17 挟み撃ち
二日後――。
すでに首都バーレイから兵を北部へ派遣した後である。先の貴族たちは意気揚々と、何なら隊列を大いに乱して先へ先へと進軍していく。
功を焦るのは未熟者ゆえか。
ただ欲に駆られているのか。
おそらく、両者なのだろう。
事実を伝えさえすれば、戦うこともなく“敵”を捕縛できる。そしてより高みへ成り上がる。
自分の地位をさらに向上させ、三大貴族をいずれ失脚させたいという欲望のままに進んでいく。
明確にゴールがあり、複雑な工程がないのだから、いの一番に突っ込んでいくのが当然か。
すべてが頭で思い描いたように上手くいくと、本気で思い込んでいるのだ。
貴族としての矜持があるとして妨害行動を謹む……といったことは無く、互いの足を引っ張りながらも進んでいったのだ。
本来であれば、隊から離れるなどの違反者は軍規を乱したとしてそれなりの罰を下されるものであるが、バルクード・クレイモス公爵は『民を害さないであれば、また隊に甚大な被害を及ぼすような勝手な真似さえしなければ、好きにさせろ』と通達した。邪魔ものを体よく首都から外へ出したので、咎めて気を悪くして帰られたり、もっと迷惑な行動を取られるよりマシだと監視役も判断したようだ。
「さぁ急げ! 他の家に取られる前にだ!」
最低限の荷物だけを持ち、ウマを駆る。
隊列から離れて目的地へ急ぐ。
ライバルが背中を追い続けてくる中、従者と共に早馬で向かう者たちがいた。
さすがに軽装してはいるものの、戦を幾分か舐め腐っているのが、バルクード・クレイモス公爵がご指名のバカ貴族たちである。
「ししし、しかし……! あ、あ、あの“魔王”が、逆上する可能性は……!」
「臆するなぁ! あの小僧は激甘だ! 人質の存在を知れば確実に投降するさ! 送った暗殺者をも、情に流されて殺さなかったというではないか!」
「ししし、しかしながら! ぶぶぶ、部下のものが、彼奴を投獄しましたぞ!」
「それぐらい当たり前であろう! 自身の命を狙う輩を見逃したとも噂では聞くが、いくら甘ちゃんであってもそんなことはしないはずだろう!」
互いに奔る馬上で、大きめの声で会話する。
ここでの魔王とは現国王にして偽りの魔王たる立花颯汰のことである。
普段は昼過ぎまで熟睡しているが、殺気に関しては異常なほどに敏感であり、暗殺を悉く防いでいた。
彼自身、寝起きで頭が回らなかったこともあり、夜中に衛兵を呼ぶのも気が引けたため、
『あーもう、依頼主を教えてくれたら、帰ってもー、いいですよー……』
などと寝ぼけながら自身の命を狙ってきた刺客に言い放っていたそうだ。
そうして颯汰は再び就寝するわけであるが、当人が満足であっても、それを許さぬ守護者がいた。
刺客は困惑しながら古城周辺から市街地へ向かおうとしているところを、紫色の風が吹き抜けて――全身から力が抜けたところを捕らえられる。
捕らえられた刺客は古城の地下牢に幽閉されていて、マナ教の信徒へと改宗される――あるいは現国王に従順な兵士に改造されているなどという噂も上がっているが、真偽は不明のままだ。
「ででで、でも! ままま、魔王ですぞ!? ややややはり、クレイモス公が出るべきだったのでは」
「いいや! 公はチャンスをくれたのだ! それに暗黒大陸からの魔物なぞを相手してくれるのだぞ、ありがたい! やつらより魔王の首級の方が手柄となるだろう!」
目標である現国王を発見し、話せばそれだけで済むと本気で思い込んでいる。一緒に出兵した軍勢が合流すれば接敵が始まる。すると他の誰かに獲物が取られるかもしれない。そう思うと身体が落ち着かないのだ。
他の誰かに出し抜かれるわけにはいかない。
だからこそ急ぐ必要がある。
「それにしても、コックムの田舎者どもめ! 為すべきことを放棄したのは許せん。――公に命じられて南西に向かう兵たちは不幸だろうなぁ」
