26 姿
アンバード領内、南部・野営地。
ここは近隣の主要都市ではなく、緊急に敷いた陣である。
中央たる首都を囲うように、じわじわと包囲網を固めていきたいところではあるのだが、実際のところ首都バーレイにて人質がいるため、慎重に行動を移す必要があった。魔王と勇者とアンノウンがいる軍勢ではあったのだが、東西と中央の三か所に人質が分けられたため、それぞれで分かれて攻略せねばならなかった。
颯汰たちは北東部から南部にて挙兵しつつ、拠点を制圧しながらも内乱を起こした大貴族たちに悟られぬよう、都市間の定時連絡も掌握し、何事もなかったように偽装をしていた。颯汰が思っていた以上に特に地方の者たちに大貴族が嫌われていたことも露呈し、協力的な人民が多かったのも大きい。スムーズに制圧が進んだのも、制圧されたことを外部に漏らさずにいられたのも、協力者がいてからこそだ。
ただ、誰も倒せなかった迅雷の魔王を討ち滅ぼした新たな怪物という――いつ牙を剥くかわからない危険な存在みたいな扱いを、颯汰はヒシヒシと感じていた。受け入れ難いが、そう見られて仕方がないとして颯汰は不満を押し殺していた。恐怖による政治は不和を生み、どこかで破滅を呼ぶものであるが、先代王の呪縛がまだ残っていたおかげで、ここまで順調に事が進んでいたのかもしれない。
しかし、すべての者が新たな王を迎え入れたわけではない。
心の中でどうあれ、三大貴族側についた人間はいるのだ。
元より、街が大きければ大きいほど、都市に近ければ近いほどに此度の内乱に肯定的な者たちも出てくることは予想されていた事である。
颯汰が既にヴァーミリアル大陸にいることは気づかれていないというアドバンテージを活かすための隠密行動では、兵を集めるのにも限界もあった。
現在最も近い場所はケマルという村であるが、流通が多く人もまた多く通るため、そこで堂々と構えるわけにはいかなかったのである。
東のヴェルミと比べると緑が少なく高さも低いけれど、西のアンバードでも木々は自生し森もある。一同はここに隠れる事を選んだ。湖の畔からだと丸見えなので、多少は警戒して森の奥の方で簡易的なテントが張られていた。それなりに大所帯であり、負傷した兵たちが休まる場所が必要であったのだ。
さらにその軍勢に“客人”が加わった。
「単身で大冒険をするというフィジカルお化けプリンセスのヒルデブルク王女」をマルテ王国へ返還する代わりに、奴隷として捕らえられていた「獣刃族が砂の民を解放し“黒真珠”を引き渡せ」、と暴虐な王のような一方的な要求をマルテは飲んだのである。
操影者たちを撃破後、南方の遠くからやって来る一団を見つけたという報告を受け、颯汰たちは救援に入った。
第三勢力として現れた機械の魔物たちを撃退することには成功した颯汰一行は、どうにか野営地に戻ってこれた。すぐにでも今後の方針を定めるためにも話し合いを進める……はずであった。
……――
……――
……――
鳥の声がする。
活発的な世話しない感じではなく、どこか心地よさを覚える声。
「……ん? ……もう、昼か。ふぁあ~……――あ?」
寝息をしばらく立てなくなってから、深い眠りから覚めた少年王。
日頃、目を覚ますのは空に太陽が昇り切った辺りであるからこそ、出る台詞ではある。そこだけ聞くとダメ人間であるが、力の代償ゆえだ。
颯汰は、大きな欠伸をしたところで、上体が起こせない事に気づく。
慣れというのは恐ろしいもの。
絡みつく女体に対して動じる様子もない。
「……………………………………」
もちろん、嘘である。
立花颯汰少年は驚き、固まっていた。
寝起きであるゆえに定まらぬ思考が、正常な知性を取っ払う。
だが、経験が活きていたのか、まずは落ち着こうと考えた。
一度、目を閉じて深呼吸をする。見開いてどうにか頭を動かしても、伝わる熱と突きつけられる現実は変わらない。
砂の民の黒豹――シトリーに左側から抱きつかれている。
左腕が動かせず、使えない右腕では何もできない。
起こすべきか、誰かを呼ぶべきか。
あまり緊急時以外で、寝ている他人を起こす気になれないのは、颯汰自身が寝ているところを無理やり起こされるのが好きではないからだろう。
寝室に、警備の目を搔い潜った暗殺者に忍び込まれたとき、颯汰は一段と不機嫌そうに対応することが多かった。だいたいはリーゼロッテ警備員が勇者としての権能をフル活用して外敵を排除するが、稀に複数名に忍び込まれて颯汰が目を覚ます事態も起こった。
――……冷静に考えると、今が緊急時では
とりあえず身体をもぞもぞと動かす。
「ん……、あっ……ぁん」
「おい」
想定していないリアクションに、思わず冷めた呼び方をしてしまう。
