31 予感
ヴェルミ国王ウィルフレッドからクラィディム王子の存在が明らかにされ、静かに、だが着実に激動の時代を迎える王都ベルンから彼らは発ち、都市コキノまで馬車で揺られながら、三度空に日が昇っては沈むを繰り返す。
都市コキノからも出発してその日の夜の事であった。
目的地のプロクス村は結構な距離があるのは覚えていたから、また長い旅になるなと颯汰は星空を仰ぐ。
プロクス村へは、颯汰はただしばらく一時的に旅を止めて、そこで生活をするものだと考えていた。
何があってその村へと訪れるのかは分からないが、子供である颯汰はただ彼について行くしかあるまい。
異世界――日本からやってきた少年にとっては余所を周っていた方が何かしら帰るヒントを見つかりやすいのではないかと考えていたが、無力で無学のままで世界を周るのは厳しいと現実を見て、そう判断できたのだから最初こそは不満であったがわりとすぐに受け入れていた。
パチパチと音を立てて、赤と金の粒子が空へと送り燃え上がる焚き火の前――。
食事は既に済ませたので後は寝るだけである。久々に合流した軍馬ニールも慣れた様子で颯汰の横で休んでいた。
二人とも焚き火の前で座っていると、しばらく神妙な顔つきをしていた保護者――ボルヴェルグは意を決した。不器用な男は銀の顎髭をいじりながら言う。
『最初はソウタ、お前を今から向かうプロクス村に預けようと考えていた』
驚き目を見張るが声を出さず、颯汰はただ褐色禿頭の男を見つめる。
『王都で人族を預かってくれそうな貴族はマクシミリアン殿しか知らんからな。陛下に用が済み次第、彼にそっと預けてもらおうと思った。……俺は魔人族であり、人族の住むどこかで育った方がお前も幸せになるだろうと考えていた』
考えてみれば魔人族の彼は、国に戻れば家族が待っているのだ。どこの誰の子かわからない子供を相手にしている方がおかしいのだと颯汰は気付いた。
彼が自身の背にある傷からマルテという国から離そうとしてくれたのは知っていたが、自分の中でいつの間にか旅にずっとついて行っていいものだと思い込んでいたと知る。どこか、胸の内の底側くらいから沁み出てきた感情に蓋をしていたところ、男は更に続けた。
『だが、今は違う』
きっぱりと、ここから真意を語ろうと顔つきがしゃんとした。
『陛下からの褒美として、俺とその家族だけはプロクス村で永住を認められた』
本来ならばあり得ない処遇であるのだが、その言葉や意味を反芻する前に、衝撃的な台詞を宣ったのだ。
『そこでソウタ、……俺たちの、家族にならないか?』
『………………え?』
強力な一撃で面を喰らう。意図を掴み損ねて口から呆けた声が出ていく。
放たれたのは暖かみのある言葉であった。だが――。
――なぜ?
疑問しか浮かばない。
彼は勘違いから、立花颯汰を安全な場所まで連れて行こうと考えていたのも颯汰は知っていた。獣刃族とかいう種族からも、道中の賊に対しても何度も救ってもらった。自分の事ではなくても、つい放っておけなくて首どころか全身で突っ込みに行く多大の正義感を有しているのは分かる。
彼の事であるから見返りなんてものを欲していないのは分かるのだけれど、いつだって考えれば、この疑問突きあたるのだ。
『なんで、……なんでそこまでしてくれるんです?』
赤の他人であるのに、命を張って守ってくれた事すらあった。
彼の中の正しくあろうとする心がそうさせるとは知っていても、それでも自身にこだわる理由へと結びつかなかった。
どこかの村へ置いて行けばいいのに、ただの孤児に向かって家族になろうとすら言葉を掛ける男は、数秒ほど空を見る。曇りなき星空に浮かぶ、幾つもの銀と一際目立つ、欠けた青がそこにはあった。
熟考するほどの時間ではなかったが、彼は咳払いをしてから、とある話をすることに決めた。
『…………少し、昔話をしよう。ある男の物語だ』
――あ、それ絶対ボルヴェルグさん自身の話だな
すぐに気づいたが茶化す空気ではないので黙って彼の話を聞くことにした。
ヴァーミリアル大陸の西端は巨大な湖が面している。面積だけで言えばマルテ王国の土地を超えている大きさだ。“巨竜の瞳”とも呼ばれているらしいが地域で呼び名が異なるものだ。
その湖を隔てた先にある、一面が砂漠の死の世界――エルドラント大陸があった。
