22 プランB
黒い泥でできた怪獣が鳴く。
轟く慟哭は世界へ向けて響き渡る怨嗟の声か。
遠く離れた野生動物たる魔物でさえ、距離をさらに取っていった。
憤怒と憎悪、敵意を燃やして糧として邁進する。
穏やかな内面、溶け合った彼らは狂気に蝕まれていた。
失ったものを求め、手を伸ばし続ける。
天敵と呼べる邪悪な王の命も奪いたい。
奪わねばすべてが失われてしまう、という強迫観念に駆られていたように思える。
『殺さなきゃ』
『返せ』
『殺せ殺せ』
『もう、私から何も奪わないで』
闇が深まる。
終わりなき夜よりも昏い感情を想起させる。ただ言葉こそ暗いが声音だけはずっと穏やかで、若干のちぐはぐさがあった。
誰もそこに対する違和感など指摘することもなく、一つの怪物と成り追いかける。
崩れた左腕を再生させながら、四足で走った。
歪な黒き泥の魔神が地を蹴て進む。
荒れ果てた砂混じりの草や土を巻き上げながら、魔神は誘われ、導かれる。
丘を下り、再び上る。
なだらかであるが、人の身だとそれなりの労力を要する距離。
それでも、魔神にとってはすぐ到達できる短い距離であった。
すぐに丘の上に立ち、眺める。
敵がいる。
ひとりだ――。
魔神の何もない顔に、もしも目があったならば訝し気に細めていただろう。
立花颯汰が待っている。
あれだけ逃げていたというのに、たったひとり。
乗っていた狼の姿もいない。
逃げられぬと悟り、部下だけ逃がしたのだろうか。
諦めて迎撃を選んだのか。
『罠だ』
『すべてがわかっている』
『宇宙に帰るため』
『それでも殺さねば殺される』
誰もが罠であると疑うであろう場面だ。
狂気に陥り、正常な思考など備わっていなくとも気づけるぐらいに怪しい。
だが、それでも魔神は赴く。
腹部の大きな口を開き、耳障りな叫び声をあげた。
足りなくなったものを求め、新しく補おうとして――。
邪悪なる偽神は、躊躇いを振り払い飛び掛かる。
身体を倒すように後ろへ重心を置き、逆関節の後ろ両脚をバネにようにして飛び跳ねた。
空を塗り潰しそうな音を立て、黒が跳ねて落ちる――かに思えた。
「一斉射! てーっ!!」
よく通る雄々しい号令のあと、何かが魔神へ殺到する。
黒い液状の魔神と対となる、白が襲いかかった。
跳躍するための態勢を取った隙に、捻じ込まれる。
それは超重量で持ち運びに難のある道具であった。
元より、もしもの時のために用意されていた策のひとつ。
襲撃地点から少し離したのは、操影者にその存在を認知させないためだ。
適切な位置まで敵を誘導し、奇襲をかける。
狙いが最初からバレていては、効果が半減どころか全くないものへと変わってしまう可能性がある。少なくとも敵は警戒するだろう。
本当はわざとらしく潰走したふりをして誘き寄せることも考えていたが、実際に対面した全員が必死に逃げていたため演技をする必要もなかった。
「!?」
両手と両前足にそれぞれ計四つが絡む。
泥へと絡みつく白い粘つくもの。
かなり大きな弾丸が飛び、そこに命中した。
目標を撃ち抜くのではなく、べたつく何かを付着させるものであった。
「どうだいどうだい、驚いたかね!」
男の声が響く。
四台の発射装置――鉄蜘蛛やその幼体の遺骸を加工したもの。
足はすべて外され、頭脳ユニットは取り外され背部に、座席が装着されている。座席の前にトリガーのついたスティックが二本、それぞれ左右の手で握って操作するようである。前面は照準を合わせるためのレティクルが書かれたガラスが設置されている。
