【外伝】英雄の詩 03
大陸を荒らし巡る厄災の化身たる“鉄蜘蛛”を討伐した英雄ボルヴェルグは、アンバードの国王からの褒美として、出資額を増額させた首都にある孤児院を、改築させました。アンバードでの孤児院は、三女神を崇拝する女神教の教会によって運営されていたそうです。規模としてはそこまで大きくありませんでしたが、それでも重要な施設です。親がいない子供たちを独り立ちするまで支援する立派な役割を担う場所でした。
その孤児院にもよく顔を出していたボルヴェルグは、子どもたちからも人気がありました。多くの子どもたちの目標であり、彼は紛れもなく英雄でした。
そんなアンバードを見限った英雄ボルヴェルグ・グレンデルは、ヴェルミへ亡命するにあたって手土産を用意すべきだと考えてました。ただ単に無許可で国に渡ってこっそり住んでも、ヴェルミの高度な医療を充分に受けられる保証がないためです。症状が緩和されたとはいえ、依然として意識を取り戻さない娘を連れての旅は不可能であると彼は断じ、友の元へ訪ねました。
魔人族は、かつて魔法を操る種族だったのは皆さんはご存じのことでしょうが、なんでも体外魔力が減少した今でも、何かしらの秘術を使えるのだとか。そのボルヴェルグの友は貴族ではありませんが、教会で働く青年だったそうです。彼の元に預けたのは単に人当たりがよく頼れる友人だから、という理由だけではありません。彼は裏では“魔術師”などと呼ばれる人間だったそうで、彼の秘術によってボルヴェルグが置いていった――病で目を覚まさぬ生き残った娘を起こすことはできませんが、その身の安全を保障できるからです。
そうして、英雄ボルヴェルグは隣国へ渡りました。
そこへ立ち塞がるは神々が試練と呼ぶべき苦難の数々です。
病を呪い、運命の糸を紡ぐ女神たちを呪い、止めなかった神々まで恨んだことが天上天下の超常なる神々に届いてしまったのだろうか。彼の前に苦難が幾つも待っていたのです。
されど、偉大なる英雄。
すべて悉く平らげる。
ときには森林――。
怪我した狩人を助けて代わりに魔物を狩り、鉄蜘蛛の幼体まで破壊に成功。
ときには砂漠――。
マルテ王国の尖兵を単騎にて退ける。
ときには漁村――。
襲撃してきた海賊を撃退。
ときには都市――。
宝石泥棒を捕まえて、騎士団に捕まりかける。
ときに農村――。
怪しいカルト教団の生贄に選ばれた子を救出。
ときには仙界――。
現世でいなくなった精霊が逃げ延びたと言われる秘境にて、人攫いの精霊を退治。
ときには――。
魔鏡迷宮を踏破。時間を操る悪魔と邂逅。
などなど。
本人が急いでいるときに限って、誰であろうといやに苦難が降りかかるものです。しかし、ボルヴェルグに焦りはありませんでした。それほどまでに彼は友人の魔術を信用していたのでしょうか。何よりも、こんな試練を意識を失ったままの娘を連れて体験しなかっただけ幸運だったのだと考えました。そんな思いもしなかった回り道によって、彼は“希望”をも得ていました。
事前にヴェルミのマクシミリアン卿と裏で手紙のやり取りをしていた甲斐があって、亡命の成功はほぼ確約していたのです。しかし、王以外の貴族を納得させる必要があります。金品だけでは足りぬと判断したからこその手土産です。復活の証拠となる鉄蜘蛛の情報や回収した幼体の残骸、水質や土壌の変化に伴い周辺の作物や魔物の影響をまとめた調査報告書の提出し、危機を警鐘させます。そのうえで鉄蜘蛛を討った宝剣を王国に献上することで自身を売り込み、ヴェルミのエルフの貴族たちに自身の必要性を訴えることにしたのです。もちろん敵対国であるアンバードの、魔人族の将軍が国に来ることに反対する者たちはいました。しかし、こうしてボルヴェルグが数々の問題を解決したことで、盤石なものとなっていました。表立って批判するには余程の無恥でない限り、彼の功績を無視できないものとなっていたのです。
