19 黒泥の巨人
いないはずの捕食者――異世界からの来訪者、偽りの魔王、銀嶺の王。
留守中に自身の国で内乱が起きたという不祥事に対し、静かに仲間を集め、一気に各所を制圧することに成功させていた驚異の少年王――立花颯汰。
肉体的な年齢が二桁にやっと届いたか、それくらいの幼さが残る少年が、見上げるほどの巨躯を持つ泥の巨人を討ち滅ぼした。
一度王都で暴れていた奴らよりも小さくはなっていた。とはいえ上半身だけで、そこから下は泥の水面に沈んでいるような出で立ちであるのに、二階建ての一軒家に届きそうなぐらいの大きさがある。
そんな敵の首を刈るように襲撃し、目的の物を正確に抜き取り、己の力に変える。
呪いの塊である黒き泥……それを制御を担う彼ら操影者は戦闘についても素人であれば、立花颯汰について知らぬことの方が多い。
ゆえに、ただただ恐怖する。
楽ではない任務ではあったとは思っていたが、想定を優に超える怪物の参戦に衝撃を受け、余裕が無くなっていた。
「う、うわあぁあああああッ!!」
操影者で構成された魔物を討伐しにやってきたはずの青年が叫ぶ。黒泥の巨人を操り、颯汰を攻撃した。振り上げた拳を槌として、杭を打ち込むように叩きつけた。
それに対し、少年王は全く動じる気配はない。
振り下ろされる質量に対し、ただ待つ。
「――!?」
空気を揺さぶる鋭い音。
太刀風がそのまま斬撃となって巨腕を断つ。
風の竜術――。
術者である竜種の子の数倍大きい、風の刃が飛来し、黒泥の巨人の腕を、横から両断したのだ。
立花颯汰の隣にこの者あり――。
龍の子シロすけが颯爽と現れ、小さな翼で羽ばたいて竜術を発動させていた。
援護攻撃によって巨人の右腕は千切られ、颯汰の背後へ飛んでいく。
その腕が地面に着地して、熟れた果実の如く弾ける前に、颯汰がここで動き出す。
残った巨人の方、切断された腕の断面の真っ黒な汚泥の中、僅かな煌めきを見逃さない。
「そこだッ――!」
左腕から放出された黒い瘴気の群体が形を成し、敵に喰らいつく顎となる。触れれば人体に有害な呪いの洞の縁を黒獄の顎を用いて掴んで跳び上がったのだ。人間の跳躍を遥かに越えた高みへ、身体を運ぶ。いずれ超人と呼ばれるスポーツ界の各競技において最高峰の選手として活躍する英雄であっても、この体格で己の身体ひとつだけでこの高さには未来永劫、到達などできない。
ヒトという枠組みを外れた王は、断面へ自身の左腕を突っ込んだ。己の身体が重力に引かれて地面へ落ちる前に、目的の物を掴み取った。
「奪った!」
引き抜いて腕、黒鉄の籠手の内に光り輝く物質がある。結晶体をその手の中で砕く。
パキと音を立てて、ガラスよりも脆く思えた。
巨人は、先ほどの個体と同じように崩壊を始める。
機能を停止し、完全に消滅することはなくとも、地面に溶け込むただの泥として残る。
討伐隊に動揺が奔る中、周辺外部に変化が起こった。
「「「ウォォォオオオオオオオオッ!!!!」」」
雄々しき戦士の叫びが、呼応する。
いつの間にか、討伐隊が先ほどまで楽しそうに会話を重ねていた馬車を取り囲う、武装した集団が増えていた。
有り得ない。
信じられないと目を見張るも、確かに軍勢が取り囲んでいたのだ。それも、一番近い小汚い見た目の山賊たちとは違う。
まだ日が沈んでいない空の下、輝く鎧、盾に武具。旗を持つ者までいる。アンバードの騎士団の旗と鎧に打ち付けられた紋章が見えた。
第一から第三騎士団は「守衛騎士」と呼ばれる王都を守護を任じられている。それに対し敵へ攻め入る「攻勢騎士」と呼ばれた者たちがいた。
槍の紋章――第四騎士団。
卓越した馬術で戦場を騎馬で駆ける戦の要。
剣の紋章――第五騎士団。
戦闘狂が集まり、誰よりも早く敵に切り込み崩す役割を担うものたち。
有翼獣の紋章――第六騎士団。
獣刃族の雪の民で構成された少数精鋭。
さらに、それらとも異なる特殊騎士と任命された者たちがいる。
鷹の紋章――第八騎士団。
この場にいる各騎士団は、死傷者や吸収され他所へ転属されたため数は激減し、一個小隊である三十名弱しかいないが元より鍛冶師兼技術職である第八騎士団は変わらぬ人数であった。
第八騎士団は内乱時には既に王都から発っていたが、他の騎士団は三大貴族に反抗していた。それでも結局は、バルクード・クレイモス公爵の軍門に下ったはずである。
「裏切り、か……?」
操影者の男が、驚愕の面持ちで呟く。
