159 毒虫
遡ること、立花颯汰御一行がニヴァリス帝国領内の港町アルジャーに着いた頃合い。
颯汰たちが冒険を繰り広げながら北上していったその中、一方でアンバードの王都バーレイ内は慌しかった。
戦争の傷跡――否、ある意味での自傷の痕が生々しく残っていて、復興には資材や人材だけではなく、かなりの時間が要すると思われる。
アンバードはヴァーミリアル大陸の西側の荒廃した地域にある。東のヴェルミの豊かさが異常の領域に両の足を突っ込んでいる状態であるのだが、それにしてもアンバードは荒地であり作物が育ちにくい環境であった。
代わりに鉱山が多数あり、それを他国へ輸出し自国で生産する食糧の足しにしていた。
戦争により多くの命を失ったとはつまり、働く人手も失ったのと同じである。
東にあるヴェルミを妬み、恨み続けて武器を研ぎ続けたアンバード。
戦闘訓練を重ねていた騎士団たちもいたが、戦争に駆り出された多くは各村々や町から徴兵された者たちだ。普段は鍬などの農具しか扱わない者が槍を持たされたり、鉱山資源を獲得するためにつるはしを持っていた鉱夫が輸卒として戦地を進んでいったりしていたのである。豊かな東の大国であるヴェルミと比べて人員もまるで足りていなかった。
さらに致命的な問題となるのは、その戦力を補填するために禁忌の技術に手を染めたことにある。結果が、現在の首都バーレイの姿であるのだが、先代国王として君臨した簒奪者がすべて悪いとも言い難……くもあるようでないような………………いいや、迅雷の魔王は影に隠れた邪悪な勢力によって狂化していたとはいえ、魔王がこの体たらくという点に限っては『最悪』と言いざるを得ないだろう。つまりあいつも悪い。
迅雷の魔王が暴走した後、その残り滓――呪詛の塊たる黒泥もまた暴走を始める。
黒泥の開発者であるロイド博士は終戦後には既に姿を消していたため、正しい対処の方法がわからなかったのだ。
下手に動かそうとすると泥が独りでに動き出し、死傷者が生まれる。ただそこにあるだけで空気も汚染されていく呪物の存在が、結果としてどの戦場よりも首都バーレイを深く傷つけたのである。
美しかった景観は崩され、死と焦げた臭いが充満する瓦礫の山々。家屋が焼け落ち、街を巡る河川は汚染されている。侵攻を防ぐ囲いとなる防壁の修繕はわりと早期に完了したが、人の心を折るほどの深刻さがあった。
黒泥の暴走により、王都を護る任に就いていた騎士たちが多勢が亡くなったのだ。元より迅雷の魔王がアンバードを支配する際に解体された騎士団はいくつかあったが、さらに王都を護る騎士たちが斃れたという訃報には、民たちが絶望することとなる。
第一、第二騎士団は騎士団長が死亡、部隊も壊滅的な打撃を受けて事実上の解体が決まったも同然であった。
第三騎士団は騎士団長カラビアが泥の触手から、その身を挺して子どもを護り、重傷を負ってしまう。第一から第三の騎士団は守衛騎士と呼ばれ、交代で首都の警ら等の仕事もやっていたため知名度も高く、特に第三騎士団は王都内での人気が高かった。
異常を察知した第五、第六騎士団長であるサブナックとマルコシアスの介入により第三騎士団は全滅を免れたが、死傷者は増え続けた。
復興するにも人手と資材がまるで足りていなかったアンバードであるが、そこへ光が差す。
ヴェルミが、戦争を仕掛けた国へ支援を開始した。
奇妙に映るがこれは颯汰がヴェルミの現国王クラィディムとの盟約により、便宜を図ってもらった結果だ。
望まず王に仕立て上げられた、と不満を常に漏らしていた立花颯汰であったが、それなりに仕事はしていたのである。
国境であるエリュトロン山脈にトンネルを開通させ、交通を整備させ、ヴェルミから様々な物やヒトが流れ込んだ。
食料や建築物資、布地や薬草の数々――。
建築士に薬剤師、救護支援者なども多数がやってきた。勿論、護衛のために戦える者もいる。
貿易で他国からものを取り寄せるよりも早く、さらにコストもあまりかからずに復興支援が始まった。やってきてくれた人物たちの気前の良さもあり、颯汰たちが想像するよりもずっと早く作業が進んでいく。