冒険王者ボルヴェルグ。
ヴェルミ国王と謁見し、ヴェルミ国民となる。
ウィルフレッド王との謁見を経て、ボルヴェルグは晴れてヴェルミの国民となれましたが、アンバードへ再び向かわないといけません。以前にマクシミリアン卿が保護した優れた医師に会い、娘の症状を伝えて薬を頂き、急いで戻ります。そんなときに、良からぬ情報を得てしまいます。
『魔王が、アンバード国王を殺害した』
…………。
御伽噺の類い、ある種の寝物語として語り継がれた存在である“魔王”。
母国から暗号化された文書を読み、ボルヴェルグは小さく、こう零したと言います。
『悪ふざけにしてはあまりに趣味が悪い』、と。
娘を連れてヴェルミに移住するだけならば、どうにかなったかもしれません。
魔王の正体が孤児院出身者であり、戦闘技術を教え込んだ弟子の一人であった鬼人族とエルフの血を引く男が悪魔になったのだという手記に半信半疑でした。
さらに急いで戻る必要性が生じたのです。
仮に偽の情報であれば、おそらく貴族たちの入れ知恵がどこかしらに介入しているであろうから制裁(物理)を科す必要があり、もしも真実であった場合……――止められるのは、自分だけであるとボルヴェルグは考えました。
ヴェルミ各地に出た“鉄蜘蛛”復活の噂もほんの少しばかり流れましたが、そのあとに出てくるもっと大きな災害――“魔王”の復活という真実と、轟く残虐性によって掻き消されてしまいます。
後に狂王、暗愚王と称される迅雷の魔王。
かつて心優しき青年だった男が、ヴァーミリアル大陸中を震撼させる災害となるとはボルヴェルグは思いもしなかったことでしょう。
侵入してきたルートを辿り、アンバードへ戻ります。(※一説によると辺境からマルテ王国の領土ギリギリの砂漠を越えだとか。現在は使えないと思われます)
彼は愛馬と共にアンバード領内を邁進していきました。首都バーレイに近づけば近づくほど、迅雷の魔王の悪政の噂が増えていきます。
その凄まじい力に任せた暴虐な行いで、反対勢力を粛清していたのです。迅雷の魔王が個人的に気に入らないと断じた者を反逆者と認定し、処刑していったのです。花と水の都たるバーレイは、あっという間に血に染まっていきました。
日に日に耳にする噂話の苛烈さが増していく中、伝説に聞く魔王が現実に現れたのだ、ボルヴェルグ・グレンデルは確信に至るようになります。
とある潰された村。
何百もの殺された人間が見せしめとして磔になっていたり、死体を串刺しにして粗雑に並べられていたりしていたのです。
その凄惨な光景に、漂う腐臭にボルヴェルグは心を痛めました。
傭兵として、騎士として他者の命を奪う機会が人よりも多い彼であっても、ただの村人でさえ虐殺されたうえに死骸まで辱めにあったとなれば、思うところがあるのは当然でしょう。
しかし、その直後に衝撃が奔ります。
それは、壊滅した村から見えました。
晴れた空を覆う、招来した黒雲。
放たれるは絶望の光。
城塞都市に突き刺さったのは雷の巨剣でした。
自然現象ではないことは明白なそれは、迅雷の魔王が落とした魔法です。これによって反抗していた軍勢は降伏しました。
抵抗など虚しく殺されます。ただ殺されるだけではなく、耳を両手で塞ぎたくなるような悍ましい内容の拷問が課せられる場合もあったのだとか。災害に対し人間は戦うことはできません。精々、平伏して祈りを捧げることぐらいでしょう。
それは人の子である限り、英雄とて同じことのはずでした。
英雄ボルヴェルグ・グレンデル。
されどその目に諦観など無い。
首都に戻ったボルヴェルグは、愛馬と剣をあえて手放しました。貴族の一員となり、騎士団のひとつを任せられるまでになった英雄は、指名手配犯となっていたのです。度重なる命令違反や国外への亡命を画策した件ではなく、祖父であるグレンデル候、及び他三名殺害の容疑をかけられていたのです。
