25 声
黒鉄の機体は何を思うか。
幼体と人々から呼ばれた小さな群れ――周囲の機械群が一瞬で破壊された。
成体が口部から放った極太のビーム照射が利用された形でだ。
睨めつけてくる赤い瞳に対し、返すように睨みながら颯汰は思う。
――ここで、仕留められるか……?
敵の照射を返した際に、巨蟲である鉄蜘蛛の脚部の装甲にも攻撃が直撃していたのだが、大した損傷は認められなかった。勝機を見出せたという程ではないが、三十機ほどいる幼体の数がほぼ全滅したのは大きい。
各敵機からの砲撃はもう来ない。
迎撃行動を取れそうな邪魔な敵機は既に排除した。
颯汰は、この隙を逃がすつもりはなかった。
走り続け、距離を詰める。
一気に形成が逆転したように思えるが、まだ敵機の性能についてもわかっていない部分が多い。油断は死を招くということはわかっているが、戦いにおいての波――“機”を逃さないのもまた重要であることを颯汰は知っている。
颯汰に敵の装甲をぶち抜く有効な遠距離攻撃がない今、接近して事に当たるのが正しいだろう。荒野を駆け、巨大な機動兵器に近づいていく。
ニヴァリス帝国の巨神と比べると“成体”と呼ばれる鉄蜘蛛でさえ小さく映るが、やはり相対したとき、近づけば近づくほど恐怖と圧を感じた。城塞都市の外壁よりも遥かに堅牢な脚だけでも、かなりの高さがあることも圧を感じる要因のひとつだろうか。
それでも竦みそうな足を、止める訳にはいかない。
この場で倒せるならば、後顧の憂いも断てるというもの。
『一気に畳みかけ――』
鉄蜘蛛の装甲を貫ける武具――英雄の剣を亜空の柩から抜き放つ準備を整えている。百ムート(約百メートル)は切った地点。残骸を踏み越えて巨大な敵を葬るには、まだ少し距離があるところであった。
颯汰の決意の声を、いや存在そのものを掻き消そうとするような重圧が耳朶に届く。
『――!?』
巨蟲の口部を開き、叫びが響き渡ったのだ。
金属を擦り合わせたような、自然界で聞くことはない類いの鳴き声であった。
不快な大音量が衝撃波となって襲い来る。
耳がつんざく凄まじい音響兵器として成り立っていた。
咄嗟に耳を塞ぐものの、足を止めてしまうほどの衝撃。
右手が機能していないため、右耳は『ディアブロ』で塞ごうとしたが間に合わない。
思わず片目が瞑り、不快感に身体が悲鳴を上げる。
その両の足で身を支えることすら困難に思える程であった。
マズい、と颯汰は思った。
この僅かな隙が死へと導かれる。
足元から内臓までが冷えるような感覚がした。だが――
『…………?』
巨蟲が、他の方向に首を向けていた。
音が止んだあとに見上げても、敵は攻撃行動を取らなかった。
それから、颯汰の方を一切見向きもせず、反対側を見つめ、動き出す。
外敵を排除する絶好の機会であったというのに、見ていた方向へ歩き出したのであった。
地を揺らし、踏みしめた大地を巻き上げながら巨蟲は移動を始める。
慌てて逃げる、という速度ではない。
何かを見つけて追う、という必死さも感じない。
『退いた、のか……?』
まるで興味を失せたように、悠々とした歩みにさえ感じる。
颯汰たちを敵として見ていないという驕り、とまでは感じない。
成体の巨蟲は幼体を助けることもせず、すべてを無視して来た方向とも違う東へと進みだしていた。
動ける数機だけ、親(?)に付いて行くように移動を始めるが、それらも颯汰たちに対して攻撃行動を取らなかった。
颯汰は少しの間だけ立ち止まったままであったが、戦闘態勢を解く。
上空から機会を窺っていたシロすけも、颯汰の頭の上に降り、小さく鳴いた。
「……一体、なんだ?」
立花颯汰は子供の姿と声に戻る。
追撃をすべきか迷ったが、止めにした。
「エネルギー不足、って感じじゃない。まだ戦えたはずだ」
辺り一面に転がる残骸を見やる。
相談するというより、自分自身の中で問題と向き合う小さな声量であった。
「子が倒されても平気って感じ。そりゃあ機械だもんな」
「きゅきゅ~」
ほぼ無意識に左手を頭の上に持っていき、じゃれるようにシロすけに触れる。
「あ、……そもそも、ふつうの虫も気にしないよな、たぶん」
巨蟲・鉄蜘蛛が子を倒されて激昂してきた方が幾分も厄介なことになる気もしたが、昆虫の類いは哺乳類などの親子関係とは異なることに気づいた。
「こいつら、幼体とはいわれてたケド、もしかして本当は随伴機? それか、コイツら自体が遠隔操作の武器だったり? いや、巨体の死角をカバーするためのカメラっていう役割もあり得るか……?」
自分の左の瞼の上下を、親指と人差し指の側面で触れる。
死角を補うための視覚情報を共有しているのでは、と不意に思うが確証はまったくない想像であった。
