33 復讐者(後編)
更に日は流れ、もうすぐで月を跨ぐという頃合い。正式にグライド家に引き取られた立花颯汰は相変わらず家業である畜産は、隠れる場所のない白い幼龍のせいで一部しか手伝えなかった。
しかし、二月ほど前に厳しい冬の森の中で気配を殺す術を覚えたシロすけを連れ、ジョージと狩りを手伝うようになっていた。
鹿や猪などの肉を解体と下処理をし、毛皮などは綺麗に剥いで臓器も漢方薬として使えるものは、村にやってくる行商人に売り払う。
颯汰は自身の想像以上に逞しく成長をしていたが、その目は薄暗く、かつて日本でイジメを受けていた頃の消したい暗黒時代の目と同じような、汚泥に満ちたものとなっていた。
また、やはりそういった一連の流れをしているときは、ふと初めての狩りや食材の解体作業で血の臭いや何やらで吐いたのを思い出し、遠い昔であった事であるのと、それを教えてくれた人物の陰がチラついていたのである。
裏切ったと言えばおこがましい。ただ勝手に信頼を寄せてしまったのだと颯汰は恩人を怨まないように、そして記憶の隅に追いやって忘れてしまおうと徹していた。
行商人の人族ともすっかり顔なじみになり、相手は中年男性であるが自然と会話も交わす事が増えた。
――そこで、颯汰は思いがけない真実を知る。
「わりぃが坊主、……近い内に、少しここに来る頻度が下がるかもしれねえ」
「? どうしたんですか?」
少年の当然の問いに男は辺りをキョロキョロと見渡した。誰か聞き耳を立てているような者がいないかを確認すると、
「…………内緒にしろよ? 大人たちが知ればパニックになる。それに“それ”が起きてもこの地域まで飛び火するこたぁねえハズだけどよ」
少し顔をズイッと近づけて人差し指を唇の前に立て、他言無用を約束させる。
「“それ”……?」
それから商人は颯汰の肩に手を伸ばして、巻き込むように近づいてそっと耳打ちをする。
「“戦争”だよ」
「…………え?」
自身と無縁であると思った言葉が、ついに実態を帯びて、既に近くまでやってきていたことに気付く。元より商人は口達者かおしゃべりが多いものだ。求めた情報よりも多く語るのは一度誰かに語りたかったに違いない。それで他の子供と比較的、怜悧な少年に向かってぶちまけたのだ。
「まだわからねぇ。明日からって事はないだろうが数年後、あるいは十年後でも、間違いなく仕掛けてくるって話だ……! アンバードの連中がさ……! なんでも王が変わって、あの国の良心たる英雄ボルヴェルグが“…………”て――」
まるでそこだけ切り取られ、別のノイズに移り変わったかのように聞き取れなかった。否、――立花颯汰の身体がその真実に耳を傾けまいとしていたのだろう。
「――ちょっと待って、……今、何て言いました?」
「あぁ? だからアンバードの連中が――」
「――そこじゃない! ボルヴェルグさんが……!! ……その人がなんて……?」
急に声を荒げた少年に驚き跳梁した中年は、怒鳴ろうと思ったが少年の纏う言いようのない空気に押し黙り、咳をして喉の調子を整えてから誰にも聞かれまいと小声で言う。
「…………英雄ボルヴェルグが新国王の命で斬首にされたんだとよ……! それで王を止める人間が完全にいなくなった……! いずれ準備が出来次第、エリュトロン山脈を越えてヴェルミ――王都ベルンへ攻め入るって話だ……! だから戦争で物価が変わる前に色々とやる事があんだよ。戦争によって売れるもんも増えるしさ。……それでさ、噂によれば新しい王の正体が魔王だとか、そりゃいくら何でもバカな話だよな……って聞いてんのか坊主……?」
顔色に生気が失われ、放心状態となった子供を心配をし訊ねたが、少年はただ真実を求めて質問をする。
「その、情報は正確なんです……?」
「あぁ、商人仲間がアンバードとの交易をやっててな。戦争も秒読みかもしれねえぜ。まぁ坊主は安心しな、ここは国境からも王都からも遠い。万が一でも、……言っちゃ悪いが狙う価値がないだろうさ」