騎士団の姿を見て、討伐隊となった自分たちが罠に掛かったのだと知る。この道を通ると見越して、入念に準備を整えられたのだ、と。
起伏が殆どないヴェルミ側と異なり、アンバードの特に内陸部から南にかけては小高い丘が幾つも見受けられる。
斥候を放たずに揚々と馬車で行くのは、戦時下であろうとなかろうと、非常識と言える下策であろう。
咆哮とともに雪崩れ込む敵勢に、討伐隊はパニックを通り越して、混沌の極みに到達する。
心が怯え、思考が正常に働かない。
それこそが颯汰たちの狙いだ。
敵の思考力と判断力を奪う。何が真なる目的かを定めさせず、立ち直らせないようにする。
「“呪い”は払わねばならない」
颯汰は使える左手の人差し指でさし、静かに呟く。その言葉を聞いた討伐隊は、見事に死の宣告であると誤認した。
最も恐い化け物が近くにいる。
周囲から敵も来ている。
正常な思考などできるはずもない。
「――チィッ!!」
泥の集合体で障壁を作っていた男が、敵勢を見て裏切りであると憤っていた操影者が動く。黒泥の壁を変形させ、巨人とまったく同じような腕部を作り、颯汰を奇襲する。
手を開いて掻っ攫うように振るいながら、壁ではなく巨人型に形を変えていた。
巨大な手は、他の泥の兵を巻き込んだが、颯汰は軽々と後転して避ける。
「防御態勢――!!」
巨人の動きを見て、接近を始めた仲間たちに対して颯汰は号令をかけた。
黒泥の巨人は腕のスイングをそのまま活かす。その手に一杯になった汚泥を、流れるように一番近い敵の軍勢――山賊の見た目の者たちに投げつけたのだ。
その威力は敵をこれ以上近づけさせない牽制ではなく、殲滅させるための爆撃に近い。
投石機による岩の射出は城壁を崩すほどの破壊力を生むのだから、それを人体に向けられる恐怖を直に感じたことだろう。
事前に可能性があるとして、この第八騎士団が造った鉄蜘蛛の幼体の装甲を用いた、非常に堅牢な大盾を渡されていなければ、天に祈る間もなく死を受け入れるしかなかっただろう。
「いくぞぉぉおおおッ!」
「「「オオオオオオオッ!!」」」
大盾を構え、地面に突き立てる。
盾の上と横に、と――。
ぴったりとくっ付き、接合する。
荒野に白亜の城壁が生まれた。
真新しい大盾は始めからこのような機構が搭載されていた。盾と盾を連結し、強大な一撃を多人数で支えて防ぎ、耐える――仲間を守るために防御範囲を広げ、衝撃を分散する機能もあった。
盾役が並んでいたとはいえ、時間的にすべての盾を合わせることはできなかったが、八枚の盾を即座に合体させることに成功する。
そこへ侵略するように、あるいは穢すように“黒”が投げ込まれる。
ズドン、と重い音が響く。
塊が衝突したのだ。
「ぐ、ぐぉおおおおッ!?」
拮抗し耐えたのは、僅かに一数える間もなかった。一瞬だけ受け止めていたが、直撃した地点で、盾が離散するのが見える。
颯汰が思わず、そちらを注視するが、塵煙の中ではっきりと見えない状況であってもすぐに迫る通常サイズの黒泥の猛攻に集中をする。
思い知ったか、と口角が上がっていた男であったが、徐々に明瞭となった景色を見た途端に無表情になる。
「生存確認!」「呼吸、……あり! 死者、ゼロ!」「怪我人を後退させろ!」「泥の奴らが動き出したぞ!」「応戦応戦!」「ぶち殺せー!!」「第五騎士団、推して参る!」
「生きてる、だと……!?」
剛速球で投げつけられた砲丸が直撃したような音まで聞こえ、その衝撃で造られた防壁である盾も吹き飛び、人間も吹き飛んだというのに、立ち上がって応戦している。
それどころか、獅子の頭の毛皮を纏う武人――第五騎士団が隊長たるサブナックが、山賊の仲間に扮して野蛮な振る舞いを止め、軍刀を煌かせていた。サブナックのその絶技は颯汰も舌を巻くものがあり、王都にいた頃には彼からも剣術の手ほどきを受け、また模擬戦にてボコボコにしてきた一人である。
真正面から砲撃を受けた――最初から防御のためにかなり重量のある大盾を運んでいた本物の山賊たちと、その頭領に敬意を賞しながら、白刃が舞う。
汚泥の塊の中で、掴んだときより起き上がって活動可能な黒泥兵は減っていた。移動こそ緩慢だが攻撃速度は決して遅くないというのに、肉体を針のように細くして狙った突き刺し攻撃も、去なされている。白兵戦が展開されていた。
一方的に攻撃を仕掛けてきた愚か者へ、一方的な虐殺を敢行しようとしていたはずなのに、気づいたら合戦が始まっている。
