157 別離のとき
そこは地上で最も美しい景色を持つ地獄。
咲き乱れる花々と天を映す水面。
草原の上には青空と流れる白雲。
とても永久凍土であったアルゲンエウス大陸とは思えない景色が、険しき霊山の頂上にあった。
濃密な魔力が空間を満たす。
結界で隔絶されてるからこそ、侵食を受けているのはこの領域で留まっているのである。
性質で言えば仙界に近い。膨大な体外魔力が周囲の自然をねじ曲げていく。
見るだけであれば心を奪われる楽園であるが、物質界の生命が棲むには適さない地獄でもある。
そこへ訪れた立花颯汰たち。
一様に顔つきはどこか暗い。アンバードにて内乱が起きたという話も不安で心を掻きたてるものがあるが、これからの事を思うとそのような面持ちとなっても不思議ではない。
『来ましたね』
「うん……。来たよ」
颯汰は、他の人物と相手するときよりも竜種の女王――颶風王龍に対してはやけに親し気で物腰が柔らかい。精神年齢も若干見た目相応に引っ張られているように思える。他の子らと比較すると鋭敏とは言い難いヒルデブルク王女ですら、頭上に疑問符が浮かぶくらいにはその違和感がわかりやすく、露骨である。リズとアスタルテの視線が背中に突き刺さっているのが颯汰にはわかる。じりじりと焦げていく気がするのは、きっと間違いなく気のせいだ。
合流後に速やかに定位置である颯汰の頭に乗ってきたシロすけが、気になりだしたのか背後を見て首を傾げた後、颯汰と共に母親を見上げて鳴き声をあげた。
『こちらも準備が整いました。ではお礼を兼ねて、これを受け取ってください』
巨大な龍が羽ばたき始める。
羽毛に包まれ、翼の生えた龍たる母が天を仰ぐようにその身体を直立させる。鱗が煌めき、新緑の光の線が駆け巡る。
腕をピンと伸ばすように広げた両翼を頭上へもっていく。その両翼から解き放たれるエネルギーの波動。魔力を帯びた風が発生し、収束していく。
そして目視が不可能なほどの暴風の域に達した後、風が散っていく。
暴風の中に生じたものが降りてくる。
光を発し、ゆったりと颯汰の元へ――。
「これが……?」
輝けるそれは宝石のようであった。
琥珀を思わせる、半透明の緑色の円形の中心――金色の尖った物体がある。颯汰は、不思議と見た瞬間にそれが龍の鱗だと認識できた。鱗を覆う球体を、さらに包むように複雑に絡み合う銀と淡い緑色――荒ぶる風を具現化させたような飾りが付いている。
大きさはヒトの頭より少し小さいぐらいで、結構なサイズがある。使える左手だけを掲げて受け取るのは厳しそうだ。頭頂に足を乗せ、竜種の子も一緒に小さな両手を伸ばした。
しかし、不思議なことに――龍鱗、あるいはドラゴン・スケイルの宝玉は宙に留まる。颯汰の手のひらの上、十メルカン(約十センチメートル)も無い高さをキープしていた。
掲げた手をゆっくり下ろすと、追従するように宝玉も下がる。颯汰はしばらくジッと輝ける秘宝を凝視していたが、手を上げ下げを繰り返す。宝玉も動きに合わせてついてくる。なんだか不思議で面白く、ちょっと遊び始めていた。この場で『子どもか!』と叱責する人間はいない。同伴者の大半が子どもなので目を輝かせているだけである。
『気合を入れて作った甲斐がありました』
渡した当人(人?)が満足気である。
「あぁいう扱いでいいのかい?」
この場で唯一の常識人であるレライエが思わず口をはさむ。素人目であっても、とても貴重な品に見えるし、彼らはこれを手に入れるために遥々ニヴァリス帝国領内に侵入したのだ。超重要アイテムに対して、雑に扱うわけではないにしろ、お遊びをしていいのだろうかと思うのは普通のことだ。
宝石から視線を戻した颯汰に颶風王龍は語りかける。
『それを使えば周辺の邪気は払われるでしょう』
龍鱗の宝玉を手にし、颯汰は振り返って紅蓮の魔王を呼ぶ。
「王さま」
「あぁ。星輝晶を用いれば国中、上手くいけば大陸中に効果範囲を広げられる」
「それで黒泥が無力化できるんだな?」
「そうだ。王都バーレイが一番被害が大きく、未だあの呪いの塊は残ったままであるが、他の地方でも見えぬところで残ってるやもしれん」
「除去しようとして勝手に動き出したり、何もしてなくとも勝手に動き、死傷者まで出した呪物だしな……それに取りつかれた人間も、それこそ見えないところに出ているかもしれない。浄化の範囲が広がるのは助かる」
「上手くすれば敵方も動きわかるだろう」
「……うん」
争乱の影に必ずと言っていいほどに暗躍する影、外敵たる“黒幕”――。
