13 カメリア制圧
交易が盛んな都市であるカメリアを見下ろす居城にて。
突如として一階の広い部屋に火の手が上がる。部屋の外周が炎に包まれ始めたのだ。
それは人質を丁重に扱うために用意した大客間。中にいるのは人質たちは手枷をはめて逃げられぬようにしていた。脱出や自傷することなどないように、余計な部屋の飾りなどは取っ払っていたが、ただ用意された白くて清潔感のある家具だけでも素人目であっても高級品であるとわかるものが揃っていた。
そんな大事な部屋が出火したのである。
欲望に駆られ、人質である竜魔族のメイドたちに触れようとした兵たちも一緒に燃えていた。その炎に焼かれて火傷を負った兵はすぐに医務室に運ばれたことにより、騒ぎが広まっていく。
このままでは建物全体に燃え移るのも時間の問題だと思い、懸命の消火活動が実施されていた。
しかし、堀から汲んだ水をかけても火の勢いはまったく衰える様子はない。
バケツで足りないと兜を逆さにして水を入れてかける者、ともかく燃え移る危険性のあるものを移動させ始める者、濡らした布をかけても布ごと燃えはじめて発狂する者など出てくる。兵たちはかなりパニックに陥っていた。
現国王を逃がさぬために張った包囲網――カメリアより北上に展開するために出兵させたのが裏目に出たのかもしれない。一向に進まぬ消火活動に、焦燥感が募り、誰もが冷静さを欠いていた。
とはいえ、その焔火が特別なものであると気づけるかと言われれば難しいところであろう。
ともかく、急いで公爵に伝えねばと走って部屋へと尋ねた兵の一人。
他の階層とは異なり、四階部分は豪勢な造りである。ここにあるものもいずれ運び出さねばならないことだろう。
鏡面のように研かれた大理石の廊下を駆け抜け、主たる男のいる私室の扉を叩く。
ノックを二回、返事を待たずにすぐに扉を開いた。
それほど急がねばならない状況であったのだ。
「ダリウス様! 大変で……――!?」
男の声が止まる。
もっと大変なことが起きていた。
扉を開けた先、散乱した書類は焼け焦げていて、家具は切断面から崩れ落ちている。
泥棒に入られたというより、獰猛な生物が荒らし回ったように映る。
割れた窓ガラスは高級な絨毯の上に散らばっている。窓枠の木材に火が付き、あちこちが燃えている。
日常が終わりを迎えたと認知する前に、空いた大穴から、見知らぬ男入ってきた。
居城の最上階であるというのに、窓の外からスタッと室内に降り立った。
長身である若い男の右手には、巨大な物体。
「……!?」
それが剣だと気づくよりも先に、もう片手に握っていた“もの”に気づいて言葉を失ったのだ。
それはこの地を治めるダリウス公の頭部であった。
突然の敵襲である。
かなり入念に迎撃の準備を整えていたはずが、先手を打たれたのだ。
「貴様たちの頭はこの通りだ。早々に降伏することを薦めておくぞ』
「――!?」
声を失いつい一歩、退いてしまった兵士。
襲撃者の姿が、目の前で変わり始めた。
肩に担いだ大剣と、ダリウス公の頭だけそのままで、男は全身を赤い鎧へと変える。
途中から、声の響きも変わった。耳朶を越えて脳に直接響くように聞こえる。
そうして、それが何者なのか、肌で感じる。
呼吸が苦しい。肺が焼けるような感覚。
熱いのに、寒い。生が終わるのを予期したかのように全身から血の気が引く。
――あれは、魔王だ……!
