01 息子
大河“デロスの大口”。
この巨大な淡水の河川では漁のために船が出ているし、大陸間へ行き来するための帆船までもがいる。隣接する村や港までもあるのだ。
大河を越えるために数日は要するが、ヴァーミリアル大陸から河川を渡り切るとそこには永久凍土と名高いアルゲンエウス大陸が広がっている。
アルゲンエウスの巨大帝国であるニヴァリスの交易船も当然行き来しているが、ヴァーミリアル大陸の大国のひとつのアンバードとの直接的なやり取りはしていなかった。
ニヴァリス帝国は他とは違う、特有の文化を持つフォン=ファルガンと旺んにやり取りをしていた。また観光客だけではなく、極寒の地へと渡れるとしてくフォン=ファルガンの修行僧から人気が高まりつつあった。
立花颯汰たちはそれを利用し、偽造書類などを用いてアルゲンエウス大陸へ渡ったことは王都バーレイでも推察されていた。
現在、アンバードは三大貴族によって内乱が勃発し、それも終決しつつあった。バーレイにて三大貴族たちは反対勢力を殆どを排除、瓦解させてしまったのだ。国を掌握した叛徒らの行動は極めて迅速であったと言える。
まずは先々代の国王の血筋にあたる“アンバード五世”パイモン少年を正当な後継者と認めて擁立する――不在である現国王とは異なり、正しき血統にあるとして彼を担ぎ上げたのである。
アンバードは戦争後に疲弊している状況であるにも関わらず、指導者である現国王・立花颯汰がいないこと、国難に対する指導力が欠如していることを指摘し、此度の行動の正当性を――正義を訴えたのである。
戦争後に復興に関して目立った行動を全く取っていなかったことへの反感を覚えた者たちは多かったのだが、三大貴族は水面下で準備を整えていたのであった。
彼らの訴える正当性に揺らぐ者が出てきた。
そこに謀略が加わるのであった。
三大貴族である教会関係者のダリウス・ファルトゥム公爵と、経済面を牛耳る富豪のバルジャ・ウィック公爵は甘言と圧力をもってして、他の貴族たちを仲間へと引き込み始めた。
今こそ『正しき王』を支えるべきであり、従属しないのであれば土地や財産を収奪するとも宣言した。要するにあくどい脅しであるのだが、これがかなり効いていた。
教会のお墨付きの正当後継者が、今こそ国を取り戻し、今度こそアンバードという大国を安定させる――というのが単純な筋書きではあるが、国を二分させるには充分な説得力を有していた。
それでも反抗するものは、軍事力にて制圧する。三大貴族の、かつて名をはせた猛将たるバルクード・クレイモス公爵が打って出たのだ。
高齢となり、身体もロクに動けなくなったという話は嘘だったのだろうといえるほど、全身を鎧うクレイモス公の強さはまさに一騎当千と呼べるほどに凄まじいものがあった。
アンバードの各騎士団も反抗し、激化した内乱であったが、不可思議なほどに力を見せつけた武人・クレイモス公により、他の貴族たちも降伏を選択せざるを得なくなったのだ。
結局、最後にモノをいうのは“暴力”だ。
壊滅していた近衛騎士、防御に特化した守衛騎士団である第一、第二騎士団の残党。優れた騎乗技術を有する騎馬隊、戦争時はイグナイト隊と任命された第四騎士団。先陣を切って戦う、サブナックが率いる第五騎士団。獣刃族雪の民で構成された少数精鋭の高機動部隊であり、女傑・マルコシアスが団長の第六騎士団。
彼らは今や三大貴族の味方である。
何も全員が納得して懐柔されたわけではない。自身の家や土地、領地に住まう人々を守るために屈した者たちもいた。
自分たちの正当性を主張したからには、宣言通りこれまでと打って変わって国力の回復に動き出した。加えて未だ燻る反対勢力の監視と、もっとも脅威となるであろう現国王への対策として、彼側にいる人間を次々に拘束し牢へと幽閉もしていたのであった。敵への備えだ。いざとなったらコレらが人質として機能する。
自分たちの国は異世界から生じた“異物”などではなく、この時代の人間のものであり、我々は徹底的に抗戦して“人間”の勝利を勝ち取ろう、と聴こえのいい言葉を掲げてはいたものの、綺麗事だけで戦争は勝てやしないのだ。
だから人質も取るし、敵が入港するであろう――出立した場所でもあるフォン=ファルガンの港へ間者を送り込んでいた。
