまいそうな言葉を、すらすらとまったく淀みなく吐くからたまに怖い。下手すると主人公の方が詐欺師に向いている。
信頼はともかくとして、能力自体は非常に高いことは間違いない。
さらに颯汰は自分の弱みをあえて晒すことを選んだ。
ビフロンスが一瞬、止めに声をかけたが、颯汰が「いいんだ」と首を横に振ってからドミニクに見せる。
長袖から覗かせる、色が失せてか細くなった手。まるで枯れ木の枝のようであるものを見せたのであった。
伯爵が本当に驚いたような様子を浮かべたのは一瞬であった。
目を少し大きくした程度で、余計なリアクションはしていない。
胡散臭い見た目と仕草から考えられないほどに、武人として――仕える者としての本気さを颯汰は感じ取っていた。
「ほほぉ……。では。陛下のお望み通り、砂の民――その希望たる“黒真珠”を返還しましたが、我がマルテのプリンセスはどうするおつもりですかな?」
「一方的に取り付けたとはいえ、国同士の約束を反故するわけにはいきません。……でも、だからといって本人が望まない相手との婚姻を後押しする形も、気分がよくないですね」
「気分」
「えぇ、気分が悪い。その公爵の人となりは他所からの情報だけで判断するのはひどいとは思うケド、姉――……はぁ……、ヒルデブルク王女が自分の国から逃げるぐらいですよ? それに今、返してもたぶんすぐまた脱走するでしょ。密航と潜伏が特技だって堂々と言ってましたから」
それでまた転覆事故などにあったら今度こそ死んでしまうかもしれない、と小声で続けて言う。
途中で言葉を止めたあとに謎のため息を吐いた颯汰に対し、疑問符が浮かべていたドミニクであったが、本題から寄り道をせずに進める。
「私の予想ですが……ニヴァリス帝国に連れ歩いたのも、ヒルデブルク様が自ら望んだことなのでしょう? それか密航でもされていたのですかな」
「置いて行ったら……、と脅されましてね」
「なかなか、手を焼いてるご様子ですナ」
「まったくですよ。あの跳ね返り娘……。どうにかオズバルド公爵を婚約者から外せないんです?」
「そう簡単にいかないのも、お察し頂けるでしょう?」
「……はー、やだやだ権力なんて本当。横の繋がりってのも、息苦しいったらありゃしない」
颯汰が彼なりにヒルデブルクを気づかっていることを、伯爵は理解した。
「落としどころがわからない、ってのが正直なところです。だからそれを含めて、じっくり話し合う必要があるんだと思います。ちょうどあなた方、マルテからお客様も来られたようですし」
「そのためにもまず、王都を奪還するのが先ですネ。……正直に申しますと、陛下や魔王などが関わっていなければ、今頃我が国も聞きつけ、好機とみて動き出していたでしょう。それこそ姫を取り返すと大義名分をつけてネ」
「でしょうね」
「ただ陛下、少しいいですかネ?」
「? はい」
「内乱を起こされたのは、陛下たちが留守の合間――不幸中の幸いにも我が国プリンセスも一緒に不在でした。改めて突きますが、内乱を起こされた事自体は陛下に責があります」
今回の内乱を颯汰に責があると非難したうえで、言葉を続ける。
一度止めたビフロンスはおとなしくしていた。リズやファラスだったら再度攻撃しようとするところだろう。
「陛下はおそらく、この内乱は鎮めるつもりなのでしょう。責任をもってやり遂げるつもりで」
「そんな格好付いた感じじゃないケド……」
放っておけないというのもある。影で糸を引き内乱を引き起こす――コソコソ邪魔してきて鬱陶しいという感情も当然ある。看過できるようなラインはとっくに越えてきたのだから、相応の対処を行使したいところだ。
「それで陛下は事態を収拾した後、責任を取るなどと言って退位し、その席にヴィネを据えるおつもりであった」
