16 首謀者
首都バーレイの空気は少し張りつめていた。
それは季節が移り替わるという意味合いではなく、人々から活気が失われ、潜めるように声が消えていたゆえだ。
魔王による騒乱に続き、内乱も起きたのだ。
市井の民は“敵”を刺激しないように、存在を悟られぬように静かに過ごし始めた。
アンバード領内は平定から未だ遠い。
首都は復興の途中であり、勝手に上の人間――貴族制・階級上位の人間が動き出していたことは、民草にとっていい迷惑であった。
平民は以前以上に、彼らを恐れた。
首都に残った貴族は、上級も下級もロクな人材ではなかったと言える。上に立つ者として責務を果たすのではなく、ただ受け継いだ権力を行使するクズばかりであったのだ。
それに対して、三大貴族に反抗した者たちは、上に立つ者としての矜持を持ち、平民を脅かすような真似は避けていた。中には単純に、魔王を殺した偽りの王を畏れていた者も当然にいたが。どうあれ、平民を害するような事はしていなかった。
内乱により、民にとって益のある貴族は弾圧されていった。武官や兵役を担うことができるものは登用されていったが、文官を始めとする非戦闘員は不当な理由で逮捕されていった。
その結果、三大貴族を笠に着て――横暴な態度を取る貴族が増え始める。
住民に圧を掛け、贅の極みのような宴を日々繰り返す。女は攫い、男に暴力を振るい、子どもを食いものにする。
先々代の王であれば、このような真似はさせなかった。
では軍人であった厳格なバルクード・クレイモス公爵はそれを黙認したのかと言えば、当初は許しはしなかった。処刑とまではいかないが、きちんと厳正に処罰をしていた。
しかしあるとき、公は静かに告げる。
『私の見えるところではやるな』
そしてバルクード・クレイモス公爵はどういう訳か屋敷に篭りっきりとなる。
もちろん、為政者として職務はその屋敷で執り行われ、用事のあるものは出入りして彼の姿が健在なのは確認済みである。
貴族たちはそれから調子付いた。
影に隠れながら、陰湿な暴力が行使する。
とはいえ、それを仲間に密告されるのを恐れて、あまりエスカレートすることもなかったのは救いだろうか。貴族街まで連れ込もうにも、クレイモス公の兵が巡回していて、抑止力となっていた。それでも平民区の住宅街でも人々の出入りはめっきり減った。
民以外に危険な目に合う可能性が高いのは、今のバーレイは復興作業を行うためにやってきた人族やエルフだ。
この地に訪れた彼らは当初、拘束されていたが、暴行が始まる前にバルクード・クレイモス公爵の一言で再び労働をさせられていた。強制労働という形ではあるが、給与もきちんと支払われ、酷使させるようなことは控えさせている。バルクードの兵士が見張ってくれてはいたが、それはそれで不安はあったことだろう。
バルクード・クレイモス公爵の下についたからには、好きにさせてもらえると思いきや、それなりにガードが堅いせいで、残った貴族たちは自らの欲望を充分に発散できずにいた。そういったことで無能貴族からじわじわと不満が出てきていた。こう云った手合いの人物たちは、想像以上に自身の能力を買いかぶり、想定以下に敵を侮る節がある。
そんな彼らは自分たちが害のある敵と見なされているとは露にも思っていないのが、救いようのない話である。
私室にて座するクレイモス公。
瞑想するように静かに、呼吸さえ耳を立てなければ捉えられぬほどに小さな音であった。
国王に賜れた鎧姿ではなく、わりと質素な格好であった。さすがに上に立つものではあるから安物というのは示しがつかないということで、衣服は上質な素材ではあるのだが、他の貴族と比べると鎧を着ていない彼は地味に映る。
武人である彼は華美な装飾を好まなかった。
屋敷もいい素材を使われている一方で、自身の部屋などは必要最低限のものしか置きたがらなかったようだ。ベッドも机も素人目では一瞬高級品かどうか判断に迷うぐらい余計なものや飾りが取っ払われていた。
「――……やられたか」
独り言が部屋に響く。
