12 到来
五日前――。
この頃、颯汰たちはアルゲンエウス大陸からヴァーミリアル大陸へ戻り、内乱に対する作戦を本格的に立てた。
戦争直後に疲弊した中、流れで王位に即いたモノが国外へ所用を済ませていたら、王都が陥落したという目も当てられない事実が、歴史書に刻まれることだろう。
本来であれば、そのまま王位を明け渡すこともできた颯汰たちであるが、内乱を起こした三大貴族たちは報復を恐れ、人質を取ったのだった。
どんな女子供であろうと血を絶やすように、情け無用で追撃を掛けるのが権力者というものだ。臆病者と揶揄されようが、燻るものが大火となってすべてを焼き尽くす前に、火種から絶やすのが手っ取り早い。特にその地位を奪ったとなれば、再起し復讐される前に始末を付けねば厄介なことになりかねない。いや、確実に仕留めなければ安眠はできないものだ。
加えて人類を脅かす者として“魔王”を排除せねばならない。颯汰が偽りの存在であると掴んでいるか定かではないが、それに匹敵する力を有する怪物であるという認識は誤っていない。
また王がいない内に乱を起こした勢力は、真なる王位継承者として幼子を擁立し、正義を掲げて敵を討つという大義名分もある。人質を取るのは下劣な行為もしているが、敵が“魔王”であるならば致し方ないとして、後の世に出回ったとしても言い逃れができるシナリオであった。巨悪を滅ぼすには綺麗ごとだけじゃ務まらない、として。
そして――、
人質を奪還し、王都へ赴く必要が生じている立花颯汰は決断を迫られていた。
コーラルという集落にて、どのような行動を起こすべきか。その行動次第で人命が左右される。
「敵は三か所に人質を分けたようですね。それが事実だとすると非常に厄介でしょう。三か所のいずれかを襲撃して人質を救助したとしても、残りの人質の命が危ういのと警備もその分、強固なものとなります。どこを攻め落としますか? 手っ取り早く首都?」
紅蓮の魔王の問いに対する答え――窮するかに思えた颯汰であるが、彼の問いにすぐさま答えてみせる。
「いえ、危ういのは一にボルドー、二にカメリアでしょう。バーレイは後回しでいい」
王者の選択として自国の要たる首都にいる人質と、内乱を起こした三大貴族の実質的なリーダーであるバルクード・クレイモス公爵を後回しにすると言い放った。
「「!?」」
「気づいていましたか」
顔色を変えず驚かず、さりとて神父の格好をした悪魔は感心する様子であった。
「……その、わかっていたのに人を試すようなやつ、マジでやめたれ。……バーレイの人質を殺す確率は、極めて低いと言えるでしょう。パイモン少年を王に担ぐには、絶対に母親であるシャウラさんの治療を続けないとならない。つまりエイルさんは殺されるはずがない。……もしも目が覚めていて、もう大丈夫そうだったら話が違ってくるケドね」
後半部分がちょっとだけ……どころか、かなり小声になる。いつ目覚めるか確証はないので、今この瞬間に用済みとなっている可能性だってありえる話だ。
「加えてエリゴスさんは……――迅雷の魔王という前政権、圧政を敷いた“悪”に対する、“英雄の子”というシンボルだ。親子二代の英雄を殺すなんて悪手すぎる。デメリットしかないでしょう」
英雄と称されたボルヴェルグの人気は今でも衰えることはない。ゆえにその弟子であった男が台頭し、王位を簒奪し――師であるボルヴェルグを処刑したことは衝撃的であった。
その忘れ形見を殺すなど、反感を買うのは間違いない。再び迅雷の魔王のような恐怖による政治では、民もついて来なくなる。そうなれば国は容易く滅ぶものだ。
「人心を忘れた統治はすぐに限界を迎えますからね。他の二か所以上に、理由もなく害することはしないでしょう」
「(こいつ……)」
紅蓮の魔王は知ったかぶりでこういった真似はせず、すべてわかったうえで仕掛けてくるから恐ろしい。間違えた場合は軌道修正をしてくれるだろうし、人前で失敗をこき下ろすような真似はしないはずだが、なるべくは止めてもらいたい癖だ。たぶん言っても聞かないし、これからも続けていくことだろう。主からの視線の訴えなど、どこ吹く風で無視してくる臣下ムーヴを取る魔王に対し、颯汰は諦めを込めた溜息を吐いた。
「逆に、二か所は手を出されてもおかしくないと思う。……確実に助けないと。特にボルドーってところはヴェルミ側の人間だけが人質らしい。戦争直後だし、一番危ないかも」
「……国境近くですし、ヴェルミへの牽制を兼ねて、人質は大事にするんじゃありませんこと?」
ヒルデブルク王女が首を傾げる。
「そのはずですけど、いざとなったら害するかもしれません。普通は抑止のために使うけど、自棄になられると危険です」
颯汰も他のものたちも同じ考えではあるが、命を握られている状況に変わりない。
「……どうにか助けないといけませんわね」
「えぇ、二か所さえ抑えればかなり優勢になるでしょう」