人語を理解しているが専門外であるからかシロすけは首を傾げながら相槌を打つように鳴いていた。
兵装が壊されたから撤退したのもわかるが、果たして真実はどうなのか。
「あるいは俺と同じで本調子じゃ、ない……?」
そうであるならば、今すぐ追いかけて破壊すべきではある。
これも確証はないうえに、そう簡単に追撃する余裕も颯汰にはなかった。
「……過去に“鉄蜘蛛”が暴れたときの資料でも残っていればな」
少し恨めしい顔で左腕を見やる。
暴走して資料まで焼き払ったどこぞのアホ先代王が悪い。
脳裏に『はっはー……』と暗愚なる魔王の声がしたが無視を決め込み、颯汰も撤退を始める。
立ち止まった馬車の方へ合流しに行く。
やって来た第四騎士団長と二名の騎兵たち。颯汰は長の背というか鎧の側面に掴まりながらウマで移動していく。少しばかり格好付かないが、颯汰少年にサイズに合うウマが調達できなかったためだ。内乱を起こされた側としては当たり前ではある。簡単に、反逆者たちに気づかれずに補給を十全に受けられるわけがなかった。
颯汰以上に緊張しているのは間違いなく第四騎士団長ビフロンスであっただろう。しかしどうにか平静を保ちながら、アンバードを治める王に問う。
「陛下、差し出がましいようですが一言いいでしょうか」
「あ、はい」
「私の目で――陛下が先ほどのあのお姿のとき、右腕から大量に光が漏れ出ている様子でした。あれは魔力、でしょうか」
「……やっぱり、そうなんですか。やけに普段以上に疲れるなと思ったら」
目に見えないものでさえ見通す疑似魔法を持つ魔人族のビフロンスが問う。
颯汰は右腕の再生に注力していた魔力をカットして戦闘行動にすべて回していた。とはいえ、全身に流れるエネルギーを止められるわけではない。
現在の幼い姿では一応、右腕は存在している。あまり見せられるようなビジュアルではないが。だが今の変身時の颯汰は右腕は半壊していて、そこから勝手にエネルギーが放出されているらしい。無尽の魔力を持つ《王権》を二つ内包し、一つ遠隔で魔力を送ってもらっているという贅沢すぎる状態なのに一向に回復に至らないわけである。透明な袋の底に穴が空いていて、いくら水を注ごうとそこから漏れ出ているのをイメージしてもらえばいいだろう。
もちろん、“獣”がそれを見逃すはずがなく、優先的に修復をしていた。絶え間なく放出される穴に干渉してなかなか治りづらい箇所なのだろう。そもそも自力で回復できるようなものではないはずだが、そこもまた規格外の怪物たる所以か。その再生の助けになるものこそ黒泥やそれに連なるものが持つ“欠片”のようだ。操影者たちから結構な量を奪い、他とは質が違うエネルギーを回復したが、まだ全快に至らなかった。さらに戦闘までしては多少なりとも穴が広がるというもの、巨蟲が本調子ではないと仮定したうえで戦闘を続けた場合、治りも幾分も遅くなったことだろう。
「……内緒にしてもらえますか? 士気にも関わるでしょう」
「承知しました。……あの、」
「大丈夫です。勝てますよ。鉄蜘蛛へ追撃をしなかったのも、俺じゃなくて紅蓮の魔王とリズで片づけられると踏んでるからです。あの二人は俺よりも強いから」
言い訳するように「休めば右腕もいずれ治るということ」を続けて口にする。
颯汰自身が戦えぬと失望されて兵力を減らすわけにはいかなかったゆえに出てきた言葉の羅列である。
少し間を置けば、ビフロンスも戦えるのかどうかを颯汰に聞くつもりだったであろう。
言った後に颯汰は内心で苦い顔をする。
振り返れば元の世界でただの高校生であったときも、こうやって他人を騙すように嘘をついたり、他者を利用するような立ち回りもしていたことを思い出す。この男、人とは一定の距離を取っていても、会話はできる類いではあった。むしろ感情を殺してでの会話は得意な部類である。あの頃の彼は傷つかない、生活を円滑に進めるために嫌われぬように――浮き沈みもない位置につこうとしていた。そういう意味では今と変わらない。今回のも、一見する不安を解消させるための他者を気づかってでの言葉であるが、回りまわって自分が不利益を被らないための発言とも取れる。
利用に関しては、この男は人間関係の「貸し借り」を煩わしいものと感じていたため、他人を頼ることは極力しなかった。と言いつつもクラスのカースト上位の人気者へと自然と誘導したりなどはやっていた。世渡り上手の真面目系クズという言葉が相応しいか。
他人を騙すための言葉や笑顔も平気でやれる。そんな男なのだと改めて自分は変わっていないと自嘲気味に思っているところに、マルテの馬車から貴族がやって来た。
「やぁやぁ、これはこれはアンバードが魔王陛下」
「ドミニク伯爵」