若返った青年は黒いベルトに触れながら言う。
仲間であるバルジャ・ウィック公爵、ダリウス・ファルトゥム公爵が討たれたのを遠く離れながらも確かに感じ取っていた。
現国王が帰国した証左である。
颯汰たちは乱を起こしたことを察知し、先手を打った。しかも二か所同時であり、この首都を挟んで両端をだ。
バルクード・クレイモス公爵は椅子から立ち上がる。
行動を起こす必要が生じた。
重々しく立ち上がり、部屋から出ようとしたときである。
「お坊ちゃま!」
老齢の女声がする。
公爵は思わず苦笑いを浮かべ、
「坊ちゃまはやめなさい」
自分が子供のころから付き合いのある魔人族の侍女に呼ばれて彼は廊下を出て、応接間へと向かった。
「閣下!」
応接間では連絡役の兵たちが四名がやってきていた。
「敵……だけではないようだな」
複雑な面持ちから問題が別に起きたことを察することができる。
「えぇ、実は――」
それぞれが既に内容を共有した後なのだろう。
顔を見合わせながら一人ずつ公爵に報告をした。
「……東のボルドーにてヴェルミ軍と交戦。南部からマルテが領域侵犯。南西部の暗黒大陸から魔物が侵攻――防衛を担うコックムが今回の件により任務を放棄したゆえに魔物が北上中。さらに――」
辺境警備隊である下位の騎士団から上級貴族の面々は敵視されているため、このようなことは起こりえるとはバルクード・クレイモスもわかっていたことではあった。
「――北西にて、現国王『タチバナ・ソウタ』を発見。交戦準備中……とな」
無感情に公爵は聞いた言葉をまとめて並べた。
四か所同時に、面倒ごとが起きている。
「ふむ……(どれも起こりえることだが……)」
既に東西は陥落した。その知らせが早馬がやってくることはなくとも、彼は既に察知している。
戦況をラグなしにダイレクトに伝える術はこの世界では限られているし、普及していない。ゆえに仮に援軍を送ったところで決着はついている場合がある。そもそも援軍を送る兵力自体が足りないわけだが。
「ウィック公は戦力をだいぶ持っていったであろう。それで持たせよ」
援軍を寄越さないという、非常な決断をしているように見せていたが、実際のところ既に死んでいることはわかっている。冷酷さは変わらないが、現実を見ているとも言えるだろう。
「マルテは王女が盾となっている限りは踏み込んではこないだろう。放っておけ」
現実的な視点では現国王が南にいることはあり得ない。加えて敵国へコンタクトが取れるものもいない。仮に取れたとして結託することは絶対にないと言える。どれほどマルテに吹っ掛けられるか想像したくもないことだ。
「南部は、黒泥を配置する。魔物程度ならば足止めとなるであろう」
兵力不足を呪いの泥人形で対処する。
下手な兵士より戦力になるため、知性の低い魔物ぐらいであればどうとでもなる。
「北西に“敵”がいるならば、そちらに全軍にて――う゛ッ……!」
突然、呻きだすバルクード公。
口を押さえ、咳き込んだ。
血走った目。上下する肩。汗が額に泌む。
彼の脳裏に、囁くような声が響く。
『離レルナ、離レルナ。首都ヲ、護レ』
身体の内側から、棘の着いた風船が膨らみ出したような猛烈な痛みが襲う。
まさに呪いである。
ただ異常な力を得るだけではなく、制約が課せられていた。彼らが三大貴族が受けた命令は、颯汰の首都入りを妨害することだ。
ゆえにバルクード公が首都から離れることを拒否し、この地に残れと命令を下してきたのだ。
他の公爵たちはもちろん、どんな鍛え上げた熟練の兵であろうと、内側から精神を壊すほどの痛みを与えられれば、屈するのが普通だ。
「……ふん!」
だが、この公爵は頭のネジが幾本か外れている。
突如として左肩と脇の間辺りを、右手の人差し指と中指を立てて、突き出す。
二指が肉を貫き、血が噴き出した。
突然の蛮行に思わず兵士たちが低く短い悲鳴を上げる。バルクード公は騒ぐな、と一言で制止させ、心の中へ説得するように口に出した。
「敵であるタチバナソウタは北にいる。ならばそれを全力をもって討てばいい話であろう」