昼は熱砂の嵐が吹き荒び、夜は冷たき静寂の死が蔓延る厳しい世界。
日中は浮かぶ汗に砂がこびりついて汚れ、肌を焼く。太陽が沈めば凍えるような寒さが襲う。
それでも人はそこで生き、営みを続けている。そこが彼らの始まりで、世界だからだ。
とある都市に、一人の赤子が捨てられていた。鬼人族の父と魔人族の母の混血――この地方では“忌み子”であったのだ。
それを箱に詰め、まるで全てを無かったことにしようと奥底へと押し込んでいるように捨てられていた。
生まれてから、死した母からは温もりを与えられず、父からは言葉の意味がわからないまま罵詈雑言を浴びせられた子は、箱の中でただ懸命に叫んだ。
――生きたい、と。
まだ言葉を知らないから、言葉にできない感情を叫んだ。
その甲斐あって彼はある傭兵団の長に拾われたのだ。
赤子はすくすくと育ち、十二になる前には剣を握って戦場へ出ていた。
父と母というものが分からなかったが、その少年は傭兵の母と家族たちとで愛情を学んだ。
兄弟は出来ても父と言うものが分からなかったかつて少年だった男は、戦場にて出会う――己の実の父と。
その時既に戦事における才能が開花していた男と傭兵団へ、敵の対抗策であったのだろう。
まだ青い小僧から毛が生えた程度の男は迷った。憎むべき相手であるのに、その剣が鈍ったのだ。
その結果、母たる傭兵の団長は父の振るう凶刃で死んだ。
そこでやっと、迷いを断ち……否、怒りで我を忘れた男の剣が、罵声を浴びせ続けてきた実の父を貫いた。
“あの時、殺しておけばよかった”……それが父からの最期の言葉であった。
そうして男は傭兵団を追われ、幾万の日が過ぎては大陸を超え、それなりにアンバードで功績を収めて、長年焦がれていた愛しい人に求婚し、子宝に恵まれた。
産まれたのは女の子であった。しかし、妻の父は男児を欲していた。男も、そう思っていた。
そして月日は流れ、待望の男の子が産まれた。
何故望んだかと言えば、実父から受けた呪詛の言葉が未だ脳裏に浮かぶ中、それを乗りきるには、自身も息子を持つしかないと考えていたからだ。
――そして、自分が受けた苦しみを決して味あわせないと決めていた。
だが、その子は産まれて五年も経たずに、
…………流行り病で、……亡くなってしまった。
夫婦は大いに嘆いた。男は天の神すら呪った。
そして少し年月が経ち、次に産まれたのは女の子であった。
義父は跡継ぎたる男児を求めて男に一族から伝わる試練を課した。
――『もしも跡継ぎたる男児が生まれなかった場合、地図に従い進み三年掛けて旅をすべし。そして禁欲に徹し、子種を漢気に満たせ』
男は義父の言葉に反対したが、娘と妻に説得され、旅を始めたのであった――。
『…………そんな話を聞いたから、背中に大きな傷のあるお前を見た時、俺はただ、自分勝手だが安心して生きられる場所を見つけたいと、思ってしまったんだ。どこか、戦争と剣と、病とも遠い場所に住ませたいと……。そして、それが、いつの間にか……お前には悪いが、息子のいない俺だ。つい、……息子を思い出してしまってだな、……その………………すまない』
最早、自爆気味に自身の物語であると語り出したボルヴェルグ・グレンデル。
焚き火の照り返しが男の顔へチリチリと音を立てて踊り映る。顔は恥ずかしさよりも、どこか申し訳ないという気持ちの方が多大に陰を落としていた。
そこで男はおもむろに立ち上がって続けた。
『俺は、正直、子供とどう接すればいいのかわからない。父としてどう振る舞えばいいか、戦場の傭兵を基準でしか物を差し測れない』
『え? えぇ』
『その癖子供には剣を握るよりも、出来れば平和な世の中で、ペンを握って戦ってもらいたいと思っている』
生きるとはすなわち終わりなき闘争であると考えているボルヴェルグは、どうあれ武力でも知力でも、大人になれば何かきっと誰かと競う事になるのだから、出来ればそれが誰の血も流れない未来であってほしいと望んでいた。
『だが、こんな時代だ。剣を教えることは俺はしないが、……そうだな、護身術程度なら教えよう!!』
そう言葉にした瞬間、ボルヴェルグは背後に近づく影を掴み、思い切り、背負い投げをして地面へと叩きつけた。
颯汰は驚き、音でニールが目を覚まし嘶く。