馬車の前で待っていた客人たち。八の字ひげの細身で怪しい風体に反して結構な武人であるドミニクが恭しく挨拶をする。
颯汰は馬上から降りて迎えた。
「よく来てくれました」
ほんの少し迷った様子で、颯汰は手を差し出す。
らしくないな、と頭の中で呟きながらも実行する。
すぐにでも王位を他者へ譲るつもりしかないのだが、一応国をまとめ上げる長として彼らを労うのであった。良い印象を与えようという努力を惜しまないところも世渡り上手か。
差し出された手に応じようと伯爵が動いたとき、襲撃を受けた。
「――させるかッ」
襲撃を受けたのも声の主も立花颯汰。
跳びついてきた黒豹娘のハグを避けたのである。
さすがに何度も(主にアスタルテに)やられたため、慣れている。
第二撃、第三撃と距離を詰められるたび、距離を取って回避する。
「なんでよ!」
「なんでよ!? 距離が近いからだよ!?」
叫ぶ獣刃族の砂の民のシトリーに颯汰が返す。
「減るもんじゃないでしょー?」
「心がすり減るんだよ(後のことを考えると)」
受け入れたと知り渡ったら面倒なことになるのは確実だ。
ちなみにアスタルテだと注意はするが避けると怪我するかもしれないので受け入れると思われる。彼女の事情がちょっと特殊すぎるのもあるが。
誰であれ抱きつかれると精神が削れる永遠の思春期ボーイは、まだ食い掛る砂の民の長となった少女の言葉を聞き入れず、馬車の方を見た。
「…………?」
颯汰は馬車の方を見て、(おや?)と少し首を傾げた。
気になって指をさして聞こうとしたところ、ビフロンスが声をかける。
「陛下。一度、野営地に戻ってからでどうですか」
第四騎士団の長のことを、「子供と侮ることもなければ、魔王として恐れることもなく必要に応じて言葉をかけてくれる貴重な人材」として颯汰は見ている。余計な真似をせず、忠実でありながら諫言もきちんと伝えてくるところも好感がもてる。
「あ、えぇ、そうですね。戻りましょう。……あのバカデカい鉄蜘蛛を追いかける部隊も編成してもらえますか」
ここで立ち話を続けるより休めるところまで移動した方がいい。
また退いていった巨大な敵を、離れて観察する者が必要である。どういった理由で動くのか、どういった習性を持つのか未だ解明していないゆえだ。機械の魔物である動く災害が去ったから、そのままでいいという訳にはいかない。先んじて進行方向がわかれば襲われる危険性のある村や街へ警告を出し、避難を促せることも可能であろう。さらに、鉄蜘蛛はどこからともなく『出現』している。あの巨体を隠すような施設がどこかにあるのかもしれない。その調査を兼ねて後を追わせるのである。
「承知しました。少数にて、敵に捕捉されないよう距離を取って観察させます」
「お願いします」
一礼した後、ビフロンスは自身の第四騎士団の中からすぐに四名を選抜して向かわせるた。第六騎士団の獣刃族の部隊も機動力はあるものの、ウマの方が持久力もあるし荷物やある程度の装備も持てるため、事前に追走は第四騎士団に任せると決めてはいた。
「……ん?」
幼き竜種のシロすけが颯汰から飛び立ち、彼の前で小さな羽を使って浮いている。何かを訴えるような目線を受け止め、颯汰が問う。
「シロすけ、良いのか?」
「きゅ!」
応じるように鳴いた次代の龍王。
「ありがとう。できるだけ上空の離れた位置から見てくれ。決して気づかれぬよう、危なかったら戻ってきて」
どうやら、巨蟲・鉄蜘蛛を追ってくれるらしい。地上班に加えて射程外で障害物のない上空から監視の目が増えるのは助かる。
人語を話せないのは難点であるが、人間の言葉は理解しているうえに、本気を出せば光の勇者の“光速”に劣らぬ速度も出せる。
颯汰が差し出した左拳に、シロすけは小さな両手で触れた後にくるりと回転してから上昇していく。見送る空の黒点となっていった。
上を見上げてるうちにシトリーに後ろから確保されてしまったが、「移動するぞ」と体を揺さぶって脱出し、改めて移動を始め出す。
急ごしらえに作った野営地はそこまで離れていない。
あくまで長居するつもりはなく、東西に分かれた軍勢と合流するまでの休憩所として構えていた陣であった。
簡易的な施設で、いくつもテントが張ってある。
そこで長く移動をしていた客人たちに休憩と食事、怪我等の治療などをも行う。
休むべき颯汰であるが、絶えず指揮を執らねばならない立場であった。
――……やばい、ちょっと、気になるぞ
ドミニク伯爵が自ら操っていた幌馬車。
その中にいた人物たちについて聞きたいことがあった。
それを含めて客人たちの休憩後、今後の方針を決めるための話し合いの場にて聞けばいいのだが、集中できていなかった。




