09 冥府へ至る茨の道
五日前――。
アンバード北部、コーラルにて。
「話はどうなりましたか」
集落の長の住居に、紅蓮の魔王が神父に擬態して入ってきた。
ベリトが殺害した敵兵の遺体を丁重に葬ったようだ。
「なんか、俺の命が狙われていて交渉の余地がないらしいです」
「……命が狙われることに関しては、王都にて毎晩のことだったような気もしますが、人質の解放条件に、陛下が死ぬことを提示されているのですか?」
「う~ん……」
実際のところ、どうなのだろうか。
颯汰はベリトとセレナの方を再び向く。
「実は、全軍にも改めて通達済みなのです。『人質の命を使ってでも、タチバナソウタを討て』と」
「……!」
「おいおいそりゃ……とんでもない話だな」
レライエが呟く。明らかに人道に反する命令だ。それだから反対するものも出るし、士気も低迷することだろう、という情報をこのときに得ていた。
皆は深刻な顔つきで、重々しく肯く。不意にファラスが発狂しながら、ぐわんぐわんと怒りの感情で頭を抱えて上半身を反時計回りに回している。過去に自分がやった黒歴史を思い出してグワーってなるやつに近い、思い出し発狂である。
「人質は盾でもありますが、囮! やつめ、『徹底的に抗戦し、人の手で勝利を掴む』『悪逆なる偽りの王を必ずこの手で討ち取ってみせる』などと人質の命を軽んじながら、どの口で吐いたのか! なんたる邪悪な男か、バルクード・クレイモス公爵! あぁ、なんともふざけたことを……!」
「『タチバナソウタこそが真の敵、世界を滅ぼす存在である』『必ず討ち取らねばなるまい』とかも言ってたなぁ親父殿。全く、死にかけの爺さんだってのに、よく大言壮語に加えて暴れられたもんだぜ」
ベリトの加えた情報により、ファラスの怨嗟が加速する。颯汰当人よりもキレ散らかしている。
天井ギリギリの巨漢が甲高い声をあげて発狂している図は恐怖しか与えてこない。
セレナは呆れながらベリトに言う。
「それだけ大それた事を抜かしといて人質を取るとは、バルクード卿は随分と卑怯な男だ。あの父にしてこの息子ありだ」
「え、なんで急なディス? えぇ嘘、マジへこむ。超泣きそう。……そもそも親父殿が前提として間違っているでしょ。広範囲を焼き尽くせる陛下なんて相手するなんて考える時点で愚か者よ愚か者。陛下がその気になりゃあ首都にドゴーンっ、で終わるんだから。俺だってマイハニーが人質に取られていなきゃ…………! まさか――」
「――違う違う、もう面倒くさいからやめれ」
これ以上、拗れては話が進まない。
それにいくら何でも颯汰も、無辜の民を巻き添えに皆殺しなどできやしない。人道に反する以前に、精神が保たないだろう。
「「必ず討ち取らねばなるまい」「人の手で勝利」、か……」
紅蓮の魔王は颯汰と同じくバルクード・クレイモスが言ったらしい言葉に着目していた。
――ファラスが嘘をつくメリットもなければ、そのような感じもしない。乱を起こすくらいだから、殺意はあるだろうし邪魔者は消したいのもわかる。しかしそれをバルクード公爵はわざわざ敵である彼に伝えた意味はあるのだろうか?
颯汰はバルクード公に疑念を抱いていた。
フォン=ファルガンの港にて網を張り、接触して直接『お前が死ななきゃ人質を生きて返さない』と言われた場合であっても、馬鹿正直に死を選ぶものは少ない。抵抗される危険性を考慮しないわけがない。
――やっぱり、“何か”がある
発言した男を見やると、熱苦しい視線が返ってくる。辟易した顔になる颯汰。悪意ではなく純粋な信仰と敬意ゆえであるがシンプルにキツイ。
そこから視線を変えて扉から入ってきた紅蓮の魔王に問う。
「王さ、……神父さん」
「えぇ。私はその気配を感じ取れていません。あなたはどうです?」
紅蓮の魔王の問いにリズは首を横に振る。
「……(勇者センサーでも反応なしか)」
ふたりの勇者が探知できていないあたり、人ならざるモノ――欲望の権化たる転生者ではない可能性が高まる。
特に紅蓮の魔王は星輝晶があるため、他の魔王に封印されては死も同然であるから警戒はしているはずであるし、ここまで落ち着いて話している暇もないはずだ。
ただ、相手が仮に魔王であろうと別の存在であろうとアプローチの仕方は正解ではある。
――俺たちが契約で結ばれてるから、一番弱いうえに弱体化している俺を狙うのは理解できる。……それまで知っている?
