14 断罪
カメリアの女神教の教会にて――。
マナ教の信徒として、この教会に訪れた紅蓮の魔王とふたりの少女。女神教の教会側の人間に話をつけ、紅蓮の魔王は少女たちを預けることに成功する。
異教徒であるが、マナ教の巡礼者を快く受け入れてくれたのだ。
名目としては文化的交流、あるいは他神教への理解を深めるための学習として訪問であった。
今や廃れて久しいマナ教という弱小宗教――取るに足らないライバルにすら満たない相手が、教えを乞いに来たというのを、異教徒とはいえ無碍にできなかった。というのが建前であろう。
俗に源老神と蔑称で呼ばれる“大神”を奉る、人族中心の考えである『星界大神教』や、カルト宗教である『ゴモラ教』などとは異なり、女神教は比較的温和であったのは間違いない。
カメリアの教会は他の、長い絨毯と長椅子が並び、祭壇とステンドグラスがあるだけの教会とは違う。かなり立派な建築物であった。敷地内には洗礼堂や修道院や墓廟などもある。大貴族の屋敷と比べれば見劣りはするものの、アンバードの首都であるバーレイにある教会よりも広い。
人見知りでオドオドとしたアスタルテは小さな王女であるヒルデブルクの後ろに隠れる(全く隠れきれていない)ようにして、教会内を見学する。
一方で何事にも興味津々の王女は、だいたいあらゆるものに対して目を輝かせていた。
女神教の教えなどを教会内にいた神父が道案内しながら、懇切丁寧にレクチャーしてくれたのであった。
獣刃族の砂の民の初老の男であった。艶やかな黒髪でビシッと決めている紳士的な風貌であったと言える。
笑顔で異教徒を迎え入れて施設の案内と解説までしてくれていた男であるが、最初から彼女たちを捕まえるつもりだった。
現国王――立花颯汰がマナ教を利用しているという話は既に反乱を企てた三大貴族サイドに知れ渡っている。厳密に言えば紅蓮の魔王がマナ教の神父を勝手に名乗って活動していたのだが、この際そんな事実はどうでもいい。現在のアンバード領内にてマナ教信者の数はごく僅か。怪しいと判断するまでもなく捕まえればいい、という方針であったのだ。
「……?」
ヒルデブルクはまったく気づいていなかったが、アスタルテは徐々に人間が集まってきていることに気づく。教会内はそれなりに広いが、それにしては妙に人数が多い気がする。
チラチラと背後を確認すると、ニコニコと笑顔で返す信徒の男たち。
いつの間にか、大所帯で男の人が七人もいる。
――え? なんで? いつのまにいっぱい? こ、こわい……!
アスタルテは怖ろしくて仕方がなかった。
ヒルデブルクにどう伝えるか、勘違いではないか、もし伝えてこの距離で襲われでもしたら危険なのではと思って彼女の顔色は悪くなっていく。
「……!」
いくら頭の中が花畑であっても、身近な友人の変化ぐらいヒルデブルクは気づく。
――フフッ。ここで気づかなかったら、みんなのお姉ちゃん失格ですわ!