座席から真下に位置する四角柱の台座などは、明らかにこの時代の技術を用いて造られたものだとわかるお手製感がある。台座の下は金属の車輪が四つと、もいだ脚部の一部を用いたであろうストッパーが前後に付いている。移動砲台として運用するには重すぎたため、木材は一切使われていないものであった。車輪があっても自走はしないため、騎士団たちが顔を真っ赤にさせながら押して運んだものである。ゆえに、敵を誘い込んだカタチだ。
古代の技術と雲泥の差があるとはいえ、この短期間で敵の構造を把握し、発射台へと改造するという第八騎士団の技術力は少し頭がおかしいレベルだ。
その砲台を作り出した第一人者である第八騎士団所属の技術屋である男、グシオンが高らかに語りだす。
「鉄蜘蛛の発射パターンはのうちの一つだ! 他のパターンは解析中ではあるがね。研究の礎となることを、光栄に思いたまえ」
得意げに語る男をよそに、第八騎士団の長である少女のような見た目のナフラが颯汰に声を掛ける。
「おい、足が四つなんて聞いてねえぞー」
「いきなり増えたんです! 文句はあのデカいのに言って!」
「あらあら喧嘩はよしなさいなー」
「喧嘩じゃねえ、ちょっとした確認みたいなもんだ」
台座で狙い撃ちをしたナフラ団長、さらに先ほど雄々しい掛け声を発したジュディことカール副団長までもが別の砲台を使っている。
ナフラはちょっと文句を言っているがそこまで怒っていない。だが彼女がぼやくのも無理もない。
颯汰からシロすけ経由で報告を受けて砲台を撃てる状態に準備を整えたが、やってくる敵は想定以上の早さがあり、姿かたちも異なればサイズまでもが聞き及んでいたものより巨大であった。
そう、サイズが違うのだ。
突然の粘着性のある物体が撃ち込まれ、泥の魔神は跳躍を止めた。
それは絡まる物体を排除しようとしてではない。
表情がないため、まるで何を思っているか読み取れないが、困惑した様子だ。
確かにこれは、人体に撃ち込まれたら一溜まりもないだろう。
発射されたのは、対人を想定した兵装なのか人をまるまる拘束できる大きさの、トリモチのような白い粘着性のある物質ではある。発射速度もそれなりにあり、命中しただけでダメージになりえる。さらに顔付近に当たれば窒息の可能性もあった。
拘束されて身動きが取れなくなるため、大抵の人間ならどうあれ死に至る。
では、あまりに規格外な大きさの魔神にとってはどうなるものだろうか。
答えは単純、腕に何か白いべたつくものが付着したというだけ。
人間であればそれだけで多大なストレスとはなるが、黒泥の魔神の動きを制限させるには質量差が大きく開いていたといえる。
一見すると無駄な行動だ。
一つの砲台につき三発、一定の間隔で放たれる。
決して緩慢ではないが特別早くもない、秒数を順に数えるときよりやや遅いぐらいだろうか。
全弾命中したのは、敵が警戒せず大して避けようとしなかったからだろう。複数弾命中しても表層に白い粘着質のものが伸びた程度で、全身の動きを止めるに至らない。
不愉快であるよりも当惑が強かったようだ。
わずかな間のあと、敵が無駄な行動をしたと判断した黒泥の魔神は動き出す。
撃ってきた敵が無力であるから無視し、そのまま宿敵である颯汰を狙った。
「撃ち込んだな?」
「それじゃあグシオンちゃん――」
「――さて、お待ちかねの、ビーム照射の時間だ!」
「よしきた、やったれやったれ!」
第八騎士団に混じって、先に迂回して合流していたレライエがノリノリで操縦する。射撃系は彼に任せればよいと颯汰も太鼓判を押している男だ。
砲台の搭乗者は全員、眼前の両レバーを引く。背部にある蜘蛛の後部にあたる部分が変形し、サソリの尾のように持ち上がる。搭乗者の頭上に尾の先端がきて、そこが光線の発射口となっていた。