同情するように空を見上げる。
空はまだ白く、日が昇る前である。
夏である“陽の月”から“星の月”ぐらいまでは早朝でも明るく、動けば暑くなる時期だ。
実際のところ、彼ら貴族の想像とは全く異なるベクトルの不幸が待っていた。
魔物を退治するために南西に向かう者たちは思いもしない“敵”と遭遇するのであった。
◇
一方で、南西から迫る魔物の群れを迎撃するための軍勢が進軍していた。
黒き呪いに侵されたバルクードは、アンバードの先代王――簒奪者たる迅雷の魔王と同じようにそれらを操ってみせた。
王都を離れられないバルクード・クレイモス公爵は仕方がなく待機し、兵も物資もギリギリであるため最小限の戦力を南下させる。
黒泥が暴走しないように制御役を、黒泥・二十体につき一名、合計五名分用意させての行軍だ。
額に飾りのような結晶を付けた――戦士というより呪術の類いを操りそうな風貌である。主に魔人族で構成されていたが、他の種族もいる。皆が武装しているわけではなく、黒いローブ姿で統一されていた。彼らは自衛程度ぐらいしか戦闘訓練を受けていないが、その特異性から爵位を持たぬ下級貴族である王国騎士よりも高い給与を貰っている。
単純に人材も物資も不足しているせいもあるが、人間は彼らと馬車を操る御者のみであった。他所からもその存在を知られるわけにはいかない――黒泥という遺物を用いていることを悟られぬために、アンバードの軍旗を掲げずにいた。
行軍と称したが――黒泥自体はいつでも呼び出せる状態であり、普段はその姿を見ることは無い。つまり見た目は王国の庇護下である印も立てずに南下する旅馬車にしか見えなかったことだろう。
そのせいで仮に野盗に襲われる危険性もあったが、黒泥兵の軍勢に掛かれば一網打尽である。
黒泥兵は下手な軍勢より経済面でも戦略面でも非常に高いポテンシャルを持っていた。
最初は、出兵時に本物の鎧を着せて軍勢が出陣したと民に誤認させようとした。歩いて進むのが非常に遅く、またウマは乗せるにもコントロールの加減が難しくて断念したかたちだ。足が地面についてないせいか、乗馬時で態勢が維持できずに落馬していた。
行軍させるだけなら、移動速度は遅くとも夜通し歩かせることができるが、制御役がいなければ勝手に、動くものを狙う漆黒の呪物と化してしまう。
五名分のウマと彼らが移動中に乗る用の幌馬車と引くための二頭で向かう。兵站は制御役と御者の人数分だけで事足りる。状況に応じて他の市や集落で買い物すれば問題なかった。
「……どういった魔物なのだろうか」
制御役に選ばれた男が不安げに言う。
ロイド博士と呼ばれた男に選出された――平民であった魔人族の彼は、馬車で揺られて憂鬱そうな顔色であった。
他の面々も、迅雷の魔王に支配されていた時期に選ばれた者たちだ。颯汰やその仲間に見つからないように、三大貴族の手によって保護されていたこの者たちは、性別や年齢もバラバラで、主に魔人族ではあったが、中には奴隷であったエルフも竜魔族も混じっていた。
「ドロイド兵がいれば対処可能とは思うが……」
「カエシウルム大陸から来る魔物は謎が多いらしいわね。一定の周期じゃなく、種類もてんでバラバラ。新種も度々目撃されてるだとか」
「クソ! コックムの田舎者どもめ! あいつらが仕事をすればこんなことには」
「でもわかりますよ彼らの気持ち。肩を持つつもりはありませんけど」
「地方の豪族も、辺境警備隊も中央が嫌いだからな」
「中央というか貴族連中よね。アイツらこそ、こっちにきて魔物の餌にでもなればいいのに」
互いの過去は知らないが、共に選ばれてコントロールの訓練を受けた者同士でわりと仲良し。
「滅多なこと言うもんじゃねえぞー」
馬車を操る御者が前方を見ながら、苦笑いを浮かべて後方に注意をする。