そこにいないとわかっていても、彼は言う。
傷口から染み出して、指に伝う黒すぎる血。
いきなり気が狂ったような行動を取った若返った主を見て、兵たちはどうにか息を殺している。
「…………ダメか」
説得は失敗に終わった。
無理やり北上するつもりであったが、この痛みがあるままでは行動を取れない。指揮を執るどころか日常生活に支障をきたすだろうと公爵は諦めた。
「……私はこの地を護る。兵を編成し賊軍を打ち倒したときのように、偽りの王を討つのだ」
「……はっ!」
公爵の命令を受け、少し遅れて、兵たちは胸に握り拳を当てて返事をした。
「総力戦だ。これから指定する貴族たちも連れていけ」
公爵は何人もの貴族を指名するが、その名をあげる度に顔が歪めていく。しかし、公爵の命令であるため彼の家に赴く必要があった。嫌そうな顔は隠そうとしていたが、それを察した公爵が一言加えた。「文句があれば我の下へくるがいい、と伝えよ」と。
少しだけ時が経ち、静かになった。
応接間から出たとき、侍女が目を丸くして傷の手当てをしようとし始める。
それを丁重に断るが、彼女は強情であった。
それでも化け物となった自らの肉体を、触れさせたくなかったから、彼女の皺だらけとなって血管が浮かんだ細い手を掴み、目を見てはっきりと拒絶の言葉を口にする。
彼女の悲し気な顔を見て、バルクード・クレイモス公爵は何よりも一番心を痛めたが、仕方がないことだと受け入れる。
「……偽の情報による扇動、か。やり手だな」
自室に戻り、どう兵を動かすかの作戦を思案しているところに侍女の叫び声がする。
バルクードは「来たか」と呟く。
下の階から興奮した声と複数の足音。
蹴破るつもりなのだろうかと思えるぐらいの勢いで彼らは部屋に入ってきた。バルクードは少し慌ててフードを被り、さらに深く帽子を被って顔を隠す。やって来るだろうとは思っていたため、予め顔を包帯をぐるぐると顔全体に巻いていた。奇しくもこの国にいた偉大なる英雄も、同じスタイルを取ったことがあるのを、老いて寝たきりであった彼は知らない。
「クレイモス公! これは一体どういうことですか!」
ひどい剣幕で詰め寄るようにテーブルに手を着いて近づいてくる。ある意味で若者にしては胆力があると言える。
彼らは武官気質の家系を見下しているのではなく、そういった『生き物』と見るべきだろう。
此度の争乱の実質的なリーダーはバルクード・クレイモス公爵ではあるが、彼らはバルジャ・ウィック公爵と従兄弟の子、など名門貴族の家系にあり、勿論クレイモス家よりもそちらの方が上に立つものであると当たり前のように思い込んでいるのだ。
門閥貴族ゆえに自身の権力は揺るがず、命の危機から遠い存在であるという誤認。あの迅雷の魔王が統治した日々であってもたまたま気紛れで殺されなかった幸運すら、“高貴なる家系ゆえ、当たり前のもの”として受け取っているから性質が悪い。
目上の人間、実力も才覚も経験も、己の内に抱いた野望の大きさも比較にならないほどであるにも関わらず、青年たちは老いて死に瀕した古木ぐらいにしか彼を認識していなかったのである。
彼が武装して暴れた場面を目撃していなかったのも傲り昂る要因だったのだろうか。
公爵の若返ったことに気づけないぐらい興奮し、抗議に現れた。
「中々礼儀がなっていないな」
若返った声も包帯でくぐもった声で誤魔化せる。冷静な公爵に対して若い……といっても三十台は過ぎているであろう貴族は熱くなっていた。
「なぜ我らが出兵せねばならぬのですか!」
「我々は王国の上級貴族としてここに――」
「――兵役は経験済みであろう?」
「そ、そうではありますが!」
合計八名ほどが文句を言いに来た。
彼らはこの国を巣食う宿痾である。
ゆえに出撃させるつもりであった。敵が本当に北にいた場合は邪魔になるだろうが、アンバードに残しても害にしかならない。
「なぜ公が出撃せず、我々が前線へ行かねばならぬのかと問うておるのです!」