武器を一切携帯せず、弟子のいる王城に向かいます。自棄っぱちになったからではありません。衛兵に止められ拘束されてもなお、彼は抵抗しませんでした。
ボルヴェルグは玉座の前に連れていかれました。それこそボルヴェルグの狙いであり、暴力で王となった弟子と、対話を試みたのです。
不可能と思われたことを可能に変えるのもまた、英雄と称されるものたちです。
手が後ろで縛られ、武器すらもっていないボルヴェルグは、変わらず昔馴染みの接し方で弟子に声をかけます。その物言いに肝を冷やしたのは彼ら以外の者たちでしょう。
いくつかの問答を互いに交わし、意外にも迅雷の魔王はボルヴェルグの罪を許したのです。
迅雷の魔王自身も、気に食わない連中と従わないものたちを殺してきたからこそ、本気でボルヴェルグを誅するつもりは無かったのです。それに殺害についても証拠はなく、迅雷の魔王か三大貴族の命令によって手を下されたとも言われております。
ただ、王者が簡単に罪人を許しては他者に示しがつかないという建前で条件が加えられました。
『亡命して忠誠を誓うふりをして、ヴェルミの国王を殺せ』
『殺害に成功したあとのことは任せろよ師匠。あんたを殺そうとするエルフどもを皆殺しにしてやるからよぉ』
魔王であれば容易に果たせることを、あえて師を使ってやろうとしたのです。
もう、そこには弟子の姿はありません。あまりに変わり果てた簒奪者、憎悪によってか前世の記憶のせいか、倒錯してしまった狂王が目の前にいたのです。声は同じで顔つきも似ている、別の生き物に変わってしまったとボルヴェルグは確信しました。ボルヴェルグは酷く悲しい顔を見せたといいます。
『お前はもう、人間じゃないんだな』
失望に満ちた言葉は、暴虐で暗愚なる王にとって煮えた油と同じはずでした。迅雷の魔王が怒りで動き出す前に、ボルヴェルグは自力で拘束を解き、魔王を襲います。
英雄ボルヴェルグ・グレンデル。
師としてのケジメをつけるべく、拳を振るう。
聞き耳を立てていた兵士が騒ぎに気付き、少し間を空けてから入ってきました。常であれば凄惨な姿の遺体が横たわっていて、それの処理を命じられる場面でした。
だが、今回ばかりは事情が違います。
それは一見すると、鏡写しの演舞。
英雄ボルヴェルグと迅雷の魔王が殴り合いをしていたのです。
武器を使わずしても人体を軽々と粉砕する化け物と、渡り合っている英雄もまた人の器から外れた存在と言えないこともないのでしょう。それでも怪物との違いは、英雄と呼ばれるだけの矜持と正義感の有無なのです。
鍛え抜かれた肉体から放たれる鉄拳と足蹴が互いの肉と魂を削り合い、命の取り合いをしているというのに心を通わせる――攻撃の応酬による対話を続けていました。ある種の武人が辿り着くと言われた境地に、彼らは至っていたのです。
空を切る音と鉄塊をぶつけ合うような音が響く異様な空間で、誰一人として他者が付け入る隙がなかったのです。仮に止めに入った場合巻き込まれて死ぬか、機嫌を損ねた新王に殺されてしまいます。
だが終わりのないものはありません。
互いに血も汗も流れていますが、明らかにボルヴェルグの方が多いのでした。いくら師事をしたから動きが読めるとはいえ、魔王と違って体力は無尽蔵ではありません。
動きのキレをなくしたボルヴェルグが一気に劣勢となりました。
好機と判断した迅雷の魔王が一気に畳みかけに動きました。
岩をも砕く正拳突きが、ボルヴェルグの肉体を破裂、四散させるかに思えたところ――、
一瞬でも気を緩めば絶命するという極限の状況にて、ボルヴェルグはあえて隙を作って攻撃を誘ったのです。
拳を掻い潜り、カウンターとして拳を顔面に叩き込む!