颯汰が死ねば、“契約”を交わした紅蓮の魔王とリズも死亡する。三人は一蓮托生なのだから、最も弱いものを狙うのが正しい。
多少は戦えるようになったが、このふたりと比べると剣の腕は圧倒的に格下であると颯汰は自認している。なんでも有りなら「リズにも勝てるようになったのでは?」と颯汰は淡い期待を抱いてはいるが実のところ彼女にも“奥の手”があるため勝機はない。
ここで重要なのは自分の弱さではなく、大衆に向けて公言していない「命に関わる情報」を、敵に握られている可能性があることだ。
「とりあえずその線は一旦除外するとして、俺の命を狙うのを、なんでわざわざ言ったんだろう」
「と、言いますと?」
その線とは敵が魔王ではない、という仮定。であれば残りは自ずと答えは導き出されるが、完全に未知の敵や勢力の可能性もあるため、丁寧に絞って情報を精査する。
ファラスに颯汰は答える。
「敵の士気を挫くのと味方を鼓舞するとしても、……それこそベリトさんが言ったように、俺が逆上して首都ごと破壊する可能性だってあります。なのに一番声がデカいヒトがいる中でそんな台詞いうのかな?」
「なるほど。確かに、我が神の仰る通りですね」
へこたれない、というか皮肉も通じない。頭が悪いからではなく、すべて受け止めるゆえだ。
数秒前には肩を上下させて呼吸も荒かったファラスが唐突に冷静になるのも中々に怖い。
「その時の状況はどうだったんですか? 冥途の土産に教えてやろう的な感じ?」
「…………、メイド?」
「あっ……」
たまに表現が伝わらない。言語が自然と通じているため、こういった事が起こりうる。自分以外の全員が不思議そうに首を傾げるのを見ると、ちょっと気恥ずかしい気分になる颯汰少年。
「あー……、追い詰められて『俺が殺す前にせっかくだからこの真実を持って、あの世に行くがいい』、的な? ん、いや待てよ……」
頬を指で掻きながら言ってから気づく。
「よくよく考えたら普通、言わないな? いくら相手が死ぬ前だからって、そう簡単に真実を教えるなんてこと」
どうせ殺すのだから教えてやろう的なムーブは、だいたい裏目に出るものだ。例えば当人を逃がす、隠れていた第三者に真実を知られるといった失態をすることも起こり得る。敵の命を掌握した状況であると、優越感か自己の正しさを顕示したいのか口を滑らせてしまう……ものなのだろうか。そんな状況になったことは、だいたいの人間が無いので想像でしか語れない。
「追い詰められたといえば間違いではありません……。でも私個人がバルクード・クレイモス公爵に、死に追いやられた、という場面ではありませんでした。王都で叛徒が暴れ出し、それを鎮圧してる最中に公爵とその兵たちが出陣し、……一気に、一気に形成を、逆転されてしまいました……! そして、そこであのような妄言を高らかに……!」
戦況をガラリと変えるだけの衝撃があったのだろう。どんどん怒りと情けなさと自責で精神がぐにゃぐにゃになっているファラスはとりあえず放置の方向で。
敵軍が崩れたところで味方の士気を向上させ、敵を潰走させるための発言という意味合いも勿論あったのだろう。しかしあまりに不用意にも思える。
――うっかりとかそういう可能性もなくはないが、わざと伝えてきたのなら、どういう意図だろう。挑発? あるいは俺たちが逃げないという確信がある? ……最悪の場合、普通に見捨てるぞ、俺は。今回は無理だケド。……もしや、それすら見抜いていたのか?
脳裏に浮かぶは己を“友”と書き散らした謎の人物の存在。正体がわからないが、一方的にこちらの行動を先読みしていた気味の悪い“影”がチラつく。それが関っているのでは、と想像して苦い顔となる。
作為的なもの、蠢動する悪意を颯汰は感じざるを得なかった。
正体が見えない、得体のしれないものが確かに動いてる事だけがわかっているとなると、余計に気分を害するものだ。ポストに手紙を投函してくるタイプのストーカーにストーキングされているようなもの。
心の中で嫌な気分になっていた颯汰であったが、さらに敵を分析するために聞き取りを行う。
「……ベリトさん。御父上は……何か特別変わったところとか、見たことのない装備を身に着けていたとか、ありましたか?」
「いやあ……、どうだったでしょう。……昔使っていたものらしい――実物も屋敷に飾っていたのを見たことあるんですけど、宮廷画家に描かせた絵画と同じ鎧とハルバードを着けていたぐらい、ですかね。顔も兜で隠していたし。マントも同じで……。あ」
昔描かれた勇猛果敢の名将が、そのまま現実に戻ってきていた。威厳と覇気に満ちた戦士は当時のまま、敵を屠り圧倒する様は敵を恐慌状態に陥らせた。