交渉の場につける――とは、もう考えられない。
敵の目的が明白であるからこそ、対立しているのだ。
「ではすぐさまボルドーへ?」
ベリトの問いに颯汰は首を横に振る。
「それも否です。俺たちがいると知られていないアドバンテージを捨てることになる。神父さんが言った通り、警備が強固にもなりますし敵もやってくるでしょう。……、油断しきっている状態でボルドーとカメリアの二か所同時に襲撃を提案します。そして人質を救助したあと全軍で合流し、そこから全員で一気に首都を攻め入ります」
あくまで机上の空論であり、戦ごとの素人であるのは重々承知している。しかし、それでもやらねばならないとも颯汰は思っていた。
「おそらく他に反目している騎士団もいるから、できるだけ声をかけて戦力を増やしてからバーレイに集まりたい。それにボルドーとカメリア周辺の拠点から孤立させたいですね。開戦後はそこからの伝令が漏らさぬよう、確実に潰して、周りに悟らせずにいたい」
「……」
「? ……――王女さま?」
姉弟ごっこが抜けきれていなく、意識しないと姉さんと呼んでしまいそうになる。ヒルデブルク王女が神妙な顔つきで颯汰の方を見ていた。
「いえ……なんだか、いつの間にか私の弟が立派になられて、どこか遠くにいってしまったように感じてしまいまして……」
「誰が弟じゃい。あとセレナさんも肯かないで貰えます?」
保護者目線が横と前から飛んでくる。
「……俺も成長してるってことで」
颯汰は左腕を見やる。内にいる“獣”を受け入れたお陰だろう。自分の中にある経験ではなく、知識として有していたものを引き出していた。
「ところで情報を漏らさぬようって言ったけど、そんなことできる? そもそもこの人数で制圧なんて、それこそ潜入して暗殺ぐらいしか方法がないんじゃないかな」
セレナが冷静に問う。大前提として兵力が不足している。いくら魔王とは言えど、三か所を同時に――人質に害を及ばないように制圧するのは難しい。
仮に拠点を制圧したところで、虱潰しで潰走した敵兵を追うにも限界がある。隠れ潜んだ人間を、一人残らず見つけ出すのだって至難の業だ。どこかで打ち漏らしが出てきて、情報が敵へ伝わる恐れがある。それに、戦が始まる前に伝令が飛ぶ可能性もあり得るのだ。さらに定時連絡が途絶えたことで状況を悟られる可能性だって充分にあり得るだろう。
「そこで朗報です。実はクラィディム国王が軍を連れてやってきたようです」
「え?」
死体処理以外にも複数も仕事をこなしていた、できる男。ただし積極的に王へ試練を課す、神父の格好をした悪魔である。紅蓮の魔王は自分で容易にこなせる問題であっても、できるだけ颯汰に割り振ってくる。
ある種の悪意は感じるが、敵意ではない。ゆえに彼の発言の真偽は確かめる必要はなかった。
偽王の試練を、乗り越えられるように調整するのもこの男が自らの役目と認識していた。
「……そっか。ディムには悪いケド、頼らせてもらおうか」
立花颯汰は決断した。
基本的に日本で生活していた時は、できるだけ一人で背負いこみ、物事を対処しようとしてきた。この世界で己の無力さを知り、仲間を頼ることを覚えたからには、自分だけではできないことも認められるようになった。
颯汰はクラィディム国王に向けて親書を用意する。形式ばった堅苦しい前置きの挨拶文を書くと「必要ない」とほぼ毎度、国王からの返事の手紙にて指摘されていたが、普段以上に気合を入れて書くことにする。
本来であれば少ない戦力を分けることは愚行であると理解しつつも、同時に攻めるべきだと作戦を立てた。そのためにはディムの戦力は貴重であり、頼らねばもっと多勢が不幸になるし、最悪の場合死に至るからこそ、彼に助力を願うのであった。
ボルドー攻略班が動き出している内、カメリア襲撃班も移動を始めていた。アンバードの領土の端から端までの移動を、敵兵に見つからずやらねばならない。かなり無理のあるミッションだったが、彼らは無事、カメリアに辿り着く。
それは事前に打合せした通り、ボルドー攻略の日と同日であった。
西部のカメリアは比較的活気に満ちていたし、建物の類いも綺麗である。交易が盛んであるため、合わせて都市開発も進んでいるのだろう。人族とエルフ以外の人種の往来も多い。交通の整備も行き届き、荷馬車があちこち行ったり来たりするのが日常の光景であった。
海商連合州から穀物や珍しい工芸品、魔物の牙や毛皮、香料、また特殊な染料で染められた光沢のある布・織物など多種多様なものが持ち込まれていた。日によって動物なども取引される。
しかし、なにやら様子がおかしい。
アスタルテは長身の男の後ろに隠れるようにして腰辺りの布を掴み、ヒルデブルクも察知する。
「……様子が、変ですわね」
「さすが姫君たち。鋭い感覚です。敵が大陸に渡ったことに気づいたのかもしれません」
