08 反撃
破竹の勢いでボルドー攻略は進んでいく。
油断しきっていた拠点で待機していた中、ありえぬ軍勢の奇襲――近隣の村を襲撃していたはずの仲間の鎧や装備を身に着け、味方に偽装した軍勢により、ボルドーの反乱軍は壊滅寸前まで追いやられていた。
奥へ逃げて籠城を始める兵も出てきたため、そこは僅かばかり保つ。体制を整えられると厄介であるが、すでに要塞の中であり、侵入者たちにとっては外から攻めるよりも遥かに戦いやすい状況である。
大将であるレライエと、本作戦の立案者であるファラスと颯汰から『バルジャ・ウィック公爵に十二分に警戒するように』と再三言われている。
しかし、武勲を立てたくて浮足立つものが出てくることもよくある話。それは規律の乱れた軍だけではなく、こういった混成部隊では一層起こりえることだ。いくら指揮系統が整えられていても、種族の違いだけで命令違反者は出てくる。仮にどれだけ律しても、破るものは出てきてしまう。そこから敗北に繋がるのも『摩擦』の一種であろう。戦いにより興奮状態であり、冷静な判断が下せないのかもしれない。
暴虐非道のボルドー軍と同じく、逃げ惑う弱者を前にして理性を保てるかどうかが、ヒトとケダモノの境となるのだろう。
一番、ノリに乗っている人族の戦士たちは――、
「ふむ。一旦ここで待つか」
恐ろしいほどに冷静。人間であるのだが、あまりに機械的な切り替えに逆にヒトとは異なる何かが化けているような感覚に陥る。
つい数秒前まで世紀末の住人のような振る舞いをして敵兵を追っていた戦士たちが、敵陣の最奥を前にして停止する。
ある意味で、野生動物的な直感が働いたとも言える。
経験がものをいったとも。
ボコボコされた挙句、剣を後ろから突き立てられながら道案内をさせられていた丸腰の兵は、両腕を後ろで縛られながら歩いていたのだが、その一言に驚き振り返っていた。
「付近の味方兵に通達。ベリト殿、リーゼロッテ殿と合流後に仕掛ける。敵からの狙撃に注意するように」
「はっ」
「この先は臭い、罠を張っている可能性が高い」
「御意」
実際に異臭がするわけではなく、感覚的にイヤなものを感じ取っていた。
伝令役の兵士がふたりで駆けていく。
準備していた青い布を腕に巻いて、それが敵ではない印であった。
長引けば敵軍に模倣される可能性もあるが、もはやそんな時間も余裕も残存部隊には残されていなかった。
「……あれだけ暴れまわったくせに、急に臆病風ですかい、人族の隊長」
胸倉を掴まれたときには悲鳴を上げていたというのに、煽るように小ばかにした態度で魔人族の戦士はいう。
だが人族の男はどこ吹く風、まったく気にする様子はなかった。
「安い挑発だな。それに私はただの一般兵だ」
「…………?」
敵兵はこの人は何を言ってるのという顔で、相手側の同族を見やる。見られた方は静かに、重みのある肯きをみせていた。
「私のような人族が先頭立ってもアンバードの兵はついてきてはくれまいよ」
「???」
今度は後ろで一緒に暴れていた兵を見やる。
兵たちは一斉に目を逸らした。
「我ら三人はただ自由に振る舞っているだけで、基本的な指揮者はアンバード第十二騎士団長殿にある。私はただ勢い任せに戦ったに過ぎない功名が欲しいだけの兵卒さ。私が斃れても兵は止まらんし士気になんら影響はない」
「んな訳あるかいな」
捕虜同然の敵兵がぼやき、
「そこはノーコメントで」
近くにいた兵もノーコメントというコメントを残す。彼らという戦士は、此度の戦においてかなり重要な位置にあった。
ついこの前まで敵だったというのに、共に戦ったこの仲間を、認めていたのである。
「……ただ、おそらく他ふたりも同じ考えと思うぞ。全体的にあの建物内は妙にきな臭い。窓は板で閉鎖して侵入を拒んでいる。周囲の建物からは気配が無い。籠城済みだ」
顔を覆う兜に隠れていたが、少し照れくさそうな声のあと、どうにか切り替えて語る。
「であれば我らがやれることはない。リズ殿に任せたほうが着実だ。我ら雑兵の出る幕なぞない」
腕を組みながら堂々と言う。戦いの経験だけではなく人生においても、リズよりも先に立つものであるが、恥じることなく言い放つ。
そんな目の前の彼の暴れようを身に染みて知るからこそ、敵兵は訊ねる。
「そんなに強えのか? “闇の勇者”は」
男は、静かに肯いた。
「でなければ我々は貴様らの略奪を止められたとしても被害は出ていただろう。あの方の御活躍があってこそ、村は壊滅せずに済んだのだ」
「……ふぅん」
彼は雇われの兵士であり、王都でのできごとも見てはいない。勇者は魔王に屈し、得体の知れない粘液状の化け物を生み出したとは噂に聞いていた程度だ。
