07 武芸者
山を越えた先は非常に豊かな自然が広がるのだが、ボルドー付近の赤い土壌は栄養が乏しい。
その土を日干しにして造られた堅い煉瓦が積み立てられた要塞は、頭上から下り始めた太陽の光に照らされ、燃え上がるように映る。
現代建築と異なる太古の意匠は、機能性などは最新鋭のものに劣る部分もあるが、積み上げた歴史が与える重厚感が人々の心に訴えかけるものがある。ボルドーは軍事施設だというのに、積まれた煉瓦の要塞には美しさがあった。
国境付近を監視する基地でありながらも、かつて一度も血を見なかったというボルドーが、この日は幾人から零れた赤を吸い上げる。
先陣を切ったのはアンバードにて内乱を起こした三大貴族が武闘派であるバルクード・クレイモス――の息子、ベリト・クレイモス。彼は父に反旗を翻したのである。
混乱に陥る防衛勢力、待機を命じられたものたちが蹂躙されていく。
ストレス解消による士気の向上を図って出撃したはずの軍勢、そこから別れた報告に戻ってきた兵たち――と思っていた一群は、激動の波濤となってボルドーに襲い掛かる。
「降伏か、死か!」
雄たけびを上げた戦士が躍り出る。他の兵と同じ、近隣の村へ向かった際の装備であるというのに、軽々とした動きで戦斧を振るう。
さらに、もうひとりの戦士は武器を置き、兜ごと敵の頭を拳で幾度も叩きつけて叫んでいた。
「さぁ吐け! どこに牢がある!」
「いやもうソイツ死んでる」
「――……何、かなり加減をしたのだが」
「……やっぱ人族の隊長格って怖っ」
ベリトが呟く。
敵の返事を待たずに、血を浴びに行く姿はまさに狂戦士。
魔族と蔑まされたアンバード領内の多様な人種ではなく、特に抜きんでた、勢いで敵を薙ぎ払っていくのが、隣国のヴェルミの兵であった。
「もはや瓦解したも等しい、急いで“頭”を切り落としましょう」
この場合の“頭”とは、バルジャ・ウィック公爵のことである。非常に優しい口調で語るは人族の女。その通りであり、彼女の発言は正しいのだが恐い。
混成軍の中で突出していたのがこの人族の三人であった。
「よくこんなのと戦争したよなウチの国」
「……ベリト、面白いことを言ってやろうか」
「おっ、なんだよお前にしては急なノリだな?」
ベリトの隣に立つは怪我を負っていたはずの狙撃兵。
彼の役目は数合わせ――少しでも軍勢がいると敵方に認識させるためである。
士気が低いことは知っていたため、少しでも不利だと判断したら逃走、平伏を選ぶものだ。
仮に戦い抜くという気骨があっても全員がそういう訳ではないから、どちらにしても人数差から綻びが生まれ、崩壊する。
「まぁ聞くがいい。彼らは、ヴェルミ軍の騎士ではあるが――とくに隊長とかではない。一般兵らしい」
「どうしてそんな怖い話するのォ……?」
泣きそうな声で答える。
ヴェルミがその気になればアンバードは国ごと更地になっていた可能性がある。迅雷の魔王が戦争を仕掛けてから関係は最悪な方向に進みかけていた。
「前王のクソ野郎のせいで関係が悪化しちゃったけど、マジで今の陛下がいてくれて助かったわ」
「俺もあんなのと戦いたくねえぞ。くわばらくわばら」
荒れ狂う戦士たちを筆頭に、ボルドーは内から破滅に追い込まれていく。
「人族の兵に敗けるな! ここは我らが守りし地、必ず取り返すぞ!!」
武器を掲げて叫ぶは第十二騎士団。
元より辺境警備隊である第九以降の騎士団は中央(首都バーレイ)の貴族たちを嫌っていた。
突然の内乱から統治権の移譲などとても承服できないものを強行され、追い出された彼らは虎視眈々と機会を窺っていたところ、第四騎士団――さらに颯汰一行と合流を果たした。心強い仲間を得て、復讐の刃が煌めく。
殺到する兵たち、安全と思われた要塞内が突如として戦場に変わったことに、適応できないものたちが悲鳴を上げる。そのあとに一切語らなくなったものも当然いた。
「どこに指揮官がいる!」
「ひ、ひぃ! やめてくれぇ!」
屈強な人族が、一般魔人族兵の胸倉を掴んで脅――訊ねている。
案内しろと怒声を浴びせ、丸腰になった兵に剣を突き立て先行させ、道案内をさせていた。
ベリトたちは彼がどこにいるかはだいたい知っていたが、目的は人質の救助にあった。