行商人と別れ、銭の入った革袋を屋敷の居間のテーブルに置くと、颯汰は与えられた自室へ飛び込んだ。
ベッドと机ぐらいしか物はない部屋で、机の上に置かれた“例の手紙”を広げた。受けとった日から一度も広げず、たたまれた羊皮紙を広げて見つめた。何か、言いようのない“予感”――だが、曖昧なモノではなく、確かに感じ取れたのだ。
何か、彼は自身か家族の身に危険を感じてこの手紙を送ってくれたのではないのかと。
識字率がさほど高くない世界で、この村で字の読み書きができるのはエルフのグライドかジョージぐらいだろう。
だが、魔人族のクリュプトン文字についてだけは、全てではないにしろ、颯汰は習っていた。
旅の道中、ボルヴェルグは地面に棒を使って書いて颯汰に教えていたの事があった。
しかし、それは……簡単かつ中途半端で終わったせいで、手紙の全てを訳すのは到底できない。……日本語で言えば五十音の途中までしか教えていない状態だ。文法すら教えられなかった。
颯汰は文字の羅列を眺める。
人差し指で文字を追い、見覚えのある文字だけを頭に浮かべる。
「――ッ……!!」
それは並べ替える必要もなく、教えられた文字を頭から順番に読めばいいだけの暗号文であった。子供にもわかりやすく、だが常人では気づくのが難しいものとなっていた。
そこには、こう記されていた。
『まおう が あらわれた にげろ いきろ』
「ま……おう」
それを知って、子供の叡智でどうすればいいのだろうか。
それでも彼は死に際に、心の底から伝えたい言葉であったのに違いない。
夢物語の存在であると言われた“魔王”。
この数年、多くの民が直視するまではその存在を疑うものであった。
だが、この少年は違った。異世界から来たのだ。ならば、そういう強大で絶対的な化け物がいても何も不思議なことではないと受け入れた。
いや、違う――魔王は絶対にいる。まるで見知っているような根拠のない確信を持っていた。
そしてその存在を脳に浮かべようとする度に、赤黒いものが滾る、そんな感情が――憎悪と憤怒が身体を突き破ろうとする。
立花颯汰は何も考えず屋敷を飛び出し、ただ感情の赴くまま走り、次第に口から叫びが生まれた。
森の中へ、獣が咆哮する。
あてもなく、感情のエネルギーを費やし、暴走を続けた。
何故自身でも、そういった行いをしたのかはわからない。
だが、それによって――彼の今後の道が開けたのは間違いない。
その先の未来は栄光か、破滅か――。それは天上の神々も固唾を飲んで観ているだろう。
走り続けていたが、唐突に景色が変わり、露出した木の根に足を取られて大きく転んだ。
そこは森ではあるが、ブルーの葉に灰色の木々が広がり、水色で煌く泉が広がる。……一度やってきたことのある異界の風景であったが、同じ場所ではないかもしれない。水溜まりの大きさが異なる気がした。
そんなどうでもいい観察をしていた颯汰の前に、風が吹き、キラキラと光が集まると地面から逆巻く水が噴き出し、その中から女が現れた。
「また、会えましたね……」
その声音は慈愛は含まれていたが、それ以上に悲嘆が大いに占めていただろう。
いつか黒の軍馬ニールから落ちた時、訪れた不思議な世界。
自身をまたクルシュトガルへと運んでくれた美女が立っていた。
エルフに勝るほどの綺麗なプラチナブロンドの髪、碧玉の瞳は伏せて、とても物悲しそうであった。
白の絹のようなドレスではなく、黒を基調とした貴婦人のような格好をしていた。過剰なほどに大きな帽子には黒のレースと羽、薔薇の飾りがあった。
――喪服みたいだ……
颯汰が彼女の姿を見てそう心の中で呟く。
貴婦人は静かな口調で語り掛けるように話す。
「あなたの事は、……ずっと見てました」
両手の親指と人差し指を伸ばして形成された四角い枠に、森を駆ける自身の姿が颯汰に瞳が捉えた。
