05 静かなる恐怖
「やっぱり、陛下呼びの方がいいでしょうか?」
「いえ。好きに呼んで構わないですよ。話し方も以前と同じ感じでも」
「……ありがとう。丁寧な言葉は難しいし、ちょっと疲れるから」
一通り、颯汰が王として担がれていた経緯をセレナに、皆で説明し終えたところだ。
颯汰とセレナは旧知の仲ではあるが、出会いはたった一度きり。
特別親しい間柄でもないのだが、当時は年上と年下という単純な関係であったからこそ遠慮もなく、颯汰もその方が気楽であると認めたゆえ、他の誰よりも距離が離れていなかったように、この場では映る。隣の家の優しいお姉さん的な距離感の近さなのだが、それを良しとしない視線が多方から飛んできている。
「ふふん。なるほど、そうだったのか。まさかあの小さかったソウタが、小さいまま魔王となっていたとは」
「(ぜんぜん違うんだケド、まぁ同じもん、なのかな?)……俺もまさかこんなところでセレナさんと会うなんて、思いもしませんでした」
異界からの放浪者であった颯汰とエルフで遊牧民族のセレナ――あの日から時間は流れていたが、互いに顔は殆ど変わらずであった。
和やかな空気とな……らないのは、向かいの席で歯ぎしりをしている赤毛の兄さんと、後ろに立つ少女から放たれる圧のせいだろうか。
一応、昔の話であり颯汰がベルンに訪れるよりも前の話ということで時効を主張し、リズが渋々納得したような顔をしてくれた。あの頃の颯汰は精神性はとにかく、肉体的にはリアル子ども状態であり、見知らぬ環境(世界)で魔物という野生動物への知識も皆無であった時期でもあったのだから、許してくれと懇願した。
――どうして俺が謝っているんだろう……?
怒られて責められている、説教などを受けている最中に自我に目覚めてそのようなこと口にすると、より厄介な状況に陥るため、嵐が過ぎるのを待つしかないという諦めの境地に颯汰は達しているため、決して口にしない。
どうにかリズに主張は通った様子ではあったのだけれど、それでも牽制がてら近くに侍るように立っていた。
実際に当時は身を清めるため、裸になったどころか洗ってもらったりしていたのだが、それ以上は言う必要もあるまい。
問題は身体を拭いてテントに戻ったそのあと、颯汰がくしゃみをしてしまい、身体を暖めるため同じ毛布の中で抱きしめられながら寝たことにある。同衾と呼ぶより幼子をあやしながらの添い寝が正しい形であるが、それは秘しておかねば前門と後門の修羅が発狂しかねない。セレナも嫉妬心を煽るような真似は控えた。これ以上何かを言えば、隣の男の血管がブチ切れて死ぬ。
風呂場がないときに外で沐浴する際に、年齢が二桁もいってない小さな子どもを、独りで入らせることはまずしない。魔物との遭遇だけではなく、溺水のリスクもあって、ある程度も安全性が確立してない場合は保護者の監視が必須だ。
それが頭でわかっていてこの顔である。
お喋りで軽薄そうな男が修羅の形相で真っすぐ虚空を見つめているのも中々のホラーみがあった。
一方でリズからのジッと見詰める視線に、セレナは微笑ましそうに返すものだから、大人の余裕が見て取れる。肉体的な若さは同じであるが。
「人生ってわからないものだね」
セレナから保護者のような目線で投げかけられた言葉の視線を払い除けるのでもなく、かと言って受け止めるのでもなく、流すことにする。
「たしかにそうですね」
それに気づくセレナは笑顔でありながら、わかっているよと言わんばかりの含みのある目つきであった。
――お互い、“いい人”が見つかったんだねぇ
とセレナの心の中の呟きをだいたいそのまま見抜いていたからこそ、颯汰は触れずに流すのだ。
この男、実に甲斐性なしである。爆ぜろ。もげろ。
「それにしても転生者か……。正直、あんまりよくわかっていないが、私みたいな生まれ変わりと呼ばれているモノとは違う、本当の神様みたいな感じ、かな。すごい力も使っていたようだし……やっぱ敬った方がいい?」
「そうです! 我が神は――」
「――普通に接してもらえると助かります。疲れますから」
急に乱入してきたファラスの顔を、グイっと遠くに追いやるように押した颯汰。身体も声もデカくて顔もうるさい。対面の席にいるセレナと何もかも違くて寒暖差で風邪をひきそうになる。