気づいたら男はその場で崩れ落ちた。腰を抜かしていたのだ。尻が床について、立ち上がろうにも恐怖で足が竦む。ガタガタと全身が震え、すぐにでもこの場から離れようと後退を始める。両手足を使ってどうにかこの場から逃げようとする。
その姿を見て、何故かまだ生きている(?)ダリウス・ファルトゥム公爵が叫んだ。
「き、きさま! こやつを討て! わしの仇を討つのだ!」
「ヒィイイイ!?」
すでに死んでいるはずの生首が必死の形相で叫べばこうもなる。大人の男の人であっても、恐いものは恐いのだ。既に常識の埒外である光景と、主君が生首のまま叫ぶ場面を見れば脳で理解が進む前に、情報が処理しきれずに強制的にシャットアウトされる。
男は、恐怖でしめやかに失禁はもちろんのこと、口から泡を吹き、白目を剥いて気を失った。
「な、なんたることか……! 実に嘆かわしい!」
『いや、今のは貴様が悪いぞ』
星剣を床に突き刺し、騒がしいダリウス公の額を小突くように押し当てた。
「あちゃ、あちゃちゃちゃちゃ!?」
紅蓮の魔王の紅い金属の手甲の人差し指によって、彼の額に焼けた痕がつく。
根性焼きみたいなマネをしたあと、口うるさい生首を投げ捨て、気を失った方の男に魔王は近寄る。
『息はあるが……。ふむ、公爵の首を獲ったのだから、降伏せよと勧告を出そうと思ったのだが』
強引に起こすことも可能ではあるが、腰を抜かして倒れ込んだあたり、まともに報告へと動けるか怪しいところだ、と判断した。紅蓮はそのまま兵を放置して、置いた首を拾いに戻る。
「……まさか貴様があの神父であり、“紅蓮の魔王”だとはな」
ダリウス公の声も見た目も若くなったのだが、聖職者の善良さなど一切見せない陰険で老獪な声音を感じさせた。
「わからぬな。なぜ自らが王位に即かぬのだ。傀儡など用意せずとも、その力は間違いなく……――」
『――そい』
屈んで頭を拾い上げ、そのまま手を下ろし床に押し付ける。唇が家具か壁材の破片が散らばる絨毯に触れ、痛みと苦しさを訴える。
『無駄なお喋りをしに来たのではない。……自壊させぬためその形を維持させる魔法を用いらずとも保つのであれば、問題ないな』
首を切り落としたが、首も同じようにドロドロに崩れてしまう可能性もあったが、どういうわけかダリウス公は頭だけで生きている。
喋るのは鬱陶しいが、役目は変わらない。
『舌を噛もうが構わない。貴様は死人であるからな』
持ち上げたダリウス公と共に、紅蓮の魔王は光となった。“光速”――光の勇者に備わった能力により、凄まじい速度で移動を始める。紅蓮の魔王はカメリアの制圧を本格的に開始したのだ。
何か空気がぶれたような残像と音を一瞬だけ残し、部屋の扉の前で倒れている男以外には誰もいなくなった。燃ゆる私室はそっと火がおさまる。
焦げた臭いと立ち上る小さな白煙は、空いた窓の外へ吸い込まれるように散っていった。
重力、視界の激しい揺れ、景色の変化、風圧。
あらゆる要素がダリウス公を襲う。
すぐに消える光の軌跡が、部屋の外から廊下へ続いていく。階段を下り居城のもっとも騒がしい地点、消火活動を行っているフロアに着く。
皆がパニックになっている中、喧騒が一瞬で止む。多くの者は、気配に気づいたのと同時に予感した。戦闘の経験や死線を越えたものたちは知っている。『死は突然やってくる』と――。
階段を、上の階から落下して着地する紅い影。
一拍も満たない時間で存在を知った途端に、体中の毛穴から噴き出した汗が泌むような、恐怖を感じた。
叫んで、必死に消火活動などに勤しんでいたときは感じなかった、強烈な喉の渇きを覚える。舌と口の中の上顎が引っ付くような乾燥。体中の水分は外に出ていったように思えた。
廊下の先――それは、かなり離れた地点にいたと思った矢先、瞬きの間に近くにいる。何かの呪いの類いに映るほどの速さであった。
『……そこの者』
声を掛けられたは長らくダリウスに仕えていた男であった。一瞬、周囲を見渡し、全身を赤い鎧で身を固めた魔神が自分のことを言っていると気づき、正面を見据え直した。
すると片手に持っていた生首を晒す。
『ダリウス・フェルトゥム公爵は討たれた。この地の全兵士へ、降伏するようにと通達するのだ。我が主の軍門に下れ』
男は、一瞬だけ目を見開いて――。
『手加減はできぬぞ』
腰に帯びた剣の柄に触れようとしたところ、紅蓮の魔王は言い放つ。手で触れた途端に、死を与えられるとわかっていた。それでも、主の仇を討つのが忠臣としての責務である、と心を震わせていたところ。紅蓮の魔王が追加で一言申す。
『それに、なぜか生きておるぞ』
「え?」
つい素っ頓狂な声が出てしまう。
「いいぞ! そのまま行け、抜いてこやつを斬れ! お主ならやれるはずだ! わしの仇を討つのだ!」
「えぇーっ!?」
理解が及ばぬ言葉の後に、もっと理解ができぬ光景が続くのである。