騎士団程度であれば、今のクレイモス公一人でどうにでもなるが、今度の敵はそうもいかない。単純な戦力として一度国を支配した怪物たる“迅雷の魔王”を討ち取ったさらなる化け物が相手なのだから、すぐに仕掛けるような愚策はとらない。敵である現国王たちがどういった行動を取るかを知るため・予想するためにも、また相手から早々に選択肢を奪うためにあえて『人質を取った』という事実を伝えるようと考えていたのだ。おそらく吹き込んだ間者は殺されるだろうが、そうなってもいい人材を選んだため三大貴族にとって大した痛手とならない。
それに首謀者側のバルクード・クレイモス以外のものたちは、颯汰一行が内乱が起きたこと自体も知らないのだろう、と高を括っている。敵の思考の鈍化をはかり、身動きを封じる狙いがあって、混乱に乗じて倒せればいいとして、かなりの数の兵を用意して帰還時に通るであろうルートに潜伏させていた。
……ということを既に読んでいた颯汰一行は船が港に着く前に、小舟にて離脱して上陸していた。
人目に付かぬようひっそりと進み、川の流れに任せつつ移動して漂着する。敵も状況を知るには少しかかるだろう。これで時間を少し稼げる。
断崖を紅蓮の魔王の魔法で昇り、ひょっこりと顔を出して周囲を観察する。安全を確認後に全員が登り切った。
崖の岩肌の先には荒地が広がっている。雪や氷などが見受けられず、帰ってきたのだなという感情が子どもたちの中で芽生えていた。
「それで、これからどうするんです坊ちゃん」
頭を掻きながらレライエが一言。
「付近の村や町で情報収集をしたいところですケド……厳戒態勢を敷かれていたら面倒だな」
紅蓮の魔王の使い魔から得た情報も完全ではなかった。敵が結局貴族三人が結託し、騎士団のほとんどが敵に回ったという事実は知れたものの、肝心な情報は不足していたのだ。
敵の待ち伏せを予見し、流れ着いたわけであるが情報として得ているものが少ない。
都市部であれば情報も得やすいが、だからこそそこを張っている可能性もある。
「それに宿も必要だ。さすがに娘たちに野宿をさせるわけにもいくまい」
「そうですね。アルゲンエウスと違って寒さで死ぬことはないが、色々とリスクは付きまといますし。……ここからだと西へ登るより、川に沿って東に進みますか」
「コーラルという集落があったはずだな」
一旦そこへ落ち着いてから行動を起こすべきだろうと一同は移動し始めた。
しばらく進んでから件の集落が見えてきた。
茅葺屋根の家々が並ぶ規模の大きくない集落。畑もありここで生産した野菜、漁や狩猟した魚類や肉類を商人たちと取引しているようだ。
武装した集団が入ってくる分にはあまりいい顔しない住民たちも、巡礼者であれば害を成さないであろうと柔和な態度を取ってくれる。フォン=ファルガンでも活躍したローブを深く被った巡礼者のふりが通じたのだ。
――……ありがたいケド、もうちょっと用心した方がいいんじゃないかな
集落の長は銀の髭を蓄えた魔人族の高齢の方が物腰柔らかであり、その反動か娘らしき恰幅のいい肝っ玉母さんで誰もかれも引っ張っていくような印象がある。そんな話好き噂好きを加えたのだが、ここは首都から離れた集落であり、内乱後のバーレイの様子などについて特に目ぼしい情報は得られなかった。ただ気前がよくて寝食の心配はなくなったのが颯汰たちにとって非常に助かるものであった。颯汰は右腕の再生に力を注いでいるため、戦闘もなるべくして避けたいし休めるだけ休んでいたかった。
立花颯汰少年は、一息つけると油断したときこそ何かが起こるとはいい加減学習していたが、それが定められたものであることを断じて認めようとはしなかった。
藁であろうとベッドがあるだけありがたいと思いながら、先んじて休もうとしたところに外が騒がしくなったのである。
「……なんだ?」
上体を起こし、壁越しに外の様子を窺うように聞き耳を立てる。アスタルテとヒルデブルクが騒いでいるなら無視して寝入ろうと思ったが、どうやら住民の声に加え、聞き覚えのある太い声。
「我が神を! お迎えに! 馳せ参じたのである!!」
石壁などの建築物ではないとはいえ、ビリビリと痺れるような大声が室内まで伝わる。
「………………うわぁ」
そう呟いて一度横になって目を閉じた颯汰。しかし現実逃避をしても声だけは大いに響く。
「拡声器でも使ってんのか」
そんなわけもなく仕方がないので外にでる。
客が泊まるための空き家から颯汰が出た途端、ため息が勝手に口から吐かれてしまった。
後ろ姿でもわかる。