顎を捉えた一撃は頭部全体に行きわたり、頭蓋骨内の脳を揺らし、人間であれば意識が混濁して判断力の低下、頭痛や目眩い、吐き気、気絶する場合もあります。
しかし、その一撃を受けながら魔王は不敵に笑んだといいます。直後、気を失ったのはボルヴェルグの方でした。魔王に触れた自身の拳から電撃が伝い、感電してしまったのです。戦いが終わった後、迅雷の魔王は興味なさげに、気を失った師を牢へと運べと部下たちに命じました。
そして数日後、
ボルヴェルグ・グレンデルは処刑されました。
英雄の死を以ってして、アンバード領内で魔王に反対する勢力が、完全に消滅しました。
それでも、英雄は遺したものがあったのです。
その“希望”が魔王を打ち砕くと信じ、いくつも種を植えていたのです。他にも布石はあった中で、悪しき転生者の喉元を食い破る『受け継ぐ者』が生まれました。
あぁ、英雄ボルヴェルグ・グレンデル。
悲劇と絶望に沈む大陸で、
誰よりも戦い抜いた偉大なる英雄よ――。
風は止み、旅路の果て、
非業なる死を迎えた勝利者よ。
守り抜き、遠き空に瞬く星々は、
白銀の光となりて地を照らし、悪夢を断たん。
ゆえに安らかに眠れ、偉大なる英雄よ。
其方の武勇と誇りは永遠なり――。
夜が更けていく酒場にて。
悲劇の詩から転じ、次の希望を示唆する詩を語った吟遊詩人の青年が去ったあと。
再び喧騒を取り戻した酒場から、あとを追う影がひとつ。
夜の路地は暗く、月明かりもなければ歩くことさえ難しい。目抜き通り以外では明かりは必須だ。
そこへキラリと光る刃が抜かれた。
青年の背後を取り、そっと近づこうとした者が手にしていたのはナイフであった。
呼吸を整え、緊張を制し、いざいかんとしたところで、
「やめとけボウズ。あの吟遊詩人なんか金なんてもってねえざ」
その怪しい動きに気づいて尾行の尾行をしていた男が少年を呼び止めて続ける。
「昨日は賭けにボロ敗けして、借金してたくらいだぜ」
旅人の外套を羽織り、深く被ったところから覗かせた目でキッと男を睨んだ少年であったが、誤解を解くために言い放つ。
「金銭が目的じゃない。あいつのことを聞きにきたんだ」
「あいつ?」
「英雄ボルヴェルグの子、“銀嶺の王”についてだ。あの様子じゃ詳しそうだったし」
酒に酔っていても、この少年が何かしらの因果を持ち、個人的な恨みを抱いてるとわかった。
「ナイフ持つのは聞く態度としてなっちゃいねえだろ」
厄介事に首を突っ込んじまったかと頭を掻きながら酔っ払いはため息を吐いた。
砂漠の大陸エルドラント。
夜闇に吹く風は非常に冷たく、吐く息は白く染まっていく。
一方で儲けを得た吟遊詩人はホクホクした顔で、自身が狙われてるとは全く気づいていない様子で「今日は賭け事にも勝ったからちょっと贅沢するぞぃ」とご機嫌な独り言を残し、街の中へ溶けて消えていった。