「はいはーい」「へーい」
学生じみた軽い返答。他の四人はピクニック気分が抜けていない様子である。一同は雑談をしながら進んでいく。
「あぁ、ボクが言いたかったのはそういうことじゃなくて、新たな王を脅すために身内を人質にとってるじゃあないですか。コックムの領主の娘であるアスタルテちゃんだって、仮に居たら確実に人質にとってただろうから」
「それで反感を……買った?」
「かもなー」
「北上して来ているのがどんな魔物かはわからんが、北へ行って“魔王”を討てなんて無茶言われるより断然マシだろうぜ」
「それはそう」「死にに行かされるようなものじゃんね」「魔物よりも恐い」「はい」
「飛ばされた無能貴族は別にいいけど、まともな人たちが死んじゃうのは悲しいかなー」
門閥貴族たちは権力にしがみつくだけの害虫であって嫌われているため、彼らがどう野垂れ死にしようが構わないと思われがち。だが、前線で身体を張る役目を担う兵たちへの同情はある。
ここまで颯汰が“魔王”として畏れられる理由は、迅雷を討ち滅ぼした功績があるからだ。
魔族の国であるアンバードは転生者に一度屈した。迅雷の魔王は王位は簒奪し、暴虐の限りを尽くしてこの国を支配した。
世の中、綺麗事が通じない相手の方が多い。
暴力を掲げて、自分の欲を満たすために多勢を殺そうとする危険な生き物を相手に、言語だけで立ち向かうのは無謀というもの。
ありがたい御言葉一つで戦争が終わるなら、この世に兵器なんて必要なくなるだろう。
自由でいたいなら、敵意を跳ね除けたいのなら――敵と同等かそれ以上の“力”をもつ必要がある。説得するにも同等以上の“力”を有しなければ、同じテーブルに着くことすらできない。
例えば軍事力が同じレベルであれば反撃で痛手を負いたくないとして、侵略行為を未然に防ぐことができる。それこそが抑止力であるのだが、これもまたまともな思考の相手に場合が限られているのが現実だ。
魔王と同じだけの武力があれば、人々は暗愚なる王を据えて戦争を行うなんてことはしなかっただろう。アンバードに住まう人々に、抗う力は残念ながらなかったのだ。心までぽっきり折られた後だ。
新たな王として即位した少年に対し、まだわかっていない部分が多いけど、少なくとも迅雷の魔王討つぐらいの力を有している。この事実がアンバード領内全土に広まっていた。
「本人が殺せねえからって“娘”とか周りを狙ったやつは八つ裂きだもんなー」
かなり誇張されすぎたデマである。だが、それくらい憤怒に駆られる可能性は充分にあった。
「人質なんて取ったらどうなることやら……」
身震いで自分を抱きしめるように両肩へ手を回してエルフの女は言った。
民に対して暴虐な一面は今は見せていないが、颯汰の事を「いつ爆ぜるかわからない爆弾」としか見ていないものが多いのも、無理もない話である。
中にはわざと刺激する――アホの貴族が暗殺者を嗾けることもあったが、今のところ逆鱗に触れたのは一名であった。その時は彼ではなく“娘”を狙ったためである。その日の夜中、颯汰は太陽が昇る前に王都内のどこの家のものが雇ったのかを特定し、直接襲撃したのはバーレイで有名な話であった。
ゆえにバルクード・クレイモス公爵の行動に解せない。勝機なくして内乱を起こしたわけではないはずではあるが、手元に人質は置いただけでは不安は拭えない。敵の急所ではあるが、同時に逆鱗であるからだ。
「まぁ俺たちはその“魔王”さまに会うこともねえだろ。あーあ、やっぱり北へ出兵した連中は不幸だろうなぁ」
それは正しくもあり、誤りでもあった。
北へ向かった貴族たちは、最悪と遭遇する。
それは魔導を司る王。
異界から転生してきた者。
人ならざる姿で天から堕ちてきた怪物――。
南北両方に、それぞれで予想だにしない“敵”が現れたのであった。