どんどん卓に人が集まり始め、全員分の椅子を用意すべきか、というこの集落の長である翁が訊ねてきた。颯汰は少し考えて遠慮する。話がこれ以上、脱線する可能性が高いためだ。
セレナはその様子までもが微笑まし気に見ていたが、不意に暗くなったのは、心の底から颯汰への同情と哀憫ゆえからであろう。
「……父の仇である邪悪な魔王を討ち、正しき王となったと思った矢先に内乱、か。お前の人生は波乱万丈のようだ。今まで本当に大変だったのだろう」
「いえ。セレナさんの方も中々……(奴隷として売られるとか、想像するだけで怖い)」
もし仮に、獣刃族の砂の民――黒豹の集団に捕まっていた場合、商品としてマルテ王国に渡っていた可能性もあったわけだが、自分ではきっと耐えられる気がしない。颯汰はそのように考えていた。
女性なら尚更、と思われるが少年は少年で特定の層に需要があるため、どちらにしても人権を蔑ろにされる事自体に危険が孕んでいると言える。
「ふっ……。私も奴隷として売られたときは、すべてが終わったと思っていたよ。何かされるとしたら道連れにしてやるとは決めていたけどね」
強い。神の生まれ変わりであると信じられた娘ゆえに、肉体面も鍛えられていたセレナ。精神面は元より気高き魂と共にあったお陰で、困難に対してへこたれない様子であった。
ではその道連れ対象となるはずだった主人たる騎士の男はというと……。
「あひー……」
ポンコツ。
無視され、意中の異性が他の同性と仲良く話しているのを見て脳が壊れない人間はいません――かどうかは経験やら癖で軽減されたりするので人それぞれ。
少なくとも話を聞いただけで嫉妬で一度気絶するくらいのメンタリティの男が耐えきれるわけがなく、ついにオーバーヒートを起こしている。
この人、色々な意味で大丈夫なのだろうかという憐みの視線をリズやヒルデブルクから受けているが、机に寝そべるようにして項垂れた頭部にしか刺さらない。
ここまで精神的にボロボロな彼を蘇らせることは困難極まりないと思われた。
が、主人であるベリトにセレナが肩を揺らしながら声をかけるだけで済む。
「はいはい、ふざけないでシャキッとしなさい。覚悟、決めたんでしょ?」
「……はい」
完全に尻に敷かれている。
惚れた弱みというやつか。
「どっちが主人なのか奴隷なのか、わからんな」
「俺は愛の奴隷です」
「うわきっつ……(素)」
思わず、冷ややかな態度が言葉となって颯汰の口から出てきてしまった。
ガチのドン引きをする颯汰と、直後に再び机と衝突するベリト。自らではなく後頭部から引っ叩かれてその衝撃で激突したカタチだ。
「恥ずかしいから変なこと言うな……!」
再度、頬どころか顔全面が赤く染まったセレナからの制裁を食らいながら、ベリトはそのままの姿勢で手を挙げて言い放つ。
「……というわけでマイハニーは無事なんだぜ」
振った手は、横になっていた負傷兵に向かう。
「そうだったのか。……待て、ではあれは誰だ?」
「お金で雇ったエルフよん。エルフという特徴だけしか漏れていないはずだけど、一応、顔も頭も布で隠しておいたからバッチリよ」
得意げに顔を上げて身を乗り出して答える直後に、再び彼は死線を巡る。
「私、知らないんだけど」
何度目となるか冷たい視線。
「…………へっへっへ」
困ったように笑うベリトに、セレナは額を押さえ、呆れの溜息を吐いていた。
ボルドーに配属が決まってから、いつもの調子で嫁自慢と惚気を仲間たちに繰り返してはいたが、わざとやったことだ。決して外部に特徴を漏らすようなことはしていなかったが、おそらく存在は漏れていると踏んで、あえて偽りの花嫁を開示したのだ。
「あれだけ熱っぽい絡みをしていたのに……」
「あ、バカやめっ――」
無能なお調子者のふりが得意である彼は、あえてそういった存在がいると認めて公然でイチャついてみせた。仮にバレて人質にされたとしても困らないように、そのエルフを彼女だと印象付けたのである。
「――……ふーん。それについては後でふたりで話すとして」
「くそっ、お前後で覚えてろよ」
怪我人の男は挑発するように舌を出して応じる。
「……その人も助けなきゃいけないじゃない」
望んでいないスケープゴートも救助対象となってしまった。だがベリトは開き直るように、むしろ悪気など最初からないように言い放つ。