ヴィネは足を着けたまま、びくりと跳ねるように驚き、すごい勢いで首を横に振る。颯汰は彼の反応を見てダメかぁ……、と二度肯いていた。
もう少し年上であったならば説得したであろうが、彼のようなタイプの人間に無理強いをするのも気が引けてしまう。
「結構な事です。一度手にした頂点の椅子を手放すなど。ふつうはできませんネ。ですが陛下、よくお考えを。現在の王が陛下だからこそ、マルテや周辺の国がアンバードを攻め入れないのだと」
「……」
「貴方は絶大な力を持ち、それを振るわれては敵わないから、周辺の国家は下手に手を打てない。シンプルですナ。あなたのような“魔王”は抑止力として効果が充分以上にある」
「……でも、俺の腕は今、こんなんですよ。絶対安静が必要で――」
「――えぇ~? バリバリ戦っていたではありませんかぁ~?」
食い気味で顔まで近づけてくる伯爵。
八の字髭のおっさんのドアップはきつい。両手の人差し指で連打するように突きつけてくる姿は、不敬罪で打ち首ものだろう。
「いやすっげえ腹立つ顔してる! ……仕方がないでしょ、アンタらが鉄蜘蛛に襲われていたんだから!」
「……とまぁ、陛下はお優しいんだヨ」
急にくるりとヴィネの方を見やる。
八の字髭のおっさんのドアップはきつい。少し顔を引きつつヴィネは肯いて見せた。切腹も視野に入れよう。
「なんなんです、結局」
身構えていないときに人に褒められたら、素直に受け止められないのがこの男である。口を尖らせて悪態をつく颯汰に対し、伯爵はニッコリと笑顔で言いのける。
「我が国の大事な王女を保護するのには打って付け! というわけですネ」
「…………、…………」
「苦しい顔で顔を逸らした時点で窮したのと同じですヨ、陛下」
「いや、俺は……」
責任とか投げ出すつもり満々であった。
実際のところドミニク伯爵の言ってることは正しい。
仮に王位を譲り、ヴェルミかニヴァリスに移り住んだとした場合、ヒルデブルク王女はどうなるだろうか。そのまま送還か、あるいはアンバードの新たな王を操ろうとする勢力が、彼女を返さずに幽閉するかもしれない。それこそヴィネがマルテにやられた様に。どちらにしても悲しい結末が待っている。それこそ『気分が悪い』。
「……どっちにしろ、今は王女たちもこちらに向かっているようなので、少しの間は待機です。到着次第、少しずつ話を――」
ここで話しても当人がいなければ進展は望めない。
分かれた部隊を集結させるまでこの場で待つしかない。颯汰は下手に行動を起こすと軍がすぐに瓦解するため、決定を簡単には覆さないつもりであった。
平穏を破る声が迫る。
運命は彼を弄ぶように、誘うのである。
「――陛下! 申し訳ございません! たった今早馬にて報告が!」
颯汰の専用テントの前で守衛を務めていた兵が幕を捲って言う。
返事を待たず、ばたばたと報告にやってきた者が入ってきた。
それほど火急の用なのだろう。
緊張が走る中、テントの中にいた者たちの予想は、答えと一致していた
魔人族の女性で、第四騎士団の一員なのだろう。
白銀の髪を乱し、褐色の肌に汗が滲んでいる。
激しく肩を上下させ、彼女は入ってすぐに跪き報告する。
「陛下、無礼をお許を! 報告します! 成体であるあの巨大な鉄蜘蛛、再度出現しました――!」
「忽然と姿を消し、再度現れたと」
「はい! それに、場所が――……」
ビフロンスは驚き、颯汰は非常に苦い顔をする。
一度どういった訳か、導か《みちびか》れるように東に向かって姿を消した巨大な機動兵器。
「――場所は西部、カメリア近郊です!」
“厄災”が、首都バーレイを挟んで反対側に突如として現れたのである。
ドミニク伯爵←腕ぐらいまた生えてくると思っている。
シトリー←闘いの障害にすらならないと思っている。