思春期ボーイにとって、非常に心臓に悪い声と吐息が内側から理性をくすぐる。
薄っすらと健康的に焼けた肌。
彼女が起きていた頃の格好を思い出して、息が詰まる。
一瞬悪い、颯汰は過ちの予感がしたのだ。
そっと周りを見渡した。
どうやら、テントの中のようだ。
子供の颯汰にとってかなり広く思えた。
小さなテーブルの上に、颯汰が着ていた深い緑の上官仕様の軍服が畳まれて置いてある。
びっくりしてつい目線を下に向けたが、簡素な寝間着代わりの無地の服を纏っていた。どうやら、考えすぎであったと安堵の息を吐く。
そして、改めて幸せそうに寝ているシトリーを睨むのであった。
――なんでこのヒト、薄着なの
ベッドの近く、彼女が身に着けていた黒のジャケットとパンツといった上着が、雑に脱ぎ捨てられているのが見つけた。
颯汰は短く静かに、声にならぬ悲鳴をあげた。
さすがにこのままである方がマズいと判断し、彼女に声をかけることにする。
「おい、起きろ。起きてください」
「……う~ん」
「あぁ、くそ、こういうときに両手が使えないと不便だな!」
当たり前のものを失うと、その大切さに気付く。
寝ながら纏わりつく女性からも逃げることが難しい。
どうしたものかと思った矢先、颯汰のために用意された専用のテントの入口の幕をめくって、第四騎士団長が入って来た。
「……お目覚めですか陛、――失礼しました」
「そそくさと去らないで! 助けて!」
現れた時と逆再生するように帰っていくビフロンスを呼び止める。
シトリーはまだ寝ていたが、協力もあってどうにか颯汰をベッドから出すことに成功した。
そして、颯汰はあの後何が起きたのかを訊ねたのであった。
「なるほど。いつの間にか俺は寝ていた、と」
「はい。まさか馬上で私の後ろで寝入っているとは思いもしませんでした」
戦いの後、赤ちゃんみたいにスヤスヤ寝てしまった主人公。
まだ十代になるかならないかのあどけなさが残る少年王を、ビフロンスは丁寧に横抱きで専用テントまで運び終えたあと、この場での最高責任者としての職務を全うしていた。非常に頼れる大人であった。
「本当に申し訳ないです……。と、ところで、俺はどれくらい寝てました?」
「ご安心を、一日も経ってません。それに、砂の民のお客人十九名のほとんどがお休みになられております。疲労が溜まっていたのでしょう」
「なるほど……」
彼女もまた疲労困憊で目を覚まさなかったようだ。
あれから日を跨いでいたが、まだ昼が過ぎて夜までは遠い時間帯ではある。
目を伏せている颯汰に、ビフロンスは書類を手渡してきた。
「捜索隊からの連絡がありました」
書面を眺め、訝し気な顔をしてしまった。
「なになに……? ……敵影、ロスト!? バカな! 見失った!?」
導かれるように去っていた二十ムートを超える巨体を、遠目から見失わないように追わせたはずであった。驚きを隠せない。声量を抑えながらも信じられないと目を見張る。
「我が隊きっての探査能力を持つ編成で、――私と同じ『瞳』の疑似魔法を持つ者を派遣しました。そして、この手紙をお運びになったシロすけ様にも確認を取りました。『あの巨体が忽然と姿を消した』ようです」
「……姿を、消した。あの大きさで」
颯汰は小声で驚いてはいたが失態に対して怒りの感情を露わにするのではなく、淡々と事実を確認して咀嚼するように、自分の中で情報を整理して受け入れようとしていた。
「隊員はそのまま周辺地域で捜索を続け、また連絡の手紙を届けてくれたシロすけ様も再び調査に加わりに戻ったようです」
「……そうですか、どうも」
諦めずに捜索を続けているらしい。幼き竜の子が頑張っている中、主人公はある意味で赤ちゃんなのでスヤスヤ寝てたわけである。
そんな協力に心の中で感謝しつつも、颯汰は鉄蜘蛛について思考を優先させていた。
――どういった技術だろう? 光の屈折率をいじった光学迷彩? そんなモノまで実用化しているというのだろうか
敵について何も情報が無いに等しい。
レーダーから消えるのではなく、目視で見えなくなったらしい。
仮にどこかに補給基地などがあったとして、周辺の捜索が進めば見落とすことはないだろう。どこか山か地下に偽装した入口でも見つかるかもしれない。
問題は機能としてその『透明化』を備えている場合だ。
さすがに排熱や光線攻撃までも誤魔化せるとは思えないが、透明になってから現れた場合、今まで以上に脅威となるだろう。そっと接近し攻撃でもしてきたら堪ったものではない。
「地下だったら穴が見つかるだろうし、山の中や水辺に秘密の基地があったとしても、上空から見ていたシロすけが見逃すはずがない」