死んでいるはずの主君が、髪を掴まれながら頭部だけで跳ねるように動きながら命令を下す。意味が分からない。
『これがいいだろうか』
部屋の外にて、燃え移るとして移動させた衣類の中から拾い上げる。消化を優先し、ものを後で運ぶつもりだったのだろうか。それはレザーのベルト。輸入した高級品である。
ダリウスの頭部を床に置き、魔王はそのベルトを持って近づく。
「な、なにをする気だ!?」
『髪が抜けたら困ると言ったのは貴様だろう』
頭をベルトで縛る。さらにもう一つベルトを見つけて、十字に交差するようにして巻いたのである。ちょうどダリウスの目の位置にかぶるように横方向で、口の位置にかぶるように縦方向にベルトが巻かれている。紅蓮の魔王がきつめに縛ったため痛みを訴えるがこの男がそんなことを聞くわけもなく、自身の鎧についている血を吸ったように紅い襤褸の外套から十メルカン(約十センチメートル)ほど千切るようにして取ると、それが一本の紅く光る紐となる。それをベルトと結び合せることで、髪の毛を掴まずに頭部を持ち運べるようにしたのだ。
『でぃーあいわい? と呼ぶらしいぞ』
魔女の宴を率いる元魔王である美女、グレモリーからの入れ知恵と思われる。
紅くぼんやり光る紐にスイカのように吊るされたダリウス公。行き過ぎたハードSMみたいなヴィジュアルであるが、首だけであると急に三流ホラーみたいな絵面となっていた。
完成した作品に、悲鳴を無視して満足した魔王が、徐に困惑している男に距離を詰め始めた。
『まずはこの書面を渡す。よく読んだ後にその通りに行動に移すのだ。では』
「え、えっ?」
赤い騎士のような出で立ちの襲撃者は、どこからともなく書類を取り出し、それを渡すと、有無を言わさずどこかへ消えた。
魔王は去るときもまた嵐のようであった。
感情が追いつけずに立ち尽くしていたところ、仲間の兵に声を掛けられて我に帰る。
羊皮紙で造られた書類であり、それに目を通した男は――……。
「………………え?」
しばらく、同じ文言しか吐けなくなっていた。
理解が及ばずもう一度読み、何が書いてあったかを整理する。急かす仲間たちもいたが、まずはその火は檻でありそれ以上は燃え広がることはないということを伝える。
書面の内容を独断で決めることはできぬと判断し、兵をまとめ上げる士官以上の位のものから、三名選んで会議をすることにした。それは能力を鑑みての選出ではない。三大貴族の配下やそれらの庇護下にあった貴族――ではなく、むしろ脅されて無理やり従わされた者や、ベリト・クレイモスのような弁舌に長けた者を選んだのであった。
もはや、生首だけとなったダリウス・フェルトゥム公爵は気を失いかけていた。
三大貴族側についた兵たちに、主君を討ったと喋る生首を見せつけた後、先ほどと同じ書類を渡してすぐに移動を繰り返す。
紅蓮の魔王は凄まじい移動方法で、あっという間にカメリア中にいる兵に通達した。
返答は聞く必要はない、と言わんばかりにカメリアを北上し、展開する騎士や傭兵の前に現れては、また同じようなことを繰り返す。
急な登場であったが、ほとんどの兵がカメリア中や居城内部を警備する兵たちと同じように死を予期して行動が移せなくなる中で、稀に勇気を振り絞るものがいたが、結局は喋る生首にビビり散らかして終わるパターンだけであった。
再び、カメリアに到着した。
普段の街の活気とは異なる、ざわめきが聞こえる。その正体は勘づいているが、結局のところ聞きそびれていた内容について公爵は、紅蓮の魔王に問う。
「…………あの書類に何が書かれておるのだ。終ぞ見ることがなかったが」
振り回され、往復で一週間は掛かるであろう道のりであっても、射られた矢よりも早く駆け抜けて終わらせたのである。
ダリウスは、吐き出すべきものがないというのに、酷い吐き気を覚えるほどの揺れであった。目を覚まして何か言う前に移動が始まって気絶を何度かしていたため、書類を見ることができなかったのである。
『あぁ、あれには――……』
紅蓮の魔王が何かに気配を感じ取ったように、ある方向を見やる。
『……片付いたらきちんと話そう』
ダリウスの返事を待たず、再び光となった。
石畳の床が抉れるほどの衝撃で跳躍し、そこから飛びながら足蹴を放とうとしているのが、ぐわんぐわんと揺れ動いたことでズレたベルトの隙間から、片目だけで捉える。
「ま、待て待て待て~!!」
何をしでかすか見えていたためダリウスは必死に、紅蓮の魔王を止めたかったが、無駄である。
そこは、女神教の大きな教会。
天盤にあるステンドグラス――三女神が残した伝説を各シーンごとに一枚一枚で再現されたものが十二枚。一周するように並んで円となっていた。
そのうち一つを、紅い悪魔が蹴り破る――!
2025/02/11
ルビの修正など