黒泥などを用いた邪悪な存在を追い出したいのだがその尾すら掴めていない。颯汰たちは敵の規模――単独犯なのか団体なのか、名称すら把握していない状態であったが、颯汰の逆鱗に触れるには充分すぎるほどに存在感を示していた。
「結局のところ、王都を奪還した方が確実に周辺の塵を一掃できるわけだ」
「……人質解放の条件として俺たちが追放される去り際に、泥のお掃除とかダメかな?」
「相手が納得してくれるかわからんな。何かしらの術を疑われるのではないか?」
「そうなるかー……。王都の近い地点に王さまの星輝晶を下ろして実行したら?」
「交渉の前後で状況が少し変わるだろうが、兵を向かわされて追われることだろう。軍務経験がない者たちが危うくなる」
「……」
「その場合は私が殿を務め、敵方へ突っ込む」
「わぁい、頼りになるぅ~」
求めてた回答を得て颯汰は満足していたが、あまり慣れてない喜びのリアクションでちょっと棒読みでぎこちない。人質や巻き込まれた民間人などがいなければ、魔王を放り込むことが可能だ。状況によるが報復するつもりはないので、追手さえを潰せればいい。
消極的だが、当事者である颯汰は戦うつもりが元よりないのだ。
『……いろいろと大変そうですね』
「あ、いえ。こっちの問題ですから。これ、助かります。本当にありがとうございます。…………それで……」
颶風王龍が慈愛に満ちた目をする。
颯汰は、深い溜息と沈黙の末、左腕に貰ったばかりの貴重品を収納する。溢れ出す黒い瘴気が宝玉を包み、黒煙が霧散するとそこに宝玉の姿は無い。ちょっとした消失マジックじみた真似をした後、颯汰が本題に入る覚悟を決めたときである。
不意に彼女から声がかかった。
『それとこれを――』
先ほどのような荘厳さはないが、風に巻かれるように降りてくる物質があった。
ふたつある。
それぞれを背中合わせに降りてくるそれは羽のような形状をしていた。
「ペンダント?」
同じデザインの白い一枚の羽の、中心からやや下に翡翠のような玉石がついている。全体がコーティングされているようにガチガチであり、受け取った質感は金属そのものであった。
「それをあなたと、勇者の少女が持っていてください。戦うものたちへの加護ということで」
リズが驚き見上げた目が大きく見開く。
「なる、ほど……?」
突然の追加の贈り物にさすがの颯汰も首を傾げていたのだが――、
『……私だと思い、肌身離さず持っていてほしいです』
「はい!」
瞬時に納得していた。
「なんだか今までで一番いい返事じゃなくて!?」
ヒルデブルク王女が思わずツッコミを入れる。前に出ている彼の顔を窺えぬが、おそらく見たことのない笑顔なのだろうと予想できる。実際その通りであった。屈託のない笑顔が逆に怖い。
早速ペンダントを首にかけた颯汰。シロすけがスルスルと背中の方へ降りて邪魔にならないように動いてくれた。そして首から下げたペンダントを左手で触りながら再びそれを見やる。
アスタルテやヒルデブルクに声がかけられるまでウットリと見つめていた少年王は、ハッとして振り返ってはリズの方へ渡しに動く。無表情ではなく、喜びでニマニマしているのがちょっと恐い。
ムッとしていたリズであったが、受け取っては彼女を見上げて頭を下げて同じく首から下げた。
『ふたりには後日に……そうね、恋愛運のお守りでも贈ろうかしら』
「本当ですの!?」「れんあい、れんあい……?」
ふたりだけ貰えて羨ましい妬ましいという感情を一切出してはいなかったが、母たる龍王が配慮するように約束をした。効能を聞いて今すぐ欲しいという顔をしている王女と、恋愛というものがまだ早そうなアスタルテ。颯汰的には健康運とかそういった類いにしてほしいが拗れるのと批判されるのが目に見えているので黙っていた。
「そろそろ、だぞ」
そのお守りが完成次第の運搬役(確定)の紅蓮の魔王が和やかな空気の中に切り込む。
時間は限られている。
王都で内乱が勃発した今、時間経過で状況が好転するなどと甘い考えは捨てるべきであり、すぐに行動を起こして情報をかき集めるべきだ。
空気が再び重みを与えてくる。
紅蓮の魔王は空気を読めない系の怪物ではなく、わかった上で、いの一番に注意ができる系の怪物である。
「……うん」
『……』
「シロすけ」
「きゅぅ……?」
頭に乗っかっている幼き龍の子。小さな左手だけで下ろすのは難しかった。苦戦している颯汰の様子から、幼き龍は飛び立ち、颯汰の前で浮かびながら静止する。シロすけも大事な話があると悟ったのだろう。