『野盗……いや、違うな』
一瞬で気絶した襲撃者を睨め付けて自身の咄嗟に出した考えを否定したうえで静かに言う。
『来い、あと最低四人は隠れているだろう』
そうして、闇の中から三人出てきた。
『……なるほど、報告役を残したか。挑発に乗らず懸命な判断だ。だが、三人程度で俺を止められるかなッ――!!』
黒の装束で全身を隠す、まるで忍者の様な三人に対し、ボルヴェルグは剣を握らず徒手で行った。
『ソウタ、よく見ておけ! これが素手での護身術だ!!』
一方的な暴力の始まりを告げた。
先に動いたのは先頭よりの一番近い襲撃者だ。短刀から鞘を投げ捨て走り出した。火の光で刃が妖しく煌く。あっという間に短刀の間合いへ入ったが、それは同時に――拳の間合いでもあったのだ。
それは、鬼人族の奥義、内包した魔力を放出する業であった。射程は短く至近距離でしか使えないうえに、多用もできないが相手を封じ込め、次に繋がる奥義こそ――敵意を奪い、退散させる派手さがあった。
『まずは気合で相手を止める!!』 『気合で』
ボルヴェルグの額――本来ならば角があっただろう位置が仄かに赤く光る。その業を『鬼神咆哮』――彼の鬼神は『ハウリング・ブラスト』と呼んでいた。
周囲に魔力を放出し、相手を痺れさせる――防御ではなく攻撃に転じるためのフィールドを一瞬だけ形成する業だ。そもそも範囲の短さと消費の大きさから実用性は欠けるのだが、もしこの業の存在を知らぬであろう鬼人族以外の種族への“わからん殺し”には最適……であるかは別として、有効な手段であることは確かであった。
襲撃者は突然の痺れに驚くが身体が全く自由が利かずにいると、すぐに腹部へ衝撃が走った。
『そこへ拳を、胴を貫く勢いで捻じ込む!!』 『捻じ込む』
慈悲なき一撃、体重移動を利用した剛の右拳が抉る様に打ち込まれた。襲撃者の身体ごと浮き上がらせるほど重い一撃だ。
『そして最後! 顎に向かい、撃ち貫くように拳を叩きこむ!!』 『撃ち貫く』
くの字で浮かび上がった襲撃者へ迷いなく追撃をした。左拳が正確に敵の顎を捉え、突き上げる。
それはまさに中国、江西省にある廬山の大瀑布を遡る龍が如く、飛び上がりながら顎を持っていく様にアッパーカットを放ったのだ。
襲撃者の身長――平均的な大人を越えるくらい空へ浮かび、受け身が取れぬまま落下する。人体が発していい音ではない「ドシャアッ」という音を奏でながら、襲撃者は沈黙する。
『これぞ護身、奥義! 鬼神烈破――!!』 『いやいやいや!! 死ぬから!! それ護身術じゃないから!!』
『……? 敵を再起不能にするのが究極の護身――その理想形だが』
『そんな護身あってたまるか!』
この子は何を言っているのと言わんばかりの目でボルヴェルグは颯汰を見つめる。そもそも最初の段階で地球在住の人間は到底出来そうにない芸当である。
派手に飛び上がり地に落ちた仲間を見て、襲撃者たちは明らかに動揺をしていた。そこへ男は静かに告げた。
『その男はまだ死んでいない。俺の気が変わる前に連れていき、これを命じた者へ伝えておけ。“次、邪魔をするならば、その首を貰うぞ”とな』
脅し文句を聞き震え上がる襲撃者は声を上げずに倒れた男を担いで闇の中へと走って消えた。
『やれやれ、どこぞのエルフの貴族からの差し金だろうさ。殺気が真っ直ぐすぎる、生粋の騎士だなあれは』
最早、何故そんなのが分かる、と颯汰はツッコミを入れない。この男が言えば、戦闘に関すればだいたい合っているからだ。
『あ~、……それで…………その、ソウタ……答えを、聞かせてもらえるか?』
先ほどまでの苛烈な行いに反して、男は年甲斐もなく若干緊張した声音と面持ちで訊いた。
『ハハ……全く……』
呆れた声で照れ隠しに頰を掻きながら言葉を紡ごうとした。答えは出ていたが、どうも気恥ずかしさが生じて上手く出せないでいた。
暫しの沈黙の後、少し強く心地いい風が通り過ぎた後、問いに対して少年は――。
――そこで、プロクス村の草原で目を覚ました。
過去の情景を、夢で再生していた事に颯汰は気付いた。
見上げると鉛色の空が広がり、遠くの山の上辺りから淡い橙色とで境界が曖昧になっていた。
もうすぐ、雨が降る。
2018/06/06
一部修正