実際のところ、かつてバルクード卿が身に纏う鎧は、貴族らしく金に物を言わせた豪奢で無駄の多い装備とは異なっていた。質実剛健が相応しい騎士であったが、現在の地位に至る際に国王から賜れた鎧は飾りが増え豪華になった。元よりアンバードは鉱石が取れる。
趣味ではなかったが、金の鎧に赤銅色の飾りが鮮やかなものであった。橙色の外套も当初はあまりお気に召していなかったが、敵の注意を惹ける派手さは有用であると気づき、また当時の部下たちからは好評であったため、着用する機会は度々あっただとか。
その当時の姿は絵画でしか知らぬベリトであったが、違和感に気づく。一点だけ不相応な黒鉄と紫に輝く物体があったことに。
「いえ、大したものじゃないんですが、黒いベルトだけ今まで見たことなかった気がするんです」
敵の正体が浮き彫りとなった。
何となく察していたが、断定に至る情報であった。正体不明のまま戦うより、ずっとマシだ。
「……たしか“ヘヴン・ハート”だったかな」
颯汰たちのアルゲンエウス大陸での旅の目的は、陰に潜みながら暗躍する敵を一掃したくて、四大龍帝の一柱に協力を貰うためであった。
その敵勢力が有していた黒い霊器がそのような名であったとニヴァリス帝国の魔王から教えてもらっていた。
ファラスも同じものを目撃していたようで、颯汰たちが知っていた霊器の特徴を口にすると、情報は一致している。
颯汰はため息を一つ。
敵が、王都への侵入を是が非でも止めたい理由が判明したのと同時に、静かに覚悟を決める。
「なるほど。王都入りを断じて許さないわけだ」
颯汰の目つきが鋭くなったことに、対面していたものたちは気づく。
しかも、獲物を捉えるようにニィ、っと笑む。
それは嬉しいからではない。強い敵意に目の奥の焔火が燃えている。
ここで終止符を打つ。
撃滅することができるならそれに越したことはないが、まずヴァーミリアル大陸から追放させるのだ。
彼奴らとの最終決戦に臨む気概となる。
敵方も相応の準備をしているかもしれない。
しかし、ギラついた目がスッーと治まっていく。
味方の戦力も高いが、やはり自分が戦えないことに一抹の不安が過ったのだろう。
あるいは、熱を今から燃やすのではなく後々のためにとっておいたのか。
「さて、我が王よ。どう動くのです?」
「ベリトさん話によると三か所らしいですが……」
紅蓮の魔王の質問に颯汰がちらりと情報提供者のほうを見る。
「どうしよマイハニー、まだ俺、疑われてるっぽい」
「実際に父親が大暴れして国を奪ろうとしたら、そりゃあ疑われるわよね。加えてあなたってそんなんだし」
「そんなー! 俺ほど今世紀信頼度ナンバーワンの男、他にいないってのにー!」
「そういうところだぞ。まったく……、ソウタ」
無邪気な子どもっぽいというとかなり語弊のあるチャラっぽいお兄さん。隣に座るセレナが自分の頭に手を置いたあとに溜息をついてから、正面に立つ颯汰を呼ぶ。
「はい?」
「私の中の『アルキュリウス』に誓おう。もしもベリトが信用ならない行動を取ったとき、あるいは実際に裏切った場合は――私の命を捧げると」
「!」
現代社会ではあまり信用度の高くない言葉な気もするが、この世界においては――実際に精霊がいて魔法もある世界では、かなり重みのある発言であった。
「は、え、あ、ちょ、ちょちょ、待って。マイハニー?」
「不審な動きをしなければいいだけ。堂々としていればいい」
既にベリトは目を剥いて挙動不審になっている。実のところ颯汰を裏切る予定はなかったが、もしもの時は……まぁ、その、そういうこともあるよね乱世だからネ! って感じでいくつもりが、大切な人が自分の命を勝手に掛け始めたのだ。しかもトリガーは自分の行動によって引かれる。
ベリトが勢いよく立ち上がったため、椅子が後ろで倒れて音を立てる。
激しく想い人であるセレナの両肩を掴んで揺するが、セレナは武人のように動じていない。胆の据わり方がちょっとおかしいのは、育ての父親譲り(人族)。
「いやいや、そんな――」
「――もしもそうなった場合、私はあなたを先に殺して、後を追うから」
颯汰目線だとサスペンス劇場がまた始まったわけであるが、隣の恋愛脳王女さまはすごい楽しそうに見ている。
「…………一種のプロポーズ?」
困惑したベリトの一言に、セレナの手刀が飛ぶ。
ベリトは悲鳴を上げて倒れ込んだ。
「このタイミングで変なこと言うな! 恥ずかしい!」
「いやマイハニーも大概変なこと言ってるぜ!?」
顔を赤くして怒るセレナに、ベリトが尻もちをつきながら抗議する。
若い男女のイチャツキ劇場が始まったところで、魔王が颯汰に近づき問う。
「ハハハ。して、どうする。我が主よ」
溜息を吐いた颯汰の決断は……――。