「ここに残って、母さんと過ごすんだ」
「……きゅう?」
わかってなさそうに首を傾げている。
颯汰はどうしたものかと唇を噛むような表情となる。人語を話せない竜種の幼子であり、ここにきて対話が通じないとなるとどうしようもなくなる。それでも、対話を試みる。
「よく聞いてくれ。俺たちはアンバードに戻る必要がある。でもシロすけまで一緒にくる必要はない」
颯汰は思い出す。
異世界に訪れ、初めて定住することとなった村での彼の龍との出会いと過ごした日々を――。
父となる男を亡くし、閉じた心を慰めてくれたのは、言葉を交わさずに寄り添ってくれた竜種の子であった。
余計な考えを巡らせる必要もない相手だからこそ絆が芽生え、共に過ごしてきた。颯汰の中でシロすけは友であり、家族であり、間違いなく心の支えである存在であった。
「人間同士の争いだ。醜いどうでもいい類いのな……いやまぁ正面から争うつもりはないケド」
蒼く澄んだ瞳から、颯汰は目を逸らす。真っすぐと見つめてくる純真な視線に耐えられなくなった。別れの時――覚悟はしていたが、心に重くのしかかる。
「このまま、母さんと過ごした方がいい」
声が自然と震えだす。視界がぼやける。
それでも、どうにか、その瞳を再び捉える。
「俺は親がずっといなかった。だから、お前にはそんな思いをしてほしくない」
過去の記憶、その断片が閃光のように駆け抜けていく。
この苦しさを、わざわざ味わう必要なんてない。
「生きてるなら、一緒に、いっしょに、過ごす、べき、なんだ……」
滲んだ景色に浮かぶ白龍が近づいてきた。
颯汰は、心が通ったのを感じて、手を広げた。
「シロすけ……!」
抱擁をするには手が一本、半ば失っている状態であるが、それでも抱き合うことはできる、と。
そして、目に溜まった水は弾け飛ぶ。
「ぐぇっ!?」
最後に抱き合ってから別れるつもりであったというのに、幼き龍から飛んできたのは尾によるビンタ。全身が吹き飛ぶほどではなく、軽いものであったが、結構な音を立てる。
パシンっ! と大きな音が響き、見守っていたものたちも目を丸くしていた。
「きゅう! きゅうきゅう! きゅうううう!!」
殴られた左頬を抑えている颯汰に、食らいつかんばかりに寄ってきたシロすけは至近距離で鳴く。まくし立てるような声音から明らかに怒っているのがわかるが、颯汰は豆鉄砲を食らったような顔のままで理解できていない。それにさらに腹を立てたのか、竜種の子は颯汰の頭を甘噛みし、尻尾で背中をビシビシ叩く。
「えぁっ!? いた、いた、いたい、痛いよ!?」
鞭を打たれたウマのように前進する颯汰、竜種の母も困惑している中、ふたりの距離が物理的に縮まる。
羽ばたきと尻尾、甘噛みによって急かされて、颶風王龍に触れる距離まで来る。彼女の方もどうしたらいいのか迷っていたが、全身を下ろして地面に座り込んでいた。とりあえず荒ぶる子を宥めるように顔を近づけたとき、シロすけが颯汰から離れる。しかし、その小さな足で髪の毛を掴んだままだ。
「痛たたた! 髪は将来に響くからやめて!」
悲鳴を上げる少年。突然の暴走に困惑して顔を近づける母。鼻先で母に触れ、家族の間に挟まる幼龍は鳴いた。否、咆哮をあげるように大きく泣いた。
「きゅう! きゅうきゅうきゅう~!!」
響く音が結界内で木霊する。
耳を塞ぐほどではないが、大きく響く。
人語ではないそれであったが、目の当たりにしていた全員が意味を理解した。
「なっ……、シロすけ。俺に、残れって、いうのか……?」
シロすけが肯定して鳴く。
ただし髪は引っ張られたままで毛根が悲鳴をあげている。それは本当にヤバいんだって!
一方、シロすけにとっては颯汰の言動がまったくもって理解できなかった。
何故、置いていくことが前提なのだろう。
どうして、家族と別れる必要があるのだろう。
純粋に疑問であった。
どうして、家族のどちらかを選ぶ必要があるのか――というより選ぶどころか決定づけられていることにも怒りを覚える。
何も颯汰が悪いわけではないし、彼なりに気遣ってでの選択なのだ。
だが、それが当人(龍の子)にとって望んだものとは限らない。
どうにか折衷案を考え出して、最善の着地点を模索しなければならなくなった。
まさかの、別れ際に異種生物間での家族会議が始まる――。
(……坊ちゃんたちは普通に受け入れて当たり前のように言ってるけど、宝石を“使う”ってなんだろ…)
RPGあるある