「左腕を!」
第四騎士団長ビフロンスが叫ぶ。
彼女の赤い玉石の目で、真っ黒な泥の左腕内部に核たる人間がいないことを透視して見抜いた。
各々がレバーのトリガーを押し、ビームの発射口に光が収束し、放たれる。
エネルギーが集まるような音の後、激しく放射されて光が辺りを赤と白に染め上げる。
凄まじい音と揺れに搭乗者たちが一瞬、苦悶の表情を浮かべたが、気合で狙い撃つ。周囲の兵たち複数名も慌てて砲台が倒れぬよう、支え始めた。
ビームで狙った目標は黒泥の魔神……、に付着した白い粘着性物質。
四つの赤いビームが黒泥の魔神の左腕に向かう。
燦然と輝く光。放射された光線が粘着物に直撃すると、変化が起きた。
赤熱したように、白いトリモチが色を変えはじめる。
泥の魔神までもが、それを思わず顔のない頭で見ていた。
赤い色がどんどん光で白に――戻るのではなく輝きだした途端に臨界点を超えてしまったのだろう。ヒビが入って自壊どころか、ボン、と音を立てて爆発を起こしたのだ。
白い粘液が、泥でできた左腕ごと爆ぜてバラバラとなった。
小規模な爆発ではあるが、巨腕を一つ潰すだけの確かな破壊力を有している。吹き飛んだ部分も当然、残った泥の断面までも熱で一気に乾いていた。
魔神が不快な悲鳴を上げる。
「左足! 付け根にいます!」
第四騎士団長の号令に、照射チームと颯汰が動き出す。
まだ状況を理解できずに苦しむ魔神。まるで痛覚があるように悶える怪獣の左前脚にある粘着物に、光線が集まった。まったく先ほどと同じく、赤熱したあとに爆ぜていく。
音を立てた爆発が人間でいうところの脛を壊し、魔神は態勢を崩した。
爆発の衝撃で跳んだ足先の泥に向かって、颯汰は飛び込んだ。
残った黒泥部分が、スライム状に揺れ動きながら颯汰から身を守るために立ち上がる。
黒い腕を伸ばすように襲う一撃、二撃を颯汰は短刀で弾く。踏み込むように全身を使って攻撃をいなし、隙を見て左手をねじ込んだ。
そのまま中にいる操影者を掴み、引っ張り出す。黒泥こそまさに粘着質で、離すまいと絡みついていたが、強引に掴み引き抜いた。例によって男も裸となり、眠るように意識を失っていた。
「――奪った!」
颯汰はすかさず胸部の真ん中に付着している“欠片”を引きちぎり、砕いて回収する。自分の内部に流れゆく感覚に浸っている余裕はない。
「照射を続けろ!」
「棟梁! このままだと銃身が焼き付いて壊れてしまいますが、よろしいですよね!」
「構うな! 今はソウタの手助けをしろ!」
「御嬢ちゃんの言う通りよ! 私たちがここで全力サポートしなきゃ!」
「残り全部位から中央へ移動を確認! 頼みます!」
「「「応ッ!」」」
颯汰が“欠片”回収している間に、敵は白い粘着弾にビームを受けると爆発すると理解して、黒泥内部を回遊していた操影者たちは中心部へと退避していた。それを報告したビフロンスの言葉を信じ、照射チームはトリガーを引きっぱなしで残りの右腕と右前足を破壊しにかかった。
発射装置から眩い光線が迸る。銃身周りが熱で溶けたり他の部分にも負荷がかかって壊れてしまうが、そのまま照射を続けて右腕と右前足まで破壊に成功した。
魔神は呻きを上げて、後ろ足だけでは立っていられなくなる。
照射は止まったが両手も無くなり、発狂するように顔のない頭で天を仰いで震えていた。
さらなる絶望が、魔神を襲う。
『第四拘束、限定解除――!』
恐怖の捕食者が躍り出る。
腕も足もなくなって前のめりで項垂れる魔神に、颯汰が変身して決着をつけに接近する。
