【外伝】英雄の詩 02
人々が騒いでた酒場はすっかり静まった。
物語を語る吟遊詩人が誘う世界に、すっかり魅了されたようである。
興奮が冷めぬ内に(各々が喋り始める前に)、彼は続きを詩い始める。
弦楽器から奏でられる音のテンポがゆっくりとしたものとなり、深く震えている。哀愁やどこか物寂しさを覚え、心に染み入る音色となった。
吟遊詩人の青年が弾きながら語り始めた。
「だいたい語られる英雄ボルヴェルグの詩は、好敵手であるマクシミリアン卿との死闘や、先の大厄災である“鉄蜘蛛”との戦闘をフィーチャーすることが多いですね。確かに激しくて、胸躍る人気な詩です。ですが、これより語られる詩はその後の悲劇の詩――」
ボルヴェルグ・グレンデル――彼は遂に英雄と称されるようになりました。名も無き傭兵が貴族まで上り詰めることは、そうそうある事ではありません。語り尽せぬほどの苦難を越え、夜空に浮かぶ星の数だけの冒険の果てに――彼は安住の地を得ます。
ボルヴェルグは雇われの用心棒から、魔人族であるフリッグ・グレンデルと婚姻を結び、アンバードの貴族・グレンデル家の一員として認められるようになりました。それどころか、王家と連なる者たちと人民からも人気を得て、信用を得られました。
ヴァーミリアル大陸は再び平穏な日々を迎えることになります。そして時を経て、ボルヴェルグとフリッグの間に子が産まれ、さらに月日は流れます。
ボルヴェルグはアンバードの暮らしにも慣れ、騎士団長としての職務に加え、兵全体の鍛錬を主として任されていました。剣術に槍術、弓術に馬術――他にはサバイバルの知識、魔物に関する知恵なども授けたそうです。他にも孤児院を建てたりしていたそうな。彼は元は孤児であったのです。だから思うところがあったのでしょう。
息子がひとり。双子の娘がふたり。さらにもうひとりが妻フリッグのお腹の中にいました。
傭兵として戦う日々も、狩猟しながら旅を続ける日々も決して嫌だったわけではありませんが――家族という最も大切で、心の中で欲したものを得たボルヴェルグは、これから幸福に満ち足りた人生を歩めるのだと信じていました。
まるで、すべてが順風満帆であったかのように思えました。
まさに幸福の絶頂期――。
突然、彼は悲劇に見舞われる。
それは季節が秋めいていく「命の月」から「風の月」にかけてからのことでした。
涼やかな風が荒地に吹き、枯れた草が擦れる音がカサカサと響く季節。不穏な空気がアンバード国内に流れ始めました。
風に乗って感染症である『黒魔』病が流行しはじめてしまいます。
黒魔病によって全身に黒い斑点が生じ、次第にそれは身体に走る幾つもの線となることから、当時は『黒線病』や『死の病』と呼ばれた不治の病でした。
世界に平等というものは無くとも、「死」とそれに連なる病は――貴族と平民、王族までをも隔てなく襲うのです。
それは英雄の子とて例外ではなく――……。
ボルヴェルグの子どもが、幼くして病魔に侵されてしまいます。いずれグレンデル家を継ぐ長子でありましたが、流行病で亡くなってしまいました。
悲嘆に暮れるボルヴェルグ。
どれほど肉体が強くても、救えぬものもある。
彼は医者と薬を探し、国中を奔走しましたが、わが子を救えることもなく、さらに双子までもが死の国へ連れ去られようとしました。
自分を英雄の座まで引き上げた数多の精霊と神々に対し、感謝の念を忘れたことのないボルヴェルグは、この頃だけ運命の糸を紡ぐ神々とその蛮行を止めなかった万象をも呪ったのだといいます。
そんなある日、ボルヴェルグが旅先の宿にて目を覚ましたとき、金縛りにあったそうです。身体の自由が利かず、さりとて心は落ち着き払っていたボルヴェルグの枕元に、冥府神ガルディエル――その御使いたる邪霊がやってきました。