住民が警戒態勢で臨む相手は鬼人族の大男。
颯汰の視線に一秒も満たない時間で気づき、振り返るは、立花颯汰を神と崇める異常者ファラスであった。
『キェエエエエエエエ!! ――ウェエエエァエッ!!』
もはや言葉になっていない叫びであった。
他人への恐怖心があるゆえに人間観察を続けていた少年は、普段は対面してる相手へ、特に嫌悪の感情を悟られぬよう努めていたのだが、ここばかりは辟易したような嫌な顔をする。
長身を超えた大男がスライディング土下座をする光景は、人々からも奇異の目で見られる。
「おぉ、我が神! お久しう――」
「――声量を落とせ。敵に勘づかれる!」
敵対者以外でここまで辛辣な物言いになるのも致し方がない。神の言葉に震え、土下座の姿勢のまま固まる。それだけではなく、そのままの姿勢を保ちつつそっとナイフを差し出してきた。
「……どうか罰を」
「こんなところで流血沙汰なんてアホですかアンタは」
彼の今までの言動から、命じれば即刻腹を切るタイプの狂信者である。集落にこれ以上は迷惑をかけられないとして、仲間たちと集合して移動を始める。自身の正体を明かし、住民たちに金を握らせ、今日のことをすべて内密にすれば一年間の租税を免除すると約束して集落を出る。
颯汰一行に加え、ファラスを含めて六人が合流して状況の確認を始める。鬼人のファラス以外はメットを被り鎧を着こんでいて結構な重装備であった。
集落を避けたのは彼らに今後の動向を聞かれる危険性があるためだ。いくら金を渡したとはいえ絶対に約束を守るとは言い切れない。
少し離れた地点で男が颯汰の方へ、畏むよう自身の両手を揉むようにすり合わせながら近づいてきた。
「我々は新王である貴方様を支持しています。三大貴族に逐われ、どうにか生き延びることができました。フォン=ファルガンとロートを避けたのは、さすが懸命な判断でございます。あそこは既に敵の手に落ちております」
知らぬ顔の騎士が語る。
斧を象った紋章が胸元にあるため、この騎士こそ本来の第九騎士団なのだろう。
先代の狂王たる迅雷の魔王が嫌がらせなのかきまぐれなのか、城塞都市ロートを拠点として北部を警備していた第九騎士団は南東へ派遣されていた。ヴェルミとの戦争が終わって帰還中に凶暴化した亜人種のゴブリンやコボルトなどから次々と襲撃を受けて壊滅的な被害を受けたのだ。死人がでなかったのが奇跡に等しい。
今、城塞都市ロートにいるのは第九騎士団ではない。颯汰たちがフォン=ファルガンから経由してくるであろうと罠を張っていた――三大貴族の軍門に下った、どこぞの貴族の私兵やら傭兵たちが待ち伏せしていたのである。
「(ふぅん……)」
颯汰は心の中で零し、今は情報集めるのが先だとして話を聞くことにする。
「ここから南東へ進み、村を経由してボルドーを目指しましょう。あそこに仲間たちが集まっています」
「なるほど。人質が取られているという話ですが、全員が同じ場所ではないのでしょう? 捕まっている場所は把握していますか」
「……いえ、申し訳ございません」
「そうですか」
どこか上の空で素っ気なく応える颯汰に、女性陣たちが違和感を覚えているところに、一人の男が話に加わる。
「ところで陛下」
西洋甲冑の兜のバイザーを上げるのではなく、兜ごと脱いだ。赤毛の青年であった。髪は解けば肩にかからないくらいだが男としては長く、前髪も纏めて紐で縛っていた。戦いの最中で邪魔になるからだろうか。
「状況をお伝えする前ですがどうかこの一介の兵である私の話を聞いていただきたく存じます。まず私の名はベリト。ベリト・クレイモスです」
「「!」」
「首謀者の血縁」
颯汰の静かな呟きに対し、ベリトを名乗る青年は頷きながら答える。
「そうです。バルクード・クレイモスは私の父――ま、正妻の子じゃあないんですけどね」
「おいベリト勝手に――」
「――いや、身元を明かした方が信用されるでしょ。後から俺の産まれが知られたら、それこそ黙ってたのはクレイモス家の人間だからだと言われちゃ、何も言えなくなっちまうんでな」
仮に名乗らずこのまま進めば、どこかで敵方のスパイだと疑われる。ならば先んじて、敵対した理由まで明かして信用を得ようという魂胆であった。
「俺は――……父であるバルクード・クレイモスを倒したいんです」
青年は真っすぐした目で少年王を捉える。
その昏い色の瞳は確かな闘志で燃えていた。