通達に行った兵士が任務完了を報告する。
別の通路から仲間たちの部隊が到着するのが見えた。
進軍したが虱潰しに見回る猶予は無かったため、他の建物に残っている可能性もあるが、奇襲で削れる戦力などたかが知れている。警戒はしているが拠点の最奥に立て籠る以外に選択は無いはずだ。生存率もそっちの方が高くなる。ただし、残りの人生の時間がほんの少しだけ伸びるだけかもしれない。
「全騎警戒態勢を維持、矢に気をつけろ」
他所大陸から持ち込まれた銃火器――迅雷の魔王が“商人”から卸したイグナイト・ランスは鍛冶師や技術者が集う開発チームである第八騎士団が回収済みであり、この地まで流れてはいない。
窓は板で塞がれているが、外した途端に弩による射撃、から再び板を張るといった戦法も考えられる。戦を常とした兵たちにとって弓術の習得は必須であるが、即座に対応して反撃に至るまでのタイムラグがどうしても発生する。
「!」
「弩! 来るぞーッ!」
「総員、退避ーッ!」
まずはその予想から先に、的中する。
弓の弦を引くまでのわずかな時間だ。ずっと引き絞っていつまでも緊張状態を保つのは難しい。その点、弩の弦は引くのに弓よりも時間が掛かるが安全地帯にて隠れて行える。そのあとにトリガーさえ引けば即時に重い矢を飛ばせる。
そうして籠城を決めた兵たちから、反撃が始まる。
予想通りであるが、規模は然程ない。
バルジャ公爵が士気回復のために近隣の村を略奪を行わせたがそれを阻止し、距離的にまだこちらに敵がこないと踏んで送り込んだ大多数は捕縛され、残りの兵力もこの場にて幾分か削ったからである。
外にいた者たちは直に弩の有効射程から離れ、煉瓦の建物を盾にするよう物陰に隠れられた。
敵は同じ窓から攻撃を繰り返したら狙われるとわかっていたためか留まらず、と工夫はしている。
反撃を恐れ、窓の板を外すフェイントを織り交ぜ始めたが、攻撃の頻度はすぐに減っていた。
全体的に消極的な動きを見せ始めている。
敵方も限界が近いのは目に見えているが、決定打を踏み込むのは危険だと戦士の勘が告げている。それについては第十二騎士団の面々も同様であった。本来ならば自分たちが任された要塞であるから攻め込みたい気持ちはあるが、ふたりの王命に加え、敵方が乱を起こすに至る理由を想像すると――警戒するに越したことはない。
「慌てるな! もうすぐ、人質は救助されているはずだ――」
人族の続く言葉を覆う、爆音が響いた。
屋外のものはそのまま、屋内にいるものは身を乗り出す。
音がした方向――監獄塔のある地点に視線を向ける。
大きく上がる土煙の中、ひとつの影――。
否、天に昇る星のように、吹き飛ばされたリーゼロッテである。
不可視の剣を両手に握り、交差させた姿勢のままに空に上がる。
その土煙の中からさらに、昏いものが突き抜けて現れる。地面を蹴って跳躍したのは――“敵”。
「――!」
敵の第二波が飛んでくる。
一撃目をどうにか交差した剣で受け止めて肉体への直撃は防いだのだが、自由の利かぬ空中に衝撃のよって吹き飛ばされた。その背に外壁を突き破った際の痛みがあったが、リズは二撃目が来ると予測し敵を視界から逃がさぬように正面を捉え続けていた。
他者からは、崩れ落ちる塔が見えた。
そこへ飛び出した黒い影は、まさに異形と呼ぶべき怪物である。
決して、人に非ず。
しかし自然に発生したケモノとも違う。
見上げるだけの巨躯、真夜中の河川を思わせる漆黒の体色。細い腕は地に着きそうなほど長い。
――“魔獣”。
生命を冒涜したかのような歪なモノ。
かつて、颯汰の故郷となるはずだった村を壊滅させた存在。
颯汰とリズにとって忌むべき因縁の怪物。
――黒泥に呑まれた人間の慣れの果て。
だが、何か様子がおかしい。
そもそも、リズのような勇者に攻撃を与えたこと自体がおかしいと気づくものもいる。魔獣がその見た目に似合わず、機敏に動いてリズに防御を選択させたのだ。
加えて変化が始まる。
魔獣から黒の肉塊が剥がれ落ちていく。
異型なる怪物は、“変成”する。
ぼろぼろと余計なものを切り離し、適した形へと変わり始めた。
立花颯汰が遭遇したものたちと異なる姿。
その途中であるが、蠢く黒い泥が腕から伸びて剣を模した形となって分離した。魔獣は即席で作り上げた漆黒の剣を振るい、宙に浮かんでいたリズに斬りつける。
リズは飛ばされた速度よりも早く、落下していく。
直後、床の煉瓦や石材などが砕けて弾ける音が響き渡る。
着弾地点に煙が大きく舞い上がるのが見えた。人々が状況を理解する前に、“変成”は遂げられた。