「御三方! 引っ込んだ敵が態勢を整えてるかもしれねえ。いや、間違いなく立て直してるやつはいる。それにウィック公も陛下に喧嘩売るくらいだ! 何が起きても不思議じゃねえから、用心してくれ!」
「応よ、大将! そっちも頼むぜ!」
話してみたら気前のいい、サッパリとした人柄が多く感じる。ついこの前まで戦争を起こした隣国の、此度の騒動の中心人物の息子と知ってもなお、今作戦の指揮者として見てくれている。
「………あの人たち、めっちゃいい人だよな」
「……(仮にも貴族のお坊ちゃん、他よりマシなだけで世間知らずか。……絆されるのも早いわけだ)」
加えると高慢ちきのエルフに、偏見もなく一目惚れするのも納得できるというものだ、と彼は思った。口にすればどうあれ確実に煩くなると知っていたため、黙して肯くに止めた。
要塞の敷地内を歩き始める。
ボルドーに残った兵数は少ないとはいえ、ここは敵地であり、地の利もあちらにあるため慎重に進むべきであった。目的地の場所はわかっていても、どこに敵が待ち構えていても不思議ではない。ここで真っすぐ走っていくのは余程のバカか、怖れ知らずか、敵の攻撃を物ともしない化け物だ。
風を感じる。
吹き抜ける烈風を目で追うとそこに、一つの影。
否、一つの星――。
「うぉ、スゲッ……!」
まるで暗殺者。もしくはアズールド大陸にいるとされるシノビのモノか。
彼女は愚物でもなければ、怖れ知らずではない。ボルドー攻略班が最大戦力。
レンガの屋上を道として駆け抜けるは“闇の勇者”リーゼロッテである。
要塞内は入り組んだ迷路のような作りであっても、建物の屋上から屋上を跳んで渡れば最短距離で目的地へ辿り着ける。しかし、そんな芸当ができる兵士なんて限られている。さらに、そんな目立つ行動を取れば敵から狙われるのは間違いない。
マフラーと二つに結んだ髪を揺らしながら、リズは突き進む。事前にベリトから牢のある監獄塔の場所は聞いていたのだ。
何も持たずの徒手空拳の少女の下へ、注がれる視線と敵意。
リズに向かって殺到する矢。
払うように振るわれた拳に、矢が衝突前に切り落とされていく。
「なんだと!?」
「不可視の剣! 奴こそ“闇の勇者”だ!」
「臆するな! 所詮は、軽業師よ!」
騒ぎを知り、装備を整えた兵たちが弓を番えていた。
正確な狙いではないため、リズは進路を変えずに真っすぐと塔を目指す。
攻撃を物ともしないで速度を維持しつつ捕らえられた者たちを救いに行く。
その真っすぐさを、若さ所以の何か――情熱や青さまでも嘲笑うように、殺意をもって足を引っ張ろうとした。
「へへっ、ガキがよ……!」
通り過ぎた屋上に繋がる梯子を昇り、リズの背後を取った兵が嗤う。
「囚われて泣いてたガキのくせに……! 迅雷陛下の仇だ! 死ねえッ!」
有効射程から遠ざかる前に、弩を構えて、放つ。
完全なる死角から、命を撃ち落さんとする明確な意志が込められた矢が迫る。
人の手ではなく、仕掛けで引かれた弦から撃ち放たれる矢は太く重い。矢避けの風であっても、威力を完全に殺すことはできない。何より、リズは颯汰の頼みに従って力を温存しようとしている。加えて、颯汰のような特異な危機察知能力もないため、背後からの攻撃に反応が僅かばかり遅れる。
「……!」
リズが屋上から跳び渡って着地した瞬間、振り返った時に矢が突き刺さる――。
リズを狙う弩の一矢を、射ち抜く『矢』。
斜め上から降った矢が、リズを仕留めんとする復讐の一矢に直撃したのだ。
「――!?」
神業とも言える絶技を見せたのは、ヴェルミの遊牧民族ノルマードにして、虹と狩猟の女神「アルキュリウス」の生まれ変わりと一族に信じられたエルフ――。
「当たった、わね」
生まれ変わりの証たるエメラルドグリーンの煌めく髪を持つ女、セレナだ。
驚くべきはその弓の腕前。ウマに騎乗して走らせながら、曲射を放ったのだ。
リズを狙った兵を見つけたが、ウマで走る都合上、目標が建物に隠れてしまった。
一度引いた弓の弦を放し、手綱を握って引き返すことはできない。それでは間に合わず、リズが射られてしまう。しかし、位置的に直接敵を狙うこともできないと判断したセレナは、三本の矢を番えて放った。
風を読み、見えぬ移動する的を狙って射ったのだ。斜めに放たれた三本の矢が放物線を描き、真ん中の矢が復讐の矢に見事命中する。
エルフイヤーは地獄耳。