ある程度の指揮系統が定まってきて後を任せるようになって、颯汰たちは動く。黒泥周辺に近づかないように布令を出し、黒泥に関して調査を進めていた。
核さえ見つけて破壊さえすれば泥は自壊すると颯汰は知っていたが、颯汰や魔王、リズが近づいたときだけは動き出さない、むしろ停止するという徹底ぶりを見せつけられたのだ。底知れぬ悪意に、颯汰はひどく憤った。
泥自体の質量の大きさから、処理にも困ったうえ、そのままどこかに投げ捨てても危険だと判断し、一ヵ所に集めることもしないで現状維持というカタチで落ち着かせたのであった。
また、魔王の焔火で一気に焼き尽くせないかと思ったが、黒泥の反応が予想できなかったため見送られた。ただ黙って燃え尽きてくれるならばいいが、悪辣な兵器であるため油断ならない。仮に爆ぜてしまって汚染域が拡大、火が付いたまま建物に燃え移っては非常に危険である。
堪忍袋の緒が切れるどころか堪忍袋が爆発しそうになった颯汰は、陰に隠れて嘲笑う勢力を徹底的に排除することを決意する。ゆえにニヴァリス帝国へ不法入国を決行し、霊山にいる四大龍帝の一柱のもとへ急いだのだ。
そうして留守にしてしまった中、不穏な動きがあったのである。
ひとりの来訪者がきた事がはじまりであった。
何食わぬ顔で、邪悪なモノがアンバードの首都たるバーレイに侵入した。
「やっと、着いたか……」
一人のエルフの少年が疲れた顔をする。
慣れない陸路の旅であったが、何もすべてが悪いことだらけではなかった。というか、馬車の中は手狭であったが、悪い思いは一切しなかった。
彼には使命があった――。
ヴェルミの港町であるカルマンからやってきた彼は、クラィディム国王の書状を手にし、アンバードの“魔王”への謁見を求めたのである。
揺られる馬車から降りた少年は、身綺麗な恰好ではあったが、他国であまりに派手に着飾るのは止した方がいいという同行者のアドバイスに従い、好んで着ていた藍色の服も少し暗く、飾りも減らして落ち着かせてはいた。だが彼がヴェルミの貴族であることは明白であった。
少年――いや精神も青年となりつつある彼は緊張した面持ちであった。
自国の権威を見せつけるより、現国王の友である魔王に“依頼”したいことがあったのだ。
「緊張してる?」
そんな彼に気安く声をかけたのは、見た目だけは何歳か年上の、まだ少女とも呼べる存在。
「べ、べつに、そんなこと……」
素朴なブラウンカラーのドレス。彼女は庶民であるが一応着飾らせる必要があったと見える。
彼女は謁見にまで同行させるつもりは無かったが、自分と一緒に行かせるとあってはそれなりの格好をしてほしい、と選ばせた服であった。
居酒屋の看板娘としての仕事着もとても似合っていて素敵ではあるが、これはこれとしてアリだなと青年は考える。
「なぁに? ジロジロ見て? 似合う?」
「ち、ちが……ジロジロは見てない! 似合、うのは……そりゃ、まぁ……、……。ただ、昔と違って元気になったなって思っただけ」
人族の少女が、顔ごと背けているエルフの少年の姿に笑む。
元は病弱な方であったが、今は随分と活発であり若干小悪魔っぽい振る舞いを見せるようになった。
かつては背丈も自分と同じか低いくらいであって、自分も伸びたというのに、人族の成長は早くて今では目線が若干だけ上になる。※彼女の身長は決して高すぎるわけではない。
「フィリーネ、わかっているとは思うけど勝手にあっちこっち行くなよ?」
「えぇー? 私は自分の意思でアンバードの支援活動に参加したいって言って、キミが勝手についてきたんでしょ。ニコラスくん」
「くんは止めろって。……こっちは陛下の書状を預かっているんだ。それを自覚し――」
「――そうやって理由をつけてでも付いてくるんだから~☆」
「ぐっ……」
否定ができない部分が大いにある。
実際、カルマンを治める貴族の子であるニコラスは、彼女のアンバード行きをはじめは認めようとしなかった。
「でも、陛下のお願いでも聞いてくれるかな? 魔王様」