「鉄蜘蛛の歩いた痕跡も、奴が消えた地点で途絶えていたようです」
「まるで幽霊のように、いきなりその場から消えた?」
「跳躍、潜行、いずれにしても、どんな生き物であれ必ず痕跡は残るはずですが――」
「――まったく、見当たらず『途絶えた』」
「はい」
「これは、本当に厄介な問題では。……ともかく、東西からの軍勢を待つのと、現状の兵や装備でどう戦えるかも話し合いをしましょうか」
目を覚まして間もないが、会議が必須だと颯汰は思った。ビフロンスは頭を下げ、その準備も取り掛かろうとしたとき、入口の方で魔人族の兵がやってきた。
「失礼します陛下、マルテのドミニク伯爵と“黒真珠”様がお見えなのですが……」
「あ、はい。どうぞ、通してください」
「かしこまりました」
案内されて客人がやって来る。
「やぁやぁ、魔王陛下」
八の字ひげの怪しい武人。見た目に反してかなりの武闘派であるドミニク伯が右手を胸の前にもってきて恭しく頭を下げる。その背後にいる小さな影が気になるが、今は触れないでおくと颯汰は決めた。
その後、跪こうとするのを颯汰が止め、楽な態度で話を始めることとなる。
「すいません、結構寝てしまっていたようで」
「いえいえ、此方も休憩が必要でしたからネ。ビフロンス殿も『首都で陛下の眠りを妨げた暗殺者はみな捕まり拷問を受けた』と聞いたから、これは起こさぬ方が賢い選択だと考え、ゆったり休ませていただきましたネ」
「ビフロンス殿?」
ちらりと隣の魔人族の顔を見る。
ビフロンスはばつが悪そうに目を逸らしてきた。
颯汰はため息を吐いた後、言う。
「いやそれでも拷問は、……たぶん、してないと、思う、よ」
「わー、歯切れが悪ーい!」
颯汰自身が睡眠を邪魔されることは嫌うが、何も命まで奪うつもりはなかった。それを聞くと多くのものが自らの命を狙ってきた相手を見逃すのかと信じられないものを見る目で見てくる。
拷問まではしていない。
していないのだが、捕まったあとの暗殺者について命じたのは「殺すな」と「誰が雇い主か聞きだして」ということぐらいだ。
牢屋にぶち込んだ暗殺者を、『鬼人族のファラスが捕まえて洗脳している』だとか『マナ教の神父が洗脳して改宗させている』という噂を聞いたが、真偽は確かめようにもはぐらかされそうだ。主人公サイドが悪の結社かもしれない。
少し茶目っ気を見せた伯爵であったが、次の瞬間に刃のような鋭さを見せるのであった。
「今、この軍勢が置かれている状況をある程度、説明を受けました。随分となんと言うか、厄介な状況のようですがネ。しかし陛下、此度の内乱、その不徳は陛下自身にあられるのではありませんかな?」
「ステイ」
「……」
「ドミニク伯爵のおっしゃる通りです」
帯びた短刀を抜こうとするビフロンスを颯汰が呼び止める。どこか相手を挑発するような語り方をするドミニク伯であるが、彼が言っていることは正しい。込み入った事情を省いた表面的な部分だけ抽出すると――自国の王女を誘拐して国外まで連れていき、発っている間に内乱を起こされるような王は、当然責められる謂れがある。
「俺は王位に相応しい人間ではありません――だからこそ、“黒真珠”を求めたのです、が……」
王位に縛られるのが嫌という理由で代えの看板を探していたと口にしない辺りがこの男のいやらしい点だろうか。ただ、そんな颯汰も想定外の事態となっている。
視線を、ドミニク伯爵の後ろに隠れている子に向ける。
“黒真珠”のヴィネ――。
今の颯汰よりも幼い子だ。
黒系統の服は他に一緒にいた獣刃族たちと同じだ。
ただし、こちらは修道女のような印象を与える。
ゆったりとした布と裾が大きい頭巾の頭頂部に猫耳、長い黒髪。首から下げるのは法輪を思わせるネックレスであった。
シスター服の幼子は頭を下げる。品格のある容姿と態度ではあった。しかし妙に思う。上半身は露出ゼロできっちりガードしているのに、下半身はスリットのスカートでショートパンツで脚が露出している。
そんな若干のチグハグさよりも一番の特徴は別にあった。顔が垂れ幕のような布で隠れている。その布には「上に欠けた月に輝く三つ星」の紋章が描かれていたのである。
「この子が……彼女が、砂の民が秘宝、王者たる獅子。『タテガミを持つ者』?」
顔は見えないが、おどおどした控えめな印象を与える。
小さな体をさらに内側へと向けているように思えた。
獅子というのだから、屈強な男性を想像していたが真逆であった。
――こんな小さな女の子に、王位なんて押し付けていいのだろうか
クズでありながらも徹底できない辺りがある意味で立花颯汰の良さなのかもしれない。
25/05/22
誤字修正