タン、と矢を射抜いた音を聞き取り、セレナはホッと胸を撫で下ろしたのである。
「なっ……!?」
有り得ない曲芸じみた騎射によって仇討ちは阻まれ、驚いて目を剥いた男の額に矢が刺さる。
「ここからなら当たる」
離れたお陰で再び敵のいる屋上を捉えられた。ウマを走らせながら後ろ向きに放ったセレナの矢が、正確に敵を倒す。これもまた驚嘆に値する凄まじい弓術である。
驚いて固まってしまっていたリズであったが、セレナに気づき、丁寧に頭を下げてから再び目的地へ跳び去っていった。
「あの娘が狙われ始めたから、ちょっと離れて並走した方がいいね」
屋外とはいえ歩兵を付けずにウマで敵陣の、しかも拠点内部を奔るのはかなり無謀な行いであるが、奇襲によって混乱してる内は罠を張る余裕が無いと判断しての行動であった。
セレナは単騎ではなかった。
騎乗しながら弓を扱える人材を四人、選んでついて来させたが、ヴェルミの軍属でプライド高いエルフも、思わず口を開いて言葉を失っていた。
上からの命令で付き従ったが、心のどこかで田舎者、蛮族と見下していたが、考えを改めさせるに充分な実力を見せつけられたのであった。
敵の攻撃が激化する前に、リズは加速しセレナたちも並走しながら支援射撃を開始する。
放たれた矢の位置から敵の場所を割り出し、隙かさず正確な矢が二、三本飛んでいく。
すぐに敵の動きが消極的になってきた。
ボルドーの防衛勢力は屋内に引っ込み、守りを固め始めた。
「チャンス、ってやつだ。みんな、行こう」
「承知した!」「はい!」
ボルドーではヴェルミの人間が捕らえられているという。
その事実もヴェルミ側の兵たちが奮い立たせた理由であるが――……。
◇
ボルドーから少し離れた地点、小高い丘の上に陣を敷く一団がいた。
「戦況は?」
「我らが軍の優勢であるようです。リズ殿が先に突入し、セレナ殿たちの弓兵騎馬隊も今しがた監獄塔に入ったと報告がありました」
ヴェルミ側の指揮者の横に立つ、アンバードの鬼人族の長ファラスが報告する。
「さすが。貴方が考えた作戦がうまくいってるようですね」
「いえ。我が神と私、です」
「なるほど。ソウタも実に良い部下に恵まれたようだ」
「恐悦至極でございます。我が神の盟友にしてヴェルミ国王、クラィディム陛下」
玉座ではなく椅子に腰かけたのはクラィディム=レイクラフト=ザン=バークハルト。
国内の騒動が治まりつつある中、麗しき美男子たるヴェルミ王国の新王が、挙兵してやってきたのである。
ボルドーにてヴェルミの軍勢がアンバードの兵たちと共に反抗勢力と戦う理由は、国王直々の命令であることが大きい。
――内乱が起きたと聞いたときは、心臓が止まるかと思ったよ。リズも怪我してないといいけど
建設中の中央都が敵軍に閉鎖される前――挙兵した兵と共にアンバードに入った後に、内乱の話を聞いたディム国王。今でも親友たちの安否で気が気じゃない若き国王は、冷徹な仮面の下に優しさを隠す。
兵を束ねる指揮官が、不安の感情に揺さぶられていては、兵も落ち着かないと知っていたのだ。
目で見るものや呼吸に意識を集中していないと、ソワソワしてしまいそうになる。
自国へ略奪を行おうとしたボルドーの七百の兵に対し、四百弱の兵とアンバードの連合軍で打ち倒す際も、不安でいっぱいであった。
国王とはいえ、戦争直後に遠征に全兵力を投じるなんて馬鹿げたことはできず、加えて即位したばかりで無茶な願いを聞き入れさせるほどの政治的手腕も有していなかった。ただ元より大規模で移動すると金も時間も余計に掛かるため、結果的にこの人数での行軍が最適解であった。兵站も無限ではない。
略奪を行おうとした敵軍を降伏させ、その兵たちから装備を奪い、経過報告にやってきた分隊に扮して内部に侵入する――正直、ディムはこれも心配していたが、非常に上手くいった。
しかし、彼にはさらなる懸念がある。
彼は“とある情報”を知ってアンバードに駆け付けた――それは三大貴族による内乱についてではない。
先んじて情報を得たからこそ兵を動かせて、その途中で内乱を知った形となる。
内心落ち着かないのはそのせいであった。
――急げ、この内乱を早急に終わらせるんだ……“奴ら”が来る前に……!
不安を見せてはならぬが、焦りもよくない。
そういった意味では、ディムは上手く落ち着いたふりができていたのである。