……などと意味不明なことを内心で呟きながら行動を起こす。終始ドヤ顔で自信満々でポジティブなのが彼女の魅力でもある。
「あ! あそこに魔王がいますわ!」
雑な気の惹き方であったが、これが意外にハマる。信徒たちは一斉にヒルデブルク王女が指さした廊下の後方を見やる。
その僅かな隙を見て、王女はアスタルテの右手を握って駆け出した。
まだ幼さが残る王女と、精神だけが幼いままの少女が必死に敵から逃走を始める。
だが、時間の問題であった。
敷地が広いとはいえ複雑ではない教会の内部は一本道である。誰でも迷いなく出口の方面がわかるものだが、逆に逃げ場が限られていた。
「!」
すでに出入口の大扉の前に、武装した兵が三名いたのだ。
教会の要と呼べる、ステンドグラスと祭壇のある荘厳な場所にて――。
見た目で判断するのはよくないとは言うが、人は見た目が九割。どう見てもこの場に相応しいように思えない――教会関係者という面ではなく、路地裏のチンピラのような悪い顔つきが三つもあった。
下品に獲物を前に、舌なめずりをして剣を構える。そのまま剣身をぺろぺろ舐めそうなイカれた目つきの三人は全員が、アンバードでは珍しい人族であった。髪型は当然の如きモヒカンで肩パッドを着けた世紀末仕様。傭兵の類いではあるとは思うが、そこら辺の野盗よりそれらしい印象を与えてきた。
離れる手と手。
ふたりの少女は恐怖に息が詰まる。
「おっと、鬼ごっこは終わりだぜぇ~? お嬢ちゃ~ん?」
「ヘヘッ。それより俺たちと遊ばねえかぁ? ヒャハハ!」
「ヒャッハー!」
どの時代、どの世界であっても治安が悪くなるとこのような手合いが現れてしまう。
アスタルテが怯えてしまっている中、ヒルデブルクも芽生えた恐怖心を騙しながら、彼女を庇うように手を広げ、前に出た。
その様子にますます興奮を示す蛮族たち。さらに追ってきた信者たちもやってくる。
荒い息。興奮で肩を上下させて揺らす男たち。
日頃、運動に慣れていない――にしては様子がおかしくなっている。
引き攣ったような笑顔に、邪悪なものを感じさせる。
信者たちはローブどころか邪魔となる上着を脱ぎ捨て、首には十字架のネックレスが下げられている。三女神の放つ光が十字の形をしているのと、かつてエルドラント大陸にて魔王を封じ込めたという聖人もまた同じ光を操ったという伝説が残っていることにより、十字の紋章が女神教のシンボルとなっている。
服装は華美でもなければ貧しさもなく、至って庶民の格好がローブの中に隠れていたが、問題点はそこではない。
彼らの眼球は乱れ動いたり逆に座っていたり、涎を垂らしていた。
とても正気ではなかった。
「はははは! バルジャ・ウィック公爵から賜ったアノお薬、サイコーだぁ……!」
「ぜんぜん、疲れませんねェ! こいつらを引き渡せば、金も薬もたんまり頂けます!」
「あぁあ、おれは、がまん、できない……! ぁぁあああぁああっ!」
「ウヒヒヒヒ、ヒヒヒ」
泥による浸食もアンバードを狂わせていたが、その水面下に“薬物”による汚染が広がっていた。特に商人で精神がおかしくなったバルジャ・ウィック公爵は手広く乱用性の高い危険な薬物を扱い、自身が巨万の富を得る代わりに犠牲者を増やしていったのだ。彼自身も重度の薬物中毒者であったが。
明らかに様子がおかしくなった者たちが、欲望を解放して襲い掛かってくる。
恐さのベクトルは然して変わっていないが、その下卑た視線から、知識が無くとも嫌悪感を覚えたことだろう。
「あ? なんかアイツらテンション高くね?」
「あ~……、俺たちの影響かな? こっちの方が楽しいもんな」
「ヒュウッ! ヒャッハー!」
一方で信者たちの豹変ぶりに困惑していたモヒカンたちであったが、真面目に仕事を始めようと出入口から歩み寄っていく。
ヒルデブルクとアスタルテにとって、正に絶体絶命のピンチであった。
彼女たちに戦闘力はない。もはや逃げ場がない教会の端――祭壇方向の右端部分、ステンドグラスの光が差し込まないほどに接近して、壁を背にしていたが、成人男性が群がってくる。
誰が見ても絶望的な状況である。
それを見越して、紅蓮の魔王はヒルデブルク王女に托したものがあった。
「あっ!」