「ハッハッハ。そこで頼れる陛下の出番よ私の女神。……――陛下、お伝えしたいことがあります」
あなたの情緒どうなってるの、と颯汰が口に出かけた言葉を呑み込んだ。
彼はそういう性質であるのはやり取りから颯汰は十二分に理解できていた。
「奴らは人質がどこにいるか知らないと言ってましたけど、あれは真っ赤な嘘です。ボルドーとカメリアとバーレイの三か所に分けたようです!」
「……確か、なんです?」
奴らとは殺害した三人の騎士ことである。
「あぁ。近くのボルドーにヴェルミ側の人間を、首都から西のカメリアにアンバード側の人間を、そして首都に“英雄の子”がいるそうだ」
セレナも答える。彼女も鎧を着た騎士に扮して内情の調査を協力していたようだ。重量から動くので精一杯でもあったのだが、どうにかバレずにここまで来れたのも実はベリトの根回しが効いている。
「あと、お医者さん? も首都で一緒らしいです。今回、正当後継者として担がれたパイモンって子のお母さんの治療のために残しただとか」
賢明な判断と言えるだろう。見た目と言動と性癖以外は、この世界の基準を超える高度な医療技術を有する優れた医者である。やはり問題点のウェイトがヘヴィな気がする。ベリトの一言に颯汰は肯きながら女医エイルの全身像が頭に浮かび上がる。長すぎる黒髪の不気味な容姿と言動は慣れないと怖い。
「ソウタ、ベリトはこのようないい加減に見えて……――実際にいい加減なんだが。信頼してほしい。うん、そんな目をしてしまうのはわかるが」
颯汰は表情で返すが返答を口にはしない。
「はぁ……、わかってる。お調子者だしどうでもいい嘘を吐くしな。さっきなんて十三の頃とか言って回想に入っていたが、そうなると私とソウタが出会うよりも昔になるし」
ベリト意味のないところで嘘を吐いたが、本心から颯汰に下って父を討ちたいと考えている。大貴族クレイモス家の跡を継ぐは次いでで、一番は奴隷であるセレナを迎え入れることが彼にとって何よりも優先すべき目的であり、やはりそうなると父が邪魔なのである。
しかし目下、彼が内乱を起こした三大貴族の息子であることは変わりない。当人よりもセレナがどう信じてもらおうか苦心していたところに、思わぬ地雷が爆ぜる。
「いや、あれ俺の初恋の話から始めようと……」
ベリトの一言に場の空気が凍ったのがわかる。
明らかに必要のなかった言葉であることを誰もが認知していた。
お前、あの大事な局面で最古の思い出から語ろうとしたのかよ、と颯汰がツッコむ――のを憚れる殺気を正面から感じ取った。
「………………へぇ」
押し黙るしかない。
セレナは民族衣装のポケットから何かを取り出す。徐に取り出したのは砥石のようだ。それを机の上に置き、さらに左脚部のベルトで縛っていた鞘からナイフを抜き放ち、刀身を研ぎ始めた。
「どうして今そんな余計なこと言ったの? どうしてずっと、ちょっとしたサスペンス展開なの……?」
困惑する颯汰にさらなる恐怖が襲う。
「いやぁ、俺も苦しかったから。マイハニーにも同じように嫉妬して苦しんで欲しかったんで……」
「サイコか貴様」
底知れぬ恐怖を感じて颯汰は椅子に座りながら引こうと背もたれに身を着ける。
この空気どうすんだ、と心の中で呟きながらレライエが髪を掻き上げるように右手で触れた。
長いようで短い沈黙が流れる。
それを打ち破ったのは颯汰であった。
「少し、いいですか――」
颯汰が挙手をしながら本題に戻すついでに、切り出すかどうか迷った末に本心を語る。
「――俺が戦えないと言ったら?」
「へ?」「む?」
情けない声をあげるは対面のベリトと、ファラスが反応を示し、セレナの手も止まる。
颯汰は、自分が戦えないから弱腰になっている部分もあるのだろう、と自認しつつ、平和に事が進むならそれに越したことはないという考えであった。
「これ以上の流血を望まない、人質を解放してくれるならば俺たちはアンバードから出て行ってもいいって考えている。それに――」
颯汰は続けて、『自身が戦えない状態であること』『王位に興味がないこと』についても打ち明けようとしていたのだが、思っていたのと異なる反応がでた。
「――いやぁ無理っすよ」
「えっ」
無理とは一体……?