紅蓮の魔王が静かに言う。
「「えっ」」
「それか、内乱後からこの様子だったかもしれません。街の規模に反して往来する人が少なく、活気もない。露天商もいますが不満気な顔をしている」
「……兵士がいるから?」
「御明察です。普段以上に増員し、警戒態勢でいるのでしょう」
元より隣接する軍事施設があり、街を見下ろすように建てられた――切り立った断崖の上に居城までもある。
だが、それにしても空気がヒリついていた。
人がまったくいないわけではない。
明らかに巡回している武装した兵士と、それを困った顔で避けている人たちもいる。
「……私たち、あまり動き回ったら危ないんじゃありませんこと?」
そもそも敵地に堂々といる時点で、この場にいない少年王がとても嫌な顔をする。
そう、この場に立花颯汰はいない。それどころかカメリア襲撃班はこの三人だけである。
ヒルデブルク王女はマルテからやってきた保護対象であり、アスタルテもまた颯汰にとって守るべき対象だ。それを、魔王に預けたのである。
御付として兵を侍ることもせず、実質戦闘ができるのはたった一人。だが、控えめに言って『過剰戦力』ではある。
そもそも敵に見つからずに、最速で目的地にたどり着けるのが、“光の勇者”でもある紅蓮の魔王ぐらいだ。数名ぐらいは運ぶことが可能だが、軍勢となると不可能である。
『紅蓮の魔王』
『心得た』
『……さすがに兵を集めながらカメリアまで移動は時間が掛かりすぎるし無理だ。でも紅蓮の魔王だけなら間に合う』
『あぁ。致し方あるまい。我が主には中央決戦のため挙兵に専念してもらおう』
颯汰と紅蓮は短い会話で互いの意図が伝わっていた。熟年夫婦かな。しかし、その後の言葉は紅蓮の魔王にとっても意外に思ったらしい。
『アスタルテとヒルデブルク王女を、守護ってください』
『…………娘たちを私に托すのか?』
『今の俺じゃ守り切れない。これは弱気になったとかじゃなくて現実的な話です』
『……なるほど。娘たちが納得したならば預かろう』
颯汰は現実的な選択として、今の自分では守れそうになく紅蓮の魔王に托したのである。
アスタルテは涙目を浮かべながらも聞きわけがよくて、むしろそれを見ていた颯汰も精神的ダメージを受けていた。実のところ、長い日時を置くとアスタルテの心臓が魔力を過剰に生み出してしまい、それが心身に影響があるため、数日でも離れたくないというのが親(未婚者)としての気持ちである。
また、ヒルデブルクも人命が関っているとなればわがままを言わない立派な王女であった。
カメリアでも、珍しいものや街を巡ってみたいという欲求に駆られているが、ふたりとも遊びではないと理解していた。
そうして保護者として立ち回ることになった紅蓮の魔王は、姫君たちを守りながら敵地で暴れることとなる。
しかし、常に連れて戦うなんて器用なことはできないため、紅蓮の魔王は目星を付けていた場所へ彼女たちを誘導する。
「そうですね。……では、マナ教の信徒として布教活動も残念ながら別の機会として、他の宗教を学びに行きましょう。女神教の教会で見聞を深めるとしましょうか」
例によってマナ教の信者スタイルでローブで顔まですっぽり隠している。ただウロチョロしていればいずれ治安維持の名目で兵に絡まれるかもしれないので、敵将を討って人質たちを救助している間、教会で時間を潰させるのが紅蓮の魔王の算段であった。
「…………」
「少しだけ買い物をします」
少し陰りのある顔を見たせいかあるいは気紛れか、紅蓮の魔王が提案する。
観光に来たわけではないが、せっかく訪れた街である。女神教の教会に向かいがてら、道を訊ねながらちょっとした買い物を許可する。
「「!」」
「あまり買いすぎると我が主からお叱りを受けるので、ちょっとだけですよ」
「わぁい、やったぁ! ありがとう、おじさん!」
「っ……!」
「意外にダメージ受けてますわね」
実はアルゲンエウス大陸に渡る前に、
『ぱぱにいじわるするから、おじさんきらい!』と言って場を凍り付かせたアスタルテであったが、今ではだいぶ慣れた様子である。
意地悪どころか死に瀕する戦闘訓練などを課しているので妥当な嫌われ方である。だが嫌われることではなくおじさんと言われたことにショックを受けた紅蓮の魔王のリアクションがあまりに珍しく新鮮すぎて、颯汰は逆上するのではないかと胆を冷やしたそうだ。
魔王に覚醒すると、加齢による肉体の劣化が起こることはなくなるため、若いままなのだが――残酷なことに、年下にとっては大人はだいたい、呼ばれる側が『自分が思っている以上の年齢の呼び名で』呼ばれる。ゆえに人は――おじさんかおばさんにカテゴライズされて、ちょっとだけ(あるいは途轍もなく)ショックを受けるのだろう。
これは――紅蓮の魔王がこの地を治めるダリウス・ファルトゥム公爵を討つまでほんの少し前の出来事であった。
一部修正