「……もっともな意見だ。私もできれば行きたいところであるが、南部から魔物が迫っておる。コックムが門を閉じて立て籠もり、防衛を放棄したようだ」
「な!?」「!」「馬鹿な!」「そんな……!」
貴族のボンボンであっても事の重大さに気づいていたようだ。
カエシウルム大陸から渡ってくる魔物は多数いる。それらに対する防波堤――撃退する役目を担う防衛都市コックムであったのだが、それを放棄するなど何を考えているのだろうかと彼らの頭の中では理解できない行為である。地方の田舎者は我々のために無償で奉仕して当たり前だと本気で思っているのだ。
「それを迎え撃たねばならぬ。兵力も聡い諸兄らは当然気づいておるだろうが、カツカツでな」
「む、むぅ」「し、しかし……!」
数合わせにすらならない彼らを、どうにか追い出したい。戦場で散ってほしいところだ。餌を撒けば食いつくだろう。一瞬の目配せ――事前に用意していた内通者と結託する。
「だが、あの小僧っこひとり倒せば、王位は厳しくとも、少なくとも――」
「――あぁ、我ら御三家に並び立つか、もしくは越える地位をも確約されるやもしれんな」
ざわつく無能集団。
自分から煽ったとはいえこんなに釣れるものなのかとドン引きしているバルクード公は、余計なことを言う前にむっつりとした顔で口を閉ざす。
「だが、あんな怪物、我々には……」
「実際、あの魔王を討ったのだぞ」
「小僧とはいえ、奴も魔王なのだろう?」
臆病風に吹かれるのも仕方がないことではある。弱きに対してのみ横暴になる彼らは醜悪で唾棄すべき存在ではあるが、それが“人間”というものだ。
「いいや! あの小僧を発見したという報告だけで、まだ本格的に交戦状態にすらなっていない。間違いなく人質の件を知らぬのであろう。あやつが身内に甘いのは有名だ! 言えば必ず足を止める! そして手柄を立てるチャンスだ!」
「だが、公はなぜ我らに?」「そうだ、息子であるベリト殿が……」「いやベリト殿は既に東部に行っていると聞いた」「今頃ヴェルミと戦っておられるのでは……?」
騒ぐ貴族たちの注目を集めるために内通者が咳払いを一つ。
「ごほん。……公は我らを真に貴族としての箔を付けさせたいのだ! これから未来のアンバードを担う貴族として! なればこの機を逃すわけにはいかぬ! 私はお先に失礼する!」
踵を返して部屋から出ようとする内通者である魔人族の女。
咄嗟に手を伸ばして引き留めようとする貴族たち。見えない手に止められたように足を止めた女は、振り返って公爵に訊ねる。
「始まる前に接触し、人質の件を伝えて捕縛したもの、あるいは殺したものの『功績』と捉えてよろしいのでしょうか。公」
「……うむ」
その一言にバルクードは肯き一言だけに留めた。
先に行動を起こすものが出てきて、彼らの尻に火が付く。
「なんと!」「そ、そうか。小僧が人質の存在を知らぬのならば……!」「待て! 私が先だ!」
善は急げ、と。
来た時と同じように慌てて外へ出ていく貴族たち。お気楽な貴族は自分の思った通りにすべての物事は運ぶと信じて疑わない。ゆえに彼らは人質さえいれば敵が下るものと『決まっている』。
一着さえ取ればいいだけの簡単なレースであると、誤認させれば彼らは勝手に走り出す。
内通者の貴族を押し飛ばすように部屋を出ていった他の貴族たち。内通者はまだ出ていかず、静かに扉を閉めた。主たるバルクードの方を見やる。
公爵は実に頭が痛そうな面持ちであった。
「ご覧の通り、この国は終わっていた」
「……左様で」
「だからこそ、やるのだ」
「……閣下」
「わかっておる。例え地獄であろうとこの茨の道を突き進むと決めたのだ」
「……はい」
「それと……おそらく、いない」
「そのときは私めが彼らを処します」
「すまない」
「冥府へは、共に歩むと誓いました」
「……すまない」
魔人族特有の白銀の髪は艶やかであるが、紅い瞳は昏い。
彼女は責めるつもりはなかったし、それをわかっている公爵であったがそれ以外の言葉が出てこない。
彼もまた不器用な人間であったのだ。




