【外伝】英雄の詩 01
昼の灼熱が過ぎ、夜の荒涼とした風が運ぶ砂がさらさらと音を立てて落ちる。
その都市郊外のうら寂しさを覚える静寂を打ち消すように声が響いた。
酒場にて――。
何か特別な宴が行われているわけではなく、夜にアルコールに呑まれて人々が騒いでいた。
日々のストレスを忘れるためには、アルコールの力を借りる大人は少なくない。それはどこの時空でも異世界でも一緒だ。世の中や社会に希望など存在しないからこそ、それを忘却の彼方へ追いやって今を楽しむのだ。
注がれたばかりの麦酒を飲み干して、大きく息を吐いた男。気持ち良さそうな声と顔の赤らみ。とろんとした目で、ふと捉えたのは――、
「おっ! お前さん吟遊詩人かい? 頼むぜ一つ」
弦楽器を持った旅人の格好をした青年に言う。
声をかけられて青年は微笑みながら肯いてみせた。
飲んでいた酒の入った樽ジョッキを机に置いてから、楽器を取り出す。
「いいぞ! いいぞ!」「やれ、やれ!」
ご機嫌な声が聞こえる中、青年は軽く弦に触れ、調子を確かめがてらちょっとした演奏が始まると、また場が盛り上がる。
吟遊詩人の青年は演奏をしながら言う。
「そうですねぇ……。創世の神々の神話は皆さまも聞き飽きたかもしれませんから――」
「おいおい、罰当たりだぞぉ。アッハッハ!」
「――では、英雄ボルヴェルグのお話でも」
そう言うと、一旦演奏を止める。
すると騒がしかったろくでなしの酒飲み連中までが一斉に静まった。
まるで空間を支配する魔法のように、ピタリと止んだ。
再び喧騒を取り戻す前に、青年は語り始める。
それは、とある英雄の物語。
情熱的な調べに乗せて語られる――。
かつてエルドラント大陸は戦乱の最中にありました。
流れる砂粒すら黄金に輝く大地が、赤黒い血で染まっていたような時代。
そこで傭兵を生業として、多くの戦場を駆けた男がおりました。
その名はボルヴェルグ。
すべてを掻っ攫う嵐の化身。
槍の名手であったそのボルヴェルグは、畏れられたと同時に疏まれていたといいます。
傭兵であれば――昨日、共に戦った仲間が翌日には敵であることはザラにある世の中。金で仕えるということはそういうことなのでしょう。
だがしかし、男はあまりに強く、目立ってしまったようです。同業者からは商売敵であり、いつ文字通りの“敵”になるかわからない。貴族からは地位が揺るがされるとして不穏分子扱いされ、貴族と繋がりのある軍によって暗殺が企てられたという話です。
しかし、恐るべきボルヴェルグ。
すべてを屠る魔の手の持ち主。
ボルヴェルグは殺しに来た軍人たちを返り討ちにし、曙光が覗かせる頃には死体の山が積み重なったそうです。
ボルヴェルグは故郷から離れる決心がつき、友に別れの挨拶をし、出ていきました。
血に濡れたボルヴェルグを友人が見て、永遠の別れだと感じたそうです。悲しいことにそれは現実のものとなりました。
冒険を重ねるボルヴェルグ。
人喰いウマすら乗りこなす。
砂漠を越え、沼地を越え、荒地を越えて、肥沃な大地が迎える。ボルヴェルグは旅を重ねます。諸国を巡っていた彼は安住の地を求めていました。
ボルヴェルグが訪れたころのヴァーミリアル大陸は実は、比較的穏やかな地域でした。
特に、変装して訪れたヴェルミの自然の豊かさには、大変心が打たれたようです。
『いつかここに住めたら……』
魔人族の血を引く彼は、そんな願いは叶いっこないと自嘲気味に笑います。
幼い頃から傭兵として育った彼に、戦いは避けられない性分ではあるが、それでも静かに家族と暮らす事こそが人生の最大の目標だったのです。
夢を見るボルヴェルグ。
人恋しさを連れてさ迷い続ける。
彼もまた、一人の“人間”だったのです。
そして――時が過ぎ、彼は旅の途中に野盗たちに襲われている馬車を見つけました。
一人で生きる術を身につけたとしても、やはり旅には路銀が必要なのです。
ボルヴェルグは野盗たちを追い払い、そこで運命の出会いを果たします。
アンバードの貴族であるグレンデル候とその娘が乗っていました。
深い恩義を感じたグレンデル候は彼をまず用心棒として迎えます。