彼は心の中で目一杯の罵倒の言葉を唱え、己の子をさらに冥府へ導こうとしている邪霊を呪います。
しかし、邪霊は突然そんな酷い言葉を浴びせられるとは思わなかったそうで、心内を読み取ってショックを受けた様子でした。
そんな邪霊でしたが、彼はある役目のために彼の元へ訪れたというのです。
『もうすぐ“鉄蜘蛛”が目を覚ます――』
呪詛を帯びたような低い声で不吉な言の葉を紡ぐ邪霊。動けず言葉も口に出せぬままであったボルヴェルグでしたが、冷や水を頭から被ったように感情に熱されたものが冴えて冷静になります。
『子の病を治したいならヴェルミへ赴くといい。腕のいい医者と薬師がいる』
意外にも親切な邪霊はそう言い残すと、スゥーッと姿を消していたそうです。そうするとボルヴェルグの身体が金縛りから解放され、窓を開けると遠くの朝焼けが見えました。それはヴェルミで見た美しい光景を想起させといいます。そこで、彼はボルヴェルグ家の宝剣を鞘から抜き放ちました。刀身は銀であるが、鍔にある飾りの赤い宝玉から淡く赤い光に発せられました。朝焼けの光を受けた剣から、赤い光の糸が伸びます。それはヴェルミの方角を指し示していました。与太話ではない――邪霊ではなく鉄蜘蛛を討ち果たした剣を信じて彼はヴェルミへ渡ることを決意します。
信託を受けたボルヴェルグ。
病を治す術を求め隣国へ行く。
周囲の反対を押し切り、ボルヴェルグは愛馬と共にヴェルミへと赴きます。
当時、人族が黒魔病に罹らない事から、人族が多く住むヴェルミ側が仕掛けた呪いの類いだと、アンバードの人間に信じられていました。
全身を包帯で隠し、怪我を負った旅人を演じました。そのせいで野盗やゴロツキに目を付けられましたが、そのすべてをねじ伏せて、ヴェルミの村を巡りました。黒魔病を治す術を持つ医者や薬師の名前や所在も彼は知りません。
ただ一つ、黒魔病はヴェルミをも侵略していたという事実が判明しました。安堵したとも見れますが、振り下ろす拳の行方がわからなくなったとも受け取ることができるでしょう。
ボルヴェルグは時折、人気が無いところで剣を抜き、赤い光を辿りました。
光に導かれた先で、鉄蜘蛛の幼体、またその痕跡などが見つかりました。ときには、国王に内緒で残骸を回収していた辺境伯の屋敷で大量発生した幼体を駆除したそうです。が、幼体とはいえ、一ムート(約一メートル)を超える大きさで、他の魔物と違って外皮がかなり硬く、一体でも並みの兵では苦戦する強さです。
鉄蜘蛛駆除で騒ぎとなり、騎士団も合流し、見つかるとまずいため慌ててボルヴェルグはその場を立ち去ります。
肝心の医者や薬師が見つかりません。
ヴェルミでも、黒魔病の対応が後手に回り完璧とは言えない状態だったのです。地方の村では隔離処置をする以外に手だてがなかったのですが、首都に優れた医師がいるとの噂を聞いて、首都ベルンを目指しました。
野盗に落ちたのか騎士団から盗んだものなのか――襲い掛かってきた騎士に隊服を拝借し、ボルヴェルグはベルンへと潜入しました。
しかし、苦難の末に都へ入ったものの、国一番の名医や薬師までも黒魔病に感染したという話を耳にします。途方に暮れるボルヴェルグでしたが立ち止まっている暇はありません。そこへ、王国の騎士団が迫っていたのです。さすがに怪しまれたようで、危機を察知したボルヴェルグはベルンから脱出します。その道中にまさかの再会を果たしたのです。ボルヴェルグの前に現れたのは、好敵手であるマクシミリアン卿でした。
何度も刃を交えた相手であるからあっさりと正体がバレ、さすがに拙いと思ったボルヴェルグでしたがマクシミリアン卿は呼び止めます。どうやら、仕事で首都に訪れたマクシミリアン卿が移送したのが、黒魔病の特効薬を作り出した自称医者だったのです。