肩をすくめるようにするベリトの隣ではセレナが腕を組んで肯いていた。
外套で隠していた機能不全を起こしている右腕部分を見せようと、左手で被っているところを掴んでいた颯汰の手が離れる。
後方から近づいてきたファラスが言う。
「我が神、お聞きください。彼奴らの狙いは――不遜にも、神の命です!!」
この鬼人の狂信者に神じゃないとかツッコんでいても時間の無駄なので、そこを触れることを諦めている。
無理というのは交渉の余地が無いということであった。颯汰の『死』を望んでいる以上、戦いは避けられないということである。
「……なるほど。確かなんですか」
鬼人族のファラスの発言とセレナの同意もあって、颯汰の頭の中で組み立てていた推論が、現実に近づく気配を感じた。
薄っすらと感じていた敵の正体が見えてきた。
「はい。私めが王都から――ッ! ……逃れる際に! 確かにこの耳で聞きました!! おのれバルクード・クレイモスめ……!! ……なんたる、なんたる罰当たりかッ!!」
「本人より怒ってない?」
「陛下の守護を何よりも重んじながら、状況的に撤退しかなかったから……悔しいんだと思う」
ベリトとセレナがヒソヒソと小声で話し合う。
神と崇める颯汰の事となると、この男の様子がおかしくなる。ベリトとセレナも短い付き合いであったが熱の入れようがちょっとおかしいな、とは気づいていた。しかし当人を目の前にすると一層激しくなっていて、あまりの熱量に驚いている。ベリトに関してはだいたい似ているというか同類であるのだが。
「実際、親父殿は気が触れたんでしょうけど、あそこまでアンバード貴族、市民相手に喧伝したあとに引っ込めることは簡単なことじゃねえです。他の二人はわからないですが、親父殿は引っ込みがつかなくなっても、あれだけ言った手前、陛下との交渉を応じるはずがないです。そういう男なんですよ。バルクード・クレイモスは」
ベリト的には父は亡き者になった方が都合がいいのは間違いない。実際に交渉ができるかどうかは会って状況を確認する必要があるだろうが、もし颯汰の予想した“敵”であれば本当に命を奪い合うしか他ない。
「命より、矜持を取る武人ですか。私も自分の命よりも神の命令を取るので気持ちはわかりますが、やはり許せませんね」
「わかるな、自分の命を大切にしてください」
と言った瞬間に仲間たちから一斉に視線が集まったことを察知し、颯汰は目を下に向ける。リズは紅蓮の魔王から、放っておくと勝手に死にに行くから目を離すなと何度か釘を刺されたのを思い出していた。
「……ふむ。見えてきたかも」
机に接するギリギリぐらいまで頭を下げて視線を回避しつつ、颯汰がボソっと呟く。
自身の命を狙われることに慣れるほどに感覚が麻痺しているのもあるが、それ以上に霞んでいたものが明瞭になったことの方に関心の重きを置いていたのであった。