肉はボロボロと落下しながら、溶けて消えゆく。
呪いに満ちた余分な黒い外皮と肉が削られていく。だがそれでも醜いのと異形なのは変わらずだ。手足は痩せこけ、膨れていた腹部も少しマシになった。だが腹部に特徴的な、剥き出しの歯はそのままだ。
削られて洗練されたとは思えないような、酷く奇怪で不気味な怪物。筋肉がついたのではなくただ削ぎ落しただけのモノ。
それを見て気づくものがいた。
本作戦に参加したエルフの兵――ボルドー要塞を開門させ、突入したものたちを含めて遠くからでも見えた。
人族の兵もエルフ並みの抜群に視力が良いわけではないが、その怪物の僅かに遺った装備から気づいたものがいた。
否定できる材料は不確かで、肯定する材料も曖昧であったのだが、それでも胸騒ぎが止まらない。
件の“魔獣”は醜悪な肉塊であり、人間でいうところの頭部に目も耳も鼻もない。
だがこの魔獣は違った。
名残とも呼ぶべき装備を被っている。
だからこそ、気づいたものがいる。
心が有り得ないと叫んで否定しても、目を逸らせぬ現実がそこにあった。
それは黒鉄の兜。
ヴェルミには唯一、非戦闘時にもバケツのような顔全体を覆う兜を常に着けていた騎士がいた。
それはヴェルミが誇る最強の騎士団の、病に伏せる騎士団長に代わり、最優の騎士と称された男。
「黒狼騎士団の、カロン……!」
すべてが違うのに、たった一つの装備と纏う気配が、王命によりアンバードに護衛として渡った騎士だと確信させる。
彼も、護衛対象であるふたり――リチアとグレアムと共に捕らえられていた。
そのはずだ。
直視し続けると心が乱される醜悪な怪物であるはずがない。
怪物は天に佇み続ける――わけではなく、跳躍しながら攻撃後、降りる途中に生成した剣を掲げたあと、勢い任せて叩き落したリズに向かって投げつけたのだ。
造られた泥の剣は液体を零しながら直進していく。
空中で投げつけられた泥剣は衝撃波を放ちながら、命を確実に消し去るためにリズの元へ向かう。
塵煙を抉るように、落ちていく剣と再び爆ぜる音。その現場を直接見たものは周囲にいなかったため、最悪が頭に過っているものもいた。
カロンであった怪物は、要塞内の建物の屋上に着地しつつ、煙が消えるのを待っていた。
しかし、自然と消えるよりも先に、暴風が闇を払う。
星の加護を受けた二つの鎌剣を構える。
無色透明の武器と、受け取った風の力を用いてカロンへ飛び込んだ。
二度も壁材に打ち付けられ、常人ではそれだけでも骨が砕けて血を吐いていたであろう攻撃に、リズは意識を失わずにいたから、敵の必殺の追撃を躱せたのだろう。
リズはこの場にいない颯汰の言いつけを守る。
それは、できる限り力を温存して攻略せよというかなり無茶なお願い――。それには条件がある。敵方に魔王、またはこの黒い呪物を操る勢力と相対したときは、全力で討ち取るべきだと皆で話し合って決めていたのだ。
リズの猛攻が始まる。
風を纏った跳躍で一気に距離を詰め、間合いのわからぬ武器での攻撃を繰り出す。
いくら達人であろうと、見えない武器は対応が難しい。しかしカロンであった怪物は、その斬撃を見切っている。泥剣で弾くが、ときに泥だから崩壊する。それでも泥剣は瞬時に再生していた。
怪物は間違いなく慣れぬ身体であるというのに、器用に武器を操って連撃を捌いていく。
颯汰が迅雷の魔王を撃破し、アルゲンエウス大陸に皆で向かう前、何度か颯汰とリズに剣術指南としてカロンは模擬戦をやっていた。
不可視の剣を用いてはいないが、それに合わせた木剣をふたつ用意し、打ち合ったのである。
肉体が変質しても、その身体が覚えているのだろう。
一刀にてリズの猛攻をいなしている中、さらなる変化が訪れる。
「!?」
彼の顔が変わっていく。
ぎちぎちと音を立て、肉が膨れて兜が上方向に持ち上がりつつ、一部が耐えきれずに破損して亀裂が入ったり、金属の破片が飛ぶ。
何もない真っ黒な頭の鼻口部が生成されて伸びる。突き出たそれと、さらに溢れた泥が金属を突き破ろうとして、また一つは突き破って――頭頂にふたつの耳のように立つ。
――……犬!
それは奇しくも黒狼の名に相応しい“変成”であった。狼のような口と鼻の形状。さらに二つの耳。目の部分には残骸となったトレードマークであったバケツ型の兜。
「ころ、……して、……くれ……」
聞き覚えのある声にて言葉を発しながら、黒泥に呑まれた“魔獣”は牙を剥いて襲い掛かる。
一体何が起きて、このような事態となったのか。
それを知るには、時を遡ってみる他ない。
世間一般だと年末年始はお休みらしいですね。
今年もよろしくお願いします。