「思ったより、バーレイの被害が大きいようだからな。そっちで手一杯かもしれないけど、俺らとしては聞いてくれないと困るぞ……」
ここでの魔王とは偽りの王――立花颯汰のことである。カルマンである問題が起きたがため、その解決を求めてヴェルミの首都・ベルンに赴いたニコラスであったが、クラィディム国王と謁見後になんだかんだ書状を託されたのである。
「最近、マルテの海賊たちが活発的だもんね。お父さんも危ないから心配だよ……」
「漁師にとっても、軍にとってもあんな私掠船は排除したい。マルテは知らぬ存ぜぬを決め込んでいるらしいけどな」
「非正規の存在とはいえ、軍でやっつけたらそれはそれで問題になるってなんだか納得いかないよ!」
「戦争後でこっちも疲弊しているからな。まかり間違ってもマルテと連戦はキツい。だから親玉に頼むわけだ。…………大丈夫かな」
ニコラスが今頃になって不安になってきた様子だ。彼と颯汰は五年前に会ったことがある。出会いはかなり最悪の部類であったとニコラスは自覚している。
彼が“魔王”であるとは知らなかったし、数々の奇跡を起こしたとは目で見ていないため、まだ本当の事なのか疑っている部分がある。
歳のわりに勇敢な少年――幼子であったイメージが、ニコラスの中で強いままだ。
多くの者たちからの伝聞と、仮にも自国の国王が認めているから本来は疑う余地すらないのだが、迅雷の魔王と死闘を繰り広げたとか、テルム山をも消滅させたあの巨大な光の柱を発生させた張本人であるだとか、クラィディム国王を救うため殺した迅雷の魔王の血に塗れたまま、首をもって参上しただとか、言われてもはっきりと首肯しかねる気持ちであった。
それでも助力を求めたのは、彼が将来治める領地の治安維持、海賊行為を咎めたいがためだ。
絶大な力を有する王の協力があれば、如何に海賊行為を行っているマルテも撤退するであろうし、仮に撃墜に至ったとしても戦争に発展するか怪しいところだろう。
たった一手で戦況を変える怪物――魔王がいると知っていて、ろくな対抗策もなく報復で「テメェよくもやりやがったな! ぶっ殺すぞ!!」と戦争を起こすのは愚劣の極みと言える。逆に魔王がいなかった場合、向こうに開戦となり得る理由を与えてはならないのだ。
「ふふふ。すべてはキミの手に掛かっておるぞ~ニコラスく~ん☆」
「茶化すな茶化すな。……また変に緊張しちゃうだろ」
「私が一緒について行って手でも握ってあげようか~?」
「おいばかやめい――」
顔を赤くしたニコラスであったが、言葉を遮る大きな声がした。
「――あんたら! そこでいちゃつく暇があったら退いてな! 搬入の邪魔だよ!」
慌しく馬車は何台も行ったり来たりをしている破損した検問所にて、入国の手続きの列を成していたその先で痴話げんかなど、真面目に働いてる人間からしたら癪に触ること間違いなしである。
「え、あ、……すまない」
「ごめんなさーい☆」
去り行く馬車の背面を眺めつつ、ニコラスは肩を落としてから言う。
「……ともかく、俺はすぐ、魔王陛下のところに行く。宿の名前は覚えているな? わからなかったら人族かエルフに聞くんだぞ?」
土地勘もなければ、自国にいない他種族が多い街。治安は比較的良いが過保護になって当たり前になる要素は多い。
一足先にこの重大な任務を終えて故郷へ戻りたいと思っているニコラスは謁見を求めて王城へ向かう。
そこに颯汰がいないとまだ彼は知らない。
そんな歩き出した背中を眺めつつ、その事情を知る者は薄っすらと笑みを浮かべて言う。
それは、独り言のように静かな呟きでありながら、明確な悪意に満ちていた。
「さて、私の中のフィリーネ。これから面白いことが起きますよ」
自身の名を呼びながら、女であった何者かが動き出す。蠢動する邪悪な意志が、王のいない首都にまんまと忍び込んでしまったのである。
「まずはアンバード三大貴族の、バルクード・クレイモス卿のお宅に向かいましょう。病だ怪我だとかで伏せているけど、大丈夫。きっと、すごく楽しい事になるから」