「な、なんなんだよ一体――」
「――隙だらけだッ!」
動揺をしている操影者。制御している巨大な泥人形までが合わせて動きが止まってしまった。
今度は颯汰は地面に向けて瘴気を飛ばし、その反動で宙に舞う。
周りを囲んでいた黒泥のシルエットの頭を踏み抜き、飛び跳ねるようにして巨人の胴体に取りついた。密着状態。そこまで接近を許してしまえばもう遅い。
体内を動き回っているらしい結晶を、確かに捉え引っこ抜く。
呆気なく三体目の巨人までが狩られた。
実戦は訓練とはわけが違うとは聞き及んでいても、ここまで状況が不利に運ぶものなのか。
理不尽に絶望している討伐隊の面々を、今しがた僕を倒された男が叱責するように叫んだ。
「お、お前ら、出し惜しみはナシだ!」
男は、懐から黒い液体で満ちた小瓶を四つ取り出す。それぞれの手に二つずつ。器用に指と手の動きだけでコルク栓を抜き取る。
ここで全部を出す。
どうにか王都さえに戻ればいい。ここで全滅は最悪の結果であり、囲まれている中、馬車のウマも既に逃げ出した中で逃走は難しい。
勝機は薄いが、隙を作るしかない。
討伐隊は理解して追加の黒泥を召喚する。
彼らの中で声が響く。
それは幻聴ではなく、黒き呪いの塊を操る術を与えた悪魔、開発者たるロイド博士の、過去に聞いた声であった。
怪しげな風袋であったが、彼ら討伐隊に『チャンス』と『未来』を与えたのは紛れもなくこの人物であり、ある意味で『希望』であり、『師』でもあったと言える存在だ。
『雑兵ならば通常形態で数で応戦するのがいいでしょう。しかし、強敵相手では気を抜けば君たちが狙われ、殺されてしまいます。制御を行っている君たち操影者が死ぬと、私の大切な研究結果たちは暴走してしまい最悪の結末を迎えることでしょう。なので、確実に集合して敵の息の根を止める! ……集合・合体、巨大化したドロイド兵は無敵です。僅かでも取り込まれれば、その呪いから逃げられない。――彼の王……異世界からやってきた転生者である迅雷の魔王ですら、黒泥に呑まれ、精神が汚染されているのですから――』
現在、消息不明である研究者の言葉が脳裏に鮮明に響く。五人は、覚悟を決めた。
「おい、御者のおっさん」
「あ、えっ……!?」
『――ですが、魔獣化や巨人化には人間を核にしないといけません。確実に誰か、手元に確保しておくと良いでしょう』
博士の遺した呪いの言葉が続いた。
瓶から零れた呪い。それぞれから円形に、波打つように広がる。呪いの水面が重なっていく。すでに黒泥がいる地点に触れると、黒泥は崩れるように水面に溶け出す。少し離れに飛ばした個体以外は、周囲に展開されたもの、機能停止したものすべてが呑まれて消える。
千載一遇のチャンス。
敵が勝手に防御を剥がしたのだから、射つ――と空気を読まない合理主義者やまともな人間たちは矢を番えて射ったが、到達する前に黒い水面が立ち上がり、射撃を防ぐ障壁となっていた。
男女五人をから拡がる円が、泡立ち、呪いが立ち上がろうとする。
「……おじさん!」
青年の声。肯く面々。そのあとに男が言う。
「逃げろおっさん。巻き込まれちゃいけねえ」
「!? ま、待て――」
思わず手を伸ばした御者の男の声を遮るように、黒い柱が屹立する。昇る黒い間欠泉、地面から噴き出す油田のようにも映るそれは、神々しさよりも不気味さを感じさせた。これから起こる最悪を予期させるには充分な嫌な気配であったと言える。
颯汰は静かに見上げる。
自身が変身して青年の姿になったときでさえ見上げていた影が、もっともっと大きくなる。
漆黒の呪いが、新たな悪夢が顕現する。
人間五人を核として、巨大な怪物が生成された。
そこまで彼らを思い詰めさせ、追い詰めた張本人は静かに言う。
「最近、自分より図体の大きい敵とばかり戦っている気がするな。……いや、それでも巨神なんかよりはぜんぜん、小さいさ」
自分に言い聞かせ、振るい立たせる。
それは“魔獣”に近しいフォルムであった。
腹部に巨大な歯と口。長すぎる細い手。
しかし細部が異なっていた。
崩れた翼。後光のような輪。顔のない頭の、顎下から触手が並び、黒いに近い灰色の骨が外装のように泥の肉を覆い始める。
五名の人間を吸収して降臨したそれは――。
禍々しい、邪なる神を思わせる姿であった。
25/03/29
タイトル「019」→「19」に修正
読点が余計な箇所にあった部分を修正