青年の姿となり顔もフルフェイスの装甲で覆う姿。機能不全で萎縮した右腕だけ右肩からディアブロで隠していた。
腕部の武器庫となる亜空の柩から射出した剣は地面に突き刺さっている。
銀の光で剣身を包まれ、強化した剣を左手で引き抜き、颯汰は飛翔する。
背部ウィングユニットはたった一瞬、敵の胴体へと飛びつくために使われた。
迫りくる天敵に、黒泥の魔神が絶叫する。
それに対して颯汰は静かに、相手に聞こえてないぐらいの声量で応えた。
『俺は、お前たちの敵じゃない、だが――』
左腕部に装着された亜空の柩に触れる赤い襤褸で出来た右腕。
様々な形態に変わる英雄の剣は、人間を軽く握れそうな巨大な魔手に合う手甲となって装備された。
泥の魔神は抵抗し、複数本の触手を伸ばしてくる。
槍のように直進してくる殺意を、ある意味で義手となっている偽りの右腕と銀の剣で弾き、切り裂きながら魔神の胸にあたる部分に接近し、颯汰は剣で下から切り上げた。
煌めく白刃の一閃が通り、その傷口へ左腕から放出された瘴気の顎とディアブロで出来た巨手の指を逆手で捻じ込ませる。
そして引き裂くように、横開きの両扉をこじ開けるように、両方の腕を横に広げて中身を開く。
その瞬間――。
『!』
颯汰を襲う、人影。
内部にいた操影者の男が全身を泥に包まれたまま攻撃を仕掛けてきたのだ。
顔面を狙った迫る右拳を颯汰は左手で受け止め、一瞬でその右腕を掴んで引き抜くように引っ張った。泥が身を離すまいと抵抗するが、颯汰はそのまま男性の腹部に右膝を叩き込み、痛みで動けなくなったところにさらに回し蹴りを加えて後方へ吹き飛ばす。随分と乱暴な手段だが、そうする他なかった。次の敵が迫っていたのだ。
第三第四の腕が胸部を開いているが、そこに掴まっているため地に足をつかずにいられている。本物の腕でもないため、体が一回転しても問題なかった。
颯汰が回し蹴りをする際に後方へ引き抜くために勢いをつけたが、浮いたまま思い切り敵へ背を向けた形となったためもう一人までもが殴り掛かってきていた。だが今度は逆方向に回し蹴りで迎撃する。
左腕からスラスターの青い炎で加速した足蹴が、カウンターとして泥まみれの人体にヒットする。
その勢いだけでもう一人が同じように地上へ排出されていった。
『あとは……』
正面を見据える。
奥に一人、青年が自分の手を握って祈る姿勢で泥の中から姿を現す。
泥に塗れた狂気の顔。目を瞑りながらの笑顔に、颯汰は嫌な予感がした。
『(自爆ッ!?)――させるかぁあああッ!!』
以前、王都で暴れた黒泥の巨人が自爆をしたのを思い出す。
敵の行動を読み、颯汰は叫びを上げた。
可視化した衝撃波が、颯汰の周辺に発生する。
『鬼神咆哮!』
敵の行動を封じるカウンター。
闘気が漆黒の波動となって範囲内の敵を麻痺させる、継承した奥義。
青年の自爆を読み、阻む。
ほんの僅か、動けなくなったところを、颯汰が王手を差し込んだ。
『悪いな……、蒼炎の衝鎚ッ!』
正面にいる青年を思い切り突き飛ばす。殴るのは気が引けたのか、ぶつけるのを手の平としたが、被害者にとってあんまり変わらないだろう。
思い切り泥の海から突き抜けていき、青年は地面へ叩きつけられバウンドし、転がっていく。
中に核も“欠片”もすべてなくなったため、泥の山は崩壊を始めた。
颯汰は離れて着地して、少年の姿へと戻ってしまったが、左拳を握り、掲げて宣言する。
「俺たちの、勝ちだ……!」
その言葉は静かに風に流れ、次第に熱を帯びて伝わっていった。
そうして、勝鬨の声が周囲に巻き起こる。
颯汰は仲間たちと共に、黒泥との戦いに勝利を収めたのであった。