用心棒のボルヴェルグ。
ここから彼の運命は加速していく。
しかし、やはりどの時代・どの場所であろうと、新参者を軽んじる者が出てきます。
そこを実力でねじ伏せるのがボルヴェルグという男なのでした。
卓越した戦闘技術を持ち、一人で生きるために得た知識と経験の深さ、さらに人当たりの良さと善良な精神が評価されたのでした。
グレンデル候に気に入られ、さらにその時のアンバードの国王にも気に入られたそうです。
そして月日が流れ、ボルヴェルグはいつしか第五騎士団の長まで昇り詰めました。
流れ者が騎士団長に任命されるのは異例なことでしょう。そして彼は、婿養子としてグレンデル家に受け入れられました。
ボルヴェルグ・グレンデル。
数々の伝説を残した偉大なる騎士。
そんな彼を英雄とたらしめる事件が起きます。
“巨神の再来”と呼ばれる『鉄蜘蛛』が暴れ出しました。
その巨大なモンスターはベルデガウル大陸、あるいはカエシウルム大陸から来たと言われておりますが実のところ定かではありません。失われたガラジード大陸から這い出たと話す語り部もいます。
ともかく、鉄蜘蛛は凄まじい速度で様々な大陸を荒らしていました。滅んだ町も一つや二つではききません。国までも崩す巨怪は二十ムートを超える大きさで、人や建物を破壊していく様は多くの人民の心に傷を深くつけました。
そして――捕食するため獲物を探しているようではなく、無秩序に破壊を繰り返していた姿から厄災とまで呼ばれた鉄蜘蛛が、遂にヴァーミリアル大陸にまで現れたのです。
大国同士、睨み合いを利かせていたヴェルミとアンバードでありましたが、来たるべき大厄災に対して協定を結んだと言います。
ボルヴェルグ・グレンデルは好敵手であるヴェルミの“剣狂”マクシミリアンと手を組んで鉄蜘蛛討伐に乗り出しました。
しかし、鉄蜘蛛はその名に通りに堅牢なモンスターでした。ボルヴェルグの槍もマクシミリアンの剣も通さなかったのです。だから誰もが、他に被害を受けた大陸の豪傑たちも、鉄蜘蛛を止めることができなかった。――その日までは。
各国の何千もの仲間たちが足止めをしている内に、その巨体の背に乗ったボルヴェルグは槍を突き立てましたが、やはり通しません。
しかし、そこで奇跡が起きます。
グレンデル家のお守りとして渡され、腰に帯びた錆びて抜けなかった剣が光り始めたのです。
多くの犠牲を嘆いた神々が、剣に宿った力を呼び覚ましたのでしょう。
抜くことがかなわなかった剣は、かつて天上の精霊が造り、冥府の神々が鍛え上げたものだと言います。
一度、剣を抜いて放つ。
雷光の如き一閃は、鉄蜘蛛の背から胴にかけて切り裂きました。
ボルヴェルグは神々に感謝の言葉を捧げました。剣に祈り、掲げると、切っ先は雲まで届き大地を引き裂く刃となりました。
都市をも、大陸をも薙ぎ払う霊剣を以って、ボルヴェルグは瞬く間にもう一振りします。
滅びをもたらす災いの巨怪を鎮める一太刀。
耳に残る甲高い音が響き、鉄蜘蛛は四つに切り別れました。
誰一人として止められなかった鉄蜘蛛を討ったボルヴェルグ。そうしてアンバードは、ひいてはヴェルミ、ヴァーミリアル大陸、いいえ世界中を救ったに相違ない彼を、人々は“英雄”と褒め称えました。
そうして時は過ぎ、子にも恵まれたボルヴェルグはアンバード貴族として正式に迎えられ、誰もが認める英雄となりました……とさ。
弦が震え、間延びした音が途絶える。
人々が息を呑んだのは、以前に聞いたことのある英雄ボルヴェルグの詩より幾分か省略されたものであり、まだ知らぬ続きが語られると気づいたから、だろうか。
それともまだ酔っているのか、青年の語りに引き込まれたままなのか。
青年は聞き手たちが現実に引き戻される前に、再び演奏を始める。
それはどこか寂しさを感じる調べであった。
「さて、英雄ボルヴェルグの詩もこの部分までは有名ですね。しかしその後の彼がどうなったのか、皆さんはウワサ程度でしか聞いていないかと思います。――……ここから先は悲劇と希望の詩」
救世の英雄ボルヴェルグ。
すべての歯車が狂い始める――。