王女は思い出し、紅蓮の魔王から事前に受け取っていた品を取り出す。それは鉱石で造られたオブジェ――ハリネズミ型の置物に映る。だが彼女の手の上で生きているように動き、振る舞い始めた。
彼の魔王の使い魔を、王女は掲げると――その一瞬、教会内部を紅い閃光が駆け抜けていった。
目くらましの閃光弾の類いではない。
その光は副次的なものであり、本命の魔法は別のもの――。
彼女たちの前に、光で形成された障壁が発生する。
半透明な防壁自体に攻撃性能はない。
「っ! なんだこれ……」
「か、硬いぞ!」
信徒たちが障壁を叩いたり、体当たりをぶちかますが、ビクともしない。
非常に堅牢な結界魔法であった。しかも即時発動ではなく、事前に魔力を込め他者に任意起動させるという高度な術式を用いたものだ。
信者たちはどこからともなく連接棍や戦棍を持ち出してきて紅い光の障壁を思い切り叩き始めたが、それでも突破することができなかった。
モヒカン三人衆も合流し、光の壁を調べながら剣を突き立てて攻撃を始めるが、まるで効果がない。
「うーん、割れねえな。……って、えぇ!?」
隣にいた信者の男たちがドン引きする行為を始めていた。
下半身を露出して透けているな壁に押し付けているものがいた。
それを見て俺も俺もと脱いだり、脱がずにズボンのまま真似してやり始める信者たち。
腰を振ったり、上下に擦るように動かし始めるものもいた。
仮に酒に酔ってもこんな行いを笑いながらやらない。
控えめに言って地獄のような絵面である。
「うっわ……」
「さすがにそりゃねえわ」
「ドン引きですよ」
自分たちよりクレイジーな集団を目にすることで逆に冷静になったモヒカンチーム。
肩をすくめ、馬鹿らしくてその場を離れることにする。
彼らの援護が役目であるが、これ以上は必要ないだろうという判断だ。
止める義理はないが、一緒に馬鹿やるにしては普通に気持ち悪い。そう思った彼らは教会の外へ向かって歩き出した。
そこへ絶望がやってくる。
ガラスが砕け散る音。
三女神の伝説を記したステンドグラスが、破片となって降り注ぐ。
その中で、紅い弾丸が先に地に着いた。日の光が乱反射して輝き、神々しいものを感じさせる。
だが、実際に現れたのは教会に相応しい“主”なるものとは、程遠い。
纏う焔火と、息が詰まる殺気を醸し出し、世界を滅ぼす欲望の化身たる魔王が、降臨した。
紅蓮の魔王が飛び蹴りで、教会の天井部分の中心にあるステンドグラスを破壊し侵入したのだ。
「「!?」」
着地した余波で教壇と、並ぶ長椅子が吹き飛んでいく。飛んできた椅子が椅子を巻き込むだけではなく、人々にも被害を生む。
両足と右手の三点で着地した魔王が、ゆったりと立ち上がる。
床までぶち抜き、絨毯を焦がす。燭台にある蝋燭の火が消えたあと、再び熱を浴びて、燃え上がることなくドロリとゆったり溶けていく。
教会内にいた女神教信者たちは、事態を呑み込めて悲鳴をあげた。
空気中の水分が失われ、舌の根まで渇くほどに乾燥する。
『ふむ。姫君たちが無事のようで何より』
魔王の視線は、囲う信者たちの先にあった。
紅く透けている障壁――多角形の集合体の中に彼女たちはいた。保護対象であるアスタルテとヒルデブルク王女が、互いの身を守るように寄り添っている。
「神父さま!」
ヒルデブルク王女が懸命に涙を見せまいとしながら叫ぶ。
『それには私の力の三分の一が注ぎ込まれています。勇者に対してはおそらく無力ですけど、並み大抵の敵は通しません』
ゆえに熱い風が教会内を駆け巡ったが、保護対象に被害が及ぶことはなかったのだ。
動揺を見せる信者たちは七名。
すでに、逃げ腰であった。
『…………』
「………………」
紅蓮の魔王と生首となったダリウス・フェルトゥム公爵が黙り込む。魔王は兜の紅く光る眼と、ダリウスの血走った目が細くなった。
全員が同じというわけではないが、信者たちの格好を見て思うところがあったのだ。
「……紅蓮の魔王よ。頼みがある」
『……なんだ』
「あの者たちを罰するのだ」
『……異教徒であるあの娘たちを救うのか』
「異教徒であろうと関係なぞあるものか。か弱きを助けてこそが人道よ。……それに奴らは教義以前に人間として終わっておる。頼む」
『心得た』