彼女が言ってることは真実であるとわかったのと同時に、自身の問いに対する答えを持っているな、と颯汰は確信して静かに身体を震わせながら立ち上がり、問うた。
「魔王は、……実在するのか?」
「――えぇ、います」
貴婦人は真っ直ぐ答える。
「ボルヴェルグを殺したのは――」
「――あなたが聞いた通りです」
貴婦人は少し遠慮がちに答える。
「最後の質問……。………………俺をこの世界に呼んだのは、魔王なのか?」
その問いの答えも、颯汰自身、知っていた。
貴婦人は躊躇うように言葉を詰まらせたが、悪鬼たる視線で睨む子供に気圧され、望んでいた答えを口にした。
「――この映像はそれを見るほど過去には遡れません。ですから見ていないので私は確実にそうだと断言できません。……ですが私の魔術の知識から鑑みて、十中八九、魔王の内の誰か一柱が関わっているでしょう。人間が、ましてや私たちのような仙界の住民ですら難しい所業ですから」
「………………そうか。だったら、こんなところにいていられない」
立ち上がった少年の手は力なくだらりと下がり、その目は天を見つめた。
少年は拳を掲げ、何かを掴むような動作をする。覚悟を決めたのだ。
必ず、――その命を奪うと。
「まずは、アンバードにいる魔王を殺す……! そして、それが俺を呼んだものではないならば、出会えるまで殺し続ければいい……!」
「!! あなたには――」
「――無理でも!! 無理でも、やるしかないんだよ、こっちは……!! あの人に追いつけなくても、力をつけて挑まないとダメなんだよ!!」
魔王の実力を知るモノがその言葉を聞けば、無理であると誰もが断言するだろう。それは地を這う虫と捕食者たる鳥よりも差が大きい。
颯汰もそれがわかっていた。何せあのボルヴェルグを殺せたのだ。どんな手段を用いたのかは知らなくても、その事実だけを知れば備えられる。
――己の全てを投げ打ってでも足りないならば、もっと入念に考えて殺す。何も力でねじ伏せる必要もないんだ!
どんな手段を使ってでも、必ず魔王を殺すと心に刻む。
彼の心の奥底にいた魔なる者が目を覚ましたのだ。
――だが、アンバードの魔王だけは、必ず……必ず……ッ!!
握りしめ振りかざした拳に誓いを立てた。煮え滾る血潮は熱く、この感情は最早、誰にも止められやしない。
その姿を見て、貴婦人の目つきが変わった。
冷淡ささえ感じるほど、とても鋭く強くなる。
「…………いいでしょう。その覚悟があるならば」
貴婦人がそう口にすると左手で何かを振り下ろす動作を取ると、復讐者の目の前に、飾りのないどこにでもあるような剣が一本、地面へと突き刺さった。
「――取りなさい。……魔術はあなたでは使えないでしょう。ならばせめて、剣技だけは私も教えられます」
貴婦人は自身の剣を呼び出す。空気中の水分が集合し、剣と成す。
碧色剣身に白銀の文字と模様が彫られている短剣だ。
例によってそれを薙ぐように振るうと、穢れなき泉の水で造られたような氷を思わせる光刃を展開させて少年にその切先を向けた。
颯汰は一瞬だけ迷った。
『その癖子供には剣を握るよりも、出来れば平和な世の中で、ペンを握って戦ってもらいたいと思っている』
彼の言葉が脳内で幾重も木霊した。彼の本心は復讐ではなく、ただ逃げて生き延びてほしいというものであったと理解していた。
それでも、少年は昂る感情を抑えきれないでいた。
復讐という感情によって身を焦がし、心を穢される、されど魂だけは高潔であるはずだと信じて、その剣の柄へ少年は手を伸ばし掴んだのであった。
醒刻歴四三八年。隔絶領域――仙界にて。
この世界で弱者たる一人の子供であったはずの小さき存在が、
狂気に呑まれ、怨讐へ身を投じた瞬間であった。
ハザードレベルが徐々に上がり38.5度の熱が出ました。……風邪が完全にぶり返したようです。
一先ず本章は終わりましたが、投稿が遅れるかもしれません。
次は外伝です。
――――――
2018/06/10
一部修正しました