偶然にあやかり、薬を手にしたボルヴェルグはマクシミリアン卿と姿を拝むことができなかった医者に感謝して国へと戻ります。ボルヴェルグは鉄蜘蛛の幼体が各地に出現したという話をし、道すがら馬車内でマクシミリアン卿と語り合いました。そうして彼らは隣同士の敵国の将でありながら、裏でコッソリ手紙のやり取りをする仲となったのです。
英雄たるボルヴェルグ・グレンデル。
しかし、残酷な運命が待っていました――。
バーレイに戻ったボルヴェルグの前に、最悪の現実が突きつけられました。
子供たちの病状が悪化し、妻のフリッグまで感染し、していたのです。
息子に続き、妻とその腹の子、双子の片割れが亡くなりました。すでに、彼女たちは焼かれて墓の下に埋められていました。
運よく生き延びた子に薬を飲ませましたが、身体から黒い紋様は消えても、意識を失ってから目を覚ましませんでした。
失意の底に陥る英雄ボルヴェルグ。
それでも、彼は……――。
勝手に国外まで出ていたボルヴェルグは、名目上ではありますが謹慎処分を受けて邸宅で待機していました。しかし、それでも娘が目を覚ましません。次第にやつれていく娘を見て、共に家族の後を追おうとまで考えるようになりました。
そこで彼はとある“密告”を受けます。
匿名による手紙には、恐るべきことが書かれていました。『とある貴族が、グレンデル家に毒を盛った』――それを鵜呑みにするほど愚かではない男ではあるが、あり得ないと否定するほどの冷静さもなかった。
真実を求めるボルヴェルグ。
英雄であった男が見たのは、人間の闇。
自分の家族が、他の貴族に毒を呑まされたという匿名の報告を受け、剣に伸ばした手を――止める。短絡的になってはいけないと判断した彼は、調査を始めました。
結果は、彼が想像していたものより最悪なものでありました。ボルヴェルグは、自分のことを気に食わない貴族の仕業なのだろうとは勘づいてました。
それが、義父であるグレンデル候とは露にも思わなかったことでした。実の娘と、孫にあたる子らに病に乗じて毒を呑ましただけでも悍ましい所業でありますが、娘にトドメを差したのも彼であり、長男を含めて焼き払ったのも彼だった。
ボルヴェルグはグレンデル候を問い詰めました。鬼気迫る表情、今にも殺してしまいそうな剣幕で襟を掴みかかりました。
そこで彼は真実を知ります。
グレンデル候はアンバードを牛耳っていた三大貴族の圧力に屈し、凶行を及びました。またグレンデル候はボルヴェルグに流れる血を知って、自身の孫たちを手にかけたのです。
ボルヴェルグは形こそ魔人族でありましたが混血であり、純血を重んじる古き貴族の価値観からしたら忌むべき存在だったのでした。
…………。
改めて真実を知ったボルヴェルグは、ヴェルミへの亡命を決意します。
アンバードという国を見限ったのです。
犯人も黒幕もわかった今、彼は未だ溢れ出る殺意を懸命に抑えながら再び単身でヴェルミへ渡り、正式にヴェルミに帰属するための手土産として『鉄蜘蛛』が再度現れるという証拠を集めてヴェルミの国王に献上しようと考えました。娘の病気を治すためにも、優れた医師・薬師のいるヴェルミに入国の許可を得てからバーレイへと戻り、生き残ったわが子を連れて行こうと考えたのでしょう。ろくに施設もなく正攻法で入国ができない身のまま、病気である娘を連れて旅をするのは無謀であると経験からの判断でしたが、この選択もまた後悔することになります――……。
「以前別の方から聞いていたものと話が違う? ハハハこれは失礼。詩は口伝するもので、語り部によって、詩う人によってちょっと変わるものなんです。その物語の違いを楽しむのもまた乙なものですよ」
彼らが詩う物語はときに必ずしも真実であるとは限らない。だが神話や英雄譚がそうであるように、何かしらの事実に沿って描かれるものである。