紅蓮の魔王が歩き出し、吊るしていた頭を丁寧に倒れた長椅子のひとつの上に置く。
ダリウスは信者たちに対して、心の底から失望していた。
彼らは同じ神を信仰する仲間のはずだった。
神の存在を疑い――呪いにより魔の道へ落ちていく自分よりも、彼らは信仰心があまりに足らず、遥かに吐き気を催す邪悪であったのだ。
一部のものが、ズボンを脱ぎ捨てている。
ベルトを外してその下を露出させている者。
武器として棘付きのメイスやフレイルを用いて障壁の破壊を試みていた者。
皆それぞれ興奮状態であったが、一気に血の気が引いたのが顔色などから窺える。
悲しいことに、か弱き者に対して優位に立てたと認知した途端、人は暴力を選択しやすい。
加えて偽りと知らぬ異教徒が相手だ。
どれほど残酷なことをやっても“敵”であれば問題ないという考えは、多くの宗教で学ぶはずの『他者への愛や思いやりの精神』という道徳の観点からかなりズレが生じている。そのはずなのに、他者愛や非暴力を忘れて対立するのが人間という生き物の性とも呼べるし、国家という秩序を保つために仕方がない部分もあるのかもしれない。
しかし、婦女子に対してこのような暴力を働くのはどんな理由があっても許されることではないだろう。
ゆえに、光の勇者が断罪する。
逃げ始めた敵も、まとめて一掃を始めた。
これもまた、カメリア制圧時と同じで一瞬であった。
まるでクシャクシャに丸めた紙のように軽く、人体が放られる。七名それぞれを千切っては投げ千切っては投げ、ほぼ同時に敵を正面扉の方向へ投げ込み外へ追い出していく。蹴り、殴打、掴み投げ、ついでに護衛らしき三人もまとめてポイと捨てる。
紅蓮の魔王の眼前に巨大な腕が突如として出現し、当人と召喚した巨腕によるコンビネーションによって害は教会内から排除された。
教会の大扉から地面を擦るようにして吹き飛ばされた合計十名が、痛みに喘ぎながら立ち上がろうとしたところ、嵐はまだ去っていないと知る。
奥から悪魔が、一瞬で扉の外へ到達している。
身の丈ほどの大剣が既に振り落ろす態勢にある。
あまりに素早い動きだというのに、感覚が間延びしてスローモーションのように映り始めていた。
光の明滅で視界がぼやける中、十名はそれぞれのこれまでの人生を数瞬で振り返る。走馬灯の中から、それでも助かる術を見つけられないでいた。
その姿を目にした瞬間に、首元にナイフが押し当てられているも同義であったゆえだろう。
対処しようがなく、既に詰んでいる。
ここからは入れる保険はない。
後悔。深い絶望。死という永遠の闇。
その重圧に耐えきれず、殆どの者が意識を失う中――、救いの女神が降臨する。
「おじさん! めーっ!」
教会の奥から響く。
紅蓮の魔王が、そのまま剣を振り抜く――が、敵を切らずに途中でピタリと制止させる。
爆ぜる炎も巻き起こらず、事態は終息に向かっていく。
『すまない、公爵殿。我が主の姫君の命が優先だ』
「――あぁ。それがよかろうよ」
教壇の近くに転がった長椅子に置いた生首から、少し距離が離れていても互いの声を認識し合う。
『姫君たちの前で人殺しをすると小言も増えるだろう。それに、彼女たちに嫌われるようなこともしたくない』
「どこまで本音かわからぬが、これでこやつらも懲りたであろう。……私の監督責任だ。神の御心に背いたのも、偏に私の指導力不足が招いたことだ。もはや私は頭しかないが、代わりに私を罰するといい」
気絶する、戦意喪失済みの敵たちに対して背を向けて、ふたりは語り始めていた。
『いや、公爵殿は非常に珍しい例と思われる。我れらが王に献上する』
「ハハ。もの奇しい珍品か」
自嘲気味に嗤う公爵であったが、その姿にふたりの姫君は後退りをするほどにドン引きしていた。
喋る生首というビジュアルは想像以上に恐ろしい。
会話の途中であったが、紅蓮の魔王が再び何かの気配を察知したように遠い空を見やる。
カメリア周辺の青い空の奥、ここから首都を挟むこと領内の端から端の、立ち込める暗雲の下へ。
『――……ふむ。ボルドーは……少しマズいことになったか』
紅蓮の魔王の独り呟く声は、相変わらず抑揚のないものであった。
仮に酒に酔ってもこんな行いを笑いながらやらない。
※たまに温泉にて露天風呂のガラスに押し付けている輩はいる。




